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21話

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 誰もいないと思うと、気が抜けてしまう。いや、ルーファスの前だと抜けてしまうような気がする。

「そういえば、僕の隣の部屋って住めるような部屋だった?」
「大丈夫だ」
「そっか。ここに入る前に、隣りは雨漏りがするから入れない部屋だって聞いてたけど、勘違いしちゃってたな。ルーファス……様、出掛ける準備を手伝おうか?」

 危ない。ここは人気はないけれど、誰もいないわけじゃない。ちゃんと高位貴族令息と話すような言葉使いに変更しなければならない。先ほどの食堂でも気を抜いてしまっていた。

「大丈夫だ」

 三階にはあまり寮生がいない。廊下側は窓が並び、陽の光がそこから注いでいた。陽光の中に佇むルーファスは、眩しくて目を細めるくらい美しい。黒髪には天使の輪が出来、空の色をした潤んだ瞳もキラキラ輝いていた。

(王子もイケメンだけど、ルーファスはその更に上を行くなー……)

 少し日に焼けた肌は艶やかで、匂い立つような色気もある。BLゲームの制作陣がこれでもかっ! と詰め込んだ美の結晶のようだ。その要素をもう少し自分にもわけてくれたら、王子との恋も少しは進んだだろうか。

「サッシャ?」
「あ、なんでもないよ。それじゃ、荷物取ってくるから、ルーファスも……」
「やあ、おはよう……」

 カバン取ってきたら、という前に挨拶の声が聞こえる。僕はルーファスの後ろに顔を出して、その相手を見つけた。
「おはようございます。ナイジェル様」
 丁寧に腰を折り、挨拶を返せば大きな欠伸で迎えられた。

「ナイジェル様、また徹夜されたのですか? 朝食の時間はもうすぐ終了となりますので、早く向かわれた方がよろしいかと」
「うーん……起きたばかりで今はまだ食べる気がしないけど、後でお腹はすくかなあ。でもここの食事美味しくないんだよね」

 この寮生は同じ三階に住んでいる、隣国からの留学生だと聞いている。ナイジェル・ヴィーという名で、一学年上だった。褐色の肌、短い黒い髪、二メートル近い長身の美丈夫だ。本を読むのが好きで、よく徹夜をしていると聞く。サッシャに図書館を教えてくれたのもこの人物だった。

「昨日のご夕食を召し上がりにならなかったのですか? 今までとは比べ物にならないくらい美味でしたのに」

 昨夜の夕食の衝撃は、前世を思い出した時に匹敵する。何の肉かわからないが柔らかな肉のソテーは芳醇なソースがかかっていて何皿でも食べられそうだったし、デザートは甘くて幸せの味がした。

 転生して好きな物を食べられる健康的な体になったのに、孤児院では食べたいものは食べれなかったので、昨日の夜は夢じゃないかと思ったくらいだ。

 あんなに美味しい夕食を食べていないのかと思うと、ナイジェルが可哀想になる。そして手の中にあるお弁当を思い出した。ここにはきっととっても美味しい昼食……、サンドウィッチが入っている。お昼に食べるのを楽しみにしていたけれど、空腹な隣人……同じ階に住んでいるだけで、正確には隣の部屋ではないが会えば軽く会話するナイジェルに渡しても良いのではないか。

「ナイジェル様、よろしければこちらを召し上がりください。先日お貸し頂いた本のお礼です」
「……それはきみのお昼じゃないのかい?」

 差し出したお弁当を見て、ナイジェルは眠気が覚めたように目が瞬く。

「僕は先程、いつもより沢山朝食を頂戴いたしました。昼は学園の食堂へ参りますので、遠慮せずどうぞ」
「それじゃあ、遠慮なく」

 ナイジェルへ渡そうとしたお弁当は、ルーファスに遮られた。

「こっちを食え」

僕が差し出した弁当はルーファスが身を乗り出して遮り、自分が持っていた分をナイジェルの腹に押しつけている。

「ルーファス……様!」
「ありがとう、かな? えーっと、きみは誰? この寮にきみみたいな高位貴族令息はいなかったと思うけど」

 一目で高位貴族令息とわかるくらい、ルーファスの見た目は寮生と違っている。手入れの行き届いた髪や肌、身につけている物、所作などだ。

「あ、申し訳ありません。昨日引っ越してまいりました、ルーファス・キンケイド侯爵令息でございます。……僕と同じクラスなので、よろしくお願いいたします」
「へぇ、昨日、ね。部屋はどこ?」
「ええ、そうなのです。僕の隣の部屋に」
「隣……」
「どうかなさいましたか?」
「いや昨日は学園を自主休講して昼寝……、じゃなくて、体調が思わしくなくて休んでたんだけど、そう言えば大きな音が響いてたけど、荷物を運び込む音だったんだね」
「ナイジェル様、また学園を無断欠席なされたのですか? いけません、特待生は国の支援がありこの学園に通えるのですよ。勉学に勤しむのが礼儀というものです。僕たちはこの国の、民の血税でここにいるんです」

 僕は前世、学校にほとんど行けなかった。義務教育もろくに受けていないが、血縁上の父親が病院へ家庭教師を派遣してくれたので、ある程度の学力を持つことができたのだ。病院の先生や看護師、それに家庭教師から僕はいろんなことを教えて貰った。

 漫画やアニメは勉強用にと携帯端末が渡されたことで一気にのめりこんだ。さっきナイジェルに言った言葉は、その受け売りだ。けれど、実際自分がここで学ぶことになって、国がサッシャ・ガードナーという存在の未来に対して、期待しているのを感じた。特待生制度はそのための先行投資だ。

「サッシャは真面目だなあ。わかったよ、今日は出席する」
「毎日、通学してください。それから目の下のクマが酷いです。タオルを温めて目に乗せると少しは改善しますよ。僕が持ってきま……んぐっ」

 最後まで言えなかったのはルーファスが僕の口を手のひらで押さえたからだ。文句を言おうとしたが、押さえていて声がくぐもってしまう。

(離せ――っ!)
「むぐぐ――!」

「昨日休んで昼寝をしていたのなら、十分目は休まっているだろう。後は自己責任だ」

 口どころか腰にも腕を回され、抱え上げるように引き寄せられる。温かくて大きな体に包まれ、僕はドキドキする心臓を押さえることも出来ない。

(な、なんでっ!?)

「弁当をくれてやったんだ。失せろ」




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