この異世界は理不尽で残酷で儚く、そして竜を狩り、国を護り、獣が吠えた。

白井伊詩

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神ノ47話「静謐ニ凍テ付ク装イ 其ノ参」

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 指先の感覚はもう何十時間も前に無くなっていた。
 ネグローニの卵を守り続けて二日目の夜中、午前三時を過ぎたところである。
 アジサイは義装を展開し、ひたすら魔獣を撃破していた。
 
 魔術を何度か行使したが、強力な魔力耐性を持つ魔獣が出没し始め、魔力が意味を成さない、むしろ大規模な魔術を行使することで魔力を察知してさらに魔獣が寄ってくる悪循環であるため、季装『春夏秋冬』きそう ひととせを解除し、義装『忠節』ぎそう ちゅうせつに切り替えて攻防を続けている。
 
 殺した魔獣の数は五十を超えている。
 拠点の周辺は血生臭い獣の血液の臭いが充満している。吹雪は悪化の一途を辿っており、アジサイはいつ全身が凍り付きそうな状態であった。
 既にアジサイの心は既に折れかけている。自分がなぜこんな辛いことをしているのか分からない。
 
『アジサイ、二か月山籠もりして来い』
 
 スピカのぶっきらぼうな言葉を思い出す。
 
「あいつなら引き受けたことなら最後までやれっていうか……」

 アジサイは自分自身を鼓舞する。
 
 ライフル銃であるM700を構える。ボルトを前後させ弾薬を薬室に装填する。

「来いよ獣共!」

 アジサイは赤外線モード使い、この猛吹雪の中でも視界を曇らせることなく、弾丸を魔獣の致命傷へ運ぶ。再びボルトを前後させて次弾を装填する。
 周りが落ち着けば、拠点へ戻り、卵が入った炉に炭を放り込み、火が絶えないように気を遣う。体を数十分温めると再び外へ飛び出す。
 ネグローニの卵を護るためには、アジサイ自らが率先して魔獣を狩る。
 
 レミントンM700のマガジンに弾薬をリロードし、薬室の中にあらかじめ弾丸をセットする。
 予備の弾薬を腰のポーチに詰め込み、拠点を出ると、既に魔獣達が待ち構えていた。唸り声を上げて、今にも襲い掛かるぞと言わんばかりの殺意を漂わせている。
 アジサイは腰のホルスターからリボルバー拳銃M500を取り出す。残弾は五発で囲んでいる魔獣も丁度五匹である。スリングを使ってライフル銃M700を肩にかける。
 
 魔獣が一斉にアジサイに向かって飛びかかる。アジサイは右手を握り締めて前方に飛んできた魔獣を殴り殺すとそのまま前に数歩飛び出す。体を翻してリボルバー拳銃M500を構えて四匹を撃ち殺す。
 シリンダーを外し、空薬莢を取り出して、リボルバーに弾薬を四発セットし、ホルスターに収める。
 それから拠点の周りをぐるぐる回り、周囲の安全を確保すると、拠点へ戻り、眠りにつく。
今夜はこれで終わりとなった。
 
 目を覚ますとアジサイは火にかけておいたスープを早々に食し、拠点の見回りを行う。魔獣の死体があるばかりで特に異常はなかった。
 まともに眠れていないアジサイにとってこれは良い出来事である。拠点に戻ると、再度眠りについた。
 
 深い深い眠りにつく。
 雪崩に埋まったように体が動かない。息をしているのかどうかも自分自身よくわからないほど眠った。体中の筋肉が悲鳴を上げているが、義装の脳内麻薬調整機能で無理やりアドレナリンを分泌させて痛みを無視している。体への負担は大きいが今はこうするしかない。
 眠るために、今の状態を解除したためその反動をもろに受けている。疲労もピークに達しているため眠るのは容易かった。
 
 
 
 
 暗い、響く、重低音。
 
 歩く音、近い、すぐそこ。
 
 間もなく、程なく、たった今――。
 
 
 直感だけで体が動いた。瞼を開けるより早くライフル銃レミントンM700を手繰り寄せると、拠点を飛び出す。
 義装の効果でアドレナリンとエンドルフィンを無理やり分泌させ、臨戦態勢を取る。
 
 
 荒れ狂う暴風と大粒の雪の中から、奴は現れた。
 
 
 アジサイはこの魔獣を過去に二回、話に聞いたがことがある。
 
 
 ネメアリオン――

 超大型のライオンである。ただライオンと違うところは、破格の魔力耐性に分厚い鎧のような毛皮は剣を鈍らに変え、火や雷をさらりと受け流す。
 ジークの狩る竜程ではないが、人のいる場所で発見されればギルドから討伐依頼、成功すれば昇級のチャンスと言われているが、ネメアリオンの爪牙にかけられて散った者は少なくない。


 悪装を切れば、この危機を脱することが出来るが、ネメアリオンを倒すだけの力を行使すれば神性にアジサイの肉体は殺されてしまうだろう。

 使うなら季装か義装のどちらかであるが、痛みを脳内麻薬で無視したアジサイのボロボロの身体で季装を使いこなせるか疑問が残る。弾薬は現状、ライフル銃であるM700とM1500、マシンガンであるミニミに対応した7.62×51 mm弾と大口径リボルバー拳銃であるM500の.500S&Wマグナム弾の二種類しかない。しかも連戦で消費した弾薬をまだ補填出来ていないためポーチ一つ分、7.62×51 mm弾は二十発、.500S&Wマグナム弾は残り六発である。

弾倉の残弾は、ライフル銃M700は薬室内込で七発、リボルバー拳銃M500は五発である。

 アジサイは腹をくくる。

「頼む、義装……」

 ネメアリオンと目が合うと、アジサイの背筋が硬直する。不純物など感じない明確な殺意が纏わりついた。
 アジサイがゴマ粒ほどに見えてしまうほどの巨大獅子が雪の大地を蹴る。たったの一歩で数メートルも巨躯が移動する様は圧巻だが見とれていると一瞬であの世送りになる。

 M700を構えネメアリオンの右目に照準を合わせ、発砲する。
 確かに弾丸はネメアリオンの右目を貫く。ネメアリオン本体も驚いたのか足を止める。それからしばらくすると眼球が完全回復する。

 アジサイは再生を確認する、ネメアリオンの右に回り込む。風下まで移動すると、ライフル銃M700のボルトを前後させて次の弾薬を装填する。
 
 狙うのは頚椎か脳天であるが、頭蓋骨を貫通させるのは難しい。狙うなら頚椎である。アジサイは雪の中に体を沈めネメアリオンの様子を伺う。吹雪のおかげでアジサイを完全に見失っている。
 
 じっくりとスコープを覗き込み、神経を集中させる。義装の弾道アシスト機能もフル活用し、落ち着いて標的を見据える。
 ネメアリオンの首に照準を合わせると、アシストもPASSと表示され、後は引き金を引くだけである。アジサイは両目を見開いてトリガーを引く。
 

 ズドンと重低音が響き渡る――
 
 
 弾丸はネメアリオンの首を貫通した。
 
 
 だがそれだけでは足りなかった――
 
 巨躯がアジサイの目の前まで距離を詰めて、地面の雪もろとも、アジサイを口で掘り起こすと、鋭い牙でアジサイの右腕に噛みつく。

 プレス機のような顎がアジサイの骨をバキバキにへし折る。ネメアリオンはそれだけに飽き足らず、アジサイをそのまま拠点の石壁に向けて放り投げる。

 アジサイは背中を石壁に打ち付けると血反吐を吐きながら右腕の状態を確認する。出血が酷く、腕は本来では曲がり様がないところであり得ない方向に曲がっている。
 義装のおかげで痛みは感じないが、放置すれば失血で命を落とすだろう。
 
 アジサイはポケットから欠けた黒い宝珠を取り出し、展開する。これより他に手はない。
 
 黒い不定形の何かが展開され、アジサイの身体に纏わりつく。

「――――ッアア!!」

 義装の効果が無くなったため一気に痛みがアジサイの全身を駆け巡り神経を焼き殺さんとするのがわかる。
 悪装『津罪』の黒い濃縮された血液である。以前よりも格段に多いのがわかる。アジサイが殺してきた人間の数だけこの装具は力を増す。何百人の人間の命を奪ったことをアジサイはしみじみと実感する。
 無論、感傷に浸る暇などアジサイにはない。神性に焼かれる痛みと駆動させる度にズタボロの肉体が悲鳴を上げ、激痛が走る。
 大量展開された血液を槍状に伸ばし、ネメアリオンの身体を四方八方から刺し穿つ。ネメアリオンの体内に侵入した血液は血管を通り神経系を破壊しながら脳内部まで進行する。流石のネメアリオンもこれには成す術がなく、命を落とした。
 
 
「クソッ」


 悪装を解除しながら、拠点内まで体を這わせるとぽっきりと折れた骨を矯正し回復魔術を行使する。魔力を全て使い切りなんとか致命傷を回復させるが、失血が激しく意識がおぼろげである。

 アジサイはありったけの炭を炉にくべると、地面に回復術式を描き、魔力を通してその上に寝転がる。しばらくアジサイは眠りに付くが、もし魔獣がこの拠点を襲撃したらアジサイは成す術なく死ぬだろう。

 神に祈りを捧げるようにアジサイは眠りについた。
 
 
 
 アジサイは目を覚ますことに安堵した。目を開くと柔らかい布団の中にいるような心地良さだった。
 この感覚にアジサイはついぞ自分が死んだとばかり錯覚をすることになるが、実際は違った。
 
「目が覚めたか」

 白い毛並みの神獣ネグローニがそこに鎮座していた。

「ネグローニか」

 ネグローニの身体に抱かれながらアジサイは眠っていた。

「いかにも……しかし汝には、迷惑をかけた」
「いや……もういいよ……」

 アジサイは右腕の状態を確かめる。思っていた以上に回復が早く、何とか使えるまで復元している。

「さて、汝、このネグローニを護ってくれたこと感謝する、目覚めた時用の食事も用意していたようだし、至れり尽くせりであった」

「食事?」
「外に転がっておった魔獣だ」

 アジサイは腑に落ちる。

「ああ、それならよかった……」

 アジサイは再び目を閉じる。十分寝たとは言え、流石に疲れがピークに達している。

「眠るのか?」
「もう少しね……たぶん二十時間は寝てると思うけど、体が重くてね」
「ふむ、そうか」
「いや、しかし、この毛並みモフモフであったかくていいね」
「この毛皮を求めて挑んでくる者もいた」
「神獣の毛皮ってだけで愛好家にはたまらないだろうな」
「ところで汝、何故ハスタートに来たのだ?」
「修行さ」
「修行とな?」
「レイペールに行くための準備、領土ハスタートはレイペール山脈とより高い峰が多く、それでいて魔獣も少ないと聞いてね、環境に慣れるための訓練」
「……レイペール……そうか……」

 ネグローニは何か言いたげだったがそれ以上はなにも言わなかった。

「おやすみ」

 アジサイは再び瞳を閉ざした。久々に凍った場所以外でアジサイは眠る。大怪我した報酬としては割りに合わないが今は何も考えられなかった。
 
 
 山籠り最終日としては満足な結果だろう。
 
 
 三日目の夜にアジサイは目を覚ます。ハスタートに来てから一か月、修行としては十分だろう。どのみち右腕がズタズタになっているため健康面から下山するしかない。荷造りをして下山する準備をする。
 出立は明朝で、アジサイはそれまで食事を摂り、お湯で体を拭き心身を労う。
 
「下山するのか」
「まぁね、腕がへし折れてるから一度医者に診てもらわないと」
「ふむ、汝よ、ついて行っても良いか?」
「え、俺に?」

 ネグローニは首を縦に振る。炎に白い毛並みがゆらゆら照らされている。

「構わないよ」

 アジサイは快く頷く。

「よろしく頼む、汝に興味が出た」
 
 
「……スピカになんて言おうかな」
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