東の国の狼憑き

納人拓也

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三章 エルクラットから離れて

25 東の荒野、ハバース

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 草木も生え揃わない赤土が剥き出しとなった大地、道無き道を馬車が走る。
 いや、正確には「」と呼んでいいかは分からない。何せその荷を引いているのは、二足で立ち上がれるほどに発達している後ろ足に比べ、前足が酷く短い、赤と橙、そして黒の入り混じった鱗を持つ巨大な蜥蜴が四匹――鼻をひくつかせながら、顔色を変える事なく砂埃を巻き上げ客車を引き続けていた。
 ただでさえ荒れ果てた地でけたたましい音を立てる車輪が、小さな石を轢いただけでも大きく揺れ動く。

「――キャッ!」
 ガタッ! と一際大きく音を立て上下に揺れたかと思えば、客車から少女の悲鳴が聞こえて来た。

「おぉっと、悪いなぁ嬢ちゃん! 俺っちの運転は荒っぽいから気ィ付けなぁ!」
 その悲鳴に笑いながらしゃがれ声を掛けたのは御者席に座っているのは焦げ茶色の鱗を纏ったリザードマンだ。右目は斬られたような大きな傷跡が残っており目は閉じたまま、しかし隻眼だというのに手綱を握るその手に躊躇は無い。
「は、はいぃ……!」
 客車に居た少女――ミーシャは、激しく揺れる客車の中、舌を噛みそうになりながらもなんとかそう答えていた。どこかに掴まろうにも、荷物が転がっている客車内では何かを掴んでは揺れる度に手が離れていく。
「大丈夫かよ、ミーシャ」
 先ほどから落ち着かない様子のミーシャに、一斬が重石代わりの荷物を手渡す。ずしりと膝に重たい物が乗ると、体に揺れる振動は来るものの跳ねるように動く事は無くなりミーシャはほっと一息吐いた。
「す、すみません」
「ハバースは初めてだろ? 無理もねぇさ」
 揺れるもんなぁ、と苦笑をした一斬も体格的に小柄な方だからか、荷物が膝に乗っている。

       *

 コナカルルにやってきたその人物……いや亜人は、裂けた大きな口から牙が覗き、硬い緑の尖った鱗が生え揃っているリザードマンだった。その姿は鰐がそのまま歩いているかのようで、アリッサと背は同じほどだが頑強な肉体を持っていて、しかし目元に紅を塗っており、身に纏った紺色のドレスは、その体躯からは予測出来なくとも女性的な事が分かる。
「実はね、ノイの事で相談があるのよ」
 客の居ない宿を貸し切りにし、一斬達を呼びつけアリッサに席を外して貰うや否や、苛立たし気に葉巻へ火を付けたリザードマンはサイズが合っていないように思えるそれを銜えてから話し出す。
「ペペの姐さんよぉ、<食い張り亭>の問題だろ。そっちの宿で解決すりゃあ良いじゃねぇか」
「そうも言ってられないのよ」
 向かいに座っている一斬は、葉巻の煙を手で払いながらもリザードマン……<食い張り亭>の女主人でもあるペペを見上げた。ミーシャも隣に座っているが、嗅ぎ慣れない煙の臭いに軽く咳き込んでしまう。その様子を見て、ペペは「失礼」と煙草の火を自分の鱗で消した後、吸い殻を箱へと捻じ込む。
「他の宿じゃ駄目なのか? 言っちゃあなんだが、俺はあまり今は身動きが取れないぞ?」
「そんなの百も承知よ。でもあんたにしか頼めないの」
 懐へ箱を仕舞うと、ペペは煙の代わりに溜息を長く吐いた。
「先日、犯人が捕まったらしい<人喰い>事件があっただろう? あんたも巻き込まれたっていうじゃないか」
「あぁ……まぁな」
「アレに……ノイ達が一枚噛んでる可能性があるんだよ」
 多少躊躇いながらも苦々しくそう言ったペペに、一斬とミーシャは思わず顔を見合わせた。
「……聞かせてくれるか、姐さん」
「勿論、そのために来たんだからね」

 ペペはエルクラットで全てのリザードマン達の仕事を管理してる元締めのような存在だ。その日に荷物の運び出しから傭兵の仕事までペペに報告し、ペペ自身も調べる事がある。
「だけど、ノイ達の運び出した荷物だけ誰が調べたかも中身がなんなのかも分からないんだ」
「聖騎士団のリストは?」
「検問した奴が分からないってその一点張りだ。だから行く先がハバースって事以外、それがどこの町なのか村なのかも不明。こんなの初めてだよ」
「だけど、それが事件と関係するか分からないんじゃ?」
 ミーシャの質問にペペが爬虫類のような目をぎょろりと向けた。一瞬怯んだミーシャにペペはすぐ目元を緩め、伏せる。
「そうなのよねぇ、普通なら書き忘れで済ましたでしょうけど――」
「けど?」
「なんでもね、変な奴とノイ達が話し込んでるのを見たって話が届いたのよ。真っ黒なフードでいかにも怪しげな奴でね。事件の後でそいつの行方も探してるけど、未だに掴めていないんだよ。だから、なんて言えばいいのか……上手くは言えないけど、アタシには嫌な予感がするんだ」
 硬い鱗で包まれているはずのペペの手が、忙しなく片手を握り締めては離す。表情があまり読み取れないはずだが、明らかに不安げな様子を見て一斬は腕を組むと何やら考え込んだ。ペペは顔を上げ、一斬の顔色を窺うかのように見つめる。
「なぁ一斬、あんたは犯人がどんな奴か、知ってるんじゃないのかい? 聖騎士団の連中は教えてくれないんだよ。黒いフードの奴じゃなかったかい?」
 
 ――それが本題か、と一斬は眉を寄せた。

 あの事件に関わった全ての人物には犯人――ノグレスに関しては箝口令が敷かれていた。そのせいでペペの縋るような視線に、一斬は何も発する事が出来ない。口を開こうとしない一斬にペペが焦れた様子で「一斬」と呼び掛けて強く促す。

「――ならハバースに行って、ノイ達に直接訊けばいいでしょう?」

 階段から下りて来る足音が聞こえてくる。三人が振り向くと、チェイシーが封筒を持って微笑んでいた。

         *

「あの、チェイシーさん、傷は大丈夫なんですか?」
 激しい揺れの中、胸を刺されていた姿を思い出してミーシャが気遣うように声を掛ける。しかし、声を掛けられたチェイシーは微笑んで「平気よ」を返した。
「私達みたいな生き物は丈夫なのよ。滅多な事じゃ致命傷なんて負わないわ」
 そう海を思わせる色の瞳が細められたが、その美しさに目を引く分だけもう片方の目を隠している包帯が酷く目立っていた。そんなミーシャの僅かな視線の動きか、感情の変化も読み取ったのか、チェイシーは不意に顔を違う方へと向ける。
「それに……私からすればの方を心配した方が良いと思うけど」
 そう言った視線の先には……体躯の良い男――もといマットが客車の幅を取って寝転がっていた。顔色はまさに顔面蒼白と言ったところだ。傍にはリーンシアが付いており、アイラも心配そうに覗き込んでいる。そんなマットは自分が話に上がり、視線を集めている事に気が付くと力無くチェイシーの方を睨んだ。
「うるさい、め……」
「あら、さすがに意識は飛んでなかったのね」
「あまりからかわないでやってくれ、チェイシー」
 わざとらしくチェイシーが驚いたような声を出し、それに対してリーンシアが溜息混じりに釘を刺した。馬車は相変わらず揺れる、大きく揺れる度、声もなくマットがぐったりと青ざめていた。アイラが水を飲むように促しても、やはり弱弱しく首を横へと振る。
「ミーシャちゃん、酔いへの対策ってこれでいいの?」
「はい、とにかく楽な姿勢になって貰う事が重要ですから」
「酒でも飲み過ぎたかぁ、マット」
「……違う」
 一斬の笑い混じりな揶揄にも一言返すのが精一杯だったのか、もはや言い返す気力すら無くなったらしい。その後、マットは何も発しないまま虚ろな目で馬車に張られた客車の天井を眺めていた。

 エルクラットと真逆に位置する、荒野地帯ハバース。ミーシャ達が向かっているのはその中心都市――通称、要塞都市アンデリータ。

(一体どうなるんでしょう……?)
 新たな土地、そして謎を追う不安、乾いた風が運ぶ高揚感と期待――複雑な感情を携えて、ミーシャは馬車の揺れに揺られながら自分の持っている荷物を知らずの内に強く抱き締めていた。
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