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天ノ72話「氷筋不天」
しおりを挟む三番手のエレインはいつもの穏やかな表情を凍らせていた。薄氷を浮かべた顔が真剣さを物語っている。
彼女を限りなく魔法使いに魔術師と呼んだ者がいた。
この世界では魔法と魔術には大きな違いがある。わかりやすく言えば神性という強大な魔力を消費して発動するものである。しかし、この四千年、魔法を行使した者は誰一人として存在しない。
それもそのはずで、神性、つまり超膨大な魔力を人間が背負うと肉体に負荷がかかるからである。アジサイの体全体から色素が欠乏したのも神性の影響である。それ以上になると内臓の機能不全、精神異常、吐血、最終的に死に至る。
エレインは生まれつき、魔力を受容できる量が人間を大きく超えている体質であるため、魔法使いに近いと呼んだ。
青髪の少女(二十代後半)は杖を持ち流水の騎士レルゲンの前に立っていた。
「始めよう、次が控えている」
流水の騎士レルゲンはコバルトブルーの兜を縦に振る。
ネフィリは杖を掲げて魔術の詠唱に入る。
大気が冷やされて氷の塊がレルゲンの頭上に形成される。初歩的な氷魔術であるがエレインが使うことで鋭い一撃に変貌する。
魔力量と卓越した魔力操作のセンスがレルゲンを襲う。レルゲンが頭上に出来る氷の礫をぼんやり眺めている。
エレインは巨大な礫を大地に放つと、次の攻撃のために詠唱を開始しはじめる。
その瞬間である、エレインの視界は空中に浮き、天地が逆さまになった。思わず声を上げた時、口から大きな泡が生まれた。それでようやく初めてエレインが水の中にいることがわかったのだ。
レルゲンは何も言わずにエレインの方を向いていると、指を鳴らして魔術を解除した。地面に尻もちを付ける。臀部を摩りながらエレインは立ち上がろうとするが鋭い槍上の水がエレインの喉元に付きつけられていた。
「参った……」
「氷魔術、見事、不意打ち、詫びる。勝ちたい。私」
レルゲンは単語を言うだけ言って、円卓七騎士の元へ歩いていった。
たしかにエレインは魔術師としては一流だが、ほんの数歩だけちょっとしたきっかけで変われるところでレルゲンと差がついていた。戦う者としての覚悟、戦略、経験。その小さいようで大きな差が決定的となった。
エレイン、敗北。
「すまない負けてしまった」
「あれは不意打ちもいいところだ」
ミオリアが励ます。
「クハハハ、あのレルゲン、草花の騎士イザイラが戦闘しているとき既に攻撃の準備をしていた。不意打ちだな」
ルーサーは状況を解説する。どうやらレルゲンはバトルが始まる前に地下水を操り、エレインと開戦した直後に水を押し上げてエレインを包囲して先手を取っていた。
エレインは魔術を行使する間も無く倒された。魔術師の弱点だが行使その物を止められると魔術が満足に使えず、一瞬負けてしまうのである。それを嫌った騎士は近接戦闘の訓練も行い、魔道騎士となるケースが多い。
「最初から最上位魔術を使って全てを凍らせれば良かったな。小手調べなんぞした私のミスだ」
唯一の黒星を挙げたエレインは氷の椅子を作り落ち込んでいる。
「次は俺が行く。いつもどおりやれば俺は絶対に負けない」
クーラントはピアスを光らせながら長斧を担いでいる。
「あっ、おい! 今回は!」
「大丈夫大丈夫!」
グーラントはミオリアの話を聞かずにそそくさとバトルフィールドに入る。
「さぁて! 誰だ誰が相手だ!」
「私がお相手します」
若草色の鎧、疾風の騎士クライスがロングソードを抜きながらフィールドに入る。
「お、そうか、じゃあ始めよう、早く早く早く!」
グーラントは狂喜しながら斧を構えて、地面を蹴り上げた。
「狂犬が!」
クライスは風を纏うと名前通り疾風の如く地面を蹴りグーラントの首を断つ。
首から血を流すと、グーラントは振り返りクライスを見据える。
「ってえなおい!」
グーラントは苛立ちの声を上げると、クライスは目を丸くしていた。
「なんなんだ……」
「あ?」
グーラントは地面を見ると自分の顔を見つけた。
「んああおい、折角のピアスが取れちまったじゃねえか、結構いい値段すんだぞ穴開けるの」
「そうではない、色々物申したいが、魔力障壁はどうした!?」
クライスはロングソードをグーラントに向けながら訪ねる。
「んああ、受付の嬢ちゃんにつけられたあれか、ほんとに効かなくなるのか試したら剥がれちまった。まぁ、あってもなくても俺は変わらねえからよ。続けようや」
グーラントそう言いながら手斧を構えて印象に残る笑顔をクライスに向けた。
「この馬鹿野郎おおおおおおおおおおおお!」
そう言いながらミオリアはグーラントにドロップキックを加える。
「何すんだこの野郎!」
「何すんだじぇねえよ、反則だわ馬鹿野郎!」
「ああ?知らねえよ!」
ミオリアはグーラントの腹部を殴り気絶させると、クライスに一瞥して自陣に帰る。
「おい、馬鹿ぁ!」
「いやぁ、すまん、ハッハッハ」
「もういい黙ってろ!」
グーラント、敗北。
気を取り直して四戦目となる。
「私が行ってきます。と言いたいですが、一対一では勝算が低いですね。私の能力は軍隊で初めて性能が発揮されるので」
レオニクスは落ち込み気味に言う。個々が強い円卓に一騎打ちとなるとレオニクスは能力の都合上、途端に弱くなるからである。
「言っちゃ悪いが、元々勝てない見込みだった」
「賢明な判断です。できるだけやってみます」
「頼む」
レオニクスは肩を竦めながらバトルフィールドに向かった。
「さて、私はレオニクス、よろしくお願いします」
「私はスタード、よろしくお願いします」
二人は一礼すると、静かに振り返り、五歩進むと再び振り返り向き合う。
振り向くと同時に、二人の戦いは始まった。
地面が軋みながら震え、レオニクスは体が鉛のように重く固まる。
「これは……重力魔術!」
「御名答です。このまま潰れてください」
「ハッハッハこの程度、重い内に入りません」
レオニクスは己の持つ筋肉を膨張させ、歯を食いしばり大地に右足の後を踏み残す。次に左足を前に出し、同じことをする。
「馬鹿な、人間ならとっくに潰れている」
「この程度で我が歩みを阻むに値しません」
じりじりと前に進み、宵闇の騎士スタードと距離を縮めていく。
レオニクスの持つ槍と盾は未だに輝きをくすませることなく、その魂は未だ勝利を渇望していた。それはまさに忠誠のレオニクスと呼ばれるに値する行動であった。仲間のため、友のため、王のため、全てを捧げる男の姿である。
「これではだめか、ならば!」
地面が重力に耐えられず地面がひび割れる。ウィナーの一撃で解けた地面は一枚の岩となりそれが粉々に砕けている。
「ぐ、これは中々、しかし、まだまだァ!」
レオニクスの視界が歪み始める。強すぎる重力のせいで血液がまともに脳みそへ送られないからだ。
それでもスタードへ一撃を与えるために前へ進む。
レオニクスは歩み続ける。
力の差は歴然、相性は不利、ルールも不利、しかし、レオニクスは挑む。難儀な挑戦であるが故に。
槍の穂先が数十センチでスタードの喉元に届くところで、切っ先はピクリとも動かなくなった。
スタードは全身全霊をかけて行使した重力魔術を解くと、胸に手を当てレオニクスに敬意を向けた。
レオニクスは立ったまま気絶していたのである。
レオニクス、敗北。
「レオニクスは治療のため医務室に送った。次はネフィリ、任せた」
「任せて! 呪いが解けてから調子がいいの、リツフェル……お父さんの力が使えるようになってきたみたい」
ネフィリはガントレットをはめるとにっこりと笑って、バトルフィールドに赴く。
「何か言うことある?」
「ない」
造岩の騎士ヴォルスは静かに答えた。
「じゃあ行くわ!」
ネフィリは大きく跳躍し岩のような鎧を身に纏うヴォルスに一撃を加える。今のネフィリの怪力を以ってすれば鎧など紙に過ぎない。
ヴォルスもそれを警戒してか、即座に岩を展開しネフィリの進行阻む。次々とネフィリを追撃するように岩を展開すると装甲のように自分の身を守る構造になっていた。
「ああ、めんどくさい!」
岩の壁に向かってネフィリは拳をぶち当て、粉砕する。
ヴォルスは即座に反応し岩壁を再構築する。
「めんどくさい!」
そう言いながら、ネフィリは壁をもう一度、破壊する。
やはりヴォルスは岩壁を再構築し、対応する。さらに壁から棘を突き出すとネフィリを後退させると、その間に岩壁を構築する。
それをなんども繰り返し、ネフィリをエリア外まで押し出そうとする。
ネフィリの持つ破壊の拳と、レルゲンの岩の防壁の根競べが始まった――。
そして、この一試合は円卓側も懐刀側も想像できない事態へと突入するのだった――
一週間後――
「ああ、もう! お風呂入りたい!」
岩を破壊し続けて一週間、ネフィリの全身は汗と岩の破片で悪臭と汚れに包まれていた。一週間、昼夜を問わず岩を破壊し続けていたのだ。
そして、その我慢比べがついに終わる。
「っしゃあ! 捕らえた!」
ネフィリは何万枚もぶち抜いた岩壁の先にいたヴォルスを捉えると鎧を掴み、拳を振り下ろそうとした。
しかしヴォルスの意識は既に無く、気を失っていた。原因は魔力切れである。
「……お風呂入ろっと」
ネフィリ、勝利。
ネフィリはヴォルスを担ぐと、円卓七騎士にヴォルスを預けてから懐刀の元へ向かう。
「お、お疲れ……」
「つかれたあああああああああああ!」
ミオリアは鼻を抑えながらネフィリを迎える。
「そんなに臭い?」
「かなり臭い」
「もうやだあああああああああ!!」
「ネフィリ殿、お風呂へ向かわれた方が良い、あなたの女性としての尊厳のためにも」
レオニクスが止めの一撃を食らわせる。
「さっき、ヴォルスを運んで円卓まで行ったのぉ! もうやだぁ!」
「落ち着け、まずは風呂だ汗臭女」
グーラントは詫び入れることなくネフィリに暴言を吐く。
「あと覚えてろ、グーラント」
「クハハハ、そんなに眉間を寄せることもない美人が台無しだ」
ルーサーはそう言いながら風上でさらに数メートル離れている。
「この野郎共!」
「さて、じゃあ、最後は俺か」
二振りの短剣を持ち、ミオリアはいつも通りの表情で、聖光の騎士シャルルが待つバトルフィールドへ向かった。
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