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続・終章 日常へ

2 雛鳥の正体

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「あ、いらっしゃいま―――」
「お邪魔するのである!」
応対しに立ち上がったルーの言葉を遮るように、独特の言い回しをするよく通る声の男が入店した。
無駄に姿勢よく歩く鷹獣人はここにいる全員が知っている顔、ガリュオンだ。
それとその後ろにもう一人。
中肉中背、痩せてはいるが細くはない、必要な肉はしっかりついているといった体型。
暗い色のズボンに黄色のパーカー、フードを目深にかぶり、ポケットに手を入れた男が一緒に入ってくる。
オレはそいつも知っている。
ガリュオンが『雛鳥』と呼ぶ人物だ。
ヒナドリは店の扉をガリュオンが閉めるのを待ってから、ポケットに入れた手を出し、フードを上げる。
「よっ。元気してる?」
にこやかに振られた手には鱗はなく体毛もうっすらとしかない。
フードの中から現れたのは、人間族の青年の顔だった。
初めて見たときは、ルー以外でその人種を見たことがなかったから少し驚いてしまった。
年齢はおそらくオレ達と同じくらい。
茶色の鬣にルーと同じ黒の瞳は、優しそうでありながらどこか子供のような光を宿している。
美形というより愛嬌を感じさせるのは、その目元の印象からだろう。
なんともいいタイミングで来たもんだなと、オレは皮肉を込めた笑みで二人を見ていた。
すると、
「へっ? レイ!?
どうしたの急にこんなところに。っていうか何その不審者スタイル?」
ヒナドリを見たルーが、驚いた声を上げた。
オレはそっちに驚いて、ルーに尋ねる。
「店長、こいつと知り合いなんです?」
「知り合いっていうか」
「ああ、そういえば名乗ってなかったっけ?
じゃあ改めて。ルーファン・レイです。
いつも兄がお世話になっています」
ヒナドリはガリュオンと並んでこっちに歩いて来ながら、そう自己紹介した。
オレは思わず叫んでいた。
「お、弟っ!?」
「え? うん」
「気付いて無かったのかい?」
保険医までもが意外そうにオレのほうを見るけど、毛の色が違うじゃないか。
「いやだって、毛並みの色が違うし」
「ああ、俺のは母さんの遺伝なんですよ。兄貴の髪は父さんの色で」
言われてみれば似ているかもしれないけど、ルーとヒナドリじゃ見た目が子供と大人だし、そもそも人種が違う相手の顔なんてそれこそどれも似たように見えるもんだ。
ルーにこんな大きな弟がいるなんて想像もしたことがなかったし……
だから今の今まで、まさかヒナドリがルーの身内だなんて考えもしなかったんだ。
だけど考えてみたらルーは成長が止まったせいでこの姿なのだから、弟のほうが大きいのは当然か。
(いや弟? 弟か)
オレはまじまじと、ルーの顔を見つめる。
(みっともないお兄ちゃんでごめん、って……)
あの日、しきりに自分のことを『お兄ちゃん』と繰り返していたルーの姿を思い出す。
ルーが甘え下手になったのは、兄として弟に見栄を張ろうとしてきたから?
自分を置いてすくすくと成長する弟に対する劣等感みたいなものがそうさせたんだろうか。
必死でお兄ちゃんをやろうとして空回るルーの姿が、ありありと想像できる。
また一つ、ルーの可愛いところを知ってしまって、顔に出ていたらしい。
オレを見ていたルーが嫌そうに顔をそらしてしまった。
「いや我輩も驚いたのである。
我が雛鳥の兄上がこのように小さな……いや、幼い……いや、愛らしい姿をしているとは」
「ガリュオンさん、その気遣いは逆にくるんで……自分の見た目が子供っぽいのは自覚しているんで大丈夫ですよ」
「う、うむ。すまない、ルー殿。いや、兄上殿」
ひきつった苦笑いを浮かべるルーに、ガリュオンは頭を下げる。
保険医は寝ているバルトを引き寄せて場所を空けようとしたが、それをヒナドリ――レイ達は手で止めて、備え付けの予備の椅子を出してきてそれに腰を下ろした。
「それで、レイはなんでここに?」
「クープさんからもう聞いてるかもしれないけど、俺もこの人の悪巧みの共犯者ってわけ。
で、ガリュオンとは同期」
「ああ。……え? ってことはレイ、ギルドに就職したの!?」
レイは呆れた顔をして、
「兄貴、手紙読んでないのかよ。
去年内定が決まったとき、家族でちょっとしたお祝いしたんだぜ?
兄貴にも手紙で報せたはずだけど」
「え? ご、ごめん。ちょっといろいろ忙しくて」
「はいはい。お店を持つと大変ですね」
「うぅ」
弟に皮肉交じりに言われては、兄としては立つ瀬がないだろう。
事情を知るオレは、一人で納得する。
(家族に魔除けのパンツがばれたら死ぬって言ってたもんな)
淫紋を鎮めるための魔除けのパンツ。
それは非活性状態の小さな点になっている淫紋と、淫紋が特に強く反応する場所、肛門の二か所に同時に触れる形をしている。早い話が白のTバックだ。
ルーはいつもそれを穿いて生活している。
実家ではそれを隠し通せる自信が無いから、よっぽどのことがない限りは帰らないと言っていた。
淫紋のことで家族にもいろいろ秘密を抱えているルーは、自然と疎遠になってしまっていたのだろう。
「たまには帰るか、せめて手紙くらい出せよな兄貴」
「はい……」
「よく、お兄さんをこんな事件に巻き込めましたね?」
レイがルーの身内と知って、皮肉より嫌悪に近い感情で聞く。
レイはオレの目に苦笑を返した。
「まあ、本当に誘拐されるなんて思わなくて。
クープさんは全て打ち明けた上で、嫌なら全部兄貴やギルドにも告げ口して構わないって頭を下げてくれたから、信じられる人だと思ったんです。
それに兄貴はこう見えて結構しっかりしてるし、多少のことなら自力で何とかしちゃうと思ってたんですよ。
実際のところ、本当にそんな事件が起こるのか半信半疑、保険で見守るくらいの気持ちでした。
ガリュオンは『兄上殿は我輩が守るから安心するのである』なんて気合い入ってたけど」
レイの隣で胸を張るガリュオン。
なんで得意げなんだお前は。
「こう見えて俺、魔力感知だけならギルドでも指折りなんです。
エージェントに推薦されたのもそれが理由で。
だからクープさんの言う"もしも"が起きたときには俺の能力が一番役に立つはずって思って協力したんですよ」
「彼の協力がなかったら、ルー君の救出にはもっと時間がかかっていた。
僕からも、改めてお礼と、謝罪を。
今回は本当に、僕の身勝手に付き合わせてしまい申し訳なかった」
「兄貴はこの通り無事だったし、いいですって。同じ"共犯者"じゃないですか」
頭を下げる保険医に笑い交じりで返すのは彼が軽薄な人間だから、ではない。
ルーを捜索するときの緊迫した表情と、恐れを隠しきれない目、焦りを堪えた声を知っていたから、オレはそう思えた。
あの時はわからなかったが、あれは身内の安否を祈る者の姿だったんだろう。
そして、オレとは違い感情的にならずその胸の内を抑えて、やるべきことをやり遂げた人物だ。
誘拐されると思っていなかったというのは本心だろう。
その上で、"もしも"が起きたときには自分の力で兄を助けられるという自信があった。
もしかしたら、あの時あの状況で一番衝撃を受けていたのは彼だったのかもしれない。
もしルーに何か起きていたら、あるいはオレよりも自分を責めていたかもしれない。
オレの中でさっき感じた嫌悪が無くなっていく。
同時に、ずっと引っかかっていた最後のピースがはまった。
ガリュオンが保険医の計画に協力した理由。
二人の人間族、他人であるルーの安否と、お気に入りのヒナドリの言葉を天秤にかけた、ではまだ弱い。
そのお気に入りがルーの弟で、身内が重い決断をした横で部外者がずるずる食い下がるのは格好がつかない。
ならば自分も同じ泥をすすり、その上で功を立てる。
ガリュオンが保険医の計画に乗った決め手はそう言うことだろう。
ふと、オレは一つ思い出したことを尋ねた。
「そう言えばあの日、いきなりお前が突っかかって来たのもその計画とやらだったのか?」
あの日の事件は、そこから始まった。
だとしたら、あの日の行動は全てこいつらに誘導されていたってことになる。
オレ達は何から何までこいつらの手の上で踊らされてたってことか。
「ああ、あれは正直焦ったんですよ。
ギルドから出てきたウォルサムさんを見たとたん『兄上殿の危機である!』とか言って飛び出して行くんだから。
まあ、結果として堂々と兄貴を見張る口実が作れたんで結果オーライになりましたけど。
まさかその直後に本当に本命がやって来たのは、正直肝が冷えましたね」
「いやあ、保険医殿が警戒していた"事件"が起きたと早とちりしてしまってついな」
……おい待てコラ。
「……お前あの時たしか、人の事クズだなんだとボロクソに言ってくれたよな?」
「そんなこともあったであるな」
「つまり、あの時の言葉はお前の本心ってことでいいんだな?」
「はっはっは、そう怒るなウォルサム」
「怒るわ! このクソヒュムナー!」
「誉め言葉として受け取ろう」
まったく懲りる様子のない笑い顔には、怒りを通り越して呆れを覚える。
なんだか馬鹿らしくなって、オレは深いため息をついた。
こいつとまともに話そうとすると本当に、疲れる。
「レイがオレを助けるのに協力してくれたのはわかったけど、なんでこの街に?」
と、ルーが聞く。
そういえば、そうだ。
ギルドエージェントと言ってもギルド支部は各都市にあるし、彼はルーみたいにこの街の魔導学術院に入学したわけではない。
この街の支部に所属する理由があったとはあまり思えない。
「しばらく前に、都市間の地域の魔獣の生態調査があって。
この街の近くだったから、せっかくだからついでに兄貴の暮らしてる街ってのを見てみたくて手を挙げたんだよ。
そこでまあ、ガリュオンに捕まっちゃって。
そのまま成り行きで滞在する形になっちゃった感じ」
あー、と、オレは納得する。
「それはまた、変なのに捕まって災難でしたね」
「ウォルサム、それはどういう意味だ?」
「ははっ、うん。そうだね。俺も変なヤツって思った」
「ひ、雛鳥っ!?」
言われてやんの。
軽い意趣返しができたことに、オレは頬を吊り上げる。
「でも、いい人だよ。すごく純粋でまっすぐな人。
何が起きてもまっすぐな、そんな強い人なんだ」
「雛鳥ぃ……」
ガリュオンはレイの言葉に感動するように目を潤ませていた。
もう少し凹んでいればいいのに。
オレは面白くなくて、お茶に手を伸ばす。
「あの、ずっと気になってたんですけど、その雛鳥って言うのは……?」
ずっと弟を変な愛称で呼ばれているルーが、今まで誰も聞こうとしていなかったことをついに尋ねる。
「それは」
と、ガリュオンは言いかけて、レイのほうを見た。
なにか、許可を求めるように。
こいつのことだ。大方、人間族を溺愛するあまり付けたあだ名ってところだろう。
オレは興味なく、ルーが淹れた茶をすすった。
「うん。いいよ。今日はそれを言いに来たんだし」
レイの許しを得たガリュオンは、高らかに宣言した。
「我等は伴侶である!」
オレは口に含んだ茶の湯を思いっきり噴き出した。
なんて言った? 伴侶?
オレも、ルーも、ついでに保険医も、ぽかんと口を開けている。
「あの日、我輩は天啓を得たのである。我が生涯はこの者と共に歩むためにあるのだと」
「まあ、うん。ずっとこんな感じでアプローチされててさ。
それで最近、同棲始めちゃいました。
で、今日は二人で兄貴に報告に」
「待って待って待って、どういうこと? わかるように言ってくれる?」
慌てて止めるルーと、全員同じ気持ちでレイに注目する。
ガリュオンはレイの肩を抱き寄せて、説明を続けようとするレイに頬ずりをしていた。
「だから、俺たち付き合ってるんだ。
今まではギルドの宿舎から通う形だったんだけど、このまま俺もこの街に引っ越しちゃえってことになって」
「いやいやそうじゃなくて、ガリュオンさんは男、ですよね?」
「それが何か?」
「えええ……」
平然と返すガリュオン。
答えるときだけ真顔に戻り、終わるとまた頬ずりを再開する。
「ガルー、くすぐったいって。もう少し手加減してよ」
「嫌なのである」
「もう」
突如始まった光景にまったくついていけないが、全員が理解したことが一つある。
(なるほど雛鳥……)
鷹獣人に比べれば一回り小柄な人間族の体、それを包む翼の名残を持つ腕に、その溺愛ぶり。
我が子を可愛い可愛いと愛でるバカ親鳥の姿がそこにあった。
レイは誰に向けてか、苦笑を浮かべながら続けた。
「まあ、兄貴は驚くよね。
で付き合ってるなんて聞いたら」
まるで何も知らないという口ぶりで、だが含みのある言い方に、オレとルーはぎくりと身を固くする。
「うちって親もそんな感じだからさ、街歩くときも俺のことが兄貴の耳に入らないようこんな格好してたわけ。
例の計画の件もあったしね。
獣人の街って人間ってだけで目立つから、肌を隠すの大変だったんだよ」
「へ、へえ、そうだったんだ」
「でも、同じ街で暮らすなら挨拶はしないとだろ?
父さんたちにはまだ言えないけど、兄貴にだけは打ち明けておこうと思ってさ」
「そ、そっかぁ」
ぎこちない返事をするルーに、レイはにっこりと笑って見せた。
あっ、となった。
その笑い方は、確かにルーに似ている。
オレは初めてこの二人が本当に兄弟なんだと実感した。
「新術式の噂の一つに、"受胎"の印ってあったでしょ?
もしアレが本当で、実用化されたら、その時に二人にも打ち明けるつもり。
『俺たちの雛鳥』と一緒に、嫌でも認めさせるよ。受け入れてもらえなかったとしても。
……それが駄目でも、いつかは伝えるつもりだよ。
「レイ……」
冗談のような軽口で語りながらもそのまなざしは真剣で、レイはじっと兄の目を見つめていた。
「まあそういうわけで!
今日は挨拶に来ただけ。これでやっと堂々と顔を出して外歩けるよ。
じゃ、これからよろしく、兄貴」
「ああ、うん」
レイが立ち上がろうとすると、ガリュオンはすっと離れて、緩み切った顔も真顔に戻る。
無駄に姿勢よく歩く姿は、さっきまであれほどベタベタしていた奴と同じとは信じられない豹変っぷりだ。
二人は店の出入り口まで歩いていき、扉に手をかけたところで一度振り返って、
「ああそうだ。壁の防音はもうちょっと気にした方がいいよ?
じゃあね」
「え? レイ、それってどういう―――」
カランカラン
意味深な言葉を残し、二人は嵐のように去っていった。
「さて、それじゃあ僕もそろそろお暇しようかな」
静かになった店内で、保険医も帰り支度を始める。
まだ立ち直りきってないルーは言葉に詰まりながら、
「あ、ああ。はい。ありがとうございました、先生」
ありがとうの言葉に、保険医は何とも言えない苦笑いを浮かべた。
そして傍らでずっと眠っていた子供の肩を揺らす。
「ん……パパ?」
「帰るよ、バルト。お兄ちゃんたちにあいさつしなさい」
「ふぁい。おっきいお兄ちゃん、いいにおいのお兄ちゃん、さようなら」
「さようなら、バルト君。また今度ね」
「またな」
「またねぇ」
と手を振るフードに隠れた口元が、子供らしい無垢な笑顔の形をしていた。
立ち上がってもまだ眠いのか、ふらっと揺れた体をひょいと持ち上げて、
「それじゃあルー君、ウォルサム君、また今度」
カランカラン
うつらうつらとした子狼を抱く子連れ熊もいなくなると、店内には物悲しいほどの静けさがやってくる。
時刻はもう、閉店の時間だ。
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