東の国の狼憑き

納人拓也

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二章 向き合う覚悟

9 調査開始

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 その後、一斬はブライバークから軽い診察を受け、再びソファアに横になっていた。
「それじゃ、残りの人達からも血を貰って……話を聞かないとね」
「は、はい」
「気を付けてな」
「君が一番気を付けないと駄目なんだけどね」
「分かってるよ、先生」
 どこか釘を刺すようなブライバークの言葉に、一斬は顔色を悪くしながらも皮肉げに笑って答えた。

 最初に話を聞いたのはミーシャ達の住む宿<コナカルル>の近くで働いている人狼二人だ。三人が近寄ると警戒するかのように初老の男は眉を寄せ、多少顔色は悪いものの苛立ったように肩を揺らしているのは小さな少女だった。
「あの事件があった頃? 俺はいつも通り、宿近くの酒場で飯を出してたのさ。このペルモと一緒にな」
「アタシらが出て行ってたら客の誰かが絶対気が付いたからね。犯人なんてあり得ないわよ」
 男の名前はバンガジャ、少女の名前はペルモというらしい。ペルモの方は忌々いまいましげにリングを眺めており、今にもかじり付きそうであった。
「えっと、ペルモちゃん……」
「ちゃん付けしないで、アタシこう見えて十九よ」
「えっ」
 信じられないと言ったような反応にペルモは丸い月のような目を細め、慣れているのかうんざりしたような顔で驚いているミーシャを見上げた。
「十歳の時に噛まれたの」
 ほら、とペルモは左腕の裾をまくって見せる。そこには確かに大型の獣に噛みつかれた痕が残っていた。
「……俺は五十の時に噛まれたが、このペルモは俺より人狼歴が長いんだぜ。お嬢ちゃん」
 バンガジャもそう言って自分の右肩を擦って見せる。
「し、失礼しました!」
「ふん」
 慌てて謝るミーシャにペルモは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。後ろではブライバークが苦笑して、それから「バンガジャさん」と優しく話しかけた。威嚇いかくをするかのように歪んだ金色の目が、少しだけ和らいだ気がした。

「えらく珍しい場所で会ったな、ブライ先生」
「はい。事件の調査を手伝う事になりまして……お体はどうですか?」
 バンガジャはミーシャを一瞥して、それからブライバークへと視線を戻した。
「……最悪だよ、何せ目の前に肉が並んでるんだからな。今にも食い掛かりたいくらいだ」
「アタシよりマシでしょ」
「その割には元気そうだがな、ペルモ」
「……あっちでぐったりしてる奴に比べればね」

 そう言ってペルモは一斬の方へと目をやった。一斬は未だにソファアに体を預けて、耐えるように目を閉じていた。確かに彼と比べればペルモは涎を垂らしてもいない。

「まぁ……一斬は俺達すら近寄らせたくないようだったんでな。共食いになりそうだと思ったのか。俺も腹は空いた気がするが」
 その喋りは明らかに冗談めいたものだったが口端を吊り上げ、一瞬合った目には獰猛どうもうな色が見えた気がして……思わず冷や汗がミーシャの頬を伝った。ブライバークの方はそんなミーシャの様子も他所に朗らかに笑って見せる。
「あはは、帰ったら沢山食べればいいじゃないですか」
「帰れたらな」
 リーンシアを見るとバンガジャは鼻を鳴らし皮肉げにそう言った。恨めし気な視線にもリーンシアはまっすぐに見つめ返し、引く様子を見せない。
「本当に無実なら必ず帰すと約束しよう」
「灰にして家に帰す、なんていうのは止めて貰いたいがね」
「そんな事はしない。それとも、灰にされるような罪でも犯したか?」
「……いいや。俺は人を喰らった事はないぜ」
「ア、アタシもよ!」
 バンガジャは緩く首を横に振る。ペルモはリーンシアの方を見て、少々怯えた様子を見せながらも首を振り慌てて否定した。
「ここに居る奴らは皆そのはずなんだがね……あぁ、あの神父はどうだか知らんが」
 そう言ってバンガジャが訝し気に視線を向けた先には、少し離れた場所に座って祈りを捧げている神父服の男が居た。見目は若く、服の上から分かる体躯たいくと整った顔つきもあってか祈る姿は聡明そうめいな司祭を思わせる。
「あの人も人狼、なんですか?」
「気配で分かるわ。同族よ、一応ね」
 とてもそうは見えない男にミーシャが疑問を口にすれば、ペルモがすぐに答えた。同族、と言っても見知らぬ土地の男だ。向けている視線はバンガジャと同じく、歓迎しているとは言い難いものだった。
「出来たら、先にあいつから話を聞いてやってくれないか」
「いいですよ。ローレライさんは……」

 ブライバークが辺りを見渡すと、部屋の隅で壁に凭れかかりながら何やら考え込んでいる、明るい茶髪の女が立っていた。歳はおそらく三十代前半。体のラインが分かる真っ赤なドレスが目を引いた。彼女がローレライだろう。金色のリングも彼女が人狼である何よりの証拠だった。
 バンガジャは何やら呆けている女を見て深く溜息を吐いた。

「ナーシャはあいつと踊り子仲間だったからな……可愛がってたらしい。魔素も抜けたせいもあってなのか気落ちしてる。そこのお嬢ちゃん見たらぺろりと頭から丸飲みにするかもしれないぞ?」
 今度こそバンガジャが肩を揺らして底意地の悪そうな笑みをミーシャに見せた。喉を鳴らした時に唸り声も聞こえたような気がして、思わず生唾を飲み込む。青ざめたミーシャを見たペルモが「バンガジャ!」とまるで叱るような声を上げた。途端に男の笑みが引っ込む。
「笑えないジョークは止めて!」
「あぁ、悪かった。反応が面白くてつい。気にしないでくれお嬢さん、爺の食えない冗談さ」
「……ごめんなさいね」
「い、いえ」
 冗談を言うような男に見えなかったので、驚きながらもミーシャはなんとか笑って見せた。

 三人が近づいて来ると、神父は気が付いたのかおもむろに立ち上がり軽く頭を下げて会釈してきた。短く切り揃えられた黒髪に――何より目を引いたのは、青と金色が半分ずつ彩られた瞳だった。その目に気が付くと、ミーシャやリーンシアだけではなく、ブライバークも驚いた顔をしている。
「……あの、何か?」
 じっと見られている事に気が付いたらしく、神父は不思議そうに三人を見ていた。
「あぁ、いえ……失礼。はじめまして、私は亜人専門の医師をしているブライバーク・ロドニーといいます。こっちは助手の――」
「ミーシャ・メディールと申します」
「私は聖騎士団第五部隊のリーンシア・アールヴだ」
「これはどうもご丁寧に」
 神父は自己紹介をした三人に対して警戒する訳でもなく、むしろ穏やかな笑みを見せた。
「私はイヒト・シュフィール、コンカラット地方にあるクゼ・タリタという村で神父をしております」
 その柔らかい物腰と言葉は人狼というイメージからはかけ離れていた。それどころか、周りの人狼たちのような顔色の悪さも見えない。しかしイヒトの腕にも、他の人狼と同じくしっかりと金色のリングが付いている。
「お体はどうですか?」
「えっ? いえ、特に変わりは……」
 不自然に感じたのか、多少眉をひそめたブライバークが尋ねてまるで「質問の意味が分からない」と言いたげな様子で首を横に振った。そんなイヒトにブライバークは顎を擦り、少し考えるような仕草を見せた。
「エルクラットへは何をしに?」
 次にリーンシアが尋ねるとイヒトは「その……」と躊躇うよう言いよどんだ。
「人狼と呼ばれる人々を探しておりました」
「彼らを……? なぜだ?」
「私の村では、動物に変身できる人々は神からの使者だと信じられていました。狼もそうです。だからこそ、異端として扱われている人々に、この教えを通じて救う事が出来ないかと、そう考えていたのですが……」
「そんな村があるのか……」
 リーンシアが信じられない様子でそう零す。イヒトは「えぇ」と相槌あいづちを打って頷いて見せた。
「コンカラット全土ではなく、あくまで私の村に伝わる信仰です」
「土着信仰ということか……」
「はい。だからこそここで悪魔の使いや魔物のような扱いを受けているのが、私からすると信じられなかったのですが……」
「……失礼ですが、人を食べたくなったりした事は?」
 ブライバークの言葉にイヒトは驚き、心底嫌悪をしているかのように表情を歪めて見せた。
「とんでもない! そんなこと……考えたこともございません……!」
 そう声を荒げるとイヒトは身を震わせて青ざめた。その反応を見て、ブライバークはまた何か考えているようだった。
「事件当時は何を?」
「私は……宿で食事を頂いておりました。それより前は教会を訪れて、こちらの信仰と歴史を学ぶために図書館に居ましたね」
「なるほど。そういえば、どうして自分からここへ? リスクしかないと思うんですが?」
「人狼の人々にお会いしてみたかった事もありますが……何か皆さんの役に立てる事がないかと考えまして。しかしこんな状況のせいか、余所者なせいか、皆さんから警戒されてしまいましたが……」
 イヒトはそう言って、困ったように苦笑して見せた。やはり人狼と言われても信じられないような態度に思えた。

「飲み過ぎたわ……」
 最後に尋ねたローレライという女は疲れた……というより、二日酔いでもしているのか頭を抱えながらそう答えた。
「ナーシャが死んだなんてまだ信じられないわよ。仕事を放り出すような子じゃなかったし……今思うと、来るのが遅れてる時点で探しに行くべきだったかもね」
「事件当時は?」
「あの日は一日中お酒飲みながら踊ってたわよ、ステージにはおりもあってアタシ一人じゃ出られないようになってるの。弾みで変身して、お客さんに食い掛かったら駄目でしょ?」
 明るく、冗談めいた口調で笑って言ったローレライは、しかし次には長く溜息を吐いた。
「アタシが人狼だって知らないお客さんも居たけど……しばらくまた人前では踊れなくなるわね。バンガジャさんの所で働かせて貰わないと」
「大丈夫だよ、皆亜人には慣れて来てるからね」
「甘いわね先生、自分の知らない生き物に対する恐怖は一生付いて回るわよ。私達が噛み付かれた時を覚えてるみたいにね」
 皮肉げにそう言ったローレライは何かを思い出したのか、腕を覆うように長い手袋で隠れている右腕を擦った。そしてミーシャを見つめ、やはり疲れたような顔のままで微笑んで見せた。
「あなた、普通の人なのね」
「は……はい」
 突然話を振られ、ミーシャは肩を跳ねさせて背を伸ばした。そんな反応にローレライは目を細める。
「ナーシャも、私の前だと緊張してたわ。隙を見せたら食べられると思ってたのかもしれないけど」
「そんな事は――」
「でも、私に対しても普通に接してくれた、いいだったわ。きっと、この町に居る踊り子は皆そう思ってた……」
 自虐的な言葉に思わずミーシャが反応するも、その言葉もローレライは遮った。何かを思い出すように、天井を見つめた。金の瞳が微かに揺らいで、悔しそうに唇を噛んだ。
「<人喰い>に殺されていい娘じゃなかった……だからあなたも、事件に関わるのなら気を付けてね。私みたいな人狼が言えた口じゃないかもしれないけど」
 ローレライは相変わらず微笑んだまま、言葉は皮肉も混ざっているようではあったが、ミーシャを見ているその目には心配の色もあるような――ミーシャにはそんな気がしていた。

 その後は採血を始め、それぞれの血を調べる事になり一度診療所に戻る事になった。
「結局……怪しい人は居ないんだよね、アリバイも全員あるみたいだし。リーンシア、彼らを取り押さえた時に発作って起こした人が居た?」
「いいや。誰一人として食人衝動を起こしている様子の者は居なかった。そもそも人前にずっと居たという証言ばかりでな」
「あの神父さんもかい?」
「あぁ、本人が言っていたように図書室で司書が見ているし、会話もしたそうだ。あの目の色は目立つ上にコンカラットから来た人物だから覚えていた。それに……」
「それに?」
「入国時は人狼じゃなくて聖騎士団側は彼を普通の人間として入国させているんだ」
「人間……? でも、本人は人狼だって言っていますよね?」
 ミーシャが疑問の声を上げるとリーンシアは難しい顔をしては唸った。
「本人を見て分かったんだが、あいつからは魔素が全く感じられない。それに人狼として受け入れる手続きはしていても入国時には魔素があるか、不審な物がないかの確認をするだけだからな。あの神父の荷物は着替えと金くらいだったらしい」
「でもペルモさんは……」
「そうなんだ。他の人狼に訊いても、ペルモが言っていた通り彼は人狼だと答えてるんだ。一斬にも確認したが、あいつも人狼だと答えた」
「……どういう事ですか?」
 状況を整理したはずが余計に謎が増えてしまった。首を傾げたミーシャにリーンシアも眉間に皺を寄せては首を振った。
「私にも分からないが……とにかく人狼だと判断できる材料があって本人の自己申告もある以上は、あの神父を人狼として扱うしかない」
「……血も調べてみる価値があるかもね」
「あぁ、頼む。私の方からも色々と調べてみよう……ミーシャ、情報交換はコナカルルで行うとチェイシー達に伝えて貰っていいか?」
「分かりました。お伝えしておきます」
「それじゃ行こうか、ミーシャちゃん」
「はい」
 ブライバークに連れられて、聖騎士団本部を離れていく。ミーシャの脳裏には人狼たちの様子や言葉が何度も何度も頭に繰り返し映し出されていった。

 ――あの中に、本当に誰かを食べた人物なんて居るのだろうか?

 そんな疑問がミーシャの頭からは離れなかった。
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