この異世界は理不尽で残酷で儚く、そして竜を狩り、国を護り、獣が吠えた。

白井伊詩

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神ノ14話「空に落ちる鶻」    

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 春桜は言った。
 春の季語に鶻というものがあると。だが、それは旧暦の話で現在は冬の季語になっていると。
 鶻が自分の季節から離れてしまって寂しいと彼女はよく言っていた。ただ彼女はその代わりに多くの芽吹きと新緑を力を手にした。それが春の神霊、春桜である。
 
 アジサイはそんなことを今朝ぐらいに、思い出した。

 もう彼女はどこにもいない。

 否――
 
 十二の守護霊、アジサイを悪霊、悪鬼、邪神たちから守護していた者たち、心霊の防衛機構である。
 つまるところ、アジサイはこの異世界に来る前から霊感と呼ばれるオカルトチックな感覚を持っていた。
 アジサイは理系だが、神霊たちの存在を良しとし、共生していた。
 
 それがアジサイ、神霊と神々と友であろうとした男。だが、アジサイはかつての盟友たちが及ぶことない世界に来てしまった。

 潰れて歪んでぐるぐる回る視界でそんな事を思い出した。
 
 腹部は鈍い痛みが縦横無尽に駆け巡り、神経がバラバラに繋がれたように体が思い通りにならないアジサイは倒れていた。
 
「どうした!」

 タンドレッサは倒れているアジサイの顔面を踏みにじる。
 顔を踏むと言うのは精神的に追い込んでいる証拠だ。タンドレッサはどうやらアジサイをなぶり殺しにする予定らしい。
 
「クソ……」

 覚束ない視界でタンドレッサを捕らえる。

「いい気味だな、助かったぜ、まさか全ての罠に引っかかるとは思わなかったけどな」

「何しやがった」
「ふん、冥土の土産に教えてやるよ。毒入りワインを飲んでもらった。と言っても毒は即効性が高い分、効果が切れるのも早いがな。数十分もすれば嘘みたいに元気になれるぜ。お前が生きていればな」

 タンドレッサは邪悪な笑顔を向けた。
 観客たちは沸き立ちながら楽しそうにしている。

「部下たちに幻覚霧の魔術を使わせているからな、観客共はきっとお前が奮闘しているところを応援しているぜ」
「用意がいいな、他にも色々あるんだろう?」

 アジサイがそう聞くと、顔を踏みにじっていた足が浮き、今度は胸部に体重の乗ったストンプが来る。
 
「あぁぐ……げっほ!」
 
「魔術を無効化する魔術を使わせてもらった。これでお前はもうなにもできないはずだからな」
 
「随分、分析されているな」
「ああ、お前が王城に来てからずっと監視していた」
「マジかぁ、ストーカーとか気色悪いな」

 アジサイは軽口を叩いて見せる。

「俺は……ようやく手に入れた使命をお前に横取りされた。それが我慢ならんのだ。だからお前を挑発して、そして殺すことで私は空席にもう一度座る」
 
「…………」

 アジサイは何も言わなかった。
 
「では、死ね、墓は作ってやる」
 
「にしては、詰めが少し甘い、かもな」

 毒に体を侵されながら、アジサイは最後の抵抗を見せた。
 
 木の枝がタンドレッサを掠めた。

「チッ、魔獣避けの魔術を発動していたはずだ!」

 アンラが戦斧を担ぎながら背後から攻撃した。

「主から十分以上の魔力をもらっているからな、多少はこの空間で動けると言っても、これは長くは持たんぞ主よ」

 アンラは辛そうな表情をしていた。現在もかなりの無茶をやってくれているようだ。
 
「できれば仕留めて欲しかった」

 アジサイは皮肉を言う。もうすでにそんな余裕はないし、死の刻限は間もなく訪れる状態だ。

「すまんな、タンドレッサ、こっちにも矜持のひとつくらいあるんだ」

「ふん、死にかけの雑草と毒で身動きできないやつが何を言う!」
 

「いや、今の一撃でやれると思ったが、」
『アンラに感謝するんだな』

 魔術による思念会話が起こる。声の主はアジサイもよく知っているエレインだ。

『エレインか』
『派手にやられているな、今、解毒を行っている。会場を立てば怪しまれるから、遠距離で行っている。注意してほしいのは時間がかかると言うことだ』
『どのくらいだ?』
『一分あれば』

 戦闘においての一分は時間がかかりすぎる。ましてや現在進行形で死に瀕しているアジサイにとってそれは死を意味した。

『嗚呼、そいつは――』
 

『そいつは無理ってやつだな』

 
 アジサイの脳が震えた。その後、浮遊感が全身を包んだ後、固い壁に背中を打ち付けられた。

「小癪、小癪な!」

 タンドレッサはアジサイの腹部を何度も蹴る。その度に吐き出される、透明な液体が徐々に赤く染まっていく。
 
「痛ってえ……」
「主!」

 アンラが戦斧の横振りをタンドレッサの背に食らわせる。アジサイに気を取られていたのかタンドレッサはよろめいた。
 それと同時にアンラも限界を迎えたのかその場に倒れ込み、戦斧の中に格納された。

 万事休す――
 
 アジサイは闘技場から見える青空を眺めた。

 上空では猛禽類がぐるぐると円を描きながら飛んでいる。

 そう言えば、今は春か。アジサイはふとそんな事を思い出した。

 猛禽類はどうやら鶻らしい、鶻は天に吸い込まれるように高度を上げていき、それから翼を折り曲げて一気に落下する。
 若々しい鶻だ。巣立ったばかりなのだろう。
 
「鶻が空に落ちていく。春だな」
 
 暢気にアジサイは体を起こして壁に寄りかかりながら空を仰いだ。
 若い鶻は、鶻の最大の特徴である急降下しながら狩りをする方法をまだ修得していない。鷹は訓練することで初めて狩ができるようになる。
 その練習をで、なんども空を上昇したり急降下したりする。
 ちょうどその風景がぼんやりと歪むアジサイの世界にもうっすらと見えた。
 
「悠長に空なんか見やがって」

 タンドレッサは、アジサイの前に立っていた。

「ああ、いい天気だなって」
「死ね」
 
「もう少し待てよ、ほら、若い鶻が――」

 鶻は翼をすぼめて急降下してくる。まるでチキンレースをするように――


 落ちて――

 アジサイの膝の上に止まった。

「はは、残念、まだ僕は生きているんだ」

 死体を啄もうとしたのだろう。

「ピィー」

 鶻は優しい声で鳴いた。

「鶻……アンタレス様が気に入っている鳥……こんな惨め姿になっても天に見放されぬか」

 タンドレッサは剣を振りかざさしたまま止まっている。

「甘い香りがする。君は女の子なんだね、でも危ないからあっち行ってな」

 アジサイは鶻を一撫でする。
 
「ん? 石ころ……いや、これは――」

 鶻は飛び立っていった。目的を終えたように。

『解毒完了だ!』
 
「今度こそ死ねッ――」

 タンドレッサは剣をアジサイに振り下ろした。

 だが、刃はアジサイに当たることは無かった。

 正確にはアジサイの頭上で剣が止まっている。

「何をした!」
 
 タンドレッサは狼狽えるが、アジサイは剣を手で払い、ゆっくりと立ち上がる。

「タンドレッサ、どうやら俺はまだ、死ねないらしい。どうやら天がそれを赦してくれないようだ。皮肉だな、俺が見た理不尽の九割は人間由来なのにな」

 アジサイは桜色の羽織を靡かせていた。

「なんだその服装は!」

「起装『雪解』、まさかこんなところで出会うことになるとは思わなかったよ」

 桜の花びらを象った模様が目に美しい羽織からは風が集まっていた。

「そんなもの聞いていない……王城でそんなものを使ったこと……まさか、監視の目を欺いて……」

「だから言っているだろ、俺は天にも地にも見放されない」

 装具はアジサイの身体を蝕むため使用には制限がある。『津罪』は神性が上がり過ぎてしまいあっという間に肉体が崩壊する。『怜青』は攻撃能力がないため使えない拳銃も弾丸がないため使用不可だ。
 そして今、三つめの装具が手に入った。神性の上り方は緩やかで、むしろ心地がいいものだった。

「毒もだいぶ楽になったし、ようやくやれるな」
 
 闘技場の砂が舞い上がり始める。

「バカな! 魔術は既に封じたはずだ!」

「そりゃあ、これは魔術じゃないからな」

 左手で払うような仕草をする。なぞられた空は鋭い風となってタンドレッサを吹飛ばした。

「まだ調整が効かないな……」

 初めて使った装具と言うこともあり、コントロールが効いていない。下手をすれば観客席にいる人間まで被害が及びかねない。
 
 アジサイはタンドレッサに追撃を加えるために戦斧を拾う。

「アンラ、生きているかい?」
「最悪の気分さ」
「そっか、悪かったな」
「はやくここから出たい」

「じゃあ、行こう」
 
 アジサイ、遮光帯の下にある目を変える。先ほどまでの穏やかな暢気な雰囲気はなく、真剣な表情だった。
 
 戦斧を両手で持ち、足に力を入れて地面を蹴り上げる。

 戦斧で立ち上がろうとしているタンドレッサを下から切り上げる。
 タンドレッサはバックステップで回避を試みるがアジサイは既に空気を壁を形成しタンドレッサの身動きを封じている。

 分厚い刃がタンドレッサの魔力装甲を突き破り鎧に数センチ食い込みが出来ていた。

「俺の勝ちだ」

 幻影術式も効力が消え、会場が先ほどまでとは逆の現象が起こっており、ポカンとしていた。
 戦斧を収めると、アジサイは体を翻して闘技場を後にしようとした。
 アジサイは空気を操り、階段上の足場を形成しながら、特等席へ登ってゆく。
 老婆が鎮座している所まで登り切ると、アジサイは片膝をついた。

「おめでとうございます。大変でしたね」

 かすれた声で老婆、アンタレスは言う。

「えっ……」
「私は、全て見えていました」

 アンタレスはニコニコと笑っている。

「流石、イシュバルデ最強……」
「お手を出して」

 アジサイは左手を差し出すと、アンタレスは小さく折りたたんだ紙を渡した。

「旅が楽しみになってきました」
「ええ、こちらこそ」


 こうして決闘は終わりを迎えた。


「『メガーリ・セレフィーア』」

 エレインは魔術を唱えるとアジサイの傷が再生を始める。数十秒も経たないうちにアジサイは完全再生を遂げた。
 毒も消えておりアジサイの痛みも嘘のように消えた。

「しかし、災難だったな、まさか殺人未遂事件になるとは、しかしアジサイ、本当に報告しないでいいのか?」

 エレインは魔術を掛けながらアジサイに聞いた。

「ああ、いいんだ、これ以上なにかすればまた面倒になるだけだし」
「それもそうだな、しかし、あの黒い装具は使わなかったのか」
「それは結構悩んだんだけど、あれを使ったらタンドレッサを間違いなく殺していた。そうなれば、先輩の立場も危うくなるし、なにより俺も死ぬ可能性があったしね」
「それならなぜ、いきなり現れた装具は使ったんだ?」
「あの装具は、大丈夫な気がした」
「はぁ……そんなんじゃ命がいくつあっても足りないぞ?」

 アジサイはそれを頷いただけだった。

「うーっす、たでーま」

 ミオリアが楽しそうにエレインのラボにやってくる。

「噂をすればなんとやらか、おかえりなさい」

 アジサイは治癒魔術を受けながら。ミオリアに手を振った。

「お、アジサイいたのか」
「ええ、ちょっと、色々あって」

 アジサイはへらへらと笑いながら言う。

「まったく……お前がいれば速攻解決したんだがな」

 エレインは積りに積もったストレスをぶつける。

「やっぱ何かあったのかアジサイ?」
「まま、もう解決したので先輩はお気になさらず」
「ふーん、ま、そう言うならいいけど」
「それで、ラボまで来て何の用だ?」

 エレインは刺々しい口調でミオリアに聞く。

「ネフィリと出かけている時に、魔術系のオークションがあるって聞いて、興味あるならくるか?」
「今すぐ行く」

 彼女が犬ならきっと尻尾を振っていただろう。表情は変わらないが声のトーンが明るくなっていた。

「じゃあ、ヴェシピーアにネフィリがいるから一足先に戻るわ」

 そういうとミオリアはラボから出て行った。

「すまない、アジサイ、魔術の訓練はまた帰ってからだ。ミオリアの足だと一時間もかからずヴェシピーアについてしまう。急いで準備しなくては……」
「……送っていこうか?」
「馬車でも用意してくれるのか?」
「もうちょっと早いかな、実験も兼ねているけど付き合ってもらってもいい?」
「頼む」

 十分ほどでエレインが旅支度をし、ラボを後にした。
 

 
「じゃあ、行こうか」

 アジサイは、『雪解』を発動させると、

「何をするんだ?」

 エレイン周りにある空気を固定し、体を持ち上げる。アジサイ自身も同様に体を浮かせる。
 そのまま上昇を続け、鳥のように空中を舞う。

「やっぱり、うまくいって良かった」
「これはすごい、魔術において空中移動は自分を操作するのもなかなか難しいと言うのに二人も持ち上げてしかもこの速度で移動するとは」

 大空をジェットコースターのように加速しながら飛行する。

「できると思ったけどこんなにスピードでるのか」
 遮蔽物がない空ではスピードをどんなに加速させても大丈夫だが、初めて使う装具に加えて

「空を飛ぶのは気持ちがいいな、少し肌寒いが問題ない」
「高所恐怖症じゃなきゃ、最高の気分だな」
「しかし、なんで空を飛ぼうと思ったんだ?」
「……それは、秘密だ。おっと、ヴェスピーアはそこか?」

 アジサイは地上に見える市街を指さす。

「そうだな、間違いない門の前で降ろしてくれ」

 アジサイは風を操りエレインを地上に降ろす。

「助かった、また今度も頼みたい。上空は何より気分がいい」
「いいっすよ、じゃあ、俺は戻ります」
 
 アジサイは風と踊るように空に昇っていく。重量が反転するように空に落ちるようにアジサイは空を舞う。
 
 
 エレインへの恩返しと実験を終えてアジサイは王城へ帰った。
 
 
 夕日に染まる空は何処までも赤く美しかった。

「嗚呼、これをあいつは伝えたかったのか」
 
 アジサイは羽織の胸襟を握り締める。
 
「綺麗だ。これは綺麗だ」

 間もなく太陽は沈み、赤い空が黒くなる。白い髪の男は赤と黒の間にある空へと溶けていく。
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