この異世界は理不尽で残酷で儚く、そして竜を狩り、国を護り、獣が吠えた。

白井伊詩

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龍ノ98話「浸食の竜ペナシリアム、酸劇の竜フルオロスホン」

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 ここは地獄、生きている道理が無い。一寸先も毒の霧が濃く、何も見えない。もちろん空からもである。
 毒ガスと強酸の沼、生物など存在できるはずも無い。
 ジークは呼吸器を痛めつけ、皮膚は爛れ、目は溶けていた。
 
 場所が場所であるためジークは装備品の一切をアルスマグナに預け、この最悪の領土スーサイドヴェノムに足を踏み入れていた。
 アジサイによれば毒ガスは大別して二種あると言われている。
 一つ目はびらん剤と呼ばれる皮膚を爛れさせたりする腐食性の毒ガス。
 二つ目は神経剤と呼ばれる毒物である。どちらも化学兵器に用いられる。
 詳しい物性までは調べていないが、この毒に耐性がある生物は数少ない。幸いなことにその一種類に竜がいるのである。
 従ってジークは大丈夫であると推測しているが、それはあくまで死なないというだけの話だ。
 しかし現実は非常なことに、皮膚は爛れ出し、激痛が全身を駆け巡る。もはや何をしても酷い痛みに襲われる始末である。
 ジークは何とかこの毒ガス地獄から逃れられないか考えるが、順応するのを待つばかりである。
 
 地獄の渦中でジークは咽せる。
 
 死に倒れ、起きたら歩くを繰り返すこと三十六回を数えるころ、ようやくジークは竜と邂逅する。
 
 お互いに四肢の肉は爛れ、死にかけであるようにも見受けられたが、彼の竜は依然として現在であった。
 
 かつてこの竜は、こう歌われた。
 
 触れること叶わず、拝見すること叶わず、その声すら劇物也。
 
 酸劇の竜、フルオロスホン。
 
 そして残念なことに首は二つ、もう一頭も姿を現す。
 
 腐る、腐る、腐る!
 
 腐敗と浸食の竜、黴纏う竜、色々な呼ばれ方をしているが、アルスマグナ曰く、こう呼んで欲しいと言っていた。
 
 浸食の竜ペナシリアムと。
 
 二体の竜を同時に相手取ることとなった。
 
 ジークは、本能を剥き出しにし、全身の細胞を震わせると爛れていた肉体を即座に蘇生させる。
 それから息を吐き捨て環境順応の最後の仕上げをする。
 
 大きく息を吸い毒素を取り込むと、免疫系統が最後の声を上げるかのように全身を歪ませ激痛をくべる。
 そしてジークはようやくこの環境に適応する。
 
 二頭の竜が翼を広げ、前足二本を高く上げ、方向を響かせる。
先に動くのはフルオロスホン、咆哮が響くと同時に正体不明の超酸が周囲に飛び散ると、ジークの肉体に穴を空けた。
それに共鳴するかのように甲高い咆哮をペナシリアムが響かせる。管楽器に無理矢理空気を送るような、耳を貫く勢いの振動と共に毒素をまき散らす。
触れただけで皮膚は青紫色に変色し不気味に腫れ上がる。心臓が異常なリズムで脈拍を打ち始める。
試しに竜殻を展開するがあの猛毒と超酸の前では小学生の化学実験映像に過ぎない。

 ジークは諦めなと言い聞かせる。そして飛び跳ねる。どうせ致命傷でも死ねない、元よりここで死ぬならそれまでだと吐き捨てる。
 守るくらいなら一撃でも多く拳を叩き付ける。シンプルな答えの方が戦いに思考回すことが出来る。
 ペナシリアムの額を右腕で掴むと地面に叩き付けそのまま左手を添え振り回すように半回転させながらフルオロスホンへ乱暴に投げつける。
 ペナシリアムの巨躯がフルオロスホンを下敷きにして地面に亀裂と衝撃を与える。起き上がる隙も与えずにペナシリアムの首に馬乗りになるとジークは右腕を蛮族のように振りかざす。
 一撃で外殻を叩き割るが、腕が自身の膂力に絶えられず手首のあたりから砕け散るが、そんなことに構うこと無くジークは骨が突き出た右腕で更に殴りつける。二撃目で右腕そのものが耐えられず肩の辺りまで腕がはじけ飛ぶと、舌打ちをしながら左腕で殴りつける。
 利き手じゃ無い方で殴ったせいか力の入りが甘い。左腕は紫芋のように腫れ上がっている。見るからに壊死している左腕で何度も何度も何度も割れた外殻を粉砕し肉を抉る。
 遂には左腕も力に耐えられず吹き飛び両腕を無くしたジークは首を押さえている両足に力を入れると頭を叩き付ける。
 その姿は悪鬼羅刹を彷彿とさせる。顔の肉が抉れれば骨で竜を打ち付け、骨が砕ければ使える部位で更に攻撃を与える。
 狂気に似た何かを味方に付けたジークはもはや細胞の一片たりとも竜を討つ覚悟をしている。
 ちり紙のように己の血肉骨を消費し、戦っているのである。
 
 五発目の頭突きを実行する瞬間、フルオロスホンが超酸を吹きつけ、ジークの顔を潰すと不揃いに伸びた牙を突き立て、ジークを放り投げる。
 何とか受け身を取り、立ち上がろうとした瞬間、右足の膝からジークは一気に崩れ落ちる。
 比喩などではなく本当に体が崩壊を始めたのである。ジークは焦ること無く回復に専念し、数十秒で肉体を再構成させると全力でペナシリアムに跳びかかる。
 膝蹴りを食らわせ脳震盪させるとその勢いのまま頭を踏み台のように蹴り重力に従うまま踵落としを放つ。
 これでもまだペナシリアムは闘争の炎を目に宿し続けている。
 
 それに気圧されることなく再び拳を振りかざす。
 
 その瞬間、ジークの体がピクリとも動かなくなる。全身の血管は青紫色の筋を立て筋肉は痙攣を始め思うように動かなくなる。
 じわじわと再生より先に残存しているペナシリアムの猛毒が効き始める。
 全身が麻痺し始めジークの体の自由は無くなる。息も出来ず意識が遠のき始める。
 
 その瞬間全身に水が帯び始める。
 ジークの意思に体が反応しないのであれば、次の手は決まっている。
 全身を薄い水の膜で覆うと肉体を再稼働させる。
 左腕を振り上げ荒れ狂う洪水のような一撃がペナシリアムの頭蓋を砕く。地面は震え、亀裂が走り衝撃で空気を漂う毒ガス諸共吹き飛ばす。
 尚も拳を打ち付けペナシリアムを殴打し続ける。嵐のような応酬を行うが、既にジークの意識は途絶えている。竜水の能力で駆動させている自動ロボットのようなものだ。
 自由自在に伸びる水でペナシリアムを押さえつけ脳漿をまき散らしながらジークの拳が猛威を振るう。
 無論、フルオロスホンがそれを野放しにすることはなく、爛れ落ちた肉を四方にまき散らしながら不揃いな牙といびつな大顎でジークの肩に噛みつき鎖骨を折りながら超酸を体内に注入する。
 そして首を大きく振るいジークを放り投げる。骨も関節も腐食し、血肉はボロボロと剥がれ落ち、内臓に至っては機能しているどころかどの臓器がどれなのかさえ判別出来ないほどだった。
 この環境に適応するまで、そして猛毒を操るペナシリアムと超酸を操るフルオロスホンの力も相まってジークの再生能力は急激に衰え始めていた。
 いくら十一体分の竜の再生能力を保有していたとしても、この環境と竜二体の攻撃がそれを上回る。
 心臓は穴が空き、血液を送るという役割を果たせていないが未だに鼓動している。薄らと意識が回復したジークは、体を再生させる。
 全身に超酸を注入されたことで損傷範囲はかつて無いほどに酷い、せいぜい両手両足の切断や内臓破裂、深い裂傷、いずれのうちのどれかであった。
 しかし今回は筋肉組織、骨、内臓の壊死による機能不全、脳損傷、四肢欠損全てが同時に起こっている。僅かに生き残っていた脳幹から再生を始めジークはなんとかジークである形を保っている。
そうは言えど、今の姿をアルスマグナが見たならば、王城中の窓ガラスを悲鳴で叩き割ることになるだろう。とてもじゃないが、生きた者の姿をしていない。
そんなことを理解する余裕のないジークは動けるぎりぎりのところまで肉体を再生させると足を前にだす。
ペナシリアムを追い込んだつもりだったが今の時間でほとんど回復している。思いたくは無いが振り出しという言葉が良く合う。

今に始まったことじゃないし、これからも続く。

アジサイがたまに口にする言葉を思い出す。それもそうか、ジークは酸を帯びたため息をついて前に踏み出す。

 息を止める、神経を尖らせる。
 
 龍神演武水ノ型――。
 
 刹那、ジークの見えないはずの目にバハムートが映る。
 
 優しい声が聞こえる。慈母のような声だ。
 
 全てを抱きかかえるように――と。
 
 バハムートの声はそこで声は途絶える。
 
 その奥でアジサイが自在に空気を操る姿を見る。空気の流れを止め、相手を拘束する技だ。
 
 断片的な映像が流れ込む。走馬灯と呼ぶにはあまりにも生に満ちあふれていた映像だ。
 
 次の映像はニーズヘッグの雷撃だ。そこで映像は終わる。
 
 ジークは右手を伸ばし、構えを取る。
 それは龍神族が生み出した奥義であり在り方を示した技。
 
 
 龍神演武水ノ型、究竟、海嘯。
 
地面と天から水の分厚い膜が広がる。範囲はジークにさえ分からないほど広い。膜からはいくつもの水柱が並び、ペナシリアムとフルオロスホンを捉えると水が抱きかかえるように纏わり付き拘束する。

ジークは竜脚を展開し足場を作り、前へと進む。
今まで自分が感じたことのない速度で。
全身からバチバチと放電する音が聞こえる。雷が纏わり付いているようだった。

否、本当に雷が纏わり付いていたのだ。

竜が持つ電撃を操る力『竜電』、ニーズヘッグがジークに与えたとっておきだ。

やっていることの基本はアジサイと同じで、自分の肉体を電磁石にしての反発を利用して加速している。リニアモーターカーと同じ原理だ。
そして、その使い道は至ってシンプルである。
アジサイのように省エネを考えたり、小賢しいことも考える必要は無い。

ジークはペナシリアムの眼球に右手を突っ込むと脳みそを握る。

息を震わせると発電を開始する。

弛緩状態から一気に緊張状態に切り替えると、電源スイッチを押すように通電を開始する。

龍神演武雷ノ型。

数万ボルト、数千アンペアの電気が一気にペナシリアムの体内を通り抜け、神経を焼き水分を蒸発させる。

浸食の竜、ペナシリアム、討伐。

ジークは静かにペナシリアムの亡骸を撫でると、憐憫に一瞬浸る。

振り返る。

龍神演武水ノ型究竟海嘯から抜け出したフルオロスホンがそこには立っていた。

真剣勝負を続けよう。それしかジークと竜は交わることが出来ない。

フルオロスホンは超酸を体に纏わせると雨のように浴びせる。どのみち回避不能のジークは目を見開き大きく息を吸う。

ジークの肉体が急激に熱を帯び、大地を焼き始める。超酸の弾丸はジークに届く前に揮発し消滅する。
これでジークは全ての手札を切る。

息を止める。

龍神演武水ノ型 究竟 海嘯。

息を大きく吸う。

龍神演武炎ノ型 究竟 破局火災

息を震わせる。

龍神演武――

ニーズヘッグが笑う。
最速であれと。
鏡のような銀色を煌めかせて、翼を大きく広げ優雅に飛ぶ姿を見せつけながら。
 
龍神演武雷ノ型 究竟 雷大波電流――

フルオロスホンは再び水に囚われる、ジークは自分の肉体の熱を最高潮まで高めた瞬間、身に纏う電が磁場と反発し加速する。

拳をフルオロスホンに向ける。炎の軌跡を残し、彼の竜は灰へと帰る。

振り返ると消えゆくフルオロスホンを朗らかな表情で看取る。
瘴気が晴れ酸の沼は蒸発する。晴天の空が二体の竜を見送るように澄み渡っていた。

そしてジークは最後の力を使い果たし地面に崩れ落ちた。

流石に、もうこれ以上は無理かもしれない。

酸劇の竜フルオロスホン、討伐。
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