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1.最後の日
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セラフィン=ハイタッドは自分の未来が輝かしいものになると信じて疑わなかった。
公爵家という王子の婚約者として申し分ない身分を使い、第二王子であるアエルバートの婚約者の座を獲得。第一王子が王位継承順位一位ではあるが、約十年前にご病気であるとの報せがあって以来音沙汰無しだ。現実的にはアエルバートが即位することになるだろうというのが周囲の見方である。
セラフィンがアエルバートの婚約者になったのも、それを見込んでのことだった。
すでに婚約した事実を公表し、あとは結婚式の日取りを決めるというところまで来ていたある夜。王城にて夜会が催された。
セラフィンは父であるハイタッド公爵と共に参加した。
瞳と同色の鮮やかな空色のドレスにたっぷりとした太陽色の髪を垂らしたセラフィンが入場すると、周囲の人間が話していたのを中断して目を向ける。すらりと伸びる細く長い手には純白の扇子が握られていた。
圧倒的な美を前にして気後れしてしまうものが多数いる中、一人の貴族がセラフィン達に近づく。
「ご婚約おめでとうございます」
表情とハイタッド公爵とのやり取りから、この貴族が権力の傘の下に入りたいのだろうとその思惑を看破した。
そしてこの貴族は大きな間違いを犯している。
結婚をし、未来の王妃になるのはセラフィンだ。ハイタッド公爵に権力を握らせるつもりはさらさらない。
ハイタッド公爵にすり寄ったところで手に入るおこぼれはたかが知れている。
見る目のない哀れな下等貴族を尻目に、セラフィンはハイタッド公爵に一言断ってその場を離れことにした。
中央の階段近くに、アエルバートの姿が見えたのだ。サファイアのような爽やかな青い髪を見間違えるはずもない。
優雅に足を動かして近づいて行くと、セラフィンがアエルバートに話しかける前に小柄な影が彼の隣に寄り添った。
「アエルバート様、こんばんは。招待いただき光栄ですわ」
ピンク色の髪と瞳が可愛らしい女性だった。年頃はセラフィンと同じくらいだろうか。背はセラフィンよりも低く、それがより一層彼女を魅力的に見せている。
たとえアエルバートが他の女性と話していたところでセラフィンは気にしない。国王陛下や皇后陛下ならともかく、婚約者であるセラフィンよりも優先される相手はいないのだから。
「ごきげんよう、アエルバート様」
二人が話しているところにセラフィンは割って入った。
「セラフィン、ごきげんよう。すまないが、今はこちらのブレアナ嬢と話しているところだから、また時間を置いて来てくれないか」
「まあ!」
あまりにも予想外の仕打ちに、扇子で口元を隠す間もなくセラフィンは大声を上げた。近くにいたどこかの貴族の令息や令嬢たちが、なんだなんだと顔を向ける。
「あの……お二人のお邪魔でしたら、私はこれで失礼しますが?」
「待ってくれ、ブレアナ嬢。先に話していたのはキミだ。こういうことだから、セラフィンの話はブレアナ嬢の後に聞かせてくれ」
「アエルバート様、私はあなたの婚約者なのですよ」
少し棘のある言い方になってしまっただろうか。しかし、こうまで邪見に扱われて黙ってはいられない。
アエルバートは気分を害したように唇を尖らせる。
「それでも順番は順番です。食事ならたくさんありますし、そちらを楽しんではいかがでしょうか」
順番というのなら婚約者と他の女性の優先順位を間違っているのはそちらではないか。相手が王子であることがセラフィンを黙させた。
クスクスと近くから笑い声が複数聞こえてくる。
周囲を見ると、一連のやり取りを目撃した人たちがセラフィンを見て笑っていた。婚約者に話し掛けに行ったら、他の女性を優先されたみじめな負け犬とみなされたのだ。
カアッと頬が熱を持つのを感じた。こんな辱めを受けたのは初めてだ。
そそくさとその場を去るより他なく、それが一層セラフィンの無様さを増幅させる。
会場内のほぼ反対側へと移動し、ようやく落ち着いた。とはいっても落ち着いたのは顔の熱だけで、怒りまでは収まらない。
アエルバートに対してもだが、ピンク髪の令嬢に対しても言いようのない怒りが湧いてくる。
お邪魔でしたら、なんて言わずにとっとと退散すればいいものを。あの女が選択権をアエルバートに託しさえしなければ、セラフィンはこんな大恥をかかずに済んだのに。持っていた扇子をぎりぎりと握りしめる。
アエルバートに言われたことを実行するわけではないが、他にやることもなくテーブルに用意されている食事を取り始めた。そのとき、赤ワインの入ったグラスが目に入る。
これだ。
この赤ワインを頭から掛けてやれば、ピンクの髪も着ていた若草色のドレスも台無し間違いない。恥をかかされた恨みだ。
そう考えてワインを手にピンクの髪を探す。
視線を左右にやっている最中に、ズキンと頭の芯が痛み始めた。
食事に悪いものでも入っていたのだろうか。いやそれで痛むのは頭ではなく腹のはずだ。
考えているあいだにも痛みはどんどん増していく。
「……あの大丈夫ですか? 顔が真っ白ですけど」
どこかで聞き覚えのある声だと思っていたら、さっきのピンク髪の令嬢だった。
ワインを。頭痛い。やらないと。それどころじゃない。
思考が散らかり、まとまらない。
視界が狭まり体から力が抜けていく。ついには指先の感覚もなくなっていって……。
「きゃああああ!」
遠くで悲鳴が上がる。
体が動かない中で頭の中に情報の洪水が起こり、処理が追い付かない。
そっか。この世界って……。
公爵家という王子の婚約者として申し分ない身分を使い、第二王子であるアエルバートの婚約者の座を獲得。第一王子が王位継承順位一位ではあるが、約十年前にご病気であるとの報せがあって以来音沙汰無しだ。現実的にはアエルバートが即位することになるだろうというのが周囲の見方である。
セラフィンがアエルバートの婚約者になったのも、それを見込んでのことだった。
すでに婚約した事実を公表し、あとは結婚式の日取りを決めるというところまで来ていたある夜。王城にて夜会が催された。
セラフィンは父であるハイタッド公爵と共に参加した。
瞳と同色の鮮やかな空色のドレスにたっぷりとした太陽色の髪を垂らしたセラフィンが入場すると、周囲の人間が話していたのを中断して目を向ける。すらりと伸びる細く長い手には純白の扇子が握られていた。
圧倒的な美を前にして気後れしてしまうものが多数いる中、一人の貴族がセラフィン達に近づく。
「ご婚約おめでとうございます」
表情とハイタッド公爵とのやり取りから、この貴族が権力の傘の下に入りたいのだろうとその思惑を看破した。
そしてこの貴族は大きな間違いを犯している。
結婚をし、未来の王妃になるのはセラフィンだ。ハイタッド公爵に権力を握らせるつもりはさらさらない。
ハイタッド公爵にすり寄ったところで手に入るおこぼれはたかが知れている。
見る目のない哀れな下等貴族を尻目に、セラフィンはハイタッド公爵に一言断ってその場を離れことにした。
中央の階段近くに、アエルバートの姿が見えたのだ。サファイアのような爽やかな青い髪を見間違えるはずもない。
優雅に足を動かして近づいて行くと、セラフィンがアエルバートに話しかける前に小柄な影が彼の隣に寄り添った。
「アエルバート様、こんばんは。招待いただき光栄ですわ」
ピンク色の髪と瞳が可愛らしい女性だった。年頃はセラフィンと同じくらいだろうか。背はセラフィンよりも低く、それがより一層彼女を魅力的に見せている。
たとえアエルバートが他の女性と話していたところでセラフィンは気にしない。国王陛下や皇后陛下ならともかく、婚約者であるセラフィンよりも優先される相手はいないのだから。
「ごきげんよう、アエルバート様」
二人が話しているところにセラフィンは割って入った。
「セラフィン、ごきげんよう。すまないが、今はこちらのブレアナ嬢と話しているところだから、また時間を置いて来てくれないか」
「まあ!」
あまりにも予想外の仕打ちに、扇子で口元を隠す間もなくセラフィンは大声を上げた。近くにいたどこかの貴族の令息や令嬢たちが、なんだなんだと顔を向ける。
「あの……お二人のお邪魔でしたら、私はこれで失礼しますが?」
「待ってくれ、ブレアナ嬢。先に話していたのはキミだ。こういうことだから、セラフィンの話はブレアナ嬢の後に聞かせてくれ」
「アエルバート様、私はあなたの婚約者なのですよ」
少し棘のある言い方になってしまっただろうか。しかし、こうまで邪見に扱われて黙ってはいられない。
アエルバートは気分を害したように唇を尖らせる。
「それでも順番は順番です。食事ならたくさんありますし、そちらを楽しんではいかがでしょうか」
順番というのなら婚約者と他の女性の優先順位を間違っているのはそちらではないか。相手が王子であることがセラフィンを黙させた。
クスクスと近くから笑い声が複数聞こえてくる。
周囲を見ると、一連のやり取りを目撃した人たちがセラフィンを見て笑っていた。婚約者に話し掛けに行ったら、他の女性を優先されたみじめな負け犬とみなされたのだ。
カアッと頬が熱を持つのを感じた。こんな辱めを受けたのは初めてだ。
そそくさとその場を去るより他なく、それが一層セラフィンの無様さを増幅させる。
会場内のほぼ反対側へと移動し、ようやく落ち着いた。とはいっても落ち着いたのは顔の熱だけで、怒りまでは収まらない。
アエルバートに対してもだが、ピンク髪の令嬢に対しても言いようのない怒りが湧いてくる。
お邪魔でしたら、なんて言わずにとっとと退散すればいいものを。あの女が選択権をアエルバートに託しさえしなければ、セラフィンはこんな大恥をかかずに済んだのに。持っていた扇子をぎりぎりと握りしめる。
アエルバートに言われたことを実行するわけではないが、他にやることもなくテーブルに用意されている食事を取り始めた。そのとき、赤ワインの入ったグラスが目に入る。
これだ。
この赤ワインを頭から掛けてやれば、ピンクの髪も着ていた若草色のドレスも台無し間違いない。恥をかかされた恨みだ。
そう考えてワインを手にピンクの髪を探す。
視線を左右にやっている最中に、ズキンと頭の芯が痛み始めた。
食事に悪いものでも入っていたのだろうか。いやそれで痛むのは頭ではなく腹のはずだ。
考えているあいだにも痛みはどんどん増していく。
「……あの大丈夫ですか? 顔が真っ白ですけど」
どこかで聞き覚えのある声だと思っていたら、さっきのピンク髪の令嬢だった。
ワインを。頭痛い。やらないと。それどころじゃない。
思考が散らかり、まとまらない。
視界が狭まり体から力が抜けていく。ついには指先の感覚もなくなっていって……。
「きゃああああ!」
遠くで悲鳴が上がる。
体が動かない中で頭の中に情報の洪水が起こり、処理が追い付かない。
そっか。この世界って……。
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