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二章 ウォルサム・サマンクルガ

5 出会い、新しい生活

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「ウォルサム・サマンクルガ君?」
名前を呼ばれ、気だるくオレは振り返る。
しかし、通りを歩く人影はあれど、今しがた声をかけてきた人物は見当たらない。
(幻聴が聞こえて来るなんて、いよいよオレも終わりかね)
口元を吊り上げて自嘲して、前を向く。
そろそろ新しい仕事を見つけなくては、今の宿を追い出されてしまう。
いや、もういっそ路上生活でも始めようか。
その方が生活費が浮くし意外と悪くないかも。
昨晩の酒が残る頭でそんなことを考えていると、
「ちょ、ちょっと待ってってば!」
さっきの幻聴がしつこくも話しかけてくる。
なんだか幻聴にしては、やけにはっきりしていないか?
踏み出しかけた足を止め、もう一度あたりを見回すが、やはり、話しかけてくる人影は見当たらない。
「下! 下だよ!」
ああん? 下?
幻聴に促されるままに目線を下げると……いた。
その姿にオレは目を丸くする。
まず種族だ。
服の先から見える腕や足には体毛がなく、かといって鱗で覆われているわけでもない。
赤ん坊がそのまま大きくなったように、柔らかそうな肌が毛並みに隠されることなく露出していた。
全く毛が無いのかと言うとそうでもなくて、頭部にだけ癖っ毛の、綺麗な黒色の毛並みが生えそろっている。
その体毛の下で同じ黒色の丸い瞳が二つ、じっとオレを見上げていた。
人間族……
聞いたことはあったが、実際に見たのは初めてだ。
なんというか、悪く言うと弱々しい、良く言えば愛くるしい姿をしている。
次に大きさ。
その背丈はオレの腰の高さほどまでしかない。
どう見ても子供、だよな?
その割には妙にはっきりした物言いで、見た目と態度が食い違っている印象を受けた。
ともかく、オレはまったくの初対面の珍客にしばらく固まって、
「あー……迷子か?」
思ったままのことを口にした。
とたん、子供はガクッと肩を落とす。
「う……慣れてるけどやっぱきついなぁ。
 じゃなくて、キミがウォルサム・サマンクルガ君でいいのかな? 魔導学術院卒業生の。
 もし人違いだったら申し訳ないんだけど」
「いや、オレはウォルサムだけど」
同姓同名、魔導学術院卒業生と言う肩書きも付け足されたら、人違いではないだろう。
全く見たことのない顔だが。
オレが答えると、子供は嬉しそうに胸の前でパンっ、と手を合わせた。
「ああ良かった。じゃあまず自己紹介ね。
 俺はルーファン・ルー。ルーファンのほうがファミリーネームね。
 実は、クープクーパ先生から君のこと紹介されてて。覚えてるかな? 学校で呪術医の」
知らない名前が出てきたのでやはり人違いじゃないかと思ったが
(学校……呪術医……?)
言われた言葉をしばらく考え込んで、ようやく一人の熊族の姿が頭に浮かんだ。
「あー、保険医?」
「そうそう」
保険医の名前を知っている……
ということはこの子は学術院の生徒、つまりオレの後輩か。
在学中、魔術の成績をカバーするためにいくらか無茶なことも繰り返していたし、そのせいで保健室の世話になることは多々あった。
だが、なんであの保険医がオレに生徒をよこすんだ?
「つい最近、自分の店を持てることになってね。商品の製造は一人でもどうにかなるんだけど、ほら、俺って見た目こんなでしょ? 専攻は魔法薬学だったし、荷物運びなんかも大変でね。
 で、そのことを先生に相談したらちょっと気になる生徒がいるってキミを紹介されたんだ。キミ、腕っぷしには自信あるんだよね?」
「まあ、それなりに……」
「そういうわけで、キミをうちの用心棒兼雑用として雇用したいわけなんだけど」
待て待て待て待て。
話がおかしいぞ。
自分の店? 雇用?
学生がなんで経営なんかやってんだ?
「あー、すまん。ちょっと何言ってるかわかんねぇ」
昨日の深酒のせいだろうか。
頭が痛くなってきてオレは考えるのをやめて目頭を押さえた。
「まあ、とりあえずうちの店まで来てよ。これから予定とかある?」
「いや、無いけど……」
「じゃあ、立ち話もなんだし、これから面接ってことで」
と、小さな可愛らしい手がグイグイとオレを引っ張る。
状況が飲み込めないオレは渋々と、
(今日は変なのに引っかかっちまったなぁ)
と思いながら、それについていった。
連れられた先は、街角の小さな建物だった。
こじんまりとした佇まいの二階建て。
看板には錬金術店とある。
いわゆる、魔法薬を取り扱う店のようだ。
オレをここまで引っ張ってきた子供はポケットから鍵を取り出すと、迷うことなくそれを鍵穴に入れ、扉を開く。
まるで本当に、自分がこの店の主であるかのように。
「さ、どうぞどうぞ」
「あ、ああ……」
まだ、オレにはこんな子供が店を構えるなんて冗談としか思えなかった。
店内には本当の主人がどっしりと椅子に腰かけており、主人ぶっていたこの子は店長にジロリと視線でたしなめられ身をすくめる……
などと言うことはなく、薄暗い無人の店内には液体の並んだ棚が三つほどと、会計のカウンター、その奥に続く扉は開かれており、良く見えないが、たぶん調合用の道具だろう影がいくつか見えた。
人の気配はない。
子供――ルーと名乗ったか――は印を切るように、空中に文字を書くようなしぐさをする。
すると、音も無くあたりを照らし出す光が現れた。
『灯火』の魔術だ。
(す、すげぇ!?)
その術式に、オレは目を見開いた。
『灯火』は確かに初歩の魔術だ。
けれどこの子のそれは、ただの炎とは全く違った。
青白い火の玉は太陽の光のように自然な色合いであたりを照らし出している。
試しに手を近づけてみるが、まったく熱を感じさせなかった。
触ってもまるで空気みたいに熱くも冷たくも無くて、オレの毛並みに燃え移ったりもしない。
『灯火』の"光"という要素を突き詰め、他の要素を極限まで省いたシンプルでありながら緻密な術式だ。
さらに、発動時に何の音もしなかったというのは一切の無駄な力がかかっていないという事。
術式にも、そして魔力制御にもまったく無駄がなかったことを表している。
こんな洗練されたアレンジ、とても魔術を覚えたての子供が扱えるものではない。
本当にこの、ルーがここの店長なのかと、にわかに確信が揺らいでいると、
(ん?)
ふと、懐かしい匂いが鼻孔をくすぐった。
甘酸っぱいような、妙に鼻の奥に残る、独特の癖のある香り。
(この匂い……)
忘れかけてた匂いの記憶が、同じ匂いに呼び戻された。
匂いの出所はどこかと、思わずスンスンと鼻を鳴らして周囲を見回す。
「どうかした?」
と、ルーが聞いてくる。
「いや、なんか不思議な匂いがして」
「ああ、調合に使う薬草や木の実、干した果物の匂いだよ」
さらっと出てきた答えに、オレは足下が崩れるような感覚に襲われた。
言われてみると、確かにこの匂いはカウンター奥の扉の向こう、調合室から漂ってきている。
小さかった頃、不思議に心惹かれていた神秘的な香り。
その正体はただの薬品の臭いだったのか。
失敗して手品の種が露呈したショーを見せられたような、裏切られた気分だった。
「と言うわけで面接を始めたいと思うんだけど」
失意やらなにやら、情報過多で状況が飲み込めないまま、オレは促されるままルーが用意した椅子に腰を下ろす。
酒半分失意半分で話を聞き流しながら相槌を打っていると、「採用」の一言が降ってきて、なし崩しにオレはこの店で働くことになっていた。


これが、オレがこの店で働くことになった経緯だ。
実際に働き始めるまで半信半疑だったが、どうやらルーが店長と言うのは本当で、それ以上にオレを驚かせたのはルーがオレより6つも年上だったという事だ。
6歳という事は、ちょうどこの人が卒業した次の年に入れ替わりでオレが学術院に入学した形になる。
そんな先輩だったなんてとても信じられなかった。
人間族と言うのは小人だったのか?
と聞いたら、どうやらそれには事情があって、店長は昔、自分の成長を早めようと自分に呪術をかけた結果、逆の作用をする術式を書き込んでしまい、そのせいで子供の姿のまま成長できなくなってしまったらしい。
そういう事だったのかと納得はしたが、自分よりはるかに小さく、子供にしか見えない相手に使われるというのは何か、しっくりとこないものがある。
不満があるってわけじゃないんだが、何か、見ているとモヤモヤしてくるというか。
不満があるとしたら、店長の気分次第で閉店する店の営業のほう。
店の営業時間は完全に店長の気分で、一応、営業時間の札はかけてあるが、店長は体調がすぐれないからと言う理由で簡単に閉店中の札に変えてしまう。
そんなもんだから客足もまばらで、とてもじゃないが経営が成り立ってるとは思えない。
そのからくりは、すぐに分かった。
この店の主な収入は公共機関、病院や魔導学術院への魔法薬の納品で成り立っている。
この店舗は本来、ただの調合施設兼店長の自宅で、つまり、販売店としての営業は薬を作る合間の余った時間でやるおまけでしかないのだ。
なるほど、それなら客もろくに来ないのにきちんと給料が出るのにも納得できる。
納得は出来るんだが……
だからオレは、自分の仕事にため息が出る。
荷物の運搬、店内の掃除、店番、調合している薬品の反応を待っている時の店長の会話相手……
本当にオレは必要なのか?
出勤しても「今日は休みで」の一言で一日の業務が終わるのは、仕事としてのやりがいってものがない。
いや、給料も出るし自由時間も多いし、待遇に不満はない。
不満はないのだけれど……
(だけどだけどって、ちゃんと給料も休みも貰ってるのに、これじゃあオレのほうが駄々をこねるガキじゃねぇか)
鼻歌でも歌っているのか、店長は今日も調合器具の前でゆらゆらと小さな背中を揺らしている。
それを見ていると、子供のような彼以上に自分がちっぽけに思えてしまって、また溜め息がこぼれた。
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