この異世界は理不尽で残酷で儚く、そして竜を狩り、国を護り、獣が吠えた。

白井伊詩

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天ノ68話「追われる狩人」

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 リミットは三日、ヘムロックは腕時計の時刻を確認する。戦闘開始から十二時間が経過した。
 銃声が聞こえたことから、ダチュラお得意の長距離射撃が火を噴いているのだろう。フィールドに色々仕込んだ甲斐があったようだ。普通に考えて何十キロの狙撃なんていうものは不可能である。今回だけの極めて限定的な所業である。
 
 草原地帯を慎重にしゃがみながら足元に注意して地雷を踏まない様に進む。大まかな位置は把握しているが、爆ぜた時点で作戦は失敗となる。
 それに自分たちが罠を設置したということは、相手も罠を設置している可能性がある。
 ヘムロックは正確に歩みを進める。
 六十キロの荷物にライフル銃、拳銃を装備したままの移動は肩甲骨が引き千切れそうな感覚である。いくら術式で肉体を強化していても重い物は重いのである。
 ヘムロックは周囲の空気が変化したことを察知すると地面に寝そべる。
 地雷原から逃れようとした歩兵が隊列を乱して逃避したためか本来、遭遇することがないルートに歩兵がなだれ込んで来たのだ。
 ヘムロックは擬態装備によって気付かれにくい状態だが、いつ見つかってもおかしくない。ヘムロックは息を殺して、平原と同化する。
 
 指を踏みつぶされようが、脚を潰されようがヘムロックは声を押し殺し、痛みに耐える。
 甲冑の重さが加わった男どもに押し潰される感覚は二度と経験したくない。波が去るとヘムロックは周りを見渡し状況を確認し、匍匐前進を進める。あと百メートルで森林地帯である。ヘムロックはバックパックから回復薬を用いて痛みを緩和する。
 バックパックを背負い直し、呼吸を整える。ダチュラの銃声が聞こえた瞬間、ヘムロックは森林地帯へ走り込む。
 爆発に気を取られた兵士たちは狼狽していた。
 
 
 ヘムロックはようやく自分の得意領域へ足を踏み込む。
 木陰に身を隠し、安全を確認する。移動距離から今のところ想定通りの時間で走破している。
 水分と栄養を補給しながら地図で現在地を確認する。敵陣の動きから予定したルートでは敵兵と遭遇する可能性が高い。
 ルート変更するにしても巡回兵がいる。森林の厄介なところは木々が邪魔して視界が取れず思わぬ遭遇をしてしまうところである。見つかった時点で即アウトのヘムロックにとって致命的である。
 補給を終えたヘムロックは荷物を背負いコンパスで方位を確認し敵城の方角へ進む。既に匍匐と徒歩移動で体力を消耗しているが森林の中央帯までは進まなければ日程が遅れしまう。
 敵の動きが予想と変わってしまっているが、神経を研ぎ澄まして少しでも足音や話し声、擦れ音のひとつでも聞き洩らさない覚悟で慎重に足を進める。
 
 一歩、二歩、三歩――
 
 百歩進む度に後方を振り返る。木々の様子、地面、踏みつぶされた草から巡回兵がいつ通ったのか推測する。
 足跡の数とサイズの差から人数は四人程度、脚の沈み具合から一人は重装兵と予想できる。
 敵もバカではない。相手が三人ということは正面からやり合うことはほぼ無いということは見越している。となれば単騎による暗殺が最も可能性が高い。地雷や狙撃などだまし討ちにも近いやり口をとる人間なら暗殺も計画すると考えるのが妥当である。
 警備レベルが上昇している中、ここを潜り抜けるのは至難の業である。
 
 此度の森はヘムロックにまだ微笑まない。
 顔をしかめて足跡に自分の足跡重ねながらヘムロックは歩みを進める。それから百メートルほど進んだ後、近くの茂みに跳躍する。
 動物がよく追っ手を撒く際に使う手法である。こうすることで追跡を攪乱することができる。
ただし通用するのは相手に猟師がいなければの話である。

ヘムロックは茂み抜けると、再び歩みを進める。緑一色で視界が悪い。遠くを見渡そうとしても太い木々が邪魔をする。足元は茂みと背の低い植物によって足場も悪い。
そして夕刻を過ぎ森が闇に包まれる頃合いになるとヘムロックはバックパックを抱えたまま太い木に身を隠し休憩を取ることにした。戦闘糧食を摂取すると水を飲み。擬態迷彩に身を包んだまま眠りについた。日が登ると同時に起床し進行を開始する。


 一方、ダチュラはその頃――
 
 ダチュラはウォーゲーム開始からぶっ通しで対物ライフルのスコープを覗き込み、撃鉄を落とす作業をしていた。
「お疲れ様、交代の時間」
「まだやれる」
「交代は交代」
「……わかりました」
「今のところは順調ね」
 アキーは嬉しそうに言いながらテーブルの上に寝そべり対物ライフルを構える。
「流石に夜戦は仕掛けて来なさそうね」
「まだ慌てる様な時間じゃない、それに地雷原も突破出来ていない」
「それに指揮官は狙撃でリタイヤ、援軍待って隊列を整えるのが得策でしょう」
「普通に考えればそうですが……」
 ダチュラは言いよどむ。
「ですが?」
「例えば、地雷が千個あったとします。それを突破するのに千の歩兵と一人の騎士階級がいれば城塞まで足を踏み込めると思いませんか?」
 ダチュラの考えは一理あった。
「敵兵は千人です、それに埋めた地雷は四千を超えています」
「もしも、敵が千人でなければ?」
 アキーはスコープから目を離してダチュラを見つめた。
「嘘でしょ?」
「明日わかることです」
「そんな、それじゃ勝ち目がない!」
 ダチュラは少し偏屈なところがある。それに加えて過去の経験から人間の裏側の臭いに敏感である。特に情欲、肉欲、支配欲、謀略、その類はもはや本能で察知していると言ってもいい。
 アキーの詰めの甘さ、相手を騙していけないという良心から当然のように厳正なウォーゲームであるなら、反則行為などしないという前提で事を運んでしまっていた。そんな保証は口約束の蝋燭の灯火程度の物である。
 アキーはこの時、まさかとしか考えていなかった。
 
 
 
 その晩は襲撃なく夜を明かすことができた。
 そして、現実は非常にもダチュラの予想は的中してしまった。地雷原に兵士がどんどんと行軍し、強行突破してきたのである。アキーは大急ぎで二丁目の対物ライフルを倉庫から運び食事も摂らずダチュラと共にベルフリトから狙撃を行うが圧倒的に火力が足りない。
 幸い、地雷の爆発よって出来たクレーターが歩兵、騎兵の進行を抑え地雷原を突破された割には進行が遅れていた。
「ほんと、聞いてない! クソがぁ!」
 アキーがあまりの苛立ちに暴言を吐き飛ばす。普段なら絶対に見ることが出来ない光景である。
「アキー、あれを使いましょう!」
「あれはアジサイさんも認可してないダチュラの試作でしょう?」
「大丈夫、百発撃って問題ないのは確認してるから!」
「ああ、もう! 持ってくるから耐えて!」
 アキーはそう言うとベルフリトを一気に駆け下りて武器庫へと向かう。扉を破壊しそうな勢いで開けると奥からダチュラが作成した大量の弾丸を抱えてベルフリトに駆け上る。
「取って来た! お願い!」
 アキーは『キケン 取り扱い注意』と書かれた弾薬箱をダチュラに渡す。
「待ってました!」
 ピンク色の弾頭に青色の薬莢が特徴的な弾丸を対物ライフルに装填する。
「一応聞くけどそれ何?」
「命名するなら『ヒートポイント』ね。着弾と同時に爆発するエクスプロードポイントの失敗作なんだけどこれはこれで厄介な弾丸よ」
 ダチュラはそう言うと例の弾丸をぶっ放す。
 放物線を描いた弾丸は敵陣のど真ん中に着弾する。そのうちの一人にヒットしたようだが、この弾丸の恐ろしさは次の瞬間現れる。
 火柱が上がると、放射状に炎が伸び始め、半径数メートルを炎上させた。
「うわ……どのくらい燃えるんですか?」
「これ魔力消えるまで炎上し続ける。失敗作の理由として最初は着弾地点にある物体に貯蓄されている魔力を一気に燃やして爆発させるというコンセプト……なんだけど」
「けど?」
「炎上しちゃって、しかも周囲の魔力を吸い続けるのであと二時間くらいは水かけても砂かけても燃え続ける」
 ダチュラは自称不良品を何発も打ち込み炎の壁を形成する。迂回するにしても平原地帯は地雷原であるためせっかく犠牲を払って強行突破した安全な道を手放すのも惜しいという状態である。
「あとは手前の兵士を討てばしばらくは大丈夫そうね」
 アキーはそう言うとダチュラの隣で狙撃を再開する。
 
 
 その頃ヘムロックは、辛酸を舐めさせられていた。
 
 
 昼を過ぎても森林地帯から抜け出せていないのである。明朝五時ごろから行動を開始して現在午後一時、食事の十五分を計算しても午前十時には森林地帯を突破している予定である。
 一にも二にも敵がヘムロックの進行ルートをいくら変えてもそれに合わせて敵の追跡が続いているからである。痕跡は最小限に抑え、あの手この手で追跡を攪乱しているがまるで空からヘムロックを観察しているかのようである。
 もちろん相手は経験豊富な軍隊である。新兵であるヘムロックとは経験の差があるが、それでもハンターとしてはヘムロックの方がキャリアは上である。
 森林と山ならヘムロックは負けない自信とプライドがあった。
 ヘムロックは落ち着いて、周囲を見渡し思考する。
 第一に考えられるのはこちらの陣営でもやっている映像投影術式でヘムロックの位置を特定しているという物だ。これに関しては確かに道中敵が設置してあるものは確認している。しかし、ヘムロックはそれらを回避している。万が一、見落としていても魔力を感知して色が変化する魔鉱石という物を確認しているため術式が働いていれば気づくことができる。避けていないとすれば、ウォーゲームの観戦用映像投影術式だけである。これに関しては場外の人間しか映像を確認できないため敵陣に情報が知れ渡ることはない。仮に内通者がいた場合反則となる。
 
「――っ!」

 ヘムロックは顔を真っ青になった。内通していた証拠が無ければイカサマを証明できないからである。もちろん余ほどのおバカさんでなければ証拠も隠滅する。つまり、現行犯がいなければわからないのである。
 
 そして何よりも辛いのが、ヘムロックという人物が単独で敵地に進行し何かしようとしていると言う事実が敵に知られてしまっているということである。このウォーゲームが鍵となってくるのがヘムロックによる兵站破壊である。補給元を断ち切り二週間ほど敵を飢餓状態にすることで降伏や敵軍の動きを鈍らせるのが勝利に不可欠である。そのためにもヘムロックは徹底的に隠密行動していたのである。これではヘムロックがハチの巣にされてしまって終わる。
 控えめに言って最悪の状況である。
 
 この状況をどうにかしてミオリアに伝えねばならない。
 しかし、映像投影術式以外に伝える術はない。かと言って、これを使えば敵側にも何かを伝えたということが知られてしまう。最悪なことにミオリアとの間では暗号を打ち合わせていない。
 繰り返すことになるが状況は最悪である。
 ヘムロックはライフルを握り締め、恩師の二人を瞼の裏で縋る。しかし現実はヒーローなんているわけもなく、ただ時間だけが過ぎていく。
どんなにピンチになっても諦めないことが大事。
 アジサイは何度も言っていた。
 
 ヘムロックは擬態迷彩の上着を脱ぐ。
「これなら、どうだ」
 
 大木の下に擬態迷彩を打ち付けて裾だけがちらつくようにする。観戦用映像投影術式からは大木の下でヘムロックが休憩しているように見えるようにする。それから茂みに身を潜める。時計を確認し、ヘムロックが映像投影術式に写り込んでから敵歩兵が来るまでの時間を計測する。
 ノースリーブのシャツであるため蚊に刺されて所々が痒みを覚える。それを無視してひたすら風景に同化する。肌は泥を塗り白い肌を目立たなくしている。
 地面に耳を当て足音に意識を集中する。目を閉じて嗅覚も研ぎ澄ます。
 
 
 三時間後、敵歩兵が現れる。ヘムロックの上着を確認すると舌打ちする。それから苛立ちからか上着をヘムロックの居る茂みに蹴り飛ばし走り去って行った。
 敵がいなくなったことを確認すると上着を着直してヘムロックは歩き去る。
 
 現在いる場所は昨日まで巡回ルートになかった場所である。それが先ほど存在をちらつかせただけで敵兵が来るということは確実に内通者がいる。
 逆に言ってしまえば、相手の索敵能力は存外低いのである。本当にかくれんぼの鬼が得意な奴はわざわざこんな手を使うはずもないからである。
 ヘムロックは地図を取り出し、観戦用映像投影術式が設置されている場所も進行ルートから外し森林を進む。
 予想通りそれ以降は敵兵の追跡なく簡単に森林地帯を抜けることができた。次は岩石地帯、視界が開けているが、大きな岩石も多々存在する場所であるため身を隠しながら進める。場所であるが、空が開けており、フィールド全体を捉えることが出来る映像投影術式がある。
 ヘムロックは岩石地帯手前の木々に隠れながら夜を待つことにした。
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