この異世界は理不尽で残酷で儚く、そして竜を狩り、国を護り、獣が吠えた。

白井伊詩

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竜ノ64話「平穏のビサンティン」

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 パッツァーナの森のさらに奥、人が立ち寄らない深奥に竜はいた。
 
 平穏のビサンティンは悠々とそこで眠っていた。
 ジークはマニエリスムから受け取った大太刀、無銘を引き抜く。
 
 深呼吸をすると、ようやくビサンティンは目を覚まし、欠伸を一つした。それからジークの方を見ると、姿が消えた。
 
 ジークは竜眼を発動させていたが、ビサンティンの速度に追いつくことが出来ず、後手に回る形で後ろ振り返り寸でのところで体を低くし一撃を回避する。
 速度だけではなく、ジークの視線や呼吸を読んで攻撃している。そのため反応が遅れたのである。僅かにその一秒にも満たない隙をビサンティンは突いてきた。
 
 ジークはヒヤリとしたが、大太刀を構え直し、右足を踏み込む。
 
 その瞬間、体が足から崩れ落ちるのが分かった。
 
 膝の裏の腱とアキレス腱が切断されていた。ビサンティンの初撃は、首を狙った一撃ではなく、右足への攻撃こそ狙いであったのだ。
 その数秒生まれた隙をビサンティンは逃すことなく鋭利に研ぎ澄ませた翼足の外側の刃物のようになっている甲殻を振う。
 竜殼を展開し全身を守るが衝撃でジークは吹飛ばされ木に背中を打ち付ける。木は吹飛ばされたジークの衝撃に耐えきれず折れてしまっていた。
 背中の痛みを無視して木々の生い茂る森へ体を送るが、ビサンティンの翼脚の切れ味の前では樹齢何十年もある木が容易く切断されている。
 ジーク驚きの声を出すがそれ以上に恐ろしいのはあの竜殼が切断されていることである。
 バロックの一撃を止めた竜殼が切断したのだ。ビサンティンの前で竜殼は意味を成さない。
 裂傷を抑えながら、竜脚で体勢を立て直すと、刀を持ち直してビサンティンに一撃を与えるべく足に力を込める。
 
 目の前に刃――。
 
 一瞬である。わずかに力んだ瞬間、些細な予備動作ですらビサンティンはジークの動きを読み抜いてきた。
 
 咄嗟に竜脚を解除して地面に落ちる形でビサンティンの翼脚を回避する。着地と同時にバックステップで距離を取る。
 森の中で周囲を意識しながらビサンティンを相手にするのは厳しい状況である。
 
 ジークは周囲をぐるりと見渡しビサンティンを見据える。呼吸を整えて、冷静さを取り戻す。
 
 刀を三度構え直す。
 
 ようやく刀をまともに構えることが出来たジークは、体を前に出す。
 無論、ビサンティンはそれに反応するように攻撃を加速させる。ジークはそれを読み、竜殼で腕を覆い、ビサンティンの翼脚と斜めの角度をつける。
 当然竜殼は削がれる様に斬り付けられるが、何とか攻撃をいなすことができた。
 
 良し行ける。
 そう思った瞬間、ジークは首筋に冷たい感触が通り抜ける。
 
 
 左側の頸動脈が血飛沫を上げる。
 
 
 断片的な情報がジークの脳内を走馬灯のように駆け巡る。通常の人間なら即死してもおかしくない。
 
 血が見えた。
 
 大量の血である。
 
 刻々と体の芯が冷えるのが分かる。
 
 死だ、こうもあっさりと死が見える。思考が覚束ない。ただただ、死、圧倒的なまでの力量差、埋まるのか。何度も何度も自分に問いかける。
膝から崩れ落ちるのがわかった。体が自由に動かない。原因は出血多量である。火を見るよりも明らかである。

霞んだ視界の中で、ビサンティンが右の翼脚を振り上げるのが分かった。ジークは右手に持つ刀を振り上げる力が残っていない。そこに戦いたいという意思だけを置き去りにして、右の指に戦えと命令を下すが、どうにも上手く行かない。
 
どうやらここまでらしい。

何度も死にそうになったし、今回ばかりはどうやら年貢の納め時らしい。ジークは静かに笑った。


諦めた刹那、刀がひとりでに動くような感覚がジークの身体を駆け巡り、脳に刺激となって伝搬した。
力を込めていたわけではない。

その光景にジーク自身、驚きを隠しきれなかった。
大太刀を切り返し、翼脚を軽々といなしていたのだ。何より驚くことに大太刀はあれほど鋭い翼脚と斬り合いをしても欠けるどころか傷ひとつ付いておらず、鏡のような切っ先を維持し続けている。
刀には空気の層が生まれていた。
竜脚である。竜脚の風が刀に纏われているのである。

ここでジークは初めて悟った。
竜脚は当初、竜の翼に宿る力だと思っていたがそうではなかった。
竜がその鋭い爪をさらに研ぎ澄まし、鋭角に、ひたすらに切れるようにするための能力である。

刀にバロックが写り込む。ニンギルレストの北風と竜はジークをより屈強な戦士へと育て上げていた。
以前ミオリアにスキルを鑑定された際に、面白いスキルがあると言われたことを思い出す。
一度見た武道や武術を完全にコピーすることが出来るスキルである。もちろん身体機能の影響を受ける。
このスキルでアジサイやスピカの技を会得しジークの記憶からは無くなったとしても身体はしっかりとその経験を覚えていた。

この土壇場でジークは本当の意味で技を扱えるようになった。

次の手を考える前に体が動く。

竜脚を纏った大太刀が流麗な動きと共にビサンティンの体を縫うように泳ぐ。あふれ出る血液は大太刀の切っ先を追いかけるように周囲を赤に染める。

初撃を与えるが、ビサンティンの肉体は何もなかったかのように傷が即座に癒える。

お互いさまとジークは心の中で笑う。対してビサンティンは大きく目を開いて驚く。

それから咆哮が地を揺さぶらんとする音量で響き渡る。地面に生えていた草木はビサンティンを中心に円を描くように薙ぎ倒されている。

ジークもその声を間近で耳に入れることになるがその声はもはや一撃と言っても過言ではなかった。何せジークの鼓膜は破れ、竜殼にはひびが入り、肉は裂けているのである。


たかが声だけでここまでなるものだろうか――
 

これが竜、イシュバルデと言う一つの国がたった一匹に苦戦を強いられる理由――


ジークはまだ回復しない耳をかばうように後ろへ後退する。後ろに下がるにつれて大樹が薙ぎ倒されている光景を目の当たりにする。
次第に自分が戦っている者が何なのか分からなくなっていく。

まだ足りない――

まだ及ばない――

まだ至らない!

ジークは、竜脚を使い、後ろに後退した体を前に突き出す。ここで下がるのは悪手と判断し、歯を食いしばる。

肉体を動かせばビサンティンは即座に反応する。

ならば、これならどうだろうか。

 ジークは竜脚で形成した風を自分の背中にぶち当てるとその勢いを利用し、ビサンティンの背中に回る。
 ビサンティンの背後を取り、一刀を放つが甲殻を切り裂いた程度で終わる。刀を返して二刀目を放つ。これでようやくビサンティンの脊椎を刃が撫でたのが分かった程度である。
 竜脚を無理やり使い奇襲するが失敗に終わる。
 
 ジークは次の手を画策するがそれ以上にビサンティンは空を切り裂くように右翼脚を切り上げる。
 竜脚で味場を形成し、体勢を整えようとするがビサンティンは足場の風もろともジークは鋭い一撃を食らう。
 ビサンティンも咄嗟の一撃だったのかジークの腕を掠める程度で事なきを得た。竜脚を利用して空中を後退しながらビサンティンを俯瞰する。

 
 森の中で繰り広げられる攻防はようやく中盤へと至る。
 
 
 お互い視線を逸らすことなくジークは足の筋肉を弛緩させて脱力、それから一気に筋繊維を収縮させてビサンティンへ攻撃を仕掛ける。
 
 刀を先ほどと同様、流れる水のように刃を滑らせる。
 
 ジークはこの動作の直後に決定的な誤解に気づいた。
 
 振り上げられたビサンティンの右翼脚はジークの腕を掠ったのではない。
 
 
 ジークの腕を切断したのである。
 
 
 肘の少し先から両腕が消失しており、止め処なく血が溢れていた。
 
 もちろん攻撃は空振りに終わり、ビサンティンのカウンターがジークの胸部を斬り裂いた。
 
 臓腑が断たれる感触をジークは味わった。ビサンティンの一撃はそれだけで留まらずジークを遠くへ打ち出した。
 大樹にぶつかり、地面に倒れ込む。
 激痛で指ひとつ、声ひとつあげることが出来ずジークはうつ伏せのまま失血で意識を失う。
 
 
 白い霧の中にジークは立っていた。

 
 とうとう死んだとジークはため息をついた。両腕は相変わらずどこかに行ってしまったままだが仕方がないと諦めた。
 
 ため息を付いて茫然と立っていると背中を何かに蹴られる。
 
 振り返ると極彩色の羽毛に二足の発達した脚、ディノニクス型の竜が何か言いたげな表情でジークを見ていた。
 感情のルネサンス、ジークが初めて打倒した竜である。その竜が黄色い瞳をジーク向ける。

 霧が少し晴れる。黒曜石の山が、のそのそした緩慢な動きでジークに顔を向ける。山と見間違えるほど巨躯にごつごつとした岩の外殻を持つ竜がジークの胸を頭の先端にある角で軽くつつく。
 豊穣のアマルナ、アジサイが守り抜き、自ら死を選びジークの一部になることを良しとした竜である。アマルナは翼を大きく広げると羽ばたく動作を一回する。暴風と共に霧が晴れる。
 
 太陽がうっすらとジークの体を照らし始める。顔を見上げるとチカチカと太陽が点滅するのがわかった。点滅は黒煙を巻き上げながら、ジークの立つ大地へと加速しながら落ちて来た。
 ジェットエンジンのように翼膜から炎を吹き出す竜が大地に降り立った。
 飛翼のバロック、ジークが倒した三体目の竜である。バロックは、ジークを見下ろすと黒煙を口から零しながらジークの顔をじっと眺める。
 それから翼後部についた管のようなものから炎を噴出させる。
 
 さらに霧が晴れるとコツンコツンと足音が響く。
 大太刀が太陽光を鋭く照り返す。
 白金の鎧に水鏡のように磨き抜かれた一振りの大太刀、そして端正な顔立ち、白銀の髪を持つ女がため息を放る。
 依然と違うのは黄金色の瞳が今回は血液のような真紅の瞳であるところだ。
 宝珠のマニエリスム、ジークが一年前に葬ったこの世で二番目に美しい竜である。
 
 マニエリスムはため息を付いてからジークに寄り添うと刀をジークに握らせる。
 
 気が付くと腕は元に戻っていた。再生した腕で刀を持つとマニエリスムはジークに刀の握る感覚をジークの手の上から手を乗せて覚えさせる。ジークが及第点の握りを見せると、大きく頷いてジークと距離を置く。
 ジークはその握りのまま腕を高く上げると一刀を迷いなく振り下ろす。
 
 
 全ての霧が晴れるとジークはパッツァーナの森の中で立っていた。
 
 
 ジークの左目は竜眼の色を保っているが、右目は血液が燃えるような真紅となっていた。
 
 
『竜炎』
 
竜が持つ真の力を発揮させる能力である。

 ジークは幸運にも自分が倒れた目の前に大太刀が飛ばされていた。切断された腕を再生した手で引き剥がして刀を握る。
 竜脚で風を大太刀に纏わせると、それを追いかけるように炎のようなものが纏われる。これが竜炎であり、ジークの魂が具現化した代物である。
竜炎を纏った刀はパッツァーナの大地を焦がし始める。
 
 荒ぶる大太刀の炎と裏腹にジークの表情は静謐に満たされていた。刀を構えると、静かな脚運びで、ビサンティンに歩み寄る。
 ビサンティンもジークの雰囲気を察し、飛び下がる。

この時はっきりとビサンティンはジークに恐怖を知覚させられていた。
 
 ジークは刀を上段に構え、静止する。落ち着いた呼吸でビサンティンを見据える。
 
 ビサンティンもこれが最後と言わんばかりに、翼脚を広げる。それから地面を蹴り上げると、木から木、木から地面、地面から木と次々と残像を残しながらジークの周りを跳躍する。
 対するジークは、上段に構えたまま視界の端でビサンティンを捉えるのみ。微動だにしていない。
 
 次の一撃でどちらかがここで果てる。ジークもビサンティンも覚悟を決めていた。
 ビサンティンが放つ渾身の一撃かそれともジークの会心の一撃か雌雄を決する時が刻一刻と近づいている。
 
 
 ついにその時が来た。
 
 
 ビサンティンは竜としての誇りか最後の一撃はジークの真正面から十分な速度、自分が出しうる全力を解き放つ。
 
 対するジークもビサンティンを見据え大太刀を振り下ろす。
 大太刀の刃と翼脚の刃が触れ合うと先に刃が食い込んだのはジークの刃であった。そのまま大太刀はビサンティンの奥へと断ち進める。

 大太刀を振り下ろしきるとジークは刀の血を払い、右手で大太刀を半回転させて刀を地面と平行にさせたまま逆手に持ち、目の高さに合わせる。それからビサンティンに一礼する。
 

 ビサンティンは翼脚ごと体を真っ二つに両断され、絶命した。

 
 死にゆく竜は最後に満足そうな顔をしたまま、光となって消える。
 光はジークの体の中に入り込むと、ジークに断片的な映像を見せた。
 
 
 誰かの視界がそのまま光景として見えているようだ。周りは町の風景だが、家々は炎が上がり黒煙が登っている。まるで戦火の中心にいるような場所であった。視点の持ち主の背丈は周りの建物やオブジェから子供と推察した。
 二人の男が歩み寄って来た。一人の男は大太刀を握り締め、もう一人の男は八枚の翼を背に持つ男である。
二人組の男たちに対して天から地から見覚えのない竜たちが必死な様子で男に立ち向かっていく姿が見えた。
 視点の持ち主は手を前に差し出し、嗚咽を交えた声で必死に叫んでいた。何と言っているかまでは分からなかったが、ただひたすらに呼び戻す様に叫んでいた。
 映像はここで終了した。
 
 
 ジークはその光景を訝しんだが、それより早く体力の限界を迎え地面に倒れ込んだ。
 内臓断裂に両腕切断、頸動脈の血管が切れたことによる大量出血、思えば肉体が限界を迎えているのも納得だった。
 鉛のように重くなった体を地面に預け、意識は微睡みへと落ちて行った。
 
 平穏のビサンティン討伐完了。
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