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続・三章 新術式

2 報告義務

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喫茶店を出て、俺たちはまっすぐに母校、魔導学術院を目指していた。
「絶対、先生だよね」
「たぶん、そうだな」
「でも、何も言ってなかったよね?」
「そぶりすらなかったな」
「どういうことなのか、ちゃんと聞きださないとね」
正門をくぐり、校門から入って、来客用のスリッパを借りて、勝手知ったる校舎の中に足を踏み入れる。
今は授業中らしく、廊下に生徒の姿はない。
呼び止められたり注目を集めないのは好都合と、目的の場所に走らず急ぐ。
保健室と書かれた札の下の扉の前で止まるとノックをして、返事が返ってくる前に扉を開いた。
その人は仕事もせずにぼうっと外を眺めていたようで、来客に気づいてにこやかに振り返る。
「はいはい。どこか具合でも悪いのかい?」
「せ・ん・せ・い?」
懐かしい匂いのする保健室の中へ、表情筋を笑顔の形に固めたまま、ずんずんと進んでいく。
クープ先生は俺たちの姿を見ると、いくらか驚いた表情を浮かべていた。
「ルー君!? どうしたんだい、こんなところに急に」
「どうしたんだじゃありません! 新術式のことです!」
「ああ、今朝のね。考えてくれたのかい?」
「そうじゃありません! もう一つのほうです!」
「もう一つ?」
と、先生はあくまで何も知らないという態度でオウム返しをする。
話を切り出す前に、ウォルが後ろできちんと扉を閉めるまで少し息を置いた。
俺は爆発しそうな感情を出来得る限り抑えて、尋問するようにねっとりと問いかけた。
「"受胎"の呪印が、もうすぐ完成するそうじゃないですか?」
「受胎?」
「噂になってましたよ。まさか、心当たりがないとは言わないでしょうね?」
「噂だって? いや待って。うーん」
ギシ、と、先生の座っている椅子が音を立てる。
こちらに向かって座り直した先生は、話を始める前にと備え付けの椅子を示して、俺たちも座るように促した。
「心当たりなら……あるね。たしかに」
俺たちが腰を落ち着けると、先生は落ち着かないように顔の毛を弄りまわす。
「説明してもらえますか?」
「そうだねぇ……うーん」
顔の毛をわしゃわしゃと弄るのは、ストレスを感じている時や気を抜いたときに出る先生の癖だ。
先生はしばらくそうやって唸っていると、ようやく、
「順を追って話そう。
まず前提として信じてほしいんだけど、僕はその噂について本当に何も知らないんだ。
ただ、心当たりだけはある」
「どういうことですか?」
先生は顔の毛を弄るのをやめ、まっすぐ俺と視線を合わせて語り始めた。
「また少し、呪術の話になるけどいいかな。
昔、魔導開拓期と呼ばれた時代より前、魔術と呪術に明確な区別はなかった。
その後魔術を広く普及させるために、術式や原理がよくわからないもの、嘘か本当かわからないもの、古くて胡散臭いものを全部ひっくるめて、悪いイメージを分離するために株分けされたのが原始魔術、今の呪術なんだ。
朝、結界術の話をしたよね?
あれのように、呪術の中にはそれまで当たり前に使われていたものから突然危険性が判明することも、稀にある。
だから呪術師は研究資料、呪術医なら診察した患者のカルテをギルドに提出しなければならない義務があるんだ。
もちろんプライバシーの保護から個人が特定される情報は伏せられるんだけど、規定に従って、僕は生徒たちの診断書に混ぜて、キミの呪印の診断書もギルドに提出してたんだよ。
誤魔化しのない本当の記録をね」
「……聞いてないですよそんなの」
突如明かされたとんでもない事実に、俺は思い切り頭を殴られた気分だった。
墓まで持って行くつもりの秘密が、まさかギルドには全部筒抜けになっていたなんて。
「黙っていてごめんね。
ギルドに提出する資料は、流石の僕も虚偽報告には出来なかったんだ。
でも匿名情報だし、ギルドには守秘義務もあるから、ルー君が危惧するような事は起きないと思っていた。
それがまさか、こんな形で表に出てくるなんて。
僕にも予想外だったんだよ」
「あー……」
事のあらましがようやく見えてきて、俺はいよいよ頭を抱えた。
「つまり、どういうことなんだ?」
取り残されているウォルには俺が説明をする。
「つまり、ギルドが管理、保護している資料を閲覧できる立場にある人が、膨大な資料の中から俺の呪印のデータを見つけて、それを基に新術式の開発に成功しちゃったってこと。
患者のプライバシーがあるから、呪印の作成者や呪印がつけられた対象の情報は資料には載らない。
だからそのカルテを書いた人物、ギルドへの情報提供者になるクープ先生が表彰される形になったわけ」
合点がいったようで、ウォルは小さく首を縦に振った。
「"集魔"の術式開発に多大な貢献をしたとして表彰状と報奨金の提示がされた例の通達が来たその時まで、僕は本当に何も知らなかったんだよ。
噂になっている"受胎"も、たぶんどこかで同じように研究が進んでいるんだと思う。
だけど僕には、どこで、誰が、どんな研究をしているのか、全くわからないんだ」
話を理解して、やりようのない感情に両手で顔を覆う。
なんて、なんて……
「なんて迷惑な」
絞り出すように、感情のままを吐露した。
人の黒歴史をどれだけ弄んだら気が済むって言うんだ。
怒りも恥ずかしいも通り越して、いっそ泣き出したい。
そんな俺を見て、先生は膝の上で手を組みなおし、少し身を乗り出して言う。
「そう、キミにとってはただ迷惑な話だ。
そしてそのきっかけを作った僕がこんなことを言うのは、無責任で不愉快極まりないかもしれない。
でもここからはもう少し真剣に聞いてほしい。
キミの呪印は、呪術師なら喉から手が出るほどの逸品なんだ」
低く、優しく、ゆっくりと語り聞かせるような声。
俺は沈んだ気分のまま顔を上げた。
普段は無表情でもどこか笑っているように見える穏やかな顔が、すごく真摯に引き締められて、ダークブラウンの双眸が俺を射貫くように見つめている。
「わかるかい?
この短期間で二つも新しい術式が開発され、片方は噂程度とはいえ、もう片方はじきに実践配備されようとしている。
たった一つの呪印のデータがギルドに入っただけで、だよ。
キミが作ったその呪印が、どれだけの可能性を秘めているか。
これは大げさな話じゃないんだ。キミにとっては消し去りたい、ただの子供時代の恥ずかしい悪戯でしかなかったとしても。
呪術師として見たときキミの呪印は、金の卵を産む鶏。
そうとしか言えない、どれだけの宝石が眠っているかわからない鉱脈なんだよ。
僕がキミに名前を公表するように言った理由が、わかってもらえたかい?」
「……」
俺は、何も言葉が浮かばなかった。
正直そんなばかな、って気持ちが強い。
しかし、術式登録と言う事実が、俺の中の常識を強く否定する。
さっきまでとは真逆の方向に感情が振り切れて、衝撃よりも実感の無さが一番大きかった。
本当についさっきまで、勝手に人の恥ずかしい秘密をさらしものにしないでくれと思っていたのに、それが本当に価値があるのだと力説されても、心の整理ができなくて、理解が追い付かない。
なんだか目の前がくらくらしてきて、頭を押さえた。
「話が、大きくなりすぎて……正直何が何だか」
「そうだろうね……
だから、"集魔"のことから段階的に説得するつもりだったんだよ。
今すぐ結論を出せと言っても、答えられないだろう?」
「はい……」
「本当に、申し訳ないとしか言えない。
僕も何か手を考えてはいるけれど、キミたちも少し、構えておいてくれるとありがたい。
僕から言えるのはこれで全部だよ」
頭を下げるクープ先生に、何の言葉も言い出せなかった。
ただ、感情的にノーと言えば済むわけではない事態になっているということだけは、はっきり理解する。
納得して、結論を出すには、まだ時間が欲しいけれど。
「……わかりました」
しばらくして、俺が言えたのはそれだけだった。
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