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神ノ36話「蓼食う虫も好き好き」
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昔から、かくれんぼは得意だった。だが、鬼ごっこはとても苦手だった。
アジサイは深呼吸をしながらそんなことを思い出していた。
鬼ごっこにしては、随分と鬼役の数が多い。アジサイの両目で捉えているだけでも十人はいる。
アジサイは論装の能力で視界に赤外線ウィンドウを展開しながら敵陣に向かって駆け進む。律装によって全身の筋力が強化されたアジサイはものの数秒で敵の先陣にまで接近する。
アジサイは盾を構えて防御陣形をとっている盗賊を盾ごと蹴り飛ばし、陣形をぶち抜くとさらに奥へと走る。
アジトは要塞のような造りで森の中に溶け込むように作られていた。太い丸太を何十本と重ねて四角く囲い、扉が一つだけ付いている形状になっている。
内部は簡素なもので、宿舎と略奪品を収納する小屋とそしてそれらよりも大きな人間を閉じ込め、監禁する建物の三つ建物が目に映った。
『どこの建物だ?』
『違う貴様、囲いの四つ角それぞれに付いている』
「なっ――」
アジサイの経験の浅さによるミスが引き起こされた。
このままアジサイが建物に入り込むと盗賊に囲まれる可能性どころか救助を行っているスピカに迷惑がかかる、だからと言って、敵陣にとんぼ返りしても盗賊に怪しまれる。
範囲制御できない魔術を行使すれば、捕まっている人間にも被害を出してしまう可能性がある。
M500や弓矢を用いたところで、この十メートルも離れていないこの距離では数に押されてしまう。
アジサイは胸ポケットから十円玉程度の桜色の珠とどす黒い半分にかけてしまっている悪装『津罪』を取り出す。
先日の負荷から察するに魔力のガス抜きをしていないアジサイにとって、取り出した装具を行使するのはリスクが高い。
だが、アジサイが躊躇すればするほど、捕まっている人に危険が及ぶ。
アジサイは半分に割れた黒い珠、悪装を展開する。
襤褸切れのような黒衣を身に纏うと、アジサイの足元から黒い泥のようなものが溢れ出す。
磁性流体のように自在に形を変える黒い物体をアジサイは盗賊たちに嗾ける。地面を這うように伸びた物体は盗賊の腹部に突き刺さり、食い荒らす様に体内で暴れ内臓を完全に破壊する。
アジサイは膝を付いて、装具の操作へ意識を集中する。
一分足らずで見えている盗賊たちを全滅させる。盗賊たちは何が起こったのか分からないままその場に倒れた。
装具を解除し、律装と論装を再展開する。M500のシリンダーを覗き、弾の確認をすると盗賊の残党がいないかチェックするために宿舎に向かうべく立ち上がる。
ぐらりと視界が歪んだ。アジサイは再び倒れるように地面に手を突くと、嗚咽を漏らしながら口から赤黒い液体を吐き出す。
自身の神性に肉体が侵食されていく。アジサイはこの症状を回復魔術で騙し騙し何とか乗り越えてきたが今回の悪装行使でアジサイの肉体は限界を振り抜いていた。
回復魔術を行使しようとするが、視界の歪み方がいつもの比ではないため、魔力が操作できず、血を吐くだけである。
いつまでも地面に蹲っているだけでは盗賊にとって格好の的である。
すぐに身を隠さなければならない。
アジサイはM500をぶら下げるように左手で持ちながら、何とか体を起こし、出口へと歩みを進める。
『貴様、盗賊が向かってきている!』
『数は?』
『三人だ』
『わかった』
『気張れよ、貴様』
アジサイは振り返るとM500を左手で構え右手をグリップに添える。撃鉄を起こし、盗賊に銃口を向ける。
アジサイは深呼吸をして迫りくる盗賊をぎりぎりまで引きつける。今のバイタルで射撃を行ったところでアジサイの技術では五メートル先を当てるのも難しいだろう。
盗賊の持つ鉈のような剣の刃がアジサイの顔を映すほどの距離まで近づいたところで、引き金を押し込む。
撃鉄が弾薬を叩くと同時に薬室内のガーネットが爆発し、弾丸が放たれる。
一人の胴体に風穴を開けると、アジサイにより近い盗賊に銃口を向ける。
一人目の男よりも距離は離れているが、銃声によって体を強張らせている相手を撃つのはさほど難しくなかった。
アジサイは前に三人目の方へ近づきながら、腹部に弾丸をねじ込む。
これで盗賊の処理を完了させ、アジサイは事切れたように地面に頭から倒れ込んだ。
夢を見る。
幼少の頃に見た景色だ。
どこにでもある田舎の風景。アスファルトから陽炎が立ち上がり夏の暑さを誇張させるが、川が近くにあるため風は涼しくどちらかと言えば過ごしやすい気候である。
懐かしさを覚えながらアジサイは道路を歩く。何十年も歩いた道、どこに何があるかは手に取る様に把握している。
アジサイは川沿いの道路から細い、大人が二人並んで歩けるくらいの脇道へと進路をずらす。きつめの勾配になっている道を登り切ると、小高い丘の頂上に出る。あたりを見回すと故郷を見下ろせた。
さらに道を進むと、アジサイはポツンとある墓を見つけ、墓標へ歩み寄る。
「へぇ、懐かしいや」
小言を吐きながら、墓標の裏手に回る。
そこにあったものをアジサイは確認すると安堵するように短いため息を吐き捨て、乾いた笑いを浮かべた。
「どうして、笑っている」
凛とした声で、アジサイに声をかける者がいた。
「滑稽だなと」
アジサイはそう言いながら裏手から戻り、声の主と顔を合わせる。
「相変わらずひねくれているな」
つり目が特徴的な彼女は、いつも生真面目で真っ直ぐである。とアジサイは常々評価している。
「相変わらず眉間に皺が寄っている」
つり目の女に対してアジサイはそういうと、女は呆れたように項垂れた。
「それの眉間はいつものことさ」
アジサイの後ろから眼鏡をかけた女がヒンヤリとした雰囲気で淡々と抑揚のない声でアジサイに言う。
「あら、お前もいたのか」
眼鏡の女は、目を伏せながら頷いた。
それから三者は無言のまま、ただお互いの顔を眺めている。
「なぁ、アジサイ」
つり目の女は曇った表情でアジサイに問う。
「どした?」
「痛くなかったのか?」
アジサイは三秒ほど間を空けてから静かに返答する。
「痛いよ」
「辛くないの?」
眼鏡の女が追及する。
「辛いよ」
「だろうな」
「そうだね」
眼鏡の女とつり目の女はすぐに返答した。
アジサイの視界が一瞬だけ歪んだ。
「そろそろか」
つり目の女はアジサイに問う。
「みたいだな、また会えたら、そん時もよろしくな、いつもありがとうな」
女二人は無言のまま頷いた。
「私のチョイスはセンスがいいだろう」
つり目の女はしたり顔で言う。
「律装は汎用的で、すごく使いやすいよ」
アジサイは身に着けているグローブを見ながら言う。
「あと、こっちもね」
続け様にアジサイは目の中にあるコンタクトを指差しながら眼鏡の女に言う。
「当然だ、科学の歴史は計測の歴史故だ」
「助かってるよ、そういや、根暗の女は?」
半分に欠けた黒い宝珠を取り出しながらアジサイは問いかけた。
「あいつは、まだ来ないよ、それより先にたれ目の女と夏の女を見つける方が良い」
眼鏡の女は淡々と返すと、アジサイは頷いた。
「わかった、んじゃあ、行ってくるよ」
二人の女らは手を振ってアジサイを見送った。
アスファルトが陽炎で景色を歪める暑い夏と墓石の裏手にある物を見送りながらアジサイは望郷の胸に潜めた。
目を覚ますと、自分がいつも使っている宿の天井があった。
「おう、ようやくお目覚めか」
青筋を立てたスピカが歪んだ笑顔でアジサイを見つめていた。
「貴様、今回は随分だったな」
アジサイの手足に枝を巻き付けて魔力を吸い取るアンラもアジサイに声をかけた。
「はい、おはようございます」
ベッドをガンガンと蹴り上げてスピカが辛辣な表情でアジサイを見下ろす。
身体を起こすと、まだ倦怠感が残っており、疲れがたまっていた。
「捕まった人は?」
「全員無事だ。盗賊もお前が全て片付けていたからな容易だった」
「そりゃ、よかった……」
「んで、お前、禁止していた装具を使ったな?」
「はい、使いました」
「人助ける前に自分がぶっ倒れてどうする!!」
スピカの言うことは正しく、アジサイは耳が痛いばかりだった。
「……返す言葉もございません」
「まずは自分の命を大事にしろ、他人の命は二の次だ! いいな?」
「はい……」
スピカは大声でアジサイを叱ると、ため息を付いてから静かな表情に戻った。
「血反吐まき散らしてぶっ倒れていた時は肝が冷えた……」
「迷惑をかけた……すまん……」
「はぁ……今回は命があったから、これで良しとする」
スピカは胸を撫で下ろしていた。
「魔力を吸い尽くした、流石にもう大丈夫だろう」
アンラはそういうと枝を体に戻し、窓から屋根に上って行った。
「あのアルラウネ……普通なら魔力を常に吸われるクソ武器だが、お前にとっては生命維持装置だな」
「中々優秀な奴だよ」
「ああ、文字を読む魔獣なんていうのを見るのは初めてだ。今は錬金術に興味があるらしい」
「錬金術……?」
アジサイは首を捻る。
「魔力を用いて、物質を創生、変換、加工する魔術だ。馬鹿みたいに魔力を使うからよっぽどの道楽か宝石技師くらいにしか使われない狭い分野さ」
「へぇ……アンラはただでさえ、魔力生成能力が弱いって言ってるのに魔力を大量に使う魔術に興味があるんだな」
暢気にアジサイはスピカに言葉を返す。
「お前、バカだろ」
「なんだよ急に」
「主が魔力過多で死にそうになってるいから、ガス抜きにちょうどいいハイエネルギー魔術をわざわざ勉強しているんだぞ」
「……マジか」
「お前、鈍いな」
「返す言葉もございません……」
アジサイはスピカに深々と頭を下げた。
「もういい、頭を上げろ」
頭を上げると、ようやくアジサイは違和感に気づくことができた。その正体と言うのはスピカが上着を羽織っているということである。
「スピカ」
「どうした?」
「怪我した?」
単刀直入にアジサイは聞いた。
「お前には関係ない」
怪訝な表情でスピカは一蹴する。羽織っている上着の襟を胸元に寄せる。
「……スピカ」
アジサイは別途から降りると、スピカの上着を強引に剥ぎ取る。元々羽織っているだけであったためするりとアジサイの手元に上着が寄せられた。
「おい、何すんだよ」
スピカは立ち上がってアジサイから上着を奪い返そうとするがアジサイにいなされてベッドにうつ伏せで無力化される。
スピカの背中には裂傷があり、既に回復魔術と縫合が施されている。
「背中のこれは?」
「…………」
「スピカ……これって」
スピカは何も言わなかった。
「……なんだよ、他人の命よりも自分の命を大切にしろって言ったばかりだから言ってることとやってることが矛盾しているって言いたいのか」
スピカは白状した。
アジサイは奥歯をぎりぎりと噛み締めて、しばらく何も言えなかった。
「ごめん……ごめん……」
アジサイは心底後悔した。
あの時、多少の怪我は覚悟した上で近接戦を挑めば良かった。
あの時、悪装ではなく起装を使っていたら意識を失うことはなかっただろう。
あの時、時計回りに移動しながら弓矢を使って翻弄するように戦っていればこんなことにはなかっただろう。
あの時、アジサイが判断を間違えなければ、スピカの背中に傷跡は残らなかっただろう――
全て、判断を誤った自分の責任である――
スピカは体を仰向けにして靴を脱ぎ捨ててベッドの上に寝そべった。
左手でベッドを軽く叩いてアジサイを左側に寝かせた。
「そんな半泣きで言われても張り合いがねえよ」
「ごめん……」
「はぁ……傷は治っている。冒険者なら誰だって怪我のひとつやふたつする。命落とすことだって別に不思議じゃない」
スピカはアジサイをなだめる様に言う。
「次は上手くやってくれよ」
スピカはそう、静かに呟いた。
「次は上手くやってみる」
「まぁ、しばらくは私の生傷は増えそうだがな」
スピカはアジサイの方に体を向けるとアジサイの脇腹を指でつつく。
「迷惑かけます」
「新人育成ってのはそんなもんだ」
「どうして自分は選んだの?」
「最初は査定の仕事、それからはそうだな、身のこなしは素人だが対人戦に対するノウハウがあった。それから……ああ、これが一番重要なことか」
「なになに?」
「演武を集めているという話をしたとき、お前はただ純粋に私が演武を集めることを良しとして肯定した。この魔術が英華を極めている時代に己の肉体を扱う古臭い時代遅れの技を修得することを笑わなかった。それどころか協力的なところもあった。そこが一番だな、なんていうか理解者がいるんだなって、今までそんな奴等はいなかったわけじゃないが、お前は私が演武の説明をする前から良しとした」
「そっか……」
「逆に聞きたいんだが、私のような粗暴で口が悪く短気な女を選んだお前の理由は?」
「あー、秘密ってのは?」
「勿体ぶるなよ?」
スピカは右手をするりとアジサイの股座に滑り込ませる。
「スピカさん、それだけは勘弁願えませんか?」
「ボール遊びは好きだぜ? 潰すのは」
「話しますから手を放していただけませんか」
スピカはアジサイの急所から手を引くと耳を澄ませた。
「単純に、美人だったから、スタイルもいい、体は引き締まっているし、胸も大きいし、肌も白くて透き通るようだし、まぁ、夜戦が過激だったのは誤算だったけど」
「……お前、嘘を付くならもうちょっとマシな嘘を付けよ」
「いや、これはホント、嘘じゃないよ」
「一番でもない、だろ?」
「御名答!」
「一番を聞かせろよ!」
「……自分を褒めてくれた」
「えっ……?」
「貴様、そんな理由だったのか」
「嘘は、ついてないようだが……変わっているな、てっきり私いる方が効率的に稼げるとかそういうもんだと思っていたんだが」
「お金は、まぁ、割と持っているようだし」
「へぇ、じゃあ今、全財産でいくらだよ」
アジサイはスピカの耳元で金額を囁く。
「はぁ!? なんでそんな……そういやお前懐刀の補佐だったな」
「賞与入ったらもっと増えるぜ」
「そん時は酒と飯だな」
「いや、スピカには服を着てもらう、めっちゃお高いドレスを着てもらう。黒色の大人の色気があるやつとか」
「勘弁してくれ、そんなの一着も持っていたくない」
「いや、まぁ、そうだけど、もう一つ理由が合ってね、一番はスピカのドレス姿を自分が見たいと言うのもあるけど、王城の会食とかに付いて来て貰うことも今後あるからフォーマルな恰好とテーブルマナーを……ね?」
「私が行くのかよ! なんで!」
「色々あるんだ、一応招集は勅命でもあるから断るのはきつい」
「はぁ、全く……」
スピカアジサイにくっつきながらため息を付いた、それから仰向けになり、複雑な表情をした。
そんなスピカを見ているとアジサイはつい手を伸ばしてしまった。
「おい、どこ触ってんだ」
「いやうん、ここからだと絶景がね、あったもんだから」
「いい度胸だな……」
スピカは起き上がるとアジサイの上に馬乗りになり上着を脱ぎ捨てる。
「え、いや、今絶対そんな雰囲気じゃないよね、きゃっきゃうふふって感じだよね、なんで発情期のトラ見たいな目をしてるの」
「仕掛けたのはそっちだろ?」
「そうだけど、もうちょっとロマンス的なものが欲しかった」
「キスでもして欲しいか? キスはしない主義なんでな」
「そういや、唇合わせたキスはしたことないな」
「まぁ、乙女には秘密があるものだからな」
どちらかっていうと戦乙女だよね、とアジサイはうっかり口を滑らせそうになる。
「恋人とか夫と決めた人以外に唇は渡さないとか?」
冗談交じりにスピカに言うと、当の彼女は顔を真っ赤にしている。酔っぱらっている時でさえここまで顔は赤くならない。
「……図星だった?」
アジサイは茶化す様に言うとスピカは体をぷるぷると震わせている。
「何だよそうだよ悪いかよ!」
「……かわいいところもあるもんだなぁ」
「うるせえ! じゃあ、あれだ、お前、責任取って私を娶れよ。国の役職で高給取りなんだろ、私だって玉の輿に夢見たことぐらいありますよ? 叶えてくれるんだろ? なあなあなあなあ!!」
半ば暴走気味にアジサイにの胸倉を掴みぶんぶんと振り回す。アジサイの頭はヘッドバッドするように上下に揺れている。
「結婚ちょっと……まだ知り合って二か月っすよ」
「十分だろうがぁ!」
ここにきてアジサイはカルチャーショックを受けることになるとは予想しなかった。イシュバルデ王国の恋愛観は地球史で言うところの中世レベルである、端的に語弊のある言い方をすれば見ず知らずの男女が結婚する時代のそれである。
当然、恋愛結婚への価値観はアジサイの価値観と大きくズレがあってもおかしくない。
「結婚は……ちょっと……その――」
「やっぱり、御淑やかで慎ましい、女性がいいんだろ。 私が気に入った男がみんなそうだ、やるだけやってあとはポイッだ。ふざけやがって、お前のチンポなます切りにして今日の晩飯にしてやろうかぁ!」
馬乗りになってスピカは柳葉刀をどこからともなく抜き、アジサイに振りかぶる。
「その、恋人からってのはどうですか!」
「ぶっ殺す!」
アジサイは諦観に至り、下半身と今までの長い付き合いを追悼するべく瞳を閉じた。
「恋人?」
スピカは我に返り、アジサイに尋ねる。
「そう、恋人」
「じゃあ、お前、今から私の唇にキスしろ」
「ちょっとまってもうちょっとロマンスのあるキスをだな」
「貴様、甲斐性があるならさっさとせぬか」
「そうだ、さっさとキス……えっ?」
アジサイとスピカは窓に視界を向ける。アンラが窓辺から顔を見せて二人をじっと眺めていた。
「……いつから……いたんだ……?」
「そうだな、大体、「自分を褒めてくれた……」辺りからずっとおったぞ、ついでに言うと声もだしておる“貴様、そんな理由だったのか”とな」
スピカはどこからともなく火酒の瓶を取り出すとそれを一気に全て飲み干した。
アジサイは深呼吸をしながらそんなことを思い出していた。
鬼ごっこにしては、随分と鬼役の数が多い。アジサイの両目で捉えているだけでも十人はいる。
アジサイは論装の能力で視界に赤外線ウィンドウを展開しながら敵陣に向かって駆け進む。律装によって全身の筋力が強化されたアジサイはものの数秒で敵の先陣にまで接近する。
アジサイは盾を構えて防御陣形をとっている盗賊を盾ごと蹴り飛ばし、陣形をぶち抜くとさらに奥へと走る。
アジトは要塞のような造りで森の中に溶け込むように作られていた。太い丸太を何十本と重ねて四角く囲い、扉が一つだけ付いている形状になっている。
内部は簡素なもので、宿舎と略奪品を収納する小屋とそしてそれらよりも大きな人間を閉じ込め、監禁する建物の三つ建物が目に映った。
『どこの建物だ?』
『違う貴様、囲いの四つ角それぞれに付いている』
「なっ――」
アジサイの経験の浅さによるミスが引き起こされた。
このままアジサイが建物に入り込むと盗賊に囲まれる可能性どころか救助を行っているスピカに迷惑がかかる、だからと言って、敵陣にとんぼ返りしても盗賊に怪しまれる。
範囲制御できない魔術を行使すれば、捕まっている人間にも被害を出してしまう可能性がある。
M500や弓矢を用いたところで、この十メートルも離れていないこの距離では数に押されてしまう。
アジサイは胸ポケットから十円玉程度の桜色の珠とどす黒い半分にかけてしまっている悪装『津罪』を取り出す。
先日の負荷から察するに魔力のガス抜きをしていないアジサイにとって、取り出した装具を行使するのはリスクが高い。
だが、アジサイが躊躇すればするほど、捕まっている人に危険が及ぶ。
アジサイは半分に割れた黒い珠、悪装を展開する。
襤褸切れのような黒衣を身に纏うと、アジサイの足元から黒い泥のようなものが溢れ出す。
磁性流体のように自在に形を変える黒い物体をアジサイは盗賊たちに嗾ける。地面を這うように伸びた物体は盗賊の腹部に突き刺さり、食い荒らす様に体内で暴れ内臓を完全に破壊する。
アジサイは膝を付いて、装具の操作へ意識を集中する。
一分足らずで見えている盗賊たちを全滅させる。盗賊たちは何が起こったのか分からないままその場に倒れた。
装具を解除し、律装と論装を再展開する。M500のシリンダーを覗き、弾の確認をすると盗賊の残党がいないかチェックするために宿舎に向かうべく立ち上がる。
ぐらりと視界が歪んだ。アジサイは再び倒れるように地面に手を突くと、嗚咽を漏らしながら口から赤黒い液体を吐き出す。
自身の神性に肉体が侵食されていく。アジサイはこの症状を回復魔術で騙し騙し何とか乗り越えてきたが今回の悪装行使でアジサイの肉体は限界を振り抜いていた。
回復魔術を行使しようとするが、視界の歪み方がいつもの比ではないため、魔力が操作できず、血を吐くだけである。
いつまでも地面に蹲っているだけでは盗賊にとって格好の的である。
すぐに身を隠さなければならない。
アジサイはM500をぶら下げるように左手で持ちながら、何とか体を起こし、出口へと歩みを進める。
『貴様、盗賊が向かってきている!』
『数は?』
『三人だ』
『わかった』
『気張れよ、貴様』
アジサイは振り返るとM500を左手で構え右手をグリップに添える。撃鉄を起こし、盗賊に銃口を向ける。
アジサイは深呼吸をして迫りくる盗賊をぎりぎりまで引きつける。今のバイタルで射撃を行ったところでアジサイの技術では五メートル先を当てるのも難しいだろう。
盗賊の持つ鉈のような剣の刃がアジサイの顔を映すほどの距離まで近づいたところで、引き金を押し込む。
撃鉄が弾薬を叩くと同時に薬室内のガーネットが爆発し、弾丸が放たれる。
一人の胴体に風穴を開けると、アジサイにより近い盗賊に銃口を向ける。
一人目の男よりも距離は離れているが、銃声によって体を強張らせている相手を撃つのはさほど難しくなかった。
アジサイは前に三人目の方へ近づきながら、腹部に弾丸をねじ込む。
これで盗賊の処理を完了させ、アジサイは事切れたように地面に頭から倒れ込んだ。
夢を見る。
幼少の頃に見た景色だ。
どこにでもある田舎の風景。アスファルトから陽炎が立ち上がり夏の暑さを誇張させるが、川が近くにあるため風は涼しくどちらかと言えば過ごしやすい気候である。
懐かしさを覚えながらアジサイは道路を歩く。何十年も歩いた道、どこに何があるかは手に取る様に把握している。
アジサイは川沿いの道路から細い、大人が二人並んで歩けるくらいの脇道へと進路をずらす。きつめの勾配になっている道を登り切ると、小高い丘の頂上に出る。あたりを見回すと故郷を見下ろせた。
さらに道を進むと、アジサイはポツンとある墓を見つけ、墓標へ歩み寄る。
「へぇ、懐かしいや」
小言を吐きながら、墓標の裏手に回る。
そこにあったものをアジサイは確認すると安堵するように短いため息を吐き捨て、乾いた笑いを浮かべた。
「どうして、笑っている」
凛とした声で、アジサイに声をかける者がいた。
「滑稽だなと」
アジサイはそう言いながら裏手から戻り、声の主と顔を合わせる。
「相変わらずひねくれているな」
つり目が特徴的な彼女は、いつも生真面目で真っ直ぐである。とアジサイは常々評価している。
「相変わらず眉間に皺が寄っている」
つり目の女に対してアジサイはそういうと、女は呆れたように項垂れた。
「それの眉間はいつものことさ」
アジサイの後ろから眼鏡をかけた女がヒンヤリとした雰囲気で淡々と抑揚のない声でアジサイに言う。
「あら、お前もいたのか」
眼鏡の女は、目を伏せながら頷いた。
それから三者は無言のまま、ただお互いの顔を眺めている。
「なぁ、アジサイ」
つり目の女は曇った表情でアジサイに問う。
「どした?」
「痛くなかったのか?」
アジサイは三秒ほど間を空けてから静かに返答する。
「痛いよ」
「辛くないの?」
眼鏡の女が追及する。
「辛いよ」
「だろうな」
「そうだね」
眼鏡の女とつり目の女はすぐに返答した。
アジサイの視界が一瞬だけ歪んだ。
「そろそろか」
つり目の女はアジサイに問う。
「みたいだな、また会えたら、そん時もよろしくな、いつもありがとうな」
女二人は無言のまま頷いた。
「私のチョイスはセンスがいいだろう」
つり目の女はしたり顔で言う。
「律装は汎用的で、すごく使いやすいよ」
アジサイは身に着けているグローブを見ながら言う。
「あと、こっちもね」
続け様にアジサイは目の中にあるコンタクトを指差しながら眼鏡の女に言う。
「当然だ、科学の歴史は計測の歴史故だ」
「助かってるよ、そういや、根暗の女は?」
半分に欠けた黒い宝珠を取り出しながらアジサイは問いかけた。
「あいつは、まだ来ないよ、それより先にたれ目の女と夏の女を見つける方が良い」
眼鏡の女は淡々と返すと、アジサイは頷いた。
「わかった、んじゃあ、行ってくるよ」
二人の女らは手を振ってアジサイを見送った。
アスファルトが陽炎で景色を歪める暑い夏と墓石の裏手にある物を見送りながらアジサイは望郷の胸に潜めた。
目を覚ますと、自分がいつも使っている宿の天井があった。
「おう、ようやくお目覚めか」
青筋を立てたスピカが歪んだ笑顔でアジサイを見つめていた。
「貴様、今回は随分だったな」
アジサイの手足に枝を巻き付けて魔力を吸い取るアンラもアジサイに声をかけた。
「はい、おはようございます」
ベッドをガンガンと蹴り上げてスピカが辛辣な表情でアジサイを見下ろす。
身体を起こすと、まだ倦怠感が残っており、疲れがたまっていた。
「捕まった人は?」
「全員無事だ。盗賊もお前が全て片付けていたからな容易だった」
「そりゃ、よかった……」
「んで、お前、禁止していた装具を使ったな?」
「はい、使いました」
「人助ける前に自分がぶっ倒れてどうする!!」
スピカの言うことは正しく、アジサイは耳が痛いばかりだった。
「……返す言葉もございません」
「まずは自分の命を大事にしろ、他人の命は二の次だ! いいな?」
「はい……」
スピカは大声でアジサイを叱ると、ため息を付いてから静かな表情に戻った。
「血反吐まき散らしてぶっ倒れていた時は肝が冷えた……」
「迷惑をかけた……すまん……」
「はぁ……今回は命があったから、これで良しとする」
スピカは胸を撫で下ろしていた。
「魔力を吸い尽くした、流石にもう大丈夫だろう」
アンラはそういうと枝を体に戻し、窓から屋根に上って行った。
「あのアルラウネ……普通なら魔力を常に吸われるクソ武器だが、お前にとっては生命維持装置だな」
「中々優秀な奴だよ」
「ああ、文字を読む魔獣なんていうのを見るのは初めてだ。今は錬金術に興味があるらしい」
「錬金術……?」
アジサイは首を捻る。
「魔力を用いて、物質を創生、変換、加工する魔術だ。馬鹿みたいに魔力を使うからよっぽどの道楽か宝石技師くらいにしか使われない狭い分野さ」
「へぇ……アンラはただでさえ、魔力生成能力が弱いって言ってるのに魔力を大量に使う魔術に興味があるんだな」
暢気にアジサイはスピカに言葉を返す。
「お前、バカだろ」
「なんだよ急に」
「主が魔力過多で死にそうになってるいから、ガス抜きにちょうどいいハイエネルギー魔術をわざわざ勉強しているんだぞ」
「……マジか」
「お前、鈍いな」
「返す言葉もございません……」
アジサイはスピカに深々と頭を下げた。
「もういい、頭を上げろ」
頭を上げると、ようやくアジサイは違和感に気づくことができた。その正体と言うのはスピカが上着を羽織っているということである。
「スピカ」
「どうした?」
「怪我した?」
単刀直入にアジサイは聞いた。
「お前には関係ない」
怪訝な表情でスピカは一蹴する。羽織っている上着の襟を胸元に寄せる。
「……スピカ」
アジサイは別途から降りると、スピカの上着を強引に剥ぎ取る。元々羽織っているだけであったためするりとアジサイの手元に上着が寄せられた。
「おい、何すんだよ」
スピカは立ち上がってアジサイから上着を奪い返そうとするがアジサイにいなされてベッドにうつ伏せで無力化される。
スピカの背中には裂傷があり、既に回復魔術と縫合が施されている。
「背中のこれは?」
「…………」
「スピカ……これって」
スピカは何も言わなかった。
「……なんだよ、他人の命よりも自分の命を大切にしろって言ったばかりだから言ってることとやってることが矛盾しているって言いたいのか」
スピカは白状した。
アジサイは奥歯をぎりぎりと噛み締めて、しばらく何も言えなかった。
「ごめん……ごめん……」
アジサイは心底後悔した。
あの時、多少の怪我は覚悟した上で近接戦を挑めば良かった。
あの時、悪装ではなく起装を使っていたら意識を失うことはなかっただろう。
あの時、時計回りに移動しながら弓矢を使って翻弄するように戦っていればこんなことにはなかっただろう。
あの時、アジサイが判断を間違えなければ、スピカの背中に傷跡は残らなかっただろう――
全て、判断を誤った自分の責任である――
スピカは体を仰向けにして靴を脱ぎ捨ててベッドの上に寝そべった。
左手でベッドを軽く叩いてアジサイを左側に寝かせた。
「そんな半泣きで言われても張り合いがねえよ」
「ごめん……」
「はぁ……傷は治っている。冒険者なら誰だって怪我のひとつやふたつする。命落とすことだって別に不思議じゃない」
スピカはアジサイをなだめる様に言う。
「次は上手くやってくれよ」
スピカはそう、静かに呟いた。
「次は上手くやってみる」
「まぁ、しばらくは私の生傷は増えそうだがな」
スピカはアジサイの方に体を向けるとアジサイの脇腹を指でつつく。
「迷惑かけます」
「新人育成ってのはそんなもんだ」
「どうして自分は選んだの?」
「最初は査定の仕事、それからはそうだな、身のこなしは素人だが対人戦に対するノウハウがあった。それから……ああ、これが一番重要なことか」
「なになに?」
「演武を集めているという話をしたとき、お前はただ純粋に私が演武を集めることを良しとして肯定した。この魔術が英華を極めている時代に己の肉体を扱う古臭い時代遅れの技を修得することを笑わなかった。それどころか協力的なところもあった。そこが一番だな、なんていうか理解者がいるんだなって、今までそんな奴等はいなかったわけじゃないが、お前は私が演武の説明をする前から良しとした」
「そっか……」
「逆に聞きたいんだが、私のような粗暴で口が悪く短気な女を選んだお前の理由は?」
「あー、秘密ってのは?」
「勿体ぶるなよ?」
スピカは右手をするりとアジサイの股座に滑り込ませる。
「スピカさん、それだけは勘弁願えませんか?」
「ボール遊びは好きだぜ? 潰すのは」
「話しますから手を放していただけませんか」
スピカはアジサイの急所から手を引くと耳を澄ませた。
「単純に、美人だったから、スタイルもいい、体は引き締まっているし、胸も大きいし、肌も白くて透き通るようだし、まぁ、夜戦が過激だったのは誤算だったけど」
「……お前、嘘を付くならもうちょっとマシな嘘を付けよ」
「いや、これはホント、嘘じゃないよ」
「一番でもない、だろ?」
「御名答!」
「一番を聞かせろよ!」
「……自分を褒めてくれた」
「えっ……?」
「貴様、そんな理由だったのか」
「嘘は、ついてないようだが……変わっているな、てっきり私いる方が効率的に稼げるとかそういうもんだと思っていたんだが」
「お金は、まぁ、割と持っているようだし」
「へぇ、じゃあ今、全財産でいくらだよ」
アジサイはスピカの耳元で金額を囁く。
「はぁ!? なんでそんな……そういやお前懐刀の補佐だったな」
「賞与入ったらもっと増えるぜ」
「そん時は酒と飯だな」
「いや、スピカには服を着てもらう、めっちゃお高いドレスを着てもらう。黒色の大人の色気があるやつとか」
「勘弁してくれ、そんなの一着も持っていたくない」
「いや、まぁ、そうだけど、もう一つ理由が合ってね、一番はスピカのドレス姿を自分が見たいと言うのもあるけど、王城の会食とかに付いて来て貰うことも今後あるからフォーマルな恰好とテーブルマナーを……ね?」
「私が行くのかよ! なんで!」
「色々あるんだ、一応招集は勅命でもあるから断るのはきつい」
「はぁ、全く……」
スピカアジサイにくっつきながらため息を付いた、それから仰向けになり、複雑な表情をした。
そんなスピカを見ているとアジサイはつい手を伸ばしてしまった。
「おい、どこ触ってんだ」
「いやうん、ここからだと絶景がね、あったもんだから」
「いい度胸だな……」
スピカは起き上がるとアジサイの上に馬乗りになり上着を脱ぎ捨てる。
「え、いや、今絶対そんな雰囲気じゃないよね、きゃっきゃうふふって感じだよね、なんで発情期のトラ見たいな目をしてるの」
「仕掛けたのはそっちだろ?」
「そうだけど、もうちょっとロマンス的なものが欲しかった」
「キスでもして欲しいか? キスはしない主義なんでな」
「そういや、唇合わせたキスはしたことないな」
「まぁ、乙女には秘密があるものだからな」
どちらかっていうと戦乙女だよね、とアジサイはうっかり口を滑らせそうになる。
「恋人とか夫と決めた人以外に唇は渡さないとか?」
冗談交じりにスピカに言うと、当の彼女は顔を真っ赤にしている。酔っぱらっている時でさえここまで顔は赤くならない。
「……図星だった?」
アジサイは茶化す様に言うとスピカは体をぷるぷると震わせている。
「何だよそうだよ悪いかよ!」
「……かわいいところもあるもんだなぁ」
「うるせえ! じゃあ、あれだ、お前、責任取って私を娶れよ。国の役職で高給取りなんだろ、私だって玉の輿に夢見たことぐらいありますよ? 叶えてくれるんだろ? なあなあなあなあ!!」
半ば暴走気味にアジサイにの胸倉を掴みぶんぶんと振り回す。アジサイの頭はヘッドバッドするように上下に揺れている。
「結婚ちょっと……まだ知り合って二か月っすよ」
「十分だろうがぁ!」
ここにきてアジサイはカルチャーショックを受けることになるとは予想しなかった。イシュバルデ王国の恋愛観は地球史で言うところの中世レベルである、端的に語弊のある言い方をすれば見ず知らずの男女が結婚する時代のそれである。
当然、恋愛結婚への価値観はアジサイの価値観と大きくズレがあってもおかしくない。
「結婚は……ちょっと……その――」
「やっぱり、御淑やかで慎ましい、女性がいいんだろ。 私が気に入った男がみんなそうだ、やるだけやってあとはポイッだ。ふざけやがって、お前のチンポなます切りにして今日の晩飯にしてやろうかぁ!」
馬乗りになってスピカは柳葉刀をどこからともなく抜き、アジサイに振りかぶる。
「その、恋人からってのはどうですか!」
「ぶっ殺す!」
アジサイは諦観に至り、下半身と今までの長い付き合いを追悼するべく瞳を閉じた。
「恋人?」
スピカは我に返り、アジサイに尋ねる。
「そう、恋人」
「じゃあ、お前、今から私の唇にキスしろ」
「ちょっとまってもうちょっとロマンスのあるキスをだな」
「貴様、甲斐性があるならさっさとせぬか」
「そうだ、さっさとキス……えっ?」
アジサイとスピカは窓に視界を向ける。アンラが窓辺から顔を見せて二人をじっと眺めていた。
「……いつから……いたんだ……?」
「そうだな、大体、「自分を褒めてくれた……」辺りからずっとおったぞ、ついでに言うと声もだしておる“貴様、そんな理由だったのか”とな」
スピカはどこからともなく火酒の瓶を取り出すとそれを一気に全て飲み干した。
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