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あるクリスマスの話
2 二人の出会い
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その日、信慈はバイトを早めに上がって、ぼんやりと家路を歩いていた。
夜の闇とともに肌寒い冷気が町を包み始める。
吹き抜けていく風は乾いていて、夏の終わりを告げる、うら寂しい哀愁をにおわせていた。
いつもと変わらない道をいつものように歩いていると、家の近くまで来たところで、変わったものを見つける。
塀と電柱の影に隠れるようにしてうずくまっている、一人の子供だった。
「どうした?」
今考えれば、ものぐさな自分がどうして子供なんかに声をかけようとしたのだろう。
不思議な縁としか言いようがなく、気が付いたら自然と声をかけてしまっていた。
驚いて顔を上げた少年の目元は赤く腫れていて、可愛らしい大きな瞳は潤んでいる。
思わず反応してしまった後で自分の顔に気づいたのだろう。
少年は慌てて腕で目元を隠すようにこすると、また俯いてしまった。
何も話さない少年に、信慈は困って頭の後ろを掻く。
黙って通り過ぎればよかったのに、一度話しかけてしまった手前、今から置き去りにするというのはどうにも居心地が悪い。
まだ温かさの残る季節とはいえ空は暗くなり始めているし、信慈はしばらく空を見上げた後、少年を自分の家に誘った。
何も話してくれない少年をとりあえず保護した後で、この後はどうするのがいいのか、警察に連絡したほうがいいのだろうかなどと考えながら、手持ち無沙汰な時間にとりあえず飲み物でもとホットミルクなどを作る。
話題もないので無言でマグカップを置くと、少年はしばらくマグカップと信慈の顔を交互に見比べていたが、恐る恐るカップを手に取った。
甘く温かい液体を口にすると、張りつめた気持ちが少しは落ち着いたのか、みるみるうちにマグカップの中身を飲み干していく。
「……ありがとう」
「少しは落ち着いたか?」
「……」
こくり、と首だけで答える少年。
「名前は?」
「ゆうた。……ひいらぎゆうた」
最初に聞いた優太の声は、泣きはらして掠れたものだった。
家出ではなく、嫌なことがあったから帰りにくかったということ。
家はすぐ向かいのマンションだということ。
両親は共働きだから心配するとしても夜遅くになってからだ、など。
家に誰もいないという話で、ますます厄介な拾い物をしてしまったと信慈は頭を抱えた。
もしこの子が帰りたくないなどと駄々をこねたら迎えに来てくれる人はやってこないということだ。
なるべく穏便に帰りたいと言い出してくれることを祈りつつ、ポーカーフェイスで適当な話題を探す。
「なんであんな場所で泣いてたんだ?」
優太は空になったマグカップを両手で抱えて、じっとカップの底を見つめていた。
この質問は地雷だったかもしれない。もっと遠回しに聞くべきだったと今更後悔するが、口から出た言葉は戻らない。
また泣き出してしまわないだろうかとハラハラしながら見守っていると、優太はポツリポツリと話し出した。
その話をまとめると、原因は失恋だったそうだ。
それも相手は、同じ男の人。
ずっと憧れていた先輩だったそうだ。
フラれたショックももちろん大きいが、自分がそういう性癖だったことを知ったこと、そしてそれを拒絶されてしまったことが、どうやら一番こたえたようだ。
自分の中に初めて芽生えた恋愛感情が、それまで自分が知っていた普通とは違うものだった。
その衝撃は、幼い子供を混乱させるのには十分すぎるものだった。
「男の人を好きになるって、やっぱ、おかしいことなのかな?」
すがるように見上げられた、子犬の目。
信慈はその目を正面から受け止めて、受け止めきれずにまた、天井を見上げてしまった。
やっぱり自分は気持ち悪いんだ。
と、子供はまた顔を伏せる。
信慈は、自分でもわからないその答えをしばし考えて、
「別に、普通が正しいってわけじゃねぇだろ」
ぼそりと、一番当たり障りのない言葉を選んで答えた。
予想外に穏やかな声に優太は虚を突かれて、大きな狼の顔を見上げる。
力のない無表情で自分を見つめている顔がそこにあった。
嘲りも侮蔑もなく、ただ優太を見ている。
その顔は優太には、すごく寂しそうな微笑みに見えた。
そこから、二人の関係は始まった。
初めての失恋で砕けた心を何も言わず、励ますこともなく包んでくれた無関心な優しさが心地よかったのだ。
以来、優太は信慈の帰りを待つように表の通りを見張ったり、時には待ち構えたりして、ずいずいと一方的に距離を詰めていった。
幼く寂しい心が選んだ新しい拠り所。
そんな強引な付き合いを続けているうちに、このお兄さんも自分と『同じ』なのだと、敏感な子供は感じ取る。
自分でも受け入れられなかった気持ちを共有してもらえる人物の登場に、優太はますます信慈の部屋へ通い詰めるようになっていった。
学校の話、友達同士の愚痴、聞いてもいない身の上話や、狭い部屋で二人で並んでするゲーム。
信慈からすれば迷惑な話だったが、同時に、一方的に懐いてくる小動物を見ているような、不思議と胸が温かくなる気持ちもあって、親戚の子供を預かるようなものだろうと、次第に何も言わず部屋に上げるようになる。
合鍵まで作って渡したところで、優太の両親がやって来たのにはさすがに肝を冷やした。
だが予想外にも二人は信慈に向かって深々と頭を下げ、親として不甲斐無いがこれからも息子を見守ってくれないだろうか、等と菓子折りを渡してくるではないか。
状況を飲み込み切れずに断り切れないでいると、それが了承という形で受け取られて、いつの間にか二人は両親公認の仲になっていた。
しかし、両親は夢にも思っていないだろう。
一人息子がまさか、このように大きな男の人に恋心を抱いて通っているなどとは。
夜の闇とともに肌寒い冷気が町を包み始める。
吹き抜けていく風は乾いていて、夏の終わりを告げる、うら寂しい哀愁をにおわせていた。
いつもと変わらない道をいつものように歩いていると、家の近くまで来たところで、変わったものを見つける。
塀と電柱の影に隠れるようにしてうずくまっている、一人の子供だった。
「どうした?」
今考えれば、ものぐさな自分がどうして子供なんかに声をかけようとしたのだろう。
不思議な縁としか言いようがなく、気が付いたら自然と声をかけてしまっていた。
驚いて顔を上げた少年の目元は赤く腫れていて、可愛らしい大きな瞳は潤んでいる。
思わず反応してしまった後で自分の顔に気づいたのだろう。
少年は慌てて腕で目元を隠すようにこすると、また俯いてしまった。
何も話さない少年に、信慈は困って頭の後ろを掻く。
黙って通り過ぎればよかったのに、一度話しかけてしまった手前、今から置き去りにするというのはどうにも居心地が悪い。
まだ温かさの残る季節とはいえ空は暗くなり始めているし、信慈はしばらく空を見上げた後、少年を自分の家に誘った。
何も話してくれない少年をとりあえず保護した後で、この後はどうするのがいいのか、警察に連絡したほうがいいのだろうかなどと考えながら、手持ち無沙汰な時間にとりあえず飲み物でもとホットミルクなどを作る。
話題もないので無言でマグカップを置くと、少年はしばらくマグカップと信慈の顔を交互に見比べていたが、恐る恐るカップを手に取った。
甘く温かい液体を口にすると、張りつめた気持ちが少しは落ち着いたのか、みるみるうちにマグカップの中身を飲み干していく。
「……ありがとう」
「少しは落ち着いたか?」
「……」
こくり、と首だけで答える少年。
「名前は?」
「ゆうた。……ひいらぎゆうた」
最初に聞いた優太の声は、泣きはらして掠れたものだった。
家出ではなく、嫌なことがあったから帰りにくかったということ。
家はすぐ向かいのマンションだということ。
両親は共働きだから心配するとしても夜遅くになってからだ、など。
家に誰もいないという話で、ますます厄介な拾い物をしてしまったと信慈は頭を抱えた。
もしこの子が帰りたくないなどと駄々をこねたら迎えに来てくれる人はやってこないということだ。
なるべく穏便に帰りたいと言い出してくれることを祈りつつ、ポーカーフェイスで適当な話題を探す。
「なんであんな場所で泣いてたんだ?」
優太は空になったマグカップを両手で抱えて、じっとカップの底を見つめていた。
この質問は地雷だったかもしれない。もっと遠回しに聞くべきだったと今更後悔するが、口から出た言葉は戻らない。
また泣き出してしまわないだろうかとハラハラしながら見守っていると、優太はポツリポツリと話し出した。
その話をまとめると、原因は失恋だったそうだ。
それも相手は、同じ男の人。
ずっと憧れていた先輩だったそうだ。
フラれたショックももちろん大きいが、自分がそういう性癖だったことを知ったこと、そしてそれを拒絶されてしまったことが、どうやら一番こたえたようだ。
自分の中に初めて芽生えた恋愛感情が、それまで自分が知っていた普通とは違うものだった。
その衝撃は、幼い子供を混乱させるのには十分すぎるものだった。
「男の人を好きになるって、やっぱ、おかしいことなのかな?」
すがるように見上げられた、子犬の目。
信慈はその目を正面から受け止めて、受け止めきれずにまた、天井を見上げてしまった。
やっぱり自分は気持ち悪いんだ。
と、子供はまた顔を伏せる。
信慈は、自分でもわからないその答えをしばし考えて、
「別に、普通が正しいってわけじゃねぇだろ」
ぼそりと、一番当たり障りのない言葉を選んで答えた。
予想外に穏やかな声に優太は虚を突かれて、大きな狼の顔を見上げる。
力のない無表情で自分を見つめている顔がそこにあった。
嘲りも侮蔑もなく、ただ優太を見ている。
その顔は優太には、すごく寂しそうな微笑みに見えた。
そこから、二人の関係は始まった。
初めての失恋で砕けた心を何も言わず、励ますこともなく包んでくれた無関心な優しさが心地よかったのだ。
以来、優太は信慈の帰りを待つように表の通りを見張ったり、時には待ち構えたりして、ずいずいと一方的に距離を詰めていった。
幼く寂しい心が選んだ新しい拠り所。
そんな強引な付き合いを続けているうちに、このお兄さんも自分と『同じ』なのだと、敏感な子供は感じ取る。
自分でも受け入れられなかった気持ちを共有してもらえる人物の登場に、優太はますます信慈の部屋へ通い詰めるようになっていった。
学校の話、友達同士の愚痴、聞いてもいない身の上話や、狭い部屋で二人で並んでするゲーム。
信慈からすれば迷惑な話だったが、同時に、一方的に懐いてくる小動物を見ているような、不思議と胸が温かくなる気持ちもあって、親戚の子供を預かるようなものだろうと、次第に何も言わず部屋に上げるようになる。
合鍵まで作って渡したところで、優太の両親がやって来たのにはさすがに肝を冷やした。
だが予想外にも二人は信慈に向かって深々と頭を下げ、親として不甲斐無いがこれからも息子を見守ってくれないだろうか、等と菓子折りを渡してくるではないか。
状況を飲み込み切れずに断り切れないでいると、それが了承という形で受け取られて、いつの間にか二人は両親公認の仲になっていた。
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