35 / 51
三章 エルクラットから離れて
34 狩人の統率者 ズィーガ・グナ
しおりを挟む
その日の朝は何事もなく迎える事が出来た。焚き火の始末をした後で、辺りを見渡しても昨日のようにドラゴン達の鳴き声は聞こえない。川の畔で水を汲んでみると魚が一匹も居らず、荒野の僅かな資源は全てドラゴンが掌握しているようだった。
それにしては夜に襲撃されず、アンデッド達にも襲われず、穏やかに朝を迎えられた――それが、妙に引っ掛かりを覚えた。
「渓谷のドラゴンはこんなに数が少ないのか?」
疑問に感じたマットがタイタニラに尋ねれば、彼女は昨日までの快活な雰囲気から打って変わって、真面目な様子で何やら考え込んでいた。
「わざとかもしれないねぇ……」
「わざとって……そこまで考えるの? そのズィーガってやつ」
その言葉にアイラが訝し気に眉を寄せるが、タイタニラは鋭い眼差しを向ける。
「アレを甘く見ない方がいいよ、アタシの仲間も何人か食われてる。大体の奴は何が起こったか分からない内にやられたらしいからね」
そう声色を落とし、釘を刺してくるタイタニラの言葉に……ミーシャはぶるりと肩を震わせた。
無意識の内に、ミーシャの手は腰へ下げた銃をホルスター越しに触れていた。その事に気が付くと、ホルスターに伸ばされた己の手を見て信じられない気持ちになってしまった。
(前まで、あんなに怖かったのに……今は安心してる)
自覚はあった、今はこの鉄の塊が拠り所になっている。昨日もリーンシアが襲われると思った瞬間、手は引き金を引いていた。自らがやった事だというのに、今更恐ろしさを覚えるなんて……中途半端な考え方だ――そう自分を戒めると、ミーシャはホルスター越しに銃を握り締めた。
(でも、やるしかないんだ……皆さんの足を引っ張らないように……)
俯きつつもそう考えているミーシャの様子に、マットが何か気が付いた様子だったが……言葉を掛けるより先に、他の仲間は話が進んでいるらしく意識がそちらを向いた。
「お前は見てないのか、タイタニラ?」
一斬の問いにタイタニラは「うーん」と腕を組んでは唸って見せた。しばらく考えては、思い当たる節がないのか首を横へと振る。
「スパーニャも言ってたけど、逆光や影になってる場所でよく見えなかったんだよ。アタシの時も、キャラバンの連中を逃がすので精一杯だったしね……ただ言えるのは……見た瞬間〝普通じゃない〟と分かるだろうね」
「根拠は?」
「アタシの勘だ」
「なら当たるだろうな。嫌な話だ」
溜息混じりに一斬はそう零すと、マットの方へと振り返る。
「マット、後ろの方を任せていいか」
「あっ……あぁ、分かった」
声を掛けられて、上の空だったのか――少々遅れてマットは返事を返した。微かだが顔を強張らせたようにも思え、一斬がその顔を凝視していると……マットは視線を逸らして、白々しく咳払いして見せた。
「さぁ、行くぞ。時間が惜しい」
「……そうだな。俺が先を歩くから、タイタニラは道を教えてくれ」
話題を逸らしたようにも感じるが、一斬もそれ以上何かを問う訳でもなく会話を切り上げた。それから食事を済ませ、仕度をして立ち上がる。各々が武器をいつでも抜けるように、警戒をしながら進んでいくが……罠らしきものも無ければ、待ち構えている様子もない。
荒野には珍しい緑が生い茂る場所にも関わらず、鳥の囀りらしきものないせいか、その静けさから声を潜めて話す者も居なかった。おそらく、通行止めになる前に置かれただろう目印を頼りに進んで行くと、もうすぐスパーニャが話していた出口へ辿り着こうとしていた。
やはり生き物の気配はなく、その代わりに道を進む度に増えていくのは破壊された木の車輪、麻袋が転がり、その近くには折れてしまった剣に盾……明らかにキャラバンが襲われた跡だ。ここで金は意味を成さないせいか、道端にコインの詰まった袋すらあった。
しかし、彼らを襲っただろう襲撃者の姿は見当たらない。
一行がそれに違和感を覚え始めた矢先――不意に向けられた殺気に、全員、その場で足を止めた。
先頭を歩いていた一斬が、その気配と迫りくる羽音に空を見上げた瞬間、巨大な影が一行の頭上を通り過ぎた。風が木を薙ぎ払わんとする勢いで葉を揺らし、俄かに全員が武器を構える。
そして、それは空を旋回した後、悠々と背の翼を畳んで渓谷の出口へと降り立って来た。
だが、眼前へと姿を見せたそのドラゴンは人間を目視したにも関わらず、慌てふためく様子も怒り狂う様子もなく――ただ来訪者を見据えて丸い瞳を細める。
傷を負っては再生したのか溶岩を彷彿とさせる赤と黒の分厚い鱗。胸や腹などの蛇の腹を思わせる薄い土色の皮膚には無数の斬られた痕が残り、鱗に覆われても分かるほど隆起している筋肉、人と同じく二本の足で大地を踏み締めているせいか、見下ろす姿には威圧感を覚える。
今まで相手にしたドラゴン達が獣性のまま振る舞っていたのなら、眼前のドラゴンからは人に近いものを感じた。広大な赤い荒野を背にし、威風堂々と立ち塞がるその姿は、対峙する者へ畏怖の念を抱かせるには充分なものだろう。
そして、行く手を阻むこのドラゴンこそ、狩人の統率者――ズィーガ・グナだという確信を一行に持たせた。
目の前の統率者もまた、己の首を狙う存在と戦う事を望むのか――琥珀のような瞳が見開かれ、一際強く輝いたように思えた。
「ゴオォオォォオ――ッ!!」
統率者は渓谷を、大地を震わせるような雄たけびを上げ、戦いの火蓋を下ろすと――捕食者に相応しい眼光を一行へ向けた。背の翼が大きく広がり、羽ばたき、ドラゴンの周りに生温かく乾いた風が吹き荒れ始める。
微かに開いた口、牙の隙間から炎が溢れ、火の粉が風に乗って舞い上がった。
「来るぞッ!」
太陽の日射しとは別に、肌を焦がすかと錯覚しそうな程の熱が迫る――それを振り払うかのように、一斬が鋭く声を張り上げた。
それにしては夜に襲撃されず、アンデッド達にも襲われず、穏やかに朝を迎えられた――それが、妙に引っ掛かりを覚えた。
「渓谷のドラゴンはこんなに数が少ないのか?」
疑問に感じたマットがタイタニラに尋ねれば、彼女は昨日までの快活な雰囲気から打って変わって、真面目な様子で何やら考え込んでいた。
「わざとかもしれないねぇ……」
「わざとって……そこまで考えるの? そのズィーガってやつ」
その言葉にアイラが訝し気に眉を寄せるが、タイタニラは鋭い眼差しを向ける。
「アレを甘く見ない方がいいよ、アタシの仲間も何人か食われてる。大体の奴は何が起こったか分からない内にやられたらしいからね」
そう声色を落とし、釘を刺してくるタイタニラの言葉に……ミーシャはぶるりと肩を震わせた。
無意識の内に、ミーシャの手は腰へ下げた銃をホルスター越しに触れていた。その事に気が付くと、ホルスターに伸ばされた己の手を見て信じられない気持ちになってしまった。
(前まで、あんなに怖かったのに……今は安心してる)
自覚はあった、今はこの鉄の塊が拠り所になっている。昨日もリーンシアが襲われると思った瞬間、手は引き金を引いていた。自らがやった事だというのに、今更恐ろしさを覚えるなんて……中途半端な考え方だ――そう自分を戒めると、ミーシャはホルスター越しに銃を握り締めた。
(でも、やるしかないんだ……皆さんの足を引っ張らないように……)
俯きつつもそう考えているミーシャの様子に、マットが何か気が付いた様子だったが……言葉を掛けるより先に、他の仲間は話が進んでいるらしく意識がそちらを向いた。
「お前は見てないのか、タイタニラ?」
一斬の問いにタイタニラは「うーん」と腕を組んでは唸って見せた。しばらく考えては、思い当たる節がないのか首を横へと振る。
「スパーニャも言ってたけど、逆光や影になってる場所でよく見えなかったんだよ。アタシの時も、キャラバンの連中を逃がすので精一杯だったしね……ただ言えるのは……見た瞬間〝普通じゃない〟と分かるだろうね」
「根拠は?」
「アタシの勘だ」
「なら当たるだろうな。嫌な話だ」
溜息混じりに一斬はそう零すと、マットの方へと振り返る。
「マット、後ろの方を任せていいか」
「あっ……あぁ、分かった」
声を掛けられて、上の空だったのか――少々遅れてマットは返事を返した。微かだが顔を強張らせたようにも思え、一斬がその顔を凝視していると……マットは視線を逸らして、白々しく咳払いして見せた。
「さぁ、行くぞ。時間が惜しい」
「……そうだな。俺が先を歩くから、タイタニラは道を教えてくれ」
話題を逸らしたようにも感じるが、一斬もそれ以上何かを問う訳でもなく会話を切り上げた。それから食事を済ませ、仕度をして立ち上がる。各々が武器をいつでも抜けるように、警戒をしながら進んでいくが……罠らしきものも無ければ、待ち構えている様子もない。
荒野には珍しい緑が生い茂る場所にも関わらず、鳥の囀りらしきものないせいか、その静けさから声を潜めて話す者も居なかった。おそらく、通行止めになる前に置かれただろう目印を頼りに進んで行くと、もうすぐスパーニャが話していた出口へ辿り着こうとしていた。
やはり生き物の気配はなく、その代わりに道を進む度に増えていくのは破壊された木の車輪、麻袋が転がり、その近くには折れてしまった剣に盾……明らかにキャラバンが襲われた跡だ。ここで金は意味を成さないせいか、道端にコインの詰まった袋すらあった。
しかし、彼らを襲っただろう襲撃者の姿は見当たらない。
一行がそれに違和感を覚え始めた矢先――不意に向けられた殺気に、全員、その場で足を止めた。
先頭を歩いていた一斬が、その気配と迫りくる羽音に空を見上げた瞬間、巨大な影が一行の頭上を通り過ぎた。風が木を薙ぎ払わんとする勢いで葉を揺らし、俄かに全員が武器を構える。
そして、それは空を旋回した後、悠々と背の翼を畳んで渓谷の出口へと降り立って来た。
だが、眼前へと姿を見せたそのドラゴンは人間を目視したにも関わらず、慌てふためく様子も怒り狂う様子もなく――ただ来訪者を見据えて丸い瞳を細める。
傷を負っては再生したのか溶岩を彷彿とさせる赤と黒の分厚い鱗。胸や腹などの蛇の腹を思わせる薄い土色の皮膚には無数の斬られた痕が残り、鱗に覆われても分かるほど隆起している筋肉、人と同じく二本の足で大地を踏み締めているせいか、見下ろす姿には威圧感を覚える。
今まで相手にしたドラゴン達が獣性のまま振る舞っていたのなら、眼前のドラゴンからは人に近いものを感じた。広大な赤い荒野を背にし、威風堂々と立ち塞がるその姿は、対峙する者へ畏怖の念を抱かせるには充分なものだろう。
そして、行く手を阻むこのドラゴンこそ、狩人の統率者――ズィーガ・グナだという確信を一行に持たせた。
目の前の統率者もまた、己の首を狙う存在と戦う事を望むのか――琥珀のような瞳が見開かれ、一際強く輝いたように思えた。
「ゴオォオォォオ――ッ!!」
統率者は渓谷を、大地を震わせるような雄たけびを上げ、戦いの火蓋を下ろすと――捕食者に相応しい眼光を一行へ向けた。背の翼が大きく広がり、羽ばたき、ドラゴンの周りに生温かく乾いた風が吹き荒れ始める。
微かに開いた口、牙の隙間から炎が溢れ、火の粉が風に乗って舞い上がった。
「来るぞッ!」
太陽の日射しとは別に、肌を焦がすかと錯覚しそうな程の熱が迫る――それを振り払うかのように、一斬が鋭く声を張り上げた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
リヴァイアトラウトの背の上で
結局は俗物( ◠‿◠ )
ファンタジー
巨大な魚とクリスタル、そして大陸の絵は一体何を示すのか。ある日、王城が襲撃される。その犯人は昔死んだ友人だった―…
王都で穏やかに暮らしていたアルスは、王城襲撃と王子の昏睡状態を機に王子に成り代わるよう告げられる。王子としての学も教養もないアルスはこれを撥ね退けるため観光都市ロレンツァの市長で名医のセルーティア氏を頼る。しかし融通の利かないセルーティア氏は王子救済そっちのけで道草ばかり食う。
▽カクヨム・自サイト先行掲載。

王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

グランドスカイ物語
朝ごはんは納豆にかぎる
ファンタジー
「思う存分、楽しんで来なさい。何が起こっていようと悲観することはありません。あなたは『備え』ではあるが、何人も漏れず救い出す救世主などではない。ただ、■■■を目指すのです」
喋る動物たちが暮らす不思議な森、その森で唯一の人間――一人の少年がいた。
彼の名はニハマチ。好奇心と意思に満ちた瞳の、無邪気で天真爛漫な少年。少年は、森で研鑽と知恵を蓄える日々を過ごし、逞しく、健やかに自らを鍛え上げた。
彼が森で伸び伸びと育つ裏側で、「森の外の世界」では異変が起きていた。世界の全てを覆えるような巨大な「力」が、遥か世界の向こうから落下したのだ。その力は古来より、知る者の間では「多流(タルー)」と呼ばれていた。
力を手に入れた者たちの思惑と理想が巡り、暗黒の影が徐々に世界へ落ちていく。
そんな中、ニハマチは遂に外の世界へと旅立った。幸か不幸か、希望と冒険に胸を踊らせる彼が最初に出会ったのは、この世界において最も多流の恩恵を授かった者――世界最強の男だった。
世界を手中に収めんとする男と、ニハマチは一つの約束を交わした。
――『一年後、どちらが生きるか死ぬかの決闘をしよう』……そんな約束を。
まだ世界を知らない未熟な少年は、彼と同じ特殊な境遇を背負う少年少女と出会い、多流が落ちてきたと言われるもう一つの世界を目指す。
世界の名は「離天」。天離(あまさか)る向こう側にあると言われる世界を求め、宿敵である最強の男を倒すため、少年の旅が始まった――

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる