18 / 66
14話
しおりを挟む午後の授業が終わり、サッシャは教室を出て学園の敷地内にある寮へ帰る。
ルーファスたちと同じクラスだが、教室内ではあまり近寄らないようにしていた。というより、近寄れなかった。王子の周囲にはいつも幼なじみたちがいたし、その周りには近寄ろうとする女生徒たちが群がっていたからだ。
それにサッシャは他の生徒とは違い、教科と教科の間の休み時間も予習と復習に宛てていた。学ぶことが楽しいのもあるが、孤児院出身では学べないことが多々あり、その埋め合わせを今しているのだ。
午後の授業が終わったあと、他の生徒たちは帰り支度をしているけれど、サッシャはまだノートを開いていた。
(よし! こことここ、それで、ここをデューダー先生に聞きに行こう。こっちはこの前見てた図書館の本に載ってたような気がするから帰りに寄って調べよう。あ、今日はダメか。ルーファスが来るから、明日にしよーかな)
孤児院でサッシャに勉強を教えてくれたのは、王立学園に推薦してくれた司教だった。孤児院と教会は隣合った場所に立っていて、孤児院を出るまでの間、勉強などを見て貰えるのだ。その時にサッシャの優秀さに気づいた司祭にサッシャはその才能を見出され、学園入学に向けて勉強を始めたのだった。
前世の記憶があったし、病院に住んでいたような生活をしていたが、家庭教師がつけられていたので、サッシャとしてこの世界で生きていても年齢相応の学力はついていたと思う。けれど、貴族や金持ち達の子息に比べたら圧倒的にこの世界のことを知らなかった。
サッシャは今、その差を埋めようと必死で勉強しているのだ。
「サッシャ……?」
(この国の地理も歴史も面白い。隣国についてももっと詳しい本があればいいのにな。本が高価なのは辛いなあ……)
前世と違い、ゲームの世界に似ているとはいえ、印刷技術が未熟なこの世界では、まだ本は一般的ではなく大衆の娯楽にはなり得ないのだ。学術的な本はさらに高価で、平民が気軽に買えるものではない。王立学園に入って図書館を知り、サッシャはそれに夢中になっていた。貸出可能なら、申し込み用紙を書くだけで部屋で読むことも出来る。
「サッシャ」
名前を呼ばれた僕は、驚いてぎゅっとペンを握りしめノートに落としていた視線をゆっくりと上げる。僕に話しかける同級生は今のところ皆無だったので、幻聴かな、とも思ったが、そこには名前を呼んだ相手がちゃんと立っていた。
「ルー……キンケイド侯爵令息様。もしかして、僕を呼びましたか?」
「ああ。すまないが、少し生徒会での仕事がある。寄り道しないで部屋に帰っていてくれ」
「えっと……それなら、図書館に寄りたいんだけど……じゃなかった。寄りたいんですが、良いですか?」
時間には限りがある。王立学園に入学して、王子と恋をしようと思っていたが、勉強する時間も大事だし、疎かには出来ない。成績を落とせば自分をここに推薦してくれた司祭様に申し訳がたたないし、それに知らないことを知ることはとても楽しい。
クッキーを作るのも止められたし、ルーファスが生徒会の仕事をしている間に、調べ物を片付けてしまいたかった。
「……わかった。では、生徒会の仕事が終われば迎えに行く」
「いらねーよ! いや、あの、その……」
きっぱり断ろうとした時、ここはまだ教室で周りには聞き耳を立てているクラスメートがいることに気づく。
キンケイド侯爵令息様に口答えしている、という囁き声にサッシャは肝が冷える。孤児だということで遠巻きに見られているのは知っているが、高位貴族の子息に悪態をついたと学園生活に支障が出るのは避けたい。
「……まっすぐ寮に帰ります」
「ああ」
ルーファスは安心したように頷くと王子と幼なじみたちと教室を出ていく後ろ姿を見送る。僕は教科書などをカバンに入れ抱え、寮に戻るため教室を後にしたのだった。
教室を出て、学園から寮まではそんなに時間が掛からない。考え事をしながら歩くのは良くないと思いながらも、今日もルーファスが部屋に来るのならなにか出して持て成したいと考えていた。広い玄関を入り、部屋に向かう途中で足を止めた。
(そうだ。ルーファスが生徒会の仕事してくるなら、まだ時間あるんだしクッキー焼いて待ってようかな?)
それはとても良い考えのように思えた。豪華な食事に慣れているルーファスは、サッシャが作る素朴なクッキーが舌に合うのだと考えて、ハッとする。
(あれ? この設定、どこかで……)
王子に手作りクッキーを差し入れするイベントで、王子は王宮のゴテゴテしたクッキーは苦手で、ヒロイン(♂)の作る素朴なクッキーを好きになるという設定があった。
(王子も美味しいって言ってくれてたし、たくさん作ってルーファスに分けてあげよう)
その為には皿洗いのバイトを今度は二週間はしないとダメかなと思いながら、部屋に戻り鞄を勉強机に置くと、制服のままもう一度部屋を出る。
制服は国から支給されているが、私服は孤児院で支給された一着と寝巻き、あとは下着が数枚しかない。寮の貴族子息には僕の私服姿はあまりにもボロに見えるのか、私服姿で寮内をうろついた時に驚かれたので部屋を出る時は制服にしている。
目的地である厨房へ行くと、夕食の仕込み前なのか僕にクッキーの材料を分けてくれた見習い料理人が一人で野菜の下ごしえをしているところだった。
「あの、お願いがあるんですが……」
意識して可愛く聞こえるように声を出すが、野菜の皮剥きをしていた見習い料理人は顔も上げずにそっけなく言い放つ。
「お茶は二万ゼニー、菓子付きなら五万ゼニー、ちょっとした軽食は十万ゼニーになります」
この世界はBLゲームに似ているからか、日本の円がゼニーとなっていた。前世、お金を使ったことがなかった所為で、日本の物価とこの世界の物価がどれだけ違うかわからないが、孤児院育ちのサッシャとしてはお茶一杯でもあり得なくくらい高いなと思う。だからこそ、貴族令息とお金持ちの子息しか厨房に依頼を出すことが出来ないのだ。
「いえ、お金はないんですけど、皿洗いのバイトをするのでクッキーを作らせて欲しいんです」
そこまで言ってやっと見習い料理人は顔を上げてくれた。
「やあ、ガードナー。またクッキーを作らせて欲しいって?」
「はい! 今度はもう少し多めに作りたいんですけど、バイト期間でどれくらいになりますか? きちんとその期間働くので出来たら、今から作りたいんですけど」
孤児院育ちはよくこうやって揶揄われる。慣れてしまった嘲りを無視して、自分でも呆れるほど図々しいお願いをする。こうしないと悪役令息をやってくれると言ってくれたルーファスに、何もあげられなくて申し訳なく思う。
(ルーファスは、僕のために悪役令息をやってくれると言ってくれた。だから、クッキーをあげたいんだ)
「ふうん。図々しいな」
「すみません。でも僕ちゃんと皿洗いしますから!」
前にやった時も一度もサボらなかったし、洗い終わってからも皿の一枚一枚、カトラリーの一本に至るまで綺麗になるまできちんと磨いていた。実績はちゃんとあるのだ。
「だけど今からだろ? それだけじゃ足りないな」
「えーっと、あ、野菜の下拵えもやりましょうか?」
「それだけでも足りない。もう少しすれば他の料理人が来るんだ。その間ヒヤヒヤしてなくちゃならないだろ?」
確かにその通りだった。前は皿洗いが終わって、見習い料理人しかいない深夜に厨房を貸して貰えたのだ。
「でも僕、どうしても今作りたいんです」
ルーファスがクッキーを食べて「美味い」と言ってくれた顔が思い浮かぶ。床に籠を置いて野菜の皮剥きをしていた見習い料理人は、立ち上がってサッシャをジロジロ見てきた。
「こっち来いよ」
「はい!」
クッキーの材料を分けて貰えると思った僕は、嬉しくて元気よく返事をした。その後厨房の奥にある小部屋の扉を開けた見習い料理人に押し込まれた。
え? と思う間もなく、薄暗い小部屋の壁に体を押し付けられ、大きな体の見習い料理人の太い腕が首を押さえる。
「ぐ……っ!?」
25
お気に入りに追加
125
あなたにおすすめの小説

平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。

モラトリアムは物書きライフを満喫します。
星坂 蓮夜
BL
本来のゲームでは冒頭で死亡する予定の大賢者✕元39歳コンビニアルバイトの美少年悪役令息
就職に失敗。
アルバイトしながら文字書きしていたら、気づいたら39歳だった。
自他共に認めるデブのキモオタ男の俺が目を覚ますと、鏡には美少年が映っていた。
あ、そういやトラックに跳ねられた気がする。
30年前のドット絵ゲームの固有グラなしのモブ敵、悪役貴族の息子ヴァニタス・アッシュフィールドに転生した俺。
しかし……待てよ。
悪役令息ということは、倒されるまでのモラトリアムの間は貧困とか経済的な問題とか考えずに思う存分文字書きライフを送れるのでは!?
☆
※この作品は一度中断・削除した作品ですが、再投稿して再び連載を開始します。
※この作品は小説家になろう、エブリスタ、Fujossyでも公開しています。

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
*
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

悪役令嬢と同じ名前だけど、僕は男です。
みあき
BL
名前はティータイムがテーマ。主人公と婚約者の王子がいちゃいちゃする話。
男女共に子どもを産める世界です。容姿についての描写は敢えてしていません。
メインカプが男性同士のためBLジャンルに設定していますが、周辺は異性のカプも多いです。
奇数話が主人公視点、偶数話が婚約者の王子視点です。
pixivでは既に最終回まで投稿しています。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。

身代わりになって推しの思い出の中で永遠になりたいんです!
冨士原のもち
BL
桜舞う王立学院の入学式、ヤマトはカイユー王子を見てここが前世でやったゲームの世界だと気付く。ヤマトが一番好きなキャラであるカイユー王子は、ゲーム内では非業の死を遂げる。
「そうだ!カイユーを助けて死んだら、忘れられない恩人として永遠になれるんじゃないか?」
前世の死に際のせいで人間不信と恋愛不信を拗らせていたヤマトは、推しの心の中で永遠になるために身代わりになろうと決意した。しかし、カイユー王子はゲームの時の印象と違っていて……
演技チャラ男攻め×美人人間不信受け
※最終的にはハッピーエンドです
※何かしら地雷のある方にはお勧めしません
※ムーンライトノベルズにも投稿しています
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる