東の国の狼憑き

納人拓也

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三章 エルクラットから離れて

31 旅立つ前の決意

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 夜のコナカルルの宿は酷く静まり返っている。皆が寝静まる頃、ふと顔を上げれば月明りがカーテンの隙間から入り始めていた。ミーシャは、洋服を畳み終えると荷物を入れる袋へと仕舞う。ふぅ、と息を吐いた。

(もう少しでハバースに――)
「――ミーシャ?」

 不意にノックの音がして、慌ててミーシャは荷物をベッドの下へと隠した。心臓が飛び跳ねそうな気持ちを抑えながらも立ち上がる。扉を開けると、怪訝な顔をしてこちらを見下している一斬が立っていた。酒の臭いが微かに鼻をく。
「い、一斬さん……こんばんわ……」
「物音がすると思ったら……まだ起きてたのか?」
「なんだか眠れなくて……」
 本当は違ったのだが、咄嗟とっさに嘘を吐いてしまっていた。その後ろめたさからミーシャは不自然に目を逸らしてしまう。一斬はその言葉の後、少し黙った後で「なぁ」と声を掛けた。
「ベッドの下から何か出てるぞ?」
「えっ!?」
 ミーシャが急いで後ろを振り向くと、確かに荷物を詰めた袋が僅かに見えていた。視線を戻すと、一斬が何か言いたそうにミーシャを見据えている。その目線に、ミーシャは折れてしまった。
「ごめんなさい、実は……こっそり皆さんに付いて行こうと思ってました……」
 項垂れたミーシャに対し、一斬は眉を寄せ、しばらく黙り込んでいた。ミーシャが沈黙に耐え切れなくなりそうになると――再び口を開いた。
「……先生は知ってるのか?」
「はい……ブライ先生には伝えてました」
「じゃあ、先生より前にどっちに相談すべきかも分かってたよな?」
 責めるように強い口調で尋ねられて、ミーシャは力無く頷いた。一斬は吊り上げていた目を伏せ、大きく溜息を吐いた。
「なぁ、ミーシャ」
「は、はい」
「一緒に来るか?」
「えっ――」
 まさかそう言われると思わなかったのか、ミーシャが一斬の言葉に顔を上げると目を丸くした。一斬の方は険しい表情のままだが、先ほどのような鋭さは無いような気がした。
「どうなんだ?」
 確かめるように再度かれ、ミーシャは唇を震わせながらも開いた。
「い、行きたいです! でも……良いんですか?」
「なんで駄目だと思ったんだ?」
「だって……その、足手まといなのは分かってますから。力も、魔力もないですし……」
「だが行きたいんだろう? だったら俺はそうしてやる」
 そう当たり前のようにそう言い切った一斬に、ミーシャは唖然としてしまっていた。
「あの、私が尋ねる事ではないでしょうけど……どうしてですか?」
「じゃないと、どうせ後を追う計画でも立てそうだと思ったからだよ。お前、最近大人しかったからな」
「うっ……そんなに分かりやすいですか、私って……?」
「まぁな……お前はもうちょっと周りに相談するって事を覚えろ。一人で抱え込むから猪みたいに突っ込むんだ」
 そうたしなめた後、一斬はミーシャの頭を軽く撫でてから背を向けた。
「皆からは俺に言っとくから、準備も程々にして早く寝ろよ」
 片手を上げそう告げると、一斬は自室へと戻って行く。残されたミーシャは廊下へと出ると、その背に向かって声を掛けた。
「あの……ありがとうございます、一斬さん。……おやすみなさい」
「……あぁ、おやすみ、ミーシャ」
 振り向くと、一斬は口端を軽く上げて笑って見せた。

        *

「――そうして、私はここに来たんです」
「ふーん。あの狼がねぇ」
 ミーシャの目の前には巨人族の女――タイタニラがそこに居た。

 あの後、スパーニャの屋敷へと泊まる事になり、ミーシャが荷物をまとめているところにタイタニラがやって来たのだった。
「こんな力も無さそうで魔力もない小さい女の子が、なんで一緒にいるんだって思ってたんだけど」
「うーん……それは、私自身もちょっと不思議なんですけど……」
 いざ他人からも言われてしまうと、ミーシャ自身からしても、思い返せば疑問点が多い。無理やり付いて行こうとした点を見透かされていたとしても、果たして自分のような何の力もない人間を無理に連れて行こうとするだろうか?
「でも……私みたいな人間でも、何かの役に立てるのなら、付いて行きたいんです」
「ドラゴン狩りは旅行じゃないんだけどねぇ」
「分かっています」
 多少脅すようなタイタニラの声にミーシャは気を引き締めながらも返した。その危険性については、知識だけだが十分身に着けているつもりだ。

 ドラゴン――古代から存在したと謂われるが、その起源はいつからかはハッキリと分かっていない。強靭な肉体と鱗、そして空を自由に飛び回る巨体に見合う翼。
 人間より先に大地より生まれ、知能だけで言えば人間に最も近い存在という噂もある。それの長となればどれほどの脅威か、ドラゴンの実物を見ていないミーシャでもある程度の予想は出来た。

 そう考えながらも見上げてくるミーシャの表情をどう思ったのか、タイタニラは少女の顔をじっと見据え、何やら観察するかのように屈みこんでは顎を擦って見せた。無遠慮な視線に、何か責めるような言葉をぶつけられると思っていたミーシャは少し後退る。
「な、なんですか?」
「いや……チェイシーから聞いたんだが、ブライバークも変な弟子を取ったと思ってね」
「……先生を知ってるんですか?」
「そりゃあ、あいつも戦争に居たし、何より――アタシと同族だしね」
 それを聞き目を丸くして驚いた様子のミーシャに、タイタニラは首を傾げて見せた。
「なんだい、知らなかったのか?」
「……先生は自分の事をあんまり教えてくれなくて」
「相変わらず何考えてるんだか分からない男だね……まぁ、それでアタシもあいつと同じでが働くのさ」
「勘……ですか」
 そこでミーシャは、前に銃を貰った時にもブライバークから似たような事を言われたのを思い出した。あの時も、結局は銃があって助かったのだ。そのの良さは、ミーシャも身を以て知っている。
「不思議な事だがあんたが一緒に来るのはどう考えても無謀なのに、それでも良い方向に転ぶ気がするよ」
「……それって、巨人族の人達の能力、なんですか?」
「そうとも言えるし、そう言えないかもしれない」
 タイタニラの性格上、曖昧な答えは不自然に思えたが、タイタニラはさらに言葉を続けた。
「アタシ達ですら自分の体の事はよく分かってないしね。ただ……一つ言えるのは巨人族の大半ってのは自分の直感は信じる事にしてる」
 そう言い終えると、タイタニラは最初の時と同じように歯を見せて笑った。
「まっ、狼達が信用してるんだ。あんたの事はとりあえず信じるよ。……期待を裏切らないで欲しいね」
「は、はい」
 最後の言葉は念を押すかのようであったが、ミーシャは背を伸ばすと頷いた。緊張したように強張った少女に、タイタニラは大きく口を開けて笑った。
「そんな固くなりなさんなよ! 仲間同士なんだからさ」
「す、すみません」
「変な子だねぇ、ほんと……急に話して貰って悪かったね、アタシはそろそろ戻るよ」
「いえ……おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
 そうして部屋を出て行くと、すぐ傍に立って居る存在に気が付いた。

「聞き耳立てるなんざ趣味が悪いねぇ、狼」

 嘲笑するような笑みを浮かべ、タイタニラがそう言った。その存在……一斬は、まるでタイタニラを待っているかのように壁へと背をもたれさせていた。
「なんでミーシャに会った?」
 皮肉げな物言いも無視すると、一斬はその暗がりからでも分かるほどに目を光らせタイタニラを睨んだ。その視線に、タイタニラは肩を竦めて見せる。
「んな警戒しないでおくれよ。単純に何の力もない人間の子供を連れてて不思議だっただけさ……いやにあの子に拘るねぇ、新しい恋人かい?」
「そんなのじゃない」
「……その割には入れ込むねぇ」
 一斬の低い否定の言葉に対しても、タイタニラはおかしいと言わんばかりに喉で笑う。しかし、それもすぐに潜めた。
「まぁ、連れて来た理由は大体予想が付くよ。人狼の事件があったとなっちゃあ……あんたらの傍に居るだろう若い子は、狙われかねないだろうね」
 その言葉に一斬は眉を上げるものの沈黙を貫く。口を開かない一斬に対し、タイタニラは言葉を続けた。
「アタシは今の西の状況は知らないが……亜人に対する目なら昔から知ってるつもりだ。明日は、あんたもアタシも気を付ける事にしよう。お互い、後悔がない事を祈ってるよ」
「……悪いな、タイタニラ」
「あっはっはっ、巻き込んだのはお互い様だろう?」
 声を抑えながらもそう笑うと、タイタニラは一斬の肩を叩いて通り過ぎた。
「アタシの勘も、あいつの勘に負けてないからね。きっと大丈夫さ」
 最後にそう労わるかのような言葉を残し、タイタニラはひらりと手を振って歩いて行った。いつの間にか肩に力を入れていたらしく、一斬もふぅと溜息を混ぜながら息を吐いた。

(――今度はきっと上手くやる。守ってやるさ)
 そんな想いを抱えながら、一斬も部屋へと戻って行った。

 夜の帳が落ち、アンデリータの町へ冷たい風が荒野から流れていく。その風の中に、遠くから微かな咆哮が混ざっていたが……静まり返った夜、誰も、外の見張りですらその咆哮に気が付く事は無かった。
 
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