東の国の狼憑き

納人拓也

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四章 異端の村

49 その女、吸血鬼にあらず

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 多少張り詰めた空気が緩んだ中、マットが何かに勘づいたらしくすぐさま剣を抜ける態勢になる。アイラもミーシャもそれが何かはすぐに分かった――獣に似た足音が近づいて来ている。

「もうあのエルフに気が付かれたか……今すぐ移動を――」
「――遅い」

 立ち上がろうとした瞬間に五人の真上で葉が揺れ――あの褐色肌のエルフが剣を振り上げながら振ってくる。狙っているのは、子供達だ。怯え目を見開く子供達に躊躇ちゅうちょもせず、エルフが剣を突き出すが――それを横から鎖がとらえ、アイラが引き寄せると同時にそのエルフの腹部を蹴り上げに入る。
 だが、その蹴りが捉えたのは硬い籠手で、エルフは鎖を素早く振り払い距離を取った。エルフは不意に懐から小さな笛を取り出すと、口に銜え吹くような動作を見せた。しかし、音は鳴らない――だが、こちらへ来る獣の足音が一気に速まる。

「ガルルルッ!」「ウォーンッ!」

 音の鳴らない犬笛に呼ばれて現れた二頭の猟犬はまるで獲物の退路を塞ぐように、走り易く、開けた道へと立ち塞がっていた。そして、猟犬達が出て来た方向から、さらに人影が見えて来る。

「――アンツェ、獲物は見つかったか?」
「あぁ、見つかった」
 褐色肌のエルフ――アンツェと呼ばれたエルフがそう答える。茂みを巨大な手で掻き分けてくるのは――アンデリータで見た巨人、ガリダだった。驚いているミーシャ達に対して、ガリダの方は警戒を強めたのか、いぶかしげに目を細めた。

「ガリダさん……?」
「ちょっと! あんたこんなとこで何してんのよ!?」
「……いとも簡単に抜け出すから手練れかと思えば……あなたの仕業ですかな、お頭?」

 ミーシャやアイラ達の困惑を無視してガリダが己の傍らに立って居る男へと目をやった。男は顔とそれに見合った体格は普通の人間のようであったが、その身に纏っている上質なローブと魔法石の付いた分厚い甲冑は彼がただの人ではない事を伝えている。男の顔色は悪く、表情は険しく、同時に酷く怯えているようであった。

「な、納得がいかない……村人の処刑は賛成した、彼らは救いようがなかったが彼は違う。何も、こんな幼い子供達にまで――」
「――そうすれば、恨みが残りますぞ」
 男が震えながら発した言葉をガリダがぴしゃりとさえぎった。その声の低さからか男の震えが止まる。
怨恨えんこんが残れば、いずれ我らの地……いや、全領土が彼奴らになぶられるやもしれませぬ」
「しかし……」
 お頭と呼ばれた男は、それでも戸惑いがあるのか、ミーシャ達を一瞥いちべつする目は揺れていた。アンツェの構えが、その会話に気を取られたのをマットは見逃さなかった。

「……走れ!」

 マットが声を掛けると同時に、ミーシャやアイラが近くに居た子供達の手を引いて走り出した。すぐさまアンツェが構えを戻し、猟犬達が唸りを上げて立ち塞がる。アイラがポケットから何かを取り出すと、それを猟犬の開いた口を目掛けて放り込んだ。

「――!? げふっ! がふっ、がふっ!!」

 口に入り込んだ異物に牙が当たり、思わず顔をくしゃりと歪めた猟犬はその場で大きく咳き込んだ。涎混じりに口から棘の付いている種が零れ落ちる。その隙にミーシャ達が横を走り去ろうとしたが――後ろからはアンツェが迫って来ているが、ガリダと男は動く気配がない。

「……逃がすか!」
 
 アンツェが跳躍し、近くにある木を蹴り飛ばすと勢いを付け――素早く接近するとミーシャが手を引いていたエリアルの服を掴んだ。
「エリアルちゃん!」
 引き離されようとした瞬間、ミーシャが咄嗟とっさにアンツェの腕を掴む。アンツェは苛立たしげにミーシャを地面へ叩き付けた。背後からの悲鳴に全員の足が止まる。振り返ると馬乗りになったアンツェの刃が、エリアルの首を刎ねようと振り上げられた。だが、その直後――

「ぐっ!?」

 その腕は何かに切り裂かれた。一瞬で、切れ目が入ったかと思えば籠手を貫通し、血があふれる。血で濡れていく装束を見て、アンツェは一瞬放心し、そして己の身に何が起こったかを理解すると苦痛の色をその顔に浮かべた。

「ぐ、あぁぁあっ――!?」

 何が起こったか分からないまま、アンツェの顔は歪み悲鳴が上がる。そのまま腕を抑えながら、よこつき立ち上がり、急いで距離を取った。そしてふと気が付く――上空に、一人の女がこちらを見下ろしている事に。

「――私の領域で好き勝手やってくれたのねぇ」

 苛立っているかのように女は低い声でそう言った。浮いている女は上質な赤いドレスと真っ白な肌、柔らかに揺れる銀の髪と……薄く微笑んだ口元からは鋭い牙が僅かに見えており、宝石も劣るような瞳は――半月の金目と、真っ赤な色。明らかに人ではない、しかし誰しもが彼女に見惚れてしまうだろう美しさをたたえている。
 だがその姿を見たアンツェが驚いたように目を見開いた。

「――吸血鬼……!」
「私は吸血鬼じゃないわよ」
 アンツェが痛みから掠れた声で放った言葉に、女はゆっくりと降りて来てそう返した。だが降りてくるや否な――女に向かって手斧が風切り音を立てながら一直線に飛んで行く。その刃が日の光を浴び、鋭く光ると女は易々と受け止め、それを地面に落とした。手斧を投げたガリダは男を庇うようにして立ちながらも、女に対し忌々しげに目を細める。
「朝日を浴びても灰にならないとはな……貴様、何者だ」
「どうでもいいでしょ、そんな事。ねぇ、あなた方……命までは取らないから、私の目の前から消えてくださらない?」

 ガリダの話を無視し、女は余裕たっぷりに微笑んだ。その口振りは、まるでそれを呑んで当たり前だと言わんばかりだ。アンツェが歯を食い縛り、腕を押さえながらも恨みがましく睨む。その横へガリダが立ち、そして――アンツェの体を担ぎ上げた。アンツェが驚きガリダの顔を見るが、その視線は女へと向いている。

「ガリダ、貴様……!」
「今は退くぞ、アンツェ」
「だが……! あのようなけがれた血を滅ぼす事こそ我らが悲願だというのに!」
 アンツェが吼えるようにそう言い放ち、暴れながらも女へ敵意を剥き出しにする。だがガリダの巨体はアンツェの抵抗を物ともしない。
「我らが死んでは元も子もない――覚えておくがいい異端の者よ、それに……そこの若人わこうど共」
 暴れようとするが腕を負傷しているせいか、アンツェの抵抗は段々と弱弱しいものになっていく。ガリダがそんな様子を余所に、女、そしてミーシャ達へと鋭い眼差しを向けた。

「――怨恨を残せば、次なる命が傷を負う事になるのだ」
 ガリダのその言葉は忠告でもするかのように、重圧を感じるものだった――そう言い残したガリダは大人しくなったアンツェと、茫然と様子を見ていた男の背を押し、主を心配するかのように見上げる猟犬達と共に去っていった。
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