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竜ノ24話「ニンギルレストの雨」
しおりを挟む「これより先がニンギルレスト」
アルスマグナが凍った標識を指さして言う。
「まじかよ、既に鼻水が一瞬で凍っているんだが」
「保温術式で身を包んでいますがここまでの寒さとは……」
一面氷の大地、道も、空気も草木も凍るおよそ人間が生きていけるような状態ではない。
吐く息も凍るこの大地に三体目の竜がいるというだけでジークはゾッとした。
ジークはニンギルレストの地に足を一歩前に出す。
「――さぶッ!」
背筋が凍った。ルネサンスと対峙したあの時のような緊張感と戦慄がジークの神経を逆撫でた。
「待っているようです」
「ああ、いるな……」
「飛翼のバロック、今迎えに行きます」
アルスマグナは明確な意思を持って、ジークの後ろに続いた。
「一気に冷えてきた」
ニンギルレストは大気中に存在する魔素と呼ばれるものが冷気を放つ性質を持つようになる特殊な環境であるため氷が解けることはない。未だに氷の層は積り続け、厚さが数十キロに及ぶ巨大な氷山が形成されている。
だがこのニンギルレスト、今は氷の平地である。
ほんの数か月に、バロックが目を覚まし暴れまわった余波で、氷山が破壊されたらしい。
既にこの情報を掴んだ時点で、ジークはこの戦いが容易ではないことを悟った。
「王城から出て十二日歩いただけでこの寒さ……」
「この地域おかしいだろ、寒すぎだろ」
「ニンギルレストは古来の言い伝えによりスカイジアに繋がる門があるそうです。スカイジアの門を封印するために空神族は強大な魔法で門を堅く閉ざした。という伝承があります」
「詳しいな、どうやって調べた?」
「……えっと」
アルスマグナは困惑した。
アルスマグナがこのような表情をするのは珍しく、ジークも困惑する。
「小さいときに、聞きました……誰でしょうか……誰だったのでしょうか……」
「あー、そういうことあるよなぁ、内容は覚えているけど誰から聞いたのかわからないやつ」
「いえ……とても大切な方に聞いたのです。ですが……どうしてでしょうか……」
「落ち着け、昨日の晩飯は?」
ジークは混乱するアルスマグナをなだめ始める。
「分厚いバターを挟んだパンと甘い紅茶です」
「昨日の昼飯は?」
「分厚いバターを挟んだパンと甘い紅茶です」
「いや……そういや、ずっとそうだったな、かれこれ一週間も同じ食事だもんな……えっと、そうだな今日は何月何日?」
「六月六日ですね」
「俺たちが王城から出立したのはいつだ?」
「五月二十五日です」
「アジサイの髪の色は?」
「白色ですね」
「俺の名前は?」
「ジーク様ですね」
「昨日の昼飯は?」
「分厚いバターを挟んだパンです。いい加減私も肉が食べたいです」
ドラゴンであるアルスマグナは基本的に肉食である。
「落ち着けたか?」
「ええ、落ち着きました。ありがとうございます」
「思い出せないことは無理に思い出すな、そのうち思い出す」
「そうですね」
「さてと、あんまり口開いてると中凍るぞ」
一時間ほど歩いた後、ジークは腰に装備してあるアイスクアックスを取り出す。これもアジサイが拵えたもので一枚の鉄の塊を切り出して作ったとジークは聞いた。氷の壁にアイスアックス突き立て壁を登ることが出来るようになる道具だ。
しかし、バロックに氷山を破壊されているためこの道具が活躍することはない。
ジーク身の丈よりも遥かに大きい氷の塊がゴロゴロと転がっている。進んでいる道をアルスマグナの気配探知で確認しながら進路確認する。
ジークは、体を震わせながら足を前へと進ませた。
豪雪と暴風で耳と目が使い物にならないなかただひたすらに歩みを進めた。
身体を動かさないと指先から凍結してしまいそうだったから――
ジークは指先を動かし続け、凍傷を防ぐことに意識する。
「――ジーク様ッ!」
アルスマグナが叫び声でジークを呼び止めた。
「どうしたアルスマグナ?」
「何度も御呼びしたのですが……」
「すまん」
「もうすぐ夜になります、ここで休みましょう」
「テントを張るか」
「氷でなんとか防風しましょう」
「おう、やってみる」
ジークは頷いて、アイスアックスを高さ五メートルもある巨大な氷の塊を前に立ち、アイスアックを突き立てる。
ジークの怪力で氷をゴリゴリと破壊し、テントが収まるくらいの窪みを作る。
窪みに入ると先ほどまでの暴風がだいぶマシになり、ジークはようやく一息ついた。その間にアルスマグナがテントを設営する。テントは炎を操るサラマンダーという魔獣の皮を使っているため暖かい。ジークが聞いた話ではサラマンダーの身体は死んでも発熱しており、その皮を鞣し細工をすると、常温で五十℃ほどをキープするようになるとのこと。これによりジークは夜でも快適に眠れる。現代で言うところの電気毛布に近い。
テントに入るとジークはバックパックからパンとバターを取り出す。
「カチカチに凍っているな」
「温めましょう」
アルスマグナは魔術動作式携帯用コンロを取り出し設置し、燃料投入口に魔力を込められた水晶の粉を入れて術式を起動させる。
小さいコンロながら火力があり、凍りかけたジークの頬が溶ける様な感覚だった。
「あったけぇ……生き返るわぁ……」
そう言いながらジークは凍ったパンを熱で解凍する。
「装備を十分にしていた良かったですね」
「全くだ」
「サラマンダー皮で作られたこのテントは奮発した甲斐がありましたね」
「そうだな、しかし魔獣にも色々いるもんだな」
「魔獣は魔素の影響で様々な進化をしていますからね、竜狩りが終わったら狩りにでも言って一攫千金でも狙ってみましょうか?」
冗談交じりにアルスマグナが笑いながら言った。
ジークはルネサンス討伐以来、表情を変えるようになったアルスマグナを見て安堵した。今までの彼女は、どことなく機械的で、冷たい女性だった。心無いと言うのが当てはまるような雰囲気を持っていた。
だが今は、明るくなり、冗談も言う、そして何よりもよく笑う。
銀色の髪を揺らして、赤い瞳を細めて笑う姿を見るだけでジークの心は安堵した。
「楽しそうだな、先輩もアジサイも誘ってひとつ競ってみるか」
「いいですね、楽しみにしています。そう言えばミオリア様のお連れの、たしかネフィリでしたっけあの女性」
「ああ、ネフィリさんがどうかしたのか?」
「いえ、その、何でしょうか、あの人を見ると、何故か不快な気持ちになることがあったので」
「なんだそれ、そう言えば、ネフィリさんもアルスマグナには少し冷たかったな」
「なぜでしょう……思い当たるところはないのですが……」
「なんだろうなぁ、ネフィリさんは実は人間じゃなくて、竜の天敵の種族でそれが原因で犬猿の仲になる運命だったとか」
ジークはそう言いながら、解凍されて柔らかくなったパンにバターを挟みかじり付いた。
「不思議ですね」
「そうだな、そういや話は変えるが、アジサイは今何やっているんだろうな」
「たしか、調査とか言っておりましたね」
「まぁ、あいつなら大丈夫だろうな」
「どうでしょうか、アジサイ様はお優しい方なので罪を見逃してしまうかも」
アルスマグナもバターを挟んだパンにかじり付く。
「あいつはそういう甘いところもあるからな、まぁ、軟じゃない、大丈夫だろ」
そう言いながらジークはテントを開けて手を外に出してコッヘルに雪をぎゅうぎゅうに圧縮しながら入れ、コンロの上に置き、溶かす。それを何度か繰り返し二人分のお湯を作る。
「そうですね」
「ああ、だから今の俺にできるのは竜を狩ることだけだ」
「そうですね、バロックの気配が近いです。むしろバロック自体がこちらに近づいてきていますね」
アルスマグナは目つきを険しくしながらジークに伝える。
「バロック、もうすぐか……」
「ジーク様、バロックは私の分魂のなかでも特に重要な体の一部である飛翼と呼ばれる部位になります。ここは魔力を貯め込む場所であり、おそらくバロックも魔力を使った攻撃をしてくると思います。ご注意ください」
「わかった」
ジークはそう返したが、アルスマグナの顔から憂いは消えない。
お湯が沸騰するとジークは紅茶のパックをお湯に放り込んだ。この紅茶のパックには様々なスパイスが同封されており、飲むと体が温まるような成分が含まれている。
アルスマグナは紅茶の中に砂糖を大量に流し込む、もはや紅茶と砂糖が同量と言ってもいいほどだった。
「これクソ甘いんだよなぁ」
「しっかり九千キロカロリー摂取しなければなりませんからね」
ジークはスーパーのバターのブロックをそのまま挟んだパンに、たっぷり砂糖の入った紅茶を飲み続けている。
ニンギルレストは地球で言う北極や南極に環境が近く、単純な食料だけで八十キロの食料を持ち歩かなければあっという間にカロリーが消費されてしまう環境である。
ジークは食料を持ち、アルスマグナがテントや、その他道具類を持ち役割を分担する。
「甘めえ……」
舌に纏わりつく甘さにはいつまでたっても慣れないジークであった。
翌朝になり、晩飯と同じ朝食を摂ったジーク達は慣れた手つきでテントを解体し、バックパックに収納し、先を目指した。
「晴れているな」
昨日までホワイトアウトする視界とは打って変わって今日は風も穏やかで、澄み渡る空が見えた。
「そうですね、行きましょう」
そしてこういういい天気は、一瞬で暴風と豪雪に表情を変える。
一時間もしないうちにジークの視界はホワイトアウトする。
元々ニンギルレストは暴風と豪雪の場所であり、晴れる日が少ないと言われている。王城の書物では、夜に晴れた時のニンギルレストの星空は宝石箱と例えられるほど美しい空だが、それは一年で一度見ることが出来ればいいというレベルの話である。元よりこの大地に好んで住む人間はいない。魔獣も少なく、環境の厳しさが伺える。
ジークはため息を凍らせながら、歩みを進める。
前に進もうとしたその時、ピシャリとジークの首筋に何かが伝った。
「水……?」
一瞬で凍り付いたが、ジークの首筋に確かにジークの首筋に水が伝った形跡があった。
ジークは首を傾げ、数秒何が起きたか考えた。
「どうして、水なんてこんな凍土で降ってくるわけないんだがなぁ……待てよ……不味いッ!」
そしてジークは、血相を変えて振り返り、足に力を入れる。両手を構えてアルスマグナを方へ跳ねると即座にアルスマグナを抱きかかえると、無茶苦茶な体勢で氷の地面を蹴り上げる。
アルスマグは驚いた顔をしたが、ジークの表情から何かを察したのか手を伸ばした。
その直後に先ほどまでジークがいた場所に炎が現れた。アルスマグナを抱えたまま雪に半分埋まったが、あの炎を紙一重で回避した。
ジークは食料の入ったバックパックを置くと大太刀を抜いた。
「ものすごい速度でバロックが来ます!」
一陣の暴風が、今まで吹き荒れていた嵐たちを吹飛ばした。
そしてようやくジークの双眸は、目の前にいる飛竜を捕捉した。
巨大な翼は広げたら二十メートルを超え、尻尾から頭はまでは三十メートルを超えている。それが空中を自由自在に闊歩している。ジークはまるで、戦闘機と対面しているような気分だった。
バロックの口からは先ほどの炎の余波か、黒煙が登っている。
前身は赤錆び色に包まれ、器用に翼を羽ばたかせてホバリングしている。翼を見ると翼膜が透けて何本か骨が見えた。骨は翼膜を突き破り、体の外に先端が顔を出している。この骨は空洞になっており、そこから炎が噴き出している。
丁度、ジェット機のエンジンを彷彿させた。使い方もどうやらその通りで、滑空する際に炎を噴出させて推進力を得ているようだ。逆に言えば羽ばたくのはどうやらホバリングをするときのだけのようだ。
ジークは空を見上げて――
バロックの目を見据え――
――覚悟を決めた。
「じゃ、始めるか」
ジークは大太刀を構えて空に鎮座する竜を対峙した。
四体目の竜狩りが始まる――
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