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竜ノ25話「飛翼のバロック」

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 攻撃が届かない。

 相手は天空を自在に翔る竜なのだから当然だ。火球を吐き出し、辺り一帯の氷が瞬く間に蒸発する光景を見たジークは唖然とした。 
 絶望が、理不尽が、暴力が、死神となってジークの背に纏わりつく。
 
 冷たい空気が背筋を凍らせた。もはやただの悪寒なのかニンギルレストの隙間風なのかジークには判別が出来なかった。
 
 赤い甲殻に覆われたバロックは悠遊と空を飛行する。
 
 ジークを見据えているのは、その鋭い眼光が物語っている。
 次の火球はおそらく直撃する。ジークは確信した。
 
 逃げるか――
 
 臆病風がジークの白い息を吹き消した。
 
 否――
 
 臆病風にそう返す。
 
 誰と話しているわけでもない、下らない自問自答をジークは繰り返した。
 そうしていくうちに、先ほどまでの火球への恐怖が徐々に薄れ、立ち向かう勇気が息を吹き返し始める。

 ニンギルレストの風はまだ向かい風だった。
 
 ジークは息を整え、ルネサンスから貰い受けた竜眼を発動させる。
 バロックが口から黒煙を登らせ始める。
 
 
 ジークは大太刀を地面に突き刺し、余裕の表情を見せる。
 

 両手を広げて顎を突き出した。見下す様にバロックを見上げて悪辣な笑みを浮かべた。
 
 
 それがバロックの激昂に火をつけた――
 
 
 十分な準備もせずにバロックは火球をジークに放つ。
 ジークは、右手を突き上げるように大太刀を握り、切り上げる。
 
 火球はジークに届く前に消滅する。
 
 バロックからすれば、それは目を丸くする光景だった。何せ、斬撃の衝撃波で火球が消滅したように見えたからだ。
 実際は、大太刀を地面に突き刺し地面ごと切り上げることで、氷の礫を火球にぶつけて相殺した。
 
 狼狽したバロックの数秒しかない隙を突きジークは腰に太ももに下げていたアイスアックスを抜いた。
 
 このアイスアックスはアジサイが製作した物で、ただのアイスアックスではない。
 
 最低限ジークが全力で振り回しても壊れない、頑強のエンチャント
 ジークがうっかり落とさないように魔力で作られたロープが装着されている。

 この二種類がアジサイの意匠を凝らした部分である。
 特筆して魔力で作られたロープは特殊なもので、普段はただの魔力だが、ジークが手にすると具現化しジークの手首に巻き付くようになっている。これによりジークは二本のアイスアックスを無くすことはない。しかもこのロープ、十メートルほど自在に長さを変えることが出来き、鋼のワイヤーのように頑丈である。
 むしろ、ここまでしないとジークの腕力でロープが千切れてしまうのである。
 そんな代物をジークは氷塊に微塵の躊躇もなく投げつける。
 当然アイスアックスは氷の塊に突き刺さる。大太刀を地面に突き刺し、ロープを両手で掴むと、ハンマー投げの要領で、ジークは体を回転させ、遠心力によってアイスアックスが外れるギリギリのところで、氷塊を空に向けて射出する。
 二〇〇キロほどある氷の塊はバロックに向かって一直線で飛ぶ。

 バロックの右翼に氷塊がぶつかり、バランスを崩したバロックが氷の大地に激突する。ジークは大太刀を引き抜き、落下位置まで距離を縮める。

 落下の最中、バロックは火炎放射のような炎を吐き出す。ジークにとってその攻撃は即座に回復するものであり、足を緩めることはない。


 刃を目の高さに据えバロックの喉元を狙う。


 残り三メートルの距離を一歩で縮めるために右爪先に力を込めた瞬間、ジークは胴体から崩れるように前に倒れた。
 慌てて左膝を地面にあてがいバランスを保とうとするが、勢いを殺し切れず、地面に落下したバロックと片膝立ちで相対することになる。

 ジークは焦燥と狼狽からバロックから距離を取ろうと、バックステップをするが、派手に尻もちをついてしまった。

 先ほどバロックは空中を落下しながら火炎が吐いたことで、氷の地面が溶け、滑りやすくなっていたのだ。
 バロックの口から黒煙が上がる。この距離でしかもバランスを崩しているジークではバロックの攻撃を回避することができない。

 ジークは右手で大太刀をくるりと回転させ、逆手持ちにし、左手を前に出して人差し指と中指で照準を定める。

 今出来る最善をジークは尽くす。

 射出した大太刀は真っ直ぐな軌道を描き、バロックの巨大な頬を突き刺した。面食らったバロックは火炎を吐くことが出来ずにいた。
 ジークはアイスアックスを二本引き抜き両手に持つ。エンチャントが起動しジークの両手首に魔力のロープが絡みつく。
 ジークは体勢を立て直すと右手のアイスアックスのロープを掴み鎖鎌の要領で回転させる。
 
 そしてアイスアックスが勢い付いたところでバロックの首目がけて叩きつけるように投擲する。
 
 アイスアックスはバロックの首を二、三周巻き付いた後、かえりのついたブレードが首に突き刺さる。
 バロックはなんとか振りほどこうと首を左右に振り回して暴れる。それをジークは強引にロープを手繰り寄せてバロックの頭に左手のアイスアックスを振り下ろす。
 頭にアイスアックが突き刺さるが決定打にはならない。左手をアイスアックスから離し、バロックの頬に刺さっている大太刀に手を掛け、頬肉を切り裂きながら抜き取る。
 左手の大太刀を振り上げバロックの首を切断する。
 
 
 バロックはジークの意識が大太刀に集中した瞬間、ほんのわずかに大太刀に視線を送ったその一瞬を見逃さず、反撃に移った。
 
 熱気がジークの肌を焼いた。
 
 焦げそうなほどの刺さるような熱気がジークを襲い掛かった。
 
 バロックは左翼を振り上げると、それをそのまま地面に叩きつけた。
 
 ジークは左手に持った大太刀で翼の軌道を逸らし対応する。
 
 左翼が振り下ろされる。ジークは呼吸を合わせて受け流しを行った。
 不思議と左翼の一撃は軽く、刃に触れる感覚はなかった。
 
 直後に、ジークの左腕はだらりと垂れ下がる。
 
 ジークは状況がいまいち掴むことが出来ず、恐る恐る左腕を見る。
 
 足元には大太刀の切っ先から中ほどまでの刃が地面に刺さっており、左肩から第三肋骨までバロックの左翼で寸断されていた。
 左翼を引き抜くとジークの体表面に暖かい液体が溢れ出した。
 ようやく状況を理解したジークは失血なのか絶望なのか判断できないが、血の気が引くというのがピタリと当てはまった。
 
 右手で、刺さっている二本のアイスアックスを即座に引き抜き、バックステップで距離を取る。
 呼吸する度に鮮血が噴出し。切断された鎖骨が擦れる音が鼓膜に張り付いた。
 氷塊の影に隠れ、上着を脱ぐ、痛みに耐えながら傷の状態を確認する。
 傷の深さから鎖骨、第一肋骨、第二肋骨まで寸断されている。太い血管も見事に斬られているため出血が止まらなかった。

 ジークの回復力を持っても骨が繋がるまでに十分以上はかかるだろう。

 次に大太刀を見るが、今まで使っていた三尺ほどの刃が半分ほどのサイズに切断されていた。しかもその断面は角が立つほどに見事に切れていた。
バロックの本当の武器は口から吐き出される炎でも火球でもない。

 本当の武器は、刀すら切断する翼である。

 ジークは、迂闊な自分を嗤いながら右腕で真っ二つになった鎖骨を押さえつけ、自身の持つ回復力で無理やり骨を接合する。と言っても仮止め程度でしかなく軽く左腕を振り上げればすぐに外れる程度である。胸骨二本も同様に仮止めを行う。

 一分も経たないうちにジークの背中を突き刺すような殺気が向けられる。

 ジークはアイスアックを取り出し右隣の氷塊にアイスアックスを投擲しロープを縮め、体を滑らせた。

 先ほどまでいた氷塊から滑り出した直後にバロックの翼が氷塊をまるでトマトを輪切りにするように氷塊をスライスしてく。
 ジークは目の端でバロックを捕らえると、先ほどまでのバロックとは様子が違うことがわかった。
 バロックの翼は紅蓮の炎が燃え上がり、口からは常時黒煙を登らせている。目は黄色く輝いており、外殻は溶けた鋼のように赤熱し、光を放っている。翼を軽く羽ばたかせるだけで周囲の氷が解けブクブクと湯が沸き始める。
 幸いなことにバロックはジークを見失っており、数分の間は近くにある氷塊を翼で切り裂きジークを探した。
 ジークは息を潜め、体の回復を待った。

 呼吸を少なくし、指も動かさず静かに時を待った。この状態でバロックが運よくジークのいる氷塊を探し出せた場合、ジークは奇跡でも起きない限り助からないだろう。

 氷が切り裂かれる音が徐々に近づいてくる。周りを見渡してもジークが隠れそうな氷塊はあと二つしかない、そのうちの一つにジークは隠れている。

 切断された骨が接合するのにおおよそあと一分、バロックは移動に二十秒、攻撃に十秒、確認に三十秒ほどの時間をかける。

 バロックの足音がジークのいる氷塊と、もう一つの氷塊の間で止まった。

 左右に首を振り、どちらから攻撃を仕掛けるかバロックは吟味している。ジークにとっては肝が冷える時間の始まりであった。ジークはしゃがんだ姿勢になり、氷塊の影からバロックの様子を眺めた。
 二つの氷塊を交互に眺め、入念に吟味を重ねたバロックは、両翼を広げ折りたたまれていた翼の関節を真っ直ぐ伸ばした。
 それから翼膜から突き出した骨からジェットエンジンのように炎を噴出させてさらに翼の炎を大きくし、バロックは体を捻り始めた。


 バロックが選んだ選択は、二つの氷塊を同時に切り裂くと言う選択肢だった――


 ジークは天命に祈りを捧げ、万事休すと瞳を閉じた。


 ジークは、目を開けると、白い霧に包まれていた。
 目の前には、気怠そうにしている見覚えのある竜がいた。巨大な体に、玄武岩のようなごつごつとした分厚い外骨格に覆われ、ジークの大太刀ではどこにも刃が通りそうにないほど頑丈そうな甲殻を持った竜がそこにいた。

 アマルナ――

 大きな欠伸をしながらアマルナはジークの方へ顔を寄せた。岩肌のような顔の奥にある瞳が意思を伝えた。
 それから何を言うこともなったが、何を伝えたいのかジークには分かった。
 ジークは頷き、瞬きをすると現実に戻っていた。

 ジークは横薙ぎされた翼を、ルネサンスがから貰い受けた竜眼をもう一度発動させる。

 だが、それでは足りない、既にバロックの翼はジークを捕らえている。避けるにしても目より先にジークの肉体が追いつかないのが現実である。
 ジークは短くなった大太刀を口に咥える、両手を自由にさせた。

 ジークはバロックの翼を掴もうと右手を伸ばす――


 切断された氷塊は翼膜から噴出している炎によって一瞬で蒸発した。


 バロックは、今までにない抵抗を感じていた。


 ジークの腕は黒い外殻に覆われていた。外殻は玄武岩を彷彿させる色味を持つが、これは歴とした竜の外殻である。
 しかも、ジークが扱う外殻は、竜の中でも最硬と言われるアマルナの外殻である。


『竜殼』――

 読んで字のごとく、竜が己の肉体を守る防具である――


 この土壇場でジークは、新たな力を発現させた。

 バロックの日本刀よりも鋭い翼を受け止め、傷ひとつ付いていない外殻をジークは腕に纏わせていた。
 頃合い良く、骨が完全に接合し、血管も修復を終え、ジークの肉体が完全回復する。

 ジークが掴んだバロックの左翼に向かってジークは左手を振り下ろす。
 アマルナの強靭な外殻を纏った拳は重量を増していた。
 バロックが初めて苦痛の声を上げた。左翼の骨はジークによって完全にへし折られている。

 バロックは右翼を羽ばたかせ、暴風と熱波でジークを吹飛ばす。ジークはアイスアックスを取り出しバロックの首筋にアイスアックスを投げ、ブレードを深々と突き刺す。ロープを縮ませて吹飛ばされて空中に放り出された体をバロックの首に張り付かせた。

 そして口に咥えていた大太刀を左手に持ち替えると、首筋に大太刀を突き刺した。

 何度も、何度も首を突き、叩き斬り、バロックの太い血管に届くまで大太刀を振り下ろした。
 繰り返すこと五回、ようやくバロックの首から血液が噴出した。
 
 バロックは暴れまわりジークを振り解こうとするが、ジークは血液が噴水のように噴出している中を再生されないように大太刀で切り付けるが、血と油により大太刀は鈍らに成り下がっていた。
 ジークは大太刀を投げ捨てると、左手を傷の中に手を突っ込む。外殻に覆われているが指先の感覚は鮮明にあるため、ジークは指先で肉をかき分けるように裂き、関節まで指を到達させる。
 間接に爪を立て、更にその奥にある神経をジークは指で捉えると、それを体の外まで引っ張り、白い糸のような神経をジークは引き千切った。
 バロックは事切れたように地面に倒れた。
 ジークは氷の大地と激突すると、倒れた体を起こしバロックの頭のところへ歩んだ。
 
 バロックは死にかけた目で、何とか呼吸しようとするが、胴体と脳を繋ぐ神経を切断しているため、思い通りに体を動かせなくなっていた。
 ジークはアイスアックスを抜き、両手で振りかぶった。
 
 バロックの頭蓋にアイスアックスを突き立て、完全に脳を破壊する。
 
 もう、苦しまなくていいように――
 
 バロックが絶命すると、肉体は光となって泡のように消え、ジークの身体に吸収されていった。
 
 バロックの肉体を吸収していくなかで、ジークの頭の中で映像が再生され始めた。
 
 
 ただ、大空をひたすら飛び回り、空から人間が作った街並みを見下ろした。
 時々低く飛んでは、足に持っていた大型の獣を町の広場に置いていく。広場に居た人々は大空に手を振る。それを嬉しそうな声を上げて、また獣を狩りに行く。
 どこまで自由に飛び、どこまでも自由に翔る。そんな夢のような映像だった。
 
 
 ジークはしばらく唖然とした後、血がべっとりとついた大太刀と、切断された刃を回収するために暴れまわった場所を探し回り、二十分ほどかけてようやく回収した。
 
 それから氷の大地に座り込み、大空を見上げた。
 
 どこまでも青い、澄み渡る大空がどこまでも続いていた。
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