あるクリスマスの話

なきいち

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あるクリスマスの話

1 家に帰れば

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 夕暮れ時、街灯が点灯し始めようとするその時間、歩道を歩く一人の青年が立ち止まり、空を見上げていた。
犬のような顔に通った目鼻立ち、190に届きそうな身長と恵まれた体格は、彼が狼の血を宿す獣人であることを物語る。
毛並みは銀色、黒の髪の毛を持ち、天を見上げる両の瞳は金色だ。
ふう、と細く息を吐けば、白い煙が立ち昇る。
身を切るように冷たい冬の息吹は、羽織った黒のコートの隙間から忍び込み、着こんだ服と毛並みを通り抜けてわずかばかり刃を立てる。
だが、今はそんな痛いほどの寒さが、むしろなんだか心地よかった。
(情けねぇなぁ)
いつもの癖でぼんやり空を見上げていたことに気が付いて、苦笑したはずみにまた白い息が口から漏れる。
彼――定森 信慈は、天へと向けていた長い鼻先を正面に戻して、小さくかぶりを振った。
ぼんやりと上を見上げていると、何を考えているのか、何も考えてないのか、自分でもわからなくなって、心が空っぽになっていくような気分になる。
茫漠なスクリーンに映る色彩と雲の形が、あるいは代わり映えのない天井の模様が、空っぽの意識の上に垂れ落ちる絵の具のように淡々と頭の中に流れ込んでくる時間。
何かに思い悩んだ時、いつもそんな、心ここにあらずの状態に浸るのが信慈の癖だった。
(自分から振っておいて、まだ未練があるのかね?)
ククッ、と奥歯を噛みながら含み笑うその顔は、未練のような後ろ暗さはなく、むしろ晴れ晴れとしたさわやかなものだ。
今日の昼、彼は一つの恋を終わらせた。
ずっと昔にわかっていたことなのだ。
ずっと昔に、あの人から心は離れてしまっていたと。
わかっていたのに、わからないふりをしていた。
そのせいで、だらだらと気持ちを引きずっていた。
自分でも気づかないうちに。
だから、自分の手で断ち切らなければいけなかった。
それなのに、断ち切ったはずの気持ちがどこかまだ懐かしくて、つい、思い出を心の中で開いてしまう。
そうしてまた、いつもの癖が出ていた。
(本当、情けねぇ)
ニヤニヤと一人、笑いながら、信慈は家路を急ぐ。
その手には、ケーキの入った紙箱が下げられていた。

年季の入った安アパートの二階、そこが信慈の帰る家だ。
錆の浮き出た階段の手すりは、触ると毛が引っかかるのでなるべく避けて上がる。
自分の部屋の前につき、コートのポケットから鍵を取り出してドアに差し込み、回すと、手ごたえが無かった。
(ん?)
念のため逆に回してみると、ガチャ、と音を立てて鍵は閉まる。
回す方向を間違えたわけではない。
(優太の奴、来てるのか)
もう一度鍵を開けなおし、心当たりはあるものの用心だけはして、そっと扉を開く。
はたして玄関にはやはり、見慣れた一足のスニーカーが脱ぎ捨てられていた。
予想通りの光景だったことに肩の力を抜いて、中に入り扉を閉じる。
きっちりと鍵を閉めてから、脱ぎ捨てられたスニーカーを並べ直し、部屋の中に声をかけた。
「帰ったぞー」
言いながら靴をそろえて脱ぎ、上着をハンガースタンドにかけていると、声をかけた部屋の奥から、軽い足音が聞こえてくる。
「あ、おかえりー」
信慈の姿を見つけると、足音の主はにっこりと笑いながらそう言った。
出てきた犬人の少年はいわゆる柴犬に似た顔立ち、毛並みは全体的に薄い茶色で、腹から口元にかけてと手足は白の二色。
遺伝的に鬣は生えてこないらしく、髪と呼べる特別な毛はない。
くりくりと利発そうな輝きの円らな瞳は黒色だ。
声変わりは終わったらしいが、それでも少年らしさを感じさせるアルトボイス。
愛くるしさを感じさせる容姿と小柄な体格が少年を実際より幼く見せていた。
「ただいま。また鍵閉め忘れてたぞ」
「あー、そうだった? ごめん」
「今度忘れたら合鍵没収な」
「えー!!」
少年の名は、柊 優太。
まるで我が物顔で上がりこんでいるが、信慈とは向かいの高層マンションに住んでいるだけの少し離れたご近所さん。
言ってしまえば赤の他人だ。
二人の少し歪な関係の始まりは、ある夏の終わりの事だった。
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