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神ノ10話「晩餐のデザートは朝食の後で」
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「食事か……」
アジサイは億劫だった。何せこのイシュバルデ王国の重鎮と食事をしなければならないからだ。アジサイはこういう堅苦しいことが生来嫌いなのである。
厄介なことに、このアジサイ、根っこは真面目であるため、断らないし逃げたりもしない。一種の性というものなのだろう。アジサイ自身も嫌と言うほど思い知っている。
一応、服装に指定はなく、自由でいいと招待状と言う名の仕様書がアジサイの右手に収められているが、どうにも気乗りしなかった。
約束の刻限まであと十分もない。そろそろ腹を決めるしかなかった。
ため息をついて、遮光帯を目に巻く。いつも通りと言うのだからこれでいいだろう。無礼な奴と思われればそれはそれでいいし、気にしないような半神半人ならアジサイの気も楽になる。ミオリアには申し訳ないが、この話をナチュラルにおじゃんにさせてもらおうとアジサイは画策した。
「よっしゃいくか」
気持ちを切り替えると、自室から出た。それから長い階段を上り、絢爛豪華な内装の通路を歩き、さらにその奥は質素だが無駄がない、アジサイ好みの質実剛健なドアの前にたどり着いた。
ノックを三回してから扉を開ける。
「あらまぁ……ずいぶん早かったねえ」
八十過ぎくらいの腰の曲がった老婆がそこにいた。食事の準備もされたばかりなのか暖かそうな湯気が立っていた。
「失礼します。アクバ王より紹介賜りました、アジサイです」
「アンタレス・シャウラ、よく来たねえ、こんな婆さんでがっかりしたろうに?」
「いえいえ、お気になさらず」
シャウラの見た目は、ちょっといいところの品の良い御婆さんという印象だ。しかし、前髪で目が隠れてしまっているため顔の全体像はわからない。服装も清潔感はあるが地味な印象が強い。ちょうどアジサイの来ている服と同じような色合いである。だが材質や、着こなしはアジサイと月と鼈の差がある。
「ささ、食事が冷めてしまいます」
アジサイは老婆の指示に従い席に着く。
「さて、アンタレス様、早速ではありますが、お尋ねしたいことがあります」
アジサイは目を閉じる。それからアジサイが元々持つ才能を行使する
「何でしょうか?」
「魂はどこへ?」
「……どういうことだい?」
老婆は一瞬だけ硬い表情をした。アジサイはため息をついた。
「あーいえ、なんか、そんな感じがしただけですので失礼いたしました」
「いえいえ、お気になさらず」
アンタレスは擦れ声で言う。僅かな沈黙の後、アンタレスは右手にナイフと左手にフォークを持ち皿の上にある料理に手を伸ばした。
「小鹿のもも肉のシチューです。どうぞお食べください」
アジサイは頷いてから、料理をいただいた。左手にナイフ、右手にフォークを持つ。
「さて本題に戻りますがよろしいでしょうか?」
アジサイはコクリと頷いた。
「諸国の治安調査回という話でしたが、実はもうひとつ目的があってね」
「目的ですか?」
「これなんだが……」
アンタレスはシルクで出来た布を取り出した。布をめくると女性の拳ほどの青色の宝玉が現れた。
「これは大きな力を秘めているが、本来の持ち主しか扱えないロックのようなものがかけられています。だからこれを持ち主に返すべきだと私は考えています」
アジサイはアンタレスの喋り方に一瞬違和感を覚えたが、それ以上にアンタレスが持っているそれは間違いなく装具だった。
「あの、それなんですが、私の物です」
アンタレスは口を少し開けて驚いた。
「それなら、今ここでこれを使ってみてくれないか?」
アンタレスは青色の玉をアジサイに渡した。それを受け取る。それから意識を集中させ、装具を展開する。
装具が鼓動を始め、アジサイに力が流れ込んでくる。
藍色のジャケットがアジサイの手に持っていた。生地は丈夫な繊維で出来ており、熱にも強そうだ。
ジャケットを羽織るとアジサイは苦悶の表情をした。
装具の能力が発動した途端、尋常じゃないレベルの情報量がアジサイの脳みそに直接叩き込まれる。
膝を付いて、床に視線を落とす。ポタポタと鼻から血液が滴る。アジサイはそんな視覚情報すら処理できていない。
「大丈夫ですか!?」
徐々に、落ち着きを取り戻し、頭を押さえながら、視界にある、パソコンのウインドウのように表示されているものを全て閉じる。
この装具は論装『怜青』この装具は物理現象を観測する装具である。先ほどは視覚に入る全ての情報を読み込もうとしたため脳が処理できずあのような状態になってしまった。
アジサイがこの数秒で把握した情報だけでも温度、風量、風向、赤外線を初めとする電磁波などがあった。
「大丈夫です……」
装具を解除し、もとの宝形に戻す。
体のバランスを崩し、床に膝をついていたアジサイは椅子へ座る。ナプキンで顔についている血を拭うと、右手にナイフ、左手にフォークを持って食事に戻った。
「今日は休まれた方が良いのでは?」
「食事だけします。それに仕事の話がまだですので」
アジサイは料理を食べながら平常を装った。
「イシュバルデ王国は五千五百万平方キロメートルの国、それぞれを領地として管理しています。各領地には貴族がおり貴族が代表として領民から税金を納めさせています。しかし、時折、貴族らが権力を濫用し不当な搾取や水面下の違法行為などが挙げられている。各領地を回り、それが適正に行われているか視察しに行くというわけさ」
「なるほど、それで力をあなたが選ばれたと」
「私ひとりでも十分なのだが、アクバ王がしつこく言うものだから、王城の色が薄い、貴方に依頼を頼みたい、あまり内部に詳しいと私が動きにくくてのう」
「なるほど、大体の話は分かりました。それで旅立ちのお日柄は?」
料理を食べ終えたアジサイはナイフとフォークを下げる。
「今日からひと月、その間に準備をよろしく頼んだよ」
アジサイは「はい」とだけ答えて席を後にした。
「それではお休みなさい」
「デザートはいいのかい?」
アンタレスはアジサイを引き留めた。
「明日、また来ます」
そう答えて、アジサイは部屋を出た。廊下を走るような急ぎ足で自室に戻ると、もう一度、論装を展開させる。
「これは……」
ジャケット内ポケットに入っているものを取り出した。
黒い手のひらより大きな樹脂と金属の塊、グリップがあり、緻密で複雑な機構があるそれは、指一本引くだけで人を殺められてしまう凶器。
拳銃であった――
この世界にあるわけもないそれが確かにアジサイの手の中にあった。
マガシンリリースボタンを押し込むと自重でマガジンが落下した。マガジンは装弾数が十七発で弾は込められていない。
外見からおそらくはオートマチック自動拳銃『グロック17』だ。拳銃の中では比較的、若い部類に入る。オーストリア、フィンランド、スウェーデン、アメリカなどの保安組織や軍隊に採用されている銃だ。
プラスチックを多用されており、軽量で取り回しが良い銃である。
「弾……弾……」
ジャケットを漁るが、弾は一向に出て来ない。つまり、弾は自分で作るしかない。
問題なのはどうやって作るか、そして十分な量を確保できるかがネックになってくる。
「無いなら……作るしかねえな」
アジサイは異世界転生する前の趣味は工作、しかも、工業系の高校、大学に進み、エンジニアとして勤めていた。それなりの経歴を持っている。ある程度の物ならそれなりに作れるが、それはあくまで現代日本の話だ。この世界は紀元前八世紀から十四世紀、ちょうどギリシャではスパルタが三百人でペルシャ軍を止めていたくらいのころだ。そんなテクノロジーで精度の高い物が作れるか怪しいものであるとアジサイは困り果てる。
とりあえず、エレインに話を明日してみることにした。
アジサイはその後、風呂に入り、眠った。
翌朝になると、メイドが朝食の案内に来たためアジサイは起床した。
昨晩アンタレスとの食事を途中で切り上げてしまったことを思い出し、朝食をアンタレスのところに運ぶようにメイドに頼んだ。
風呂に行き、寝汗を流し、着替えると、アンタレスのところに向かった。
昨晩と同じようにノックする。
「今、取り込み中です!」
と返ってきた。
アジサイは聞き慣れない声で疑念が広がる。ドアに手を掛けると幸い鍵は掛っていない。論装を展開すると、右目を赤外線とエックス線での計測を行う。扉の向こう側から一人の女性とのシルエットが見えた。明らかに老婆のそれではない。
計測をやめて、ドアを開き、中へ突入する。
「あんたここで何している?」
「あっ……」
見知らぬ顔、見知らぬ髪、見知らぬ女性が下着姿で服を着ようとしていた。
「アンタレス様をどこにやった!」
アジサイは警戒したまま、女性に歩み寄る。
「えっ、あっ、アジサイ様、私がアンタレスです」
「嘘をつくな、俺の知っているアンタレス様は老婆だったぞ」
「それはあの時は幻影魔術で見た目を偽っていて……あっ、昨日、昨日一緒に食べた料理は小鹿のシチューでしたよね? そして青い宝玉をあなたにプレゼントして!」
その事はアンタレスとアジサイしか知らない。
「……本物?」
「はい……」
アジサイは、ため息をついた。ひと息いれてから改めてアンタレスの方を見る。
金色の髪に優しい瞳、唇はピンク色で柔らかそうだ。鎖骨にはまだ水が溜まっており、風呂上りと言うことが伺える。うっすらとくびれたウエストに、可愛らしい下着を履いている。
「あっ……」
そして何よりも、何者のよりも大きな胸はアジサイの眼球に衝撃を与えた。
質量の暴力なそれはただひたすらにアジサイの視線を吸収し続ける。万有引力とでも表現できるその二つのブラジャーに包まれた太陽の前にアジサイはただただ無力であった。
「おっと、これは……その、すいません……」
アジサイは死を覚悟しながら、部屋を出る。
「……やらかしたぁ!」
イシュバルデ王国最強の人物にこの上なく無礼なことをやらかしたのである。
「あの、着替え終わったのでどうぞお入りください……」
アンタレスは、アジサイを部屋の中に入れた。
「…………」
「…………」
とにかく気まずい、アジサイは黙って朝食を待つしかなかった。
「あの、昨日は大丈夫でしたか?」
アンタレスは心配そうな顔をしながらアジサイの具合を問う。
「大丈夫です、あれは私の使い方が悪かっただけなので」
「そうですか、それならいいのですが……」
「ええ、今は体調もいいですし、昨日はせっかく食事をお誘いくださったのに、早々に切り上げてしまったのも申し訳ない限りです」
「いえいえ、それは大丈夫です、顔色も悪そうでしたし、無理することでもありません。ただいきなり朝食のお誘いがそちらから来るとは思わなくて、朝は慌ててしまいましたね」
「私の方も、着替え中に立ち入ってしまい、大変失礼しました」
「えっ、着替え中……?」
アンタレスの表情が凍った。
「ええ、ちょうど下着姿で、アンタレス様に恥をかかせてしまい申し訳ありません」
「……あの、アジサイさん、その目に巻いてある黒い包帯のようなものは?」
「ああ、これですか、これは遮光帯です。別に目が見えないわけではないです」
そう言いながら、遮光帯を外す。アジサイの黒い双眸がアンタレスの目に移り込んだ。そしてアジサイの瞳には酷く赤面しているアンタレスが移り込んだ。
「あ……ひょっとしてですが、私を盲目と思っていたのですか?」
「ええ……はい……だから今回の旅も心配で」
「それは、紛らわしことをしてしまいました。申し訳ありません」
アジサイは深々と頭を下げ謝罪した。
「はい、今のでよしとします」
「それはありがとうございます」
アンタレスは、立ち上がるとクローゼットから金の装飾が施された箱を取り出す。
「これは保冷箱と言う物で凍結の魔術が施されており魔力を供給する限り冷たいままの箱なんです」
アンタレスが箱を開けると二つの卵が現れた。アジサイが良く知る一般的な鶏の卵よりも二回りほど大きい卵だ。
「ハンドレットバードと呼ばれる鳥の卵でとても美味ですよ。食べることが出来ればですけど」
アンタレスは黒いガラスで出来たワイングラスをアジサイに差し出した。
「食べることが出来れば?」
「ええ、そうです。ハンドレットバードの殻は鋼鉄のように硬く分厚いのです」
アンタレスはハンドレットバードの卵を持つと、そのまま胸の高さから落とした。
鈍い音と共に卵が床に激突するが卵は無傷だった。
「試験か……」
「その通りです」
アジサイは箱に入ったハンドレットバードの卵を掴む。ずっしりと重く、重厚な殻が表面の感触からわかる。
力を入れなければ割れず、入れ過ぎれば卵が台無しになる。
「お手上げですか?」
アジサイは窓辺に卵を掲げるとじっくり卵を眺めた
「いいや、ここからが面白いところです」
卵を左手に持ち替えると、テーブルから五センチほどの高さから、軽く卵をテーブルの角にぶつけた。
「お見事です」
ひびが入った卵を両手で持ち、ワイングラスに卵を入れた。
「うぉっ、なんだこれ」
ワイングラスから卵黄が溢れるが決して零れない。濃厚な赤色の卵黄はまるでカスタードプリンを思わせる。
濃厚な卵黄はオレンジ色になると言われている。まるで太陽に手を透かしたときの色のようだ。
「なぜ、わかったんですか、ハンドレットバードの殻は一か所だけ普通の卵と同じ厚さの殻の部分があると?」
アンタレスは頭にクエスチョンマークを浮かべた。
「いやぁ、ここまで卵固かったら雛がどうやって出てくるんだろうなって思ってさ、薄い所があるんじゃないかなあって思って……。しかし、直径五ミリの円だからこれじゃあ雛も外の世界に出るだけで一苦労だな、今日が晴天じゃなかったら、今頃テーブルに卵黄が散乱してたろうな」
アジサイが種明かしをするとアンタレスは肩を竦めた。
「お見事です。どうやら力だけじゃなくて知識もあるようです」
「昔取ったなんとかさ、失敗していたらどうなったことやら」
アンタレスはテーブルに落ちていた卵を取るとニコニコと微笑んでいた。
「ではいただきましょう」
アンタレスは片手で卵を割ると、ワイングラスにそのまま卵を落とした。
「おっと……」
アジサイは粋がった罰が当たったようだ。
「うふふふ……」
アジサイはおぞましい彼女の姿にぞっとしながらワイングラスを掲げる。
キーンとガラスの高い音が響く。
アンタレスは卵黄をスプーンで掬った。
卵黄が、掬えるほど濃厚なのだ――
アジサイもスプーンで卵を一口掬い、口の中に入れる。
口当たりは生クリームのように濃厚で、卵黄の豊かな風味が鼻腔をくすぐる。搾りたての牛乳の本当に濃い部分、一番濃厚なクリームに、卵黄独特の芳醇なコクが味蕾ひとつひとつを喜ばせる。そしてなによりも驚くべきことは卵そのものが物凄く甘いのである。
孵化するため、卵を割るために必要な糖分が卵黄の中にぎっしり詰まっている。
ほのかにバニラのような香りが後味に残るせいか、卵独特の臭みが全くない。
デザートとこれは言い張れる。ただの生卵などではない。まさしく命の味だ。アジサイはあまりの美味しさに驚きが隠せなかった。
「これは……命の味だ……」
それを聞いたアンタレスは静かに寂しそうに微笑んだ。
「これを初見で一緒に食べることが出来る人はあなたが初めてです。きっと、よき旅になるでしょう」
「そうですね……そういえば、なにか忘れているような」
「朝食をお持ちしました」
メイドたちが一瞥してから朝食を運んでくる。
「「あっ」」
幸いにも卵はまだ一口しか食べていない。
「晩餐のデザートは朝食のあとでいかがでしょうか?」
アジサイはアンタレスにそう聞くと、嬉しそうにアンタレスは微笑んだ。
アジサイは億劫だった。何せこのイシュバルデ王国の重鎮と食事をしなければならないからだ。アジサイはこういう堅苦しいことが生来嫌いなのである。
厄介なことに、このアジサイ、根っこは真面目であるため、断らないし逃げたりもしない。一種の性というものなのだろう。アジサイ自身も嫌と言うほど思い知っている。
一応、服装に指定はなく、自由でいいと招待状と言う名の仕様書がアジサイの右手に収められているが、どうにも気乗りしなかった。
約束の刻限まであと十分もない。そろそろ腹を決めるしかなかった。
ため息をついて、遮光帯を目に巻く。いつも通りと言うのだからこれでいいだろう。無礼な奴と思われればそれはそれでいいし、気にしないような半神半人ならアジサイの気も楽になる。ミオリアには申し訳ないが、この話をナチュラルにおじゃんにさせてもらおうとアジサイは画策した。
「よっしゃいくか」
気持ちを切り替えると、自室から出た。それから長い階段を上り、絢爛豪華な内装の通路を歩き、さらにその奥は質素だが無駄がない、アジサイ好みの質実剛健なドアの前にたどり着いた。
ノックを三回してから扉を開ける。
「あらまぁ……ずいぶん早かったねえ」
八十過ぎくらいの腰の曲がった老婆がそこにいた。食事の準備もされたばかりなのか暖かそうな湯気が立っていた。
「失礼します。アクバ王より紹介賜りました、アジサイです」
「アンタレス・シャウラ、よく来たねえ、こんな婆さんでがっかりしたろうに?」
「いえいえ、お気になさらず」
シャウラの見た目は、ちょっといいところの品の良い御婆さんという印象だ。しかし、前髪で目が隠れてしまっているため顔の全体像はわからない。服装も清潔感はあるが地味な印象が強い。ちょうどアジサイの来ている服と同じような色合いである。だが材質や、着こなしはアジサイと月と鼈の差がある。
「ささ、食事が冷めてしまいます」
アジサイは老婆の指示に従い席に着く。
「さて、アンタレス様、早速ではありますが、お尋ねしたいことがあります」
アジサイは目を閉じる。それからアジサイが元々持つ才能を行使する
「何でしょうか?」
「魂はどこへ?」
「……どういうことだい?」
老婆は一瞬だけ硬い表情をした。アジサイはため息をついた。
「あーいえ、なんか、そんな感じがしただけですので失礼いたしました」
「いえいえ、お気になさらず」
アンタレスは擦れ声で言う。僅かな沈黙の後、アンタレスは右手にナイフと左手にフォークを持ち皿の上にある料理に手を伸ばした。
「小鹿のもも肉のシチューです。どうぞお食べください」
アジサイは頷いてから、料理をいただいた。左手にナイフ、右手にフォークを持つ。
「さて本題に戻りますがよろしいでしょうか?」
アジサイはコクリと頷いた。
「諸国の治安調査回という話でしたが、実はもうひとつ目的があってね」
「目的ですか?」
「これなんだが……」
アンタレスはシルクで出来た布を取り出した。布をめくると女性の拳ほどの青色の宝玉が現れた。
「これは大きな力を秘めているが、本来の持ち主しか扱えないロックのようなものがかけられています。だからこれを持ち主に返すべきだと私は考えています」
アジサイはアンタレスの喋り方に一瞬違和感を覚えたが、それ以上にアンタレスが持っているそれは間違いなく装具だった。
「あの、それなんですが、私の物です」
アンタレスは口を少し開けて驚いた。
「それなら、今ここでこれを使ってみてくれないか?」
アンタレスは青色の玉をアジサイに渡した。それを受け取る。それから意識を集中させ、装具を展開する。
装具が鼓動を始め、アジサイに力が流れ込んでくる。
藍色のジャケットがアジサイの手に持っていた。生地は丈夫な繊維で出来ており、熱にも強そうだ。
ジャケットを羽織るとアジサイは苦悶の表情をした。
装具の能力が発動した途端、尋常じゃないレベルの情報量がアジサイの脳みそに直接叩き込まれる。
膝を付いて、床に視線を落とす。ポタポタと鼻から血液が滴る。アジサイはそんな視覚情報すら処理できていない。
「大丈夫ですか!?」
徐々に、落ち着きを取り戻し、頭を押さえながら、視界にある、パソコンのウインドウのように表示されているものを全て閉じる。
この装具は論装『怜青』この装具は物理現象を観測する装具である。先ほどは視覚に入る全ての情報を読み込もうとしたため脳が処理できずあのような状態になってしまった。
アジサイがこの数秒で把握した情報だけでも温度、風量、風向、赤外線を初めとする電磁波などがあった。
「大丈夫です……」
装具を解除し、もとの宝形に戻す。
体のバランスを崩し、床に膝をついていたアジサイは椅子へ座る。ナプキンで顔についている血を拭うと、右手にナイフ、左手にフォークを持って食事に戻った。
「今日は休まれた方が良いのでは?」
「食事だけします。それに仕事の話がまだですので」
アジサイは料理を食べながら平常を装った。
「イシュバルデ王国は五千五百万平方キロメートルの国、それぞれを領地として管理しています。各領地には貴族がおり貴族が代表として領民から税金を納めさせています。しかし、時折、貴族らが権力を濫用し不当な搾取や水面下の違法行為などが挙げられている。各領地を回り、それが適正に行われているか視察しに行くというわけさ」
「なるほど、それで力をあなたが選ばれたと」
「私ひとりでも十分なのだが、アクバ王がしつこく言うものだから、王城の色が薄い、貴方に依頼を頼みたい、あまり内部に詳しいと私が動きにくくてのう」
「なるほど、大体の話は分かりました。それで旅立ちのお日柄は?」
料理を食べ終えたアジサイはナイフとフォークを下げる。
「今日からひと月、その間に準備をよろしく頼んだよ」
アジサイは「はい」とだけ答えて席を後にした。
「それではお休みなさい」
「デザートはいいのかい?」
アンタレスはアジサイを引き留めた。
「明日、また来ます」
そう答えて、アジサイは部屋を出た。廊下を走るような急ぎ足で自室に戻ると、もう一度、論装を展開させる。
「これは……」
ジャケット内ポケットに入っているものを取り出した。
黒い手のひらより大きな樹脂と金属の塊、グリップがあり、緻密で複雑な機構があるそれは、指一本引くだけで人を殺められてしまう凶器。
拳銃であった――
この世界にあるわけもないそれが確かにアジサイの手の中にあった。
マガシンリリースボタンを押し込むと自重でマガジンが落下した。マガジンは装弾数が十七発で弾は込められていない。
外見からおそらくはオートマチック自動拳銃『グロック17』だ。拳銃の中では比較的、若い部類に入る。オーストリア、フィンランド、スウェーデン、アメリカなどの保安組織や軍隊に採用されている銃だ。
プラスチックを多用されており、軽量で取り回しが良い銃である。
「弾……弾……」
ジャケットを漁るが、弾は一向に出て来ない。つまり、弾は自分で作るしかない。
問題なのはどうやって作るか、そして十分な量を確保できるかがネックになってくる。
「無いなら……作るしかねえな」
アジサイは異世界転生する前の趣味は工作、しかも、工業系の高校、大学に進み、エンジニアとして勤めていた。それなりの経歴を持っている。ある程度の物ならそれなりに作れるが、それはあくまで現代日本の話だ。この世界は紀元前八世紀から十四世紀、ちょうどギリシャではスパルタが三百人でペルシャ軍を止めていたくらいのころだ。そんなテクノロジーで精度の高い物が作れるか怪しいものであるとアジサイは困り果てる。
とりあえず、エレインに話を明日してみることにした。
アジサイはその後、風呂に入り、眠った。
翌朝になると、メイドが朝食の案内に来たためアジサイは起床した。
昨晩アンタレスとの食事を途中で切り上げてしまったことを思い出し、朝食をアンタレスのところに運ぶようにメイドに頼んだ。
風呂に行き、寝汗を流し、着替えると、アンタレスのところに向かった。
昨晩と同じようにノックする。
「今、取り込み中です!」
と返ってきた。
アジサイは聞き慣れない声で疑念が広がる。ドアに手を掛けると幸い鍵は掛っていない。論装を展開すると、右目を赤外線とエックス線での計測を行う。扉の向こう側から一人の女性とのシルエットが見えた。明らかに老婆のそれではない。
計測をやめて、ドアを開き、中へ突入する。
「あんたここで何している?」
「あっ……」
見知らぬ顔、見知らぬ髪、見知らぬ女性が下着姿で服を着ようとしていた。
「アンタレス様をどこにやった!」
アジサイは警戒したまま、女性に歩み寄る。
「えっ、あっ、アジサイ様、私がアンタレスです」
「嘘をつくな、俺の知っているアンタレス様は老婆だったぞ」
「それはあの時は幻影魔術で見た目を偽っていて……あっ、昨日、昨日一緒に食べた料理は小鹿のシチューでしたよね? そして青い宝玉をあなたにプレゼントして!」
その事はアンタレスとアジサイしか知らない。
「……本物?」
「はい……」
アジサイは、ため息をついた。ひと息いれてから改めてアンタレスの方を見る。
金色の髪に優しい瞳、唇はピンク色で柔らかそうだ。鎖骨にはまだ水が溜まっており、風呂上りと言うことが伺える。うっすらとくびれたウエストに、可愛らしい下着を履いている。
「あっ……」
そして何よりも、何者のよりも大きな胸はアジサイの眼球に衝撃を与えた。
質量の暴力なそれはただひたすらにアジサイの視線を吸収し続ける。万有引力とでも表現できるその二つのブラジャーに包まれた太陽の前にアジサイはただただ無力であった。
「おっと、これは……その、すいません……」
アジサイは死を覚悟しながら、部屋を出る。
「……やらかしたぁ!」
イシュバルデ王国最強の人物にこの上なく無礼なことをやらかしたのである。
「あの、着替え終わったのでどうぞお入りください……」
アンタレスは、アジサイを部屋の中に入れた。
「…………」
「…………」
とにかく気まずい、アジサイは黙って朝食を待つしかなかった。
「あの、昨日は大丈夫でしたか?」
アンタレスは心配そうな顔をしながらアジサイの具合を問う。
「大丈夫です、あれは私の使い方が悪かっただけなので」
「そうですか、それならいいのですが……」
「ええ、今は体調もいいですし、昨日はせっかく食事をお誘いくださったのに、早々に切り上げてしまったのも申し訳ない限りです」
「いえいえ、それは大丈夫です、顔色も悪そうでしたし、無理することでもありません。ただいきなり朝食のお誘いがそちらから来るとは思わなくて、朝は慌ててしまいましたね」
「私の方も、着替え中に立ち入ってしまい、大変失礼しました」
「えっ、着替え中……?」
アンタレスの表情が凍った。
「ええ、ちょうど下着姿で、アンタレス様に恥をかかせてしまい申し訳ありません」
「……あの、アジサイさん、その目に巻いてある黒い包帯のようなものは?」
「ああ、これですか、これは遮光帯です。別に目が見えないわけではないです」
そう言いながら、遮光帯を外す。アジサイの黒い双眸がアンタレスの目に移り込んだ。そしてアジサイの瞳には酷く赤面しているアンタレスが移り込んだ。
「あ……ひょっとしてですが、私を盲目と思っていたのですか?」
「ええ……はい……だから今回の旅も心配で」
「それは、紛らわしことをしてしまいました。申し訳ありません」
アジサイは深々と頭を下げ謝罪した。
「はい、今のでよしとします」
「それはありがとうございます」
アンタレスは、立ち上がるとクローゼットから金の装飾が施された箱を取り出す。
「これは保冷箱と言う物で凍結の魔術が施されており魔力を供給する限り冷たいままの箱なんです」
アンタレスが箱を開けると二つの卵が現れた。アジサイが良く知る一般的な鶏の卵よりも二回りほど大きい卵だ。
「ハンドレットバードと呼ばれる鳥の卵でとても美味ですよ。食べることが出来ればですけど」
アンタレスは黒いガラスで出来たワイングラスをアジサイに差し出した。
「食べることが出来れば?」
「ええ、そうです。ハンドレットバードの殻は鋼鉄のように硬く分厚いのです」
アンタレスはハンドレットバードの卵を持つと、そのまま胸の高さから落とした。
鈍い音と共に卵が床に激突するが卵は無傷だった。
「試験か……」
「その通りです」
アジサイは箱に入ったハンドレットバードの卵を掴む。ずっしりと重く、重厚な殻が表面の感触からわかる。
力を入れなければ割れず、入れ過ぎれば卵が台無しになる。
「お手上げですか?」
アジサイは窓辺に卵を掲げるとじっくり卵を眺めた
「いいや、ここからが面白いところです」
卵を左手に持ち替えると、テーブルから五センチほどの高さから、軽く卵をテーブルの角にぶつけた。
「お見事です」
ひびが入った卵を両手で持ち、ワイングラスに卵を入れた。
「うぉっ、なんだこれ」
ワイングラスから卵黄が溢れるが決して零れない。濃厚な赤色の卵黄はまるでカスタードプリンを思わせる。
濃厚な卵黄はオレンジ色になると言われている。まるで太陽に手を透かしたときの色のようだ。
「なぜ、わかったんですか、ハンドレットバードの殻は一か所だけ普通の卵と同じ厚さの殻の部分があると?」
アンタレスは頭にクエスチョンマークを浮かべた。
「いやぁ、ここまで卵固かったら雛がどうやって出てくるんだろうなって思ってさ、薄い所があるんじゃないかなあって思って……。しかし、直径五ミリの円だからこれじゃあ雛も外の世界に出るだけで一苦労だな、今日が晴天じゃなかったら、今頃テーブルに卵黄が散乱してたろうな」
アジサイが種明かしをするとアンタレスは肩を竦めた。
「お見事です。どうやら力だけじゃなくて知識もあるようです」
「昔取ったなんとかさ、失敗していたらどうなったことやら」
アンタレスはテーブルに落ちていた卵を取るとニコニコと微笑んでいた。
「ではいただきましょう」
アンタレスは片手で卵を割ると、ワイングラスにそのまま卵を落とした。
「おっと……」
アジサイは粋がった罰が当たったようだ。
「うふふふ……」
アジサイはおぞましい彼女の姿にぞっとしながらワイングラスを掲げる。
キーンとガラスの高い音が響く。
アンタレスは卵黄をスプーンで掬った。
卵黄が、掬えるほど濃厚なのだ――
アジサイもスプーンで卵を一口掬い、口の中に入れる。
口当たりは生クリームのように濃厚で、卵黄の豊かな風味が鼻腔をくすぐる。搾りたての牛乳の本当に濃い部分、一番濃厚なクリームに、卵黄独特の芳醇なコクが味蕾ひとつひとつを喜ばせる。そしてなによりも驚くべきことは卵そのものが物凄く甘いのである。
孵化するため、卵を割るために必要な糖分が卵黄の中にぎっしり詰まっている。
ほのかにバニラのような香りが後味に残るせいか、卵独特の臭みが全くない。
デザートとこれは言い張れる。ただの生卵などではない。まさしく命の味だ。アジサイはあまりの美味しさに驚きが隠せなかった。
「これは……命の味だ……」
それを聞いたアンタレスは静かに寂しそうに微笑んだ。
「これを初見で一緒に食べることが出来る人はあなたが初めてです。きっと、よき旅になるでしょう」
「そうですね……そういえば、なにか忘れているような」
「朝食をお持ちしました」
メイドたちが一瞥してから朝食を運んでくる。
「「あっ」」
幸いにも卵はまだ一口しか食べていない。
「晩餐のデザートは朝食のあとでいかがでしょうか?」
アジサイはアンタレスにそう聞くと、嬉しそうにアンタレスは微笑んだ。
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