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竜ノ終幕77話「逆鱗のアンフォメル」
しおりを挟むジークは鞘を捨てる。
龍神演武の一つ、焔ノ型は抜刀術ではないからだ。
むしろ龍神演武そのものが刀術でも剣術でもない。ましてや槍術でも弓術でもない。
では、何か――
答えは単純明快なもので、龍神演武は戦う際の状態形成である。
拳を構えるとか、テクニックの話ではない。
遙かに原初にして、初歩的なものである。
それは三つの要素から成る。
戦うという意志
戦いへの研鑽。
戦いの中で形成される魂。
ひとつめは言わずもがな。ふたつめは修行。そしてみっつめは、竜独特のもので竜を倒した者はその力、すなわち魂と力が討伐者に与えられる。竜を狩れば狩るほど生物は強くなる。
ジークの場合、竜を狩った後、魂はアルスマグナの元へ帰結するが、力そのものはジークへとアルスマグナが譲渡している。そのため十割全ての力をジークは得ている訳ではない。
そしてその力を顕著に見て取れるのが、所謂、竜殻や竜炎、竜脚である。これらは竜が持っていた特徴的な力が能力としてジークに宿ったものである。
さて、龍神演武が具体的に何をするか。
即ち、ジークが受け継いだ、能力を最大限引き出すための技術こそ、龍神演武である。
ただし、全ての能力に対し龍神演武が適用できる訳ではない。適用できる能力は大別して五つになる。
魂を烈火に体現させる『竜炎』
魂を暴風に体現させる『竜風』
魂を地震に体現させる『竜地』
魂を雷電に体現させる『竜雷』
魂を流水に体現させる『竜水』
この五つである。しかし、これはまださわり初めに過ぎない。特別な竜が持つ能力はさらに進化を与えると言われている。
ジークが扱えるのは竜炎、それに対応した型は炎ノ型である。
全神経を集中させ、外界の出来事を悉く無視する。
周囲はジークから漏れ出した熱量が地面を焦がし、瓦礫に埋まった木々や家具が燃え始める。空気は熱を帯び、水分は焼けただれ乾燥する。
口を開けるたびにジークの口から火炎が漏れ出し始める。以前、ビサンティンに使った竜炎より遙かに熱く燃え滾っている。
しかし、これはまだ序盤なのである、炉に火種を放り込んだのと同義である。
呼気を繰り返す度に熱量は膨れ上がり、レンガだった物は赤熱を始める。
アンフォメルの叫びがジークの耳に入る。鼓膜が千切れそうなほどの音が体を震わせる。
皮膚に痛いほどの刺激が襲ってくる。
今は耐えるしかない。
ジークは炎ノ型を練り上げる。
それ以外のことに一秒でも費やせばアンフォメルを倒せない。あの巨躯の首を取ることはできない。
本当に今のジークがそんなことをできるのだろうか?
疑念が迷いを生み、上昇していく熱量が拮抗する。
不安、焦燥、不信、負の感情がジークの脳みそを掻き乱す。黒板を爪で引っ掻いた時のように背筋が凍るような感覚だった。
炎が冷え始める。葛藤と孤独の中ジークは彷徨っていた。
ジークは目を開ける。
アンフォメルが徐々に迫ってきていた。
もう一度、瞳を目閉じる。
呼吸を整える。魂を篝火に捧げるように。ゆっくりとそれでいて烈火の如く。
不安は未だに拭えていない。失敗は国の崩壊に繋がりかねないこの状況でジークに課せられた重圧は計り知れない。
王城だけでも数百万人の命がある。避難が終わっているとは言え、都市が壊滅すれば餓死、病気、争いが起こりさらに多くの命が消えることになる。
ジークの一刀にはそれだけの責任が込められている。
しかし、自身はそれらを受け止める器量はあるのだろうか、ほんの十年前はどこにでもあるただの学生で、人の上に立つなんてことを想像すらしなかった青年だ。それが今では一国の王に評価され、地位と名誉さえ与えられた。
最初なんて、ただアルスマグナという竜があまりにも美しくて、好みで、一目惚れで始めた竜狩り、気がついたら、いつの間にかこんなところで刀を振るうことになるなんて絵に描いた餅を食べるような気分だった。
今まで竜と相対して、一度も余裕の勝利なんてものはなかった。
内臓をかき回され、人型にボコボコに殴り倒され、鎖骨肋骨を寸断され、自分の愛した女と瓜二つの女に刃を突き立て、腕を断ち切られ再起不能一歩手前まで追い込まれたこともあった。
長く辛い道のりの果てに現れた最後の試練がこの理不尽である。
これが終わったらアルスマグナはどうなるのだろうか、そう言えばジークは考えたことがなかった。
もしも、アルスマグナとまた日常を謳歌できるなら――。
ジークは口角を上げ、穏やかな表情で静かに笑った。
死ねない理由を思い出す。
心に余裕ができたジークは自分の体が緊張で強張っていたことに気づく。大きく息を吐き出し脱力する。
筋肉が弾力を取り戻し、柔らかく解れ始める。大きくを息を吸い、炎ノ型を再開する。
熱は息吹をと共に熱量を膨張させ、先ほどまで届かなかった温度へ到達する。
ジークの周りが融解を始める。レンガは液化し地面は溶け始める。ジークが息を吐く度に炎が舞い上がり、熱量は加速度的に上昇する。
これが今までのジークの限界である――。
そしてここから――――
始まる。
竜狩りジークの進化が――!
竜狩りの果てにジークは限界を超越する!!
マニエリスムから受け継いだ真実と、龍神演武をジークは思い返す。何度も何度も教えられた通りの動きを考えながら行う。イメージを魂に反映させる。
最初はゆっくりと温度を上げていき、徐々に煙が立ち込めてくる。それを優しく長く息を吹き火種を成長させる。大きくなった火種をさらに葉や藁などで包み込み再び息を吹く。そうしていくと火が燃え上がり細い枝から太い木へと徐々に徐々に炎を大きくさせていく。大きな炎へ激しい風を送り込み、炎を舞い上がらせる。そしてその炎を己の魂に取り込みさらに熱を魂に蓄積させる。
この一連の動きが炎ノ型の練り上げである。練り上がった炎ノ型を自身の得物に乗せて一撃で放出させる技こそ龍神演武炎ノ型である。
しかし、今のジークではせいぜい家屋を三軒ほど破壊する程度の威力だ。これではアンフォメルには届かない。
教えてくれマニエリスム。ジークは心の中で叫んでみる。
そして即座に否とする。
マニエリスムはすでに全てを教えている。ジークは当然それを聞いている。
ただ純粋にジーク自身の魂が理解していないだけなのである。
細かいことを考えるなジーク、前を見ろ――
チョコレートをテンパリングしたような艶のある声がジークの魂に言葉を響かせる。
言うとおりに前を見つめる。眼前に立つのは逆鱗のアンフォメルが静止している。
ドス黒い液体がアンフォメルにまとわりつき、首一つ動かせないようになっていた。液体の大本を辿るとアジサイがふらふらになりながら装具を操っている。口からは血を流し、右腕が無くなっていた。
ジークの背後から雷のような衝撃音が響く。振り返るとミオリアが吹き飛ばされていた。
自分の周りを見ると天使族と懐刀が争っている。ジークはその中心、キルゾーンに立っていた。
しかし、ジークは無傷である。
アジサイがアンフォメルを押さえ、ミオリアが天使族からジークを守っていたのだ。
大きく息を吐く。
赤色の炎はより一層、鮮烈に輝き始める。炎の温度上昇が再び息を吹き返す。
その場にいた者たちは目を丸くしていた。ジークの背後に六体の竜がいたからだ。竜たちはジークを見守るように静かに寄り添っていたのだ。
そしてその視線を一番感じていたのがジーク自身であった。
一匹の竜がジークの耳元へ口を近づける。
意志のロマネスク、覚えていないがジークが最初に殺した竜である。同時にジークの狂化の呪いを解除した竜でもある。
ロマネスクは、ジークの横顔を見ると満足そうにし、顔をジークから離す。
ジークは背中を押された気がした。
今まで魂のどこかにあった、ロマネスクの残滓をようやく感じ取り、受け継ぐことができたのだ。
今、この時になってロマネスクが与えた能力はジークを飛躍的に強化させた。
そして、同時に竜狩りの真実を知ることとなった。
与えられた能力、それは――――。
竜ではなく龍神族が持つべき力である『龍血』であった――。
心臓の鼓動が感じたことないほど激しく張り裂けそうなほど高鳴り始める。
まさに、これこそ血が滾るという言葉がこれ以上に当てはまることはなかった。
竜の後押し――。
仲間の後押し――。
そして何よりもアルスマグナと約束を果たすジークの意志――。
ここに全てが揃ったのである。
ジークは大太刀を上段に構える。
感情のルネサンスから受け継いだ竜眼を発動させアンフォメルを見据える。
豊穣のアマルナから受け継いだ竜殻を展開し衝撃に備える。
飛翼のバロックから受け継いだ竜脚を刀に纏わせより鋭利な切っ先を生み出す。
平穏のビサンティンから受け継いだ竜再で自身を焼く炎より早く肉体を回復させる。
宝珠のマニエリスムから受け継いだ竜炎で魂を熱に体現させる。
意志のロマネスクかた受け継いだ龍血でこれら全ての力を限界突破させる。
大太刀は振り下ろされ、空を切る。
切っ先は地面をかすめながら一回転し遠心力、そしてジークの体重を乗せる。
一グラムでも重く、一秒でも早く、誰よりも強い一撃を放つためにジークは一刀に肉体も魂も覚悟を全て込める。
雄叫びと共に龍神演武炎ノ型を解き放つ。
ジークの周りが一瞬で凍り付く、まるで一刀が全ての熱を擁するかのように周囲から熱が消失し静寂に包まれた。
次に訪れたのは熱波だった。大地を一瞬で焦土に変え、焦土を溶岩に変え、溶岩を蒸発させた。
この一撃を直撃したアンフォメルは顔から熱量に耐えられず灰すら残さず消滅し、光と共に葬られていた。
その跡形は、深々と抉れた地面と底に溜まっているマグマが全てを物語っている。
マグマは光となりジークの体に取り込まれていく。
鞘を拾い、ジークは大太刀をゆっくりと納刀する。先ほどまでの派手さはなく、水面のような水面に一石を投じるかのように鯉口を鳴らせるだけだった。
ジークは安堵した表情で自分の焼けただれた腕をぼんやりと眺める。それから疲れからか、受け身もろくにとらず地面に倒れ込んだ。
夢を見ていた。正確には真実であった。
アルスマグナの幼き日々の記憶である。人間と愉快に暮らしていた。農耕に勤しみ、豊穣を祝い、収穫を喜び人との営みを愛していた日々である。
しかし、ある日突然、天使族が突然人々を襲い始めたのだ。死にゆく龍神族と竜、そして人々の亡骸の中でアルスマグナは泣いていた。
アルスマグナは一匹の人、おそらくは人に変異した竜に手を引かれて追っ手から逃げて始めることになった。
そして、アルスマグナは眠りについた。
それからはアンフォメルとしての記憶になるが、ビサンティンと出会い封印されそれから眠りについた酷く無味乾燥なダイジェストになっていた。
ただ、アンフォメルが何故王城に向かっていたかジークはようやく理解した。
天使族の匂い嗅ぎつけて、人々を守ろうと必死に向かっていたのだ。これ以上の犠牲を出さないために――。
ジークはそれを理解すると、酷い罪悪感と天使族への怒りが湧き始めていた。大切な人の大切な日々と大切な想い出を踏みにじった奴らを許すわけには行かなかった。
倒してしまったアンフォメルの遺志を引き継ぐためにも、そして人を愛し、信じ続けた七体の竜の為にも、ジークはまだ刀を納める訳にはいかないと決心した。
ジークは刀を突き出し、まだ終わらないと覚悟を決める。
その瞬間、視界が開かれ、目の前には先ほど打ち倒したアンフォメルが暢気に寝そべっていた。
巨大な眼でジークを見たあと、瞬きをゆっくりとした。
永遠に感じられるほどゆっくりでありながらジークは吸い込まれるようにアンフォメルを見つめていた。
安心しきった表情でアンフォメルは何かを託すかのように眠りについた。
逆鱗と言われるのが嘘のように穏やかで優しく、物静かな巨竜は子供のようにすやすやと寝息を立てる。
役割終えた老人のようであり、明日を楽しみにする子供のような無垢な表情だった。
ジークは確かに受け継いだ。
竜たちの想いを、竜たちの願いを、竜たちの魂を『竜魂』という能力として確かに受け継いだ。
一礼してからジークは夢から覚める。
目を覚ますと、病室のベッドの上だった。清潔感のある部屋を見渡すと窓側のベッドでアジサイが左手だけで食事を取っていた。右腕のシャツは結ばれており腕を損失させているのがはっきりとわかった。
ため息をつきながら反対を向くとアルスマグナが目を赤く腫らしながらジークを見つめていた。
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