この異世界は理不尽で残酷で儚く、そして竜を狩り、国を護り、獣が吠えた。

白井伊詩

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龍ノ100話「静寂の竜オロチ」

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 そこにいるという恐怖を知っているだろうか。
 偕楽園の二つ名を持つ領土、ダンプトエル。今はその廃墟しか残っていない。
 かつて、友であり仲間であり最高の味方であるアジサイが、激情に身を委ね、この領土にいる人の形を成した者を全て鏖殺した場所である。
 かつて栄華を誇っていたこの都市の中央広場には未だ大勢の骨が山のように積まれている。
 ジークは、アジサイの感情を想像しながら都市を歩く。
 いるだけで薄気味悪い雰囲気を漂わせるこの場所に竜がいる。
 ジークは、断ち切られた右胸骨を労りながら歩く。傷は竜がいる何よりの証拠でもある。
 気配を追ってジークは足を進めるが、竜との距離は常に一定の間隔があるように見受けられた。ジークが歩けば竜も歩き、ジークが走れば竜も走る。どんなに速く動こうが、止まろうが竜は一定の距離を保つ。
 この間隔が薄気味悪さを助長させる。
 
 午前二時、日本で言うところの草木も眠る丑三つ時。
 
 化けて出るには丁度いい刻限だ。
 
 出るならアジサイの亡霊でも出てきそうなものだが、どうやら幽霊の出張サービスはしていないようだ。
 
 或いは、亡霊にすらなれていないのかもしれない。
 
 都市をぐるりと回るとまた骨の山にたどり着く。
 
 ジークは刀を抜く。
 
 月夜が廃墟を照らす。
 荒廃した空気がどうにも馴染めないが酷く落ち着く。
 
 一刀。
 
 
 しかし、甘い。
 ジークは竜の姿を見ることが出来なかった。速いのではなく、見えないように立ち回っている。
 完全なる暗殺タイプの竜、今までにないが、見えない相手と戦うのは慣れている。
 
 あの男の銃口と影がジークの目の端にちらつく。
 あるときは音も無く死角から拳銃を撃ち、あるときは千メートルも離れた場所から脳天を撃ち抜く、そんな男がいた。

 不意打ち? だからなんだ?
 
 ジークは大太刀を構え、息を漏らす。
 
 骨の山を背に目を閉じ、来たるべきをタイミング待つ。
 
 
 ジークは心を無にする。
 荒む心を静め、魂を丸く象る。それそのものに意味は無い。ただそれを無心に行うことで全身は脱力し、脳が冴え渡る。
 音はないが、竜が動いた。
 
 ジークは大太刀を持つ、左手の小指と薬指に力を入れ、切り結ぶ。
 
 一拍遅れて何かが転げ回る音が聞こえた。
 ジークは目を開けると、ようやく竜の姿を見る。
 
 四足に翼は無い、さほど大きくは無いが柔軟な肉体であることは直ぐに分かった。
 
 黒一色の鱗に覆われ、翼は無い。果たして竜かと聞かれると怪しいものであるが、その隠された爪と牙が遜色ないことを代弁している。
 
 静寂の竜オロチ。
 
 火蓋は静かに切って落とされた。
 
 オロチは奇妙だった。獣の臭いも足音も聞こえない。それどころか生きている音すら聞こえてこない。
 そして目は暗く、月夜に照らされた色をそのまま返している。
 
 ジークは、静かにオロチを眺めていた。
 順番が悪かったとしか言えない。
 
 
 
 この戦い、ジークが圧勝する。
 
 
 
 こんなことに刃を振り下ろしたくない。
 食うわけでも、強くなるためでもない、心をねじ曲げ無理矢理に服従させられ戦いたくないのにかにも関わらず、爪と牙を剥かなければならない。
 人であれば下らないしがらみを大儀に戦うことも出来たであろうと考えるだけ可哀想だ。
 
 ジークは刀を納めはしないものの敵意を解く。
 
 もしここで、オロチが去ればこれ以上大太刀を振る必要はない。
 
 しかし、オロチは依然として戦意がある。
 
 ジークは、その意思をくみ取り、呼吸を荒げる。
 
 瞬きする刻限も無く、ジークは迅雷の足捌きでオロチを追いかける。オロチも地面を欠けるが、徐々にジークとの距離が縮み始める。
 
 あと数メートルの距離をジリジリと追い詰め、大太刀の切っ先が喉を捉える。
 
 荒涼として廃墟の町並み、その大通りにある石畳の真ん中、本来であれば多くの人々が昼夜問わず馬車をあくせく走らせていたであろうダンプトエルの町並みは今はもう無い。
 あるのは友人アジサイが積み上げた死体の山だけである。この死体の山も、あの男がやったことなのだ。その事実がここに来たときまじまじと見せつけられた。温厚で酒好きで生き物好きで愛妻家で部下思いの親友が成したことなのだと。
 
 雄叫びを上げ、大地を蹴る。雷鳴を轟かせ前へ前へと押し進む。
 
 一刀を振り下ろす。
 
 オロチの首を落とすはずだったが、オロチの肉と関節がスライムのようにぐにゃりと避け切断に至らない。だが頸動脈を切り裂いたことで致命傷を与える。
 血飛沫上げ、転がるようにのたうち回るオロチに止めを刺すべくジークはゆっくりと大太刀を構え歩み寄る。
 
 羽音が聞こえる。
 
 ジークは空を見上げると、白い羽が槍を持って急降下する。
 
 八枚の翼、美麗な顔立ち、忘れるはずも無い。守護天使メタトロンだ。
 
 なぜここに降り立ったのか、そもそも守護天使はミオリアが抑えている、本来であれば竜と天使が合流しないように懐刀と円卓が動いている。
 だがしかし、それも完璧では無い。おそらく誰かがミスしたのか、それともメタトロンが上回っただけなのかも知れない。
 どちらにせよ、相対したのであれば殺すだけだ。間接的とは言え、アジサイを死に追いやった切っ掛けを与えたやつであるから。
 対するメタトロンはオロチを見下ろすと足蹴にした。既に虫の息である彼の竜をまるでゴミのように横着してものを足でどかすようだった。
 
 
 その一動作、メタトロンが些末な事だと吐き捨てるその所作にジークが激怒した。
 
 
 その竜に触れる事ですら怒りを示すにも関わらず、それを、それをよりにもよって足蹴にした。それに対する激情は最早、計り得るものではない。

 文字通り、逆鱗に触れることであった。
 
 青筋を立てたジークは己を制御することを辞める。絶叫を皮切りに大太刀を振るう。
 
 それを狩りと呼ぶには余りにも苛烈で、戦と呼ぶには――。
 
 
 あまりにも、一方的であった。
 
 もしその行動をあえて言葉にするのであれば――。
 
 それは処刑という言葉が相手に何とか説明できるギリギリの言葉だ。
 
 ジークはメタトロンとの距離を一気に詰め髪の毛を強引に掴むと激情の膂力が大地を揺るがす。
 メタトロンもプライドと意地で踏ん張るが、ジークの攻撃は止まない。
 
 大きく息を吸い、咆哮を上げる。
 
 ジークの中に眠りし十四の竜全てが同調し、鬨の声を上げるように怒りを表明する。今まで出し渋っていた竜達も全てをジークに預ける。
 
 何故なら竜は高潔な生き物であるから。
 何故なら竜は仲間を見捨てない者たちであるから。
 何故なら竜は、自分を負かした相手が最強であったと信じて止まない者たちであるから。
 
 鬨の声は廃墟を粉々に粉砕し、地面を割り、空を震えさせた。月に被りつつあった叢雲は散り散りに粉砕され、草木は平服し、その場にいたありとあらゆる生命の序列が一段下がった。
 故に竜狩りは竜に魅入られる。
 
 大太刀は烈火をいっそうに燃やし、延焼避けるように水の膜が周囲を覆い、空中には雷撃が飛び交う。
 そして一陣の風がそれすべてを統括し制御する。
 
 竜の逆鱗がジークを進化させた。
 
 名を『竜風』――。
 
 それに伴う、新たな龍神演武の解放。
 
 龍神演武風ノ型――
 進化は爆発する。
 
 龍神演武風ノ型 究竟 野分。
 
 龍神演武炎ノ型は噴火のように一撃を爆発させる災害を示す。
 龍神演武水ノ型は水害のように全てを濯ぎ、破壊する災害を示す。
 龍神演武雷ノ型は落雷にように突然現れ突然消える災害を示す。
 龍神演武風ノ型は風のよう生き物を運び、環境を破壊する災害を示す。
 
 そしてこの四つこそ、龍神族持つ権能、厄災を司る力である。

 
 ジークの攻撃に対し、メタトロンも槍に強化魔術を付与し、魔力を励起させる。
 地面から無数に現れる炎の柱がジークに突き刺さり、腹を刺し、肉を焦がした。それに対しジークは臆することはない槍が突き刺さろうが炎がジークの肉を焼こうが構うことは無い。

この程度の痛みと恐怖が今更なんだ。

目の前にいるメタトロンは二度目の恐怖をした。一度目は、ミオリアにそして二度目はジークという男に。
今まで天使と空神が全ての生物を統べ、それ以外は自分たちより下等な劣悪種でしかないと信じていたからだ。
それがただの人が、少しばかり強い魔獣を狩っているだけのただの人間が目の前に立ち、そして自分たちを脅かしていたからだ。
メタトロンは振るえる。この男を早急に除かねば、生物の序列が変わり秩序を破壊し、そしてこの戦いの勝敗という天秤を揺るがす事になる。

だが、どうすればこの男達に勝てる?

メタトロンは必至に魔術を唱えジークを足止めする。

視界の端に人影を見つける。

双剣を構え、闇夜に駆ける足音を置いていく。

懐刀ミオリアがメタトロンを捉えていた。

メタトロンはそこで止まる。

ジークは荒々しい息を漏らしながら、メタトロンを無視してオロチの元へと歩み寄る。
既に息は無い、ジークが顔を撫でると弱々しく動いていた心臓が最後の生を手放すように大きく鳴り、静かに息を引き取った。看取り終わると、オロチの体は光となりジークの体に吸収される。
両手を合わせ、弔いの言葉をかけると大太刀の血を払う。

 それからメタトロンを睨み付ける。
 
 メタトロンは槍を捨て、その場に跪く。
 
 涙を流しながら命乞いをする。そこにプライドはなく涙とジークから受けた咆哮による裂傷で血を流しているのみだった。
 
ジークは怒りを抑えられず大太刀を振り下ろす。死刑執行人のように。

しかし、刃は首筋寸前で止まる。

 ジークは自分に嫌気を刺しながら、メタトロンの羽を根元から切り落とす。こうすることで天使は人間と同等までの魔力しか持てなくなる。もう二度と、戦うことは出来ないということだ。
 
 ジークは何も言わずその場を後にし、すれ違うミオリアと目を合わせるだけで終わらせる。
 
 己の甘さに激怒しながら。
 
 静寂の竜オロチ、討伐。
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