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14話
しおりを挟む午後の授業が終わり、サッシャは教室を出て学園の敷地内にある寮へ帰る。
ルーファスたちと同じクラスだが、教室内ではあまり近寄らないようにしていた。というより、近寄れなかった。王子の周囲にはいつも幼なじみたちがいたし、その周りには近寄ろうとする女生徒たちが群がっていたからだ。
それにサッシャは他の生徒とは違い、教科と教科の間の休み時間も予習と復習に宛てていた。学ぶことが楽しいのもあるが、孤児院出身では学べないことが多々あり、その埋め合わせを今しているのだ。
午後の授業が終わったあと、他の生徒たちは帰り支度をしているけれど、サッシャはまだノートを開いていた。
(よし! こことここ、それで、ここをデューダー先生に聞きに行こう。こっちはこの前見てた図書館の本に載ってたような気がするから帰りに寄って調べよう。あ、今日はダメか。ルーファスが来るから、明日にしよーかな)
孤児院でサッシャに勉強を教えてくれたのは、王立学園に推薦してくれた司教だった。孤児院と教会は隣合った場所に立っていて、孤児院を出るまでの間、勉強などを見て貰えるのだ。その時にサッシャの優秀さに気づいた司祭にサッシャはその才能を見出され、学園入学に向けて勉強を始めたのだった。
前世の記憶があったし、病院に住んでいたような生活をしていたが、家庭教師がつけられていたので、サッシャとしてこの世界で生きていても年齢相応の学力はついていたと思う。けれど、貴族や金持ち達の子息に比べたら圧倒的にこの世界のことを知らなかった。
サッシャは今、その差を埋めようと必死で勉強しているのだ。
「サッシャ……?」
(この国の地理も歴史も面白い。隣国についてももっと詳しい本があればいいのにな。本が高価なのは辛いなあ……)
前世と違い、ゲームの世界に似ているとはいえ、印刷技術が未熟なこの世界では、まだ本は一般的ではなく大衆の娯楽にはなり得ないのだ。学術的な本はさらに高価で、平民が気軽に買えるものではない。王立学園に入って図書館を知り、サッシャはそれに夢中になっていた。貸出可能なら、申し込み用紙を書くだけで部屋で読むことも出来る。
「サッシャ」
名前を呼ばれた僕は、驚いてぎゅっとペンを握りしめノートに落としていた視線をゆっくりと上げる。僕に話しかける同級生は今のところ皆無だったので、幻聴かな、とも思ったが、そこには名前を呼んだ相手がちゃんと立っていた。
「ルー……キンケイド侯爵令息様。もしかして、僕を呼びましたか?」
「ああ。すまないが、少し生徒会での仕事がある。寄り道しないで部屋に帰っていてくれ」
「えっと……それなら、図書館に寄りたいんだけど……じゃなかった。寄りたいんですが、良いですか?」
時間には限りがある。王立学園に入学して、王子と恋をしようと思っていたが、勉強する時間も大事だし、疎かには出来ない。成績を落とせば自分をここに推薦してくれた司祭様に申し訳がたたないし、それに知らないことを知ることはとても楽しい。
クッキーを作るのも止められたし、ルーファスが生徒会の仕事をしている間に、調べ物を片付けてしまいたかった。
「……わかった。では、生徒会の仕事が終われば迎えに行く」
「いらねーよ! いや、あの、その……」
きっぱり断ろうとした時、ここはまだ教室で周りには聞き耳を立てているクラスメートがいることに気づく。
キンケイド侯爵令息様に口答えしている、という囁き声にサッシャは肝が冷える。孤児だということで遠巻きに見られているのは知っているが、高位貴族の子息に悪態をついたと学園生活に支障が出るのは避けたい。
「……まっすぐ寮に帰ります」
「ああ」
ルーファスは安心したように頷くと王子と幼なじみたちと教室を出ていく後ろ姿を見送る。僕は教科書などをカバンに入れ抱え、寮に戻るため教室を後にしたのだった。
教室を出て、学園から寮まではそんなに時間が掛からない。考え事をしながら歩くのは良くないと思いながらも、今日もルーファスが部屋に来るのならなにか出して持て成したいと考えていた。広い玄関を入り、部屋に向かう途中で足を止めた。
(そうだ。ルーファスが生徒会の仕事してくるなら、まだ時間あるんだしクッキー焼いて待ってようかな?)
それはとても良い考えのように思えた。豪華な食事に慣れているルーファスは、サッシャが作る素朴なクッキーが舌に合うのだと考えて、ハッとする。
(あれ? この設定、どこかで……)
王子に手作りクッキーを差し入れするイベントで、王子は王宮のゴテゴテしたクッキーは苦手で、ヒロイン(♂)の作る素朴なクッキーを好きになるという設定があった。
(王子も美味しいって言ってくれてたし、たくさん作ってルーファスに分けてあげよう)
その為には皿洗いのバイトを今度は二週間はしないとダメかなと思いながら、部屋に戻り鞄を勉強机に置くと、制服のままもう一度部屋を出る。
制服は国から支給されているが、私服は孤児院で支給された一着と寝巻き、あとは下着が数枚しかない。寮の貴族子息には僕の私服姿はあまりにもボロに見えるのか、私服姿で寮内をうろついた時に驚かれたので部屋を出る時は制服にしている。
目的地である厨房へ行くと、夕食の仕込み前なのか僕にクッキーの材料を分けてくれた見習い料理人が一人で野菜の下ごしえをしているところだった。
「あの、お願いがあるんですが……」
意識して可愛く聞こえるように声を出すが、野菜の皮剥きをしていた見習い料理人は顔も上げずにそっけなく言い放つ。
「お茶は二万ゼニー、菓子付きなら五万ゼニー、ちょっとした軽食は十万ゼニーになります」
この世界はBLゲームに似ているからか、日本の円がゼニーとなっていた。前世、お金を使ったことがなかった所為で、日本の物価とこの世界の物価がどれだけ違うかわからないが、孤児院育ちのサッシャとしてはお茶一杯でもあり得なくくらい高いなと思う。だからこそ、貴族令息とお金持ちの子息しか厨房に依頼を出すことが出来ないのだ。
「いえ、お金はないんですけど、皿洗いのバイトをするのでクッキーを作らせて欲しいんです」
そこまで言ってやっと見習い料理人は顔を上げてくれた。
「やあ、ガードナー。またクッキーを作らせて欲しいって?」
「はい! 今度はもう少し多めに作りたいんですけど、バイト期間でどれくらいになりますか? きちんとその期間働くので出来たら、今から作りたいんですけど」
孤児院育ちはよくこうやって揶揄われる。慣れてしまった嘲りを無視して、自分でも呆れるほど図々しいお願いをする。こうしないと悪役令息をやってくれると言ってくれたルーファスに、何もあげられなくて申し訳なく思う。
(ルーファスは、僕のために悪役令息をやってくれると言ってくれた。だから、クッキーをあげたいんだ)
「ふうん。図々しいな」
「すみません。でも僕ちゃんと皿洗いしますから!」
前にやった時も一度もサボらなかったし、洗い終わってからも皿の一枚一枚、カトラリーの一本に至るまで綺麗になるまできちんと磨いていた。実績はちゃんとあるのだ。
「だけど今からだろ? それだけじゃ足りないな」
「えーっと、あ、野菜の下拵えもやりましょうか?」
「それだけでも足りない。もう少しすれば他の料理人が来るんだ。その間ヒヤヒヤしてなくちゃならないだろ?」
確かにその通りだった。前は皿洗いが終わって、見習い料理人しかいない深夜に厨房を貸して貰えたのだ。
「でも僕、どうしても今作りたいんです」
ルーファスがクッキーを食べて「美味い」と言ってくれた顔が思い浮かぶ。床に籠を置いて野菜の皮剥きをしていた見習い料理人は、立ち上がってサッシャをジロジロ見てきた。
「こっち来いよ」
「はい!」
クッキーの材料を分けて貰えると思った僕は、嬉しくて元気よく返事をした。その後厨房の奥にある小部屋の扉を開けた見習い料理人に押し込まれた。
え? と思う間もなく、薄暗い小部屋の壁に体を押し付けられ、大きな体の見習い料理人の太い腕が首を押さえる。
「ぐ……っ!?」
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