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一章

運命と旅立ち

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 ルーユアンが重たい息を吐いた。まるで、運命、と口にしたことが彼に耐えがたい痛みを与えたかのように。しかし、彼の表情は笑顔を保ったままで、リリアルーラは愛する兄の心が読めずにぎゅうと拳を握った。
「どういうことかしら……」
「リリー、僕はね、王国の伝説にずっと懐疑的だった。あんな曖昧に綴られた言葉に、どれほどの意味があるんだろうって。だけど、レティス姉様もライラも、婚姻が決まったときはひどく幸福そうで、何が正しいのかわからなくなった。……ローリンが婚姻前に純潔を散らしたことは知っているね?」
「え、ええ」
 唐突に問われ、リリアルーラは反射的に言った。第三王女ローリンは婚約が決まるやいなや懐妊し、その婚姻に至るすべてが、通常の儀礼を何もかも無視して行われた。婚礼までの準備期間もたった二ヶ月で、先に予定されていた第二王女ライラの婚礼よりも早く式が行われたのだ。
 いくら双子とは言え妹姫が一年も早く、しかも婚礼前に子を孕むなど格好の醜聞の種になるかと思われたが、ローリンの夫となったイーガンシア帝国皇帝が彼の後宮を解散し、ローリンへの揺るがぬ愛を示したことであらゆる懸念は一掃された。
「あの時、父様も母様もローリンを叱らなかったんだ。どうしても納得がいかなくてね、ローリンと話をした」
 リリアルーラは呼吸すら忘れてルーユアンの言葉を待った。あの頃十四歳だったリリアルーラにとって、三つ上のローリンの懐妊は確かに衝撃だったが、それで王や王妃が取り乱していた様子がなかったことを思い出したのだ。王も、王妃も、ただただローリンを祝福していた。
「皇帝……ロイ様を見た途端、ローリンはロイ様の何もかもが欲しくなったんだそうだよ。だから、自分を捧げたと言っていた。ローリンが差し上げられるものなんて他には何もないからって、でもそれでロイ様が喜ぶなら、そうして自分がロイ様のものになれるのなら、他のことはどうでもよかった、って笑ってた。……まあ、叱るどころじゃないよね」
「……まあ」
 ぽかりと口を開けてリリアルーラは固まった。ローリンは四姉妹の中でも最も活発で明るい性質だ。あまりに活発すぎて、双子のライラとの見分けが簡単につくほどだが、ローリンはそれを補ってあまりある知性も兼ね備えていた。少なくともそんな無茶をしでかすような愚かな娘ではないはずで、それが、まさか。
 イーガンシア皇帝ロイにはリリアルーラも何度か会ったことがある。非常に背が高くがっしりした体躯の武人で、燃えるような赤毛が彼の激情をそのまま表しているように感じられた。言い方は悪いが、ローリンはその激情に押し流されたのだろうと思っていた。もちろんローリンがロイを愛しているのはリリアルーラにもわかっていたから、そのこと自体に問題はないと考えていたが、これではまるきり逆だ。
「でも……リリーは覚えてるかな……。ロイ様は、使者ではなくご自分で直接求婚にやって来たんだよ。ロイ様に請われた父様がローリンの姿絵を送って、ひと目見るなり都を発たれたそうだ。どうしてもどうしても、何があっても、たとえ国が滅ぶことになってもローリンが欲しかったから、って」
 もはやリリアルーラには言葉もない。まるで物語のようだが、彼女の姉であるローリンの身上に起こった事実に、開けたままの口を閉じることもできず、ただただ驚嘆する。
「まあ、できすぎだと思うけどね。それで、僕は……ああ、ともかく、僕はじっくり考えて――何もかもを運命に委ねると思ってたから、懐疑的に感じてたとわかったんだ。運命に出会っても、それで終わりじゃないのに。選択があって、結果があるんだ」
「……はい、お兄様」
「だから、運命を迎えに行こう、リリー」
「え?」
 ルーユアンに圧倒され、その真意を掴めないながらもなんとか頭を働かせていたリリアルーラは、とうとう思考を捨てて素っ頓狂な声を上げた。慌てて口を覆ってももう遅い。とは言え、先ほどまでずっとぽかんと口を開けていた自分にも、彼女は気づいていない。
「ねえリリー、禍の姫君って噂だけど、あれはリリーの美しさを誰も知らないからだろう? でも僕は……まあ、皆には悪いけど、リリーが姉妹のなかで一番きれいだって思ってる」
「そんなことないわ……私だけ、髪の色も目の色も違うし」
 褒められたことは嬉しいが、リリアルーラには諸手を挙げて喜ぶことなどできはしない。自分が醜女とはリリアルーラ自身思ってはいないが、彼女以外の姉妹は皆、ルーユアンと同じく輝くような金髪と空色の瞳を持っている。金髪は父王譲りで、瞳は母王妃譲りと思えば、自分だけがどこか除け者のように思え果てしなく羨ましい。何より、リリアルーラのエメラルドのような瞳は父王譲りと言え、白銀の髪は両親のどちらにも似ていない。
「リリーの髪は、おばあさまにそっくりだって父様がいつも言ってるだろう! それに、僕はお前の瞳が羨ましいよ。父様そっくり……いや、もっと深い碧だ。エメラルドと皆は言うが、陽射しが踊るバイフーラ湖のようだと僕は思う。瞬間で、角度で、輝きが変わるんだ。リリーの瞳は何より美しいよ」
「言い過ぎだわ、お兄様……」
「いいや、本当だ。だから、くだらない噂を流した皆を見返すためにもこちらから打って出よう。建国三年の式典とは言うが、正式な形で他国の要人を招くのはこれが初めてだそうだよ。新しい国だからね、やっとそんな余裕もできたらしい」
 ルーユアンの褒め言葉にこらえきれずもじもじ俯くばかりだったリリアルーラは、弾かれたように顔を上げる。そう言えば、「運命を迎えに行こう」と兄は口にしたのだ。
「お兄様、打って出るって……」
「噂はいつか途切れると思っていたけれど、鶏ほどの頭しかないくせに、馬鹿な奴らは忘れてくれないものらしい。リリーの美しさを見せつければ、何もかもが変わるさ。まあ、あまりの美しさに自分が誰かも忘れてしまうだろうけど」
「お兄様……?」
「リリー、僕はずっと怒ってたんだよ。お前は誰にも何も言わずに傷を抱えて、孤独を深めるばかりだったから黙っていたけれど。それが運命だというならそんなものは不要だ。幸福になるための運命以外、捨ててしまえばいい。ねえ、リリー。お前はただ、耳をすまして目を見開いていればいい。そうして、選べばいい」
 髪と同じく金色の睫毛がルーユアンの頬に影を落とす。いつも穏やかで優しいルーユアンらしからぬ言葉遣いに驚き続けるリリアルーラは、それでも揺らぐことない兄王太子の優雅さにいっそうの戸惑いを感じている。
「いいかい、リリー。お前は神の寵愛から外れた姫君じゃなくて、きっと最も寵愛が深いんだ。だから神もお前を手放せない。僕と一緒に行こう。運命を迎えに行くんだ。そして、選ぶんだ」
「……はい、お兄様」
 リリアルーラは兄の勢いに飲まれるように頷く。だが、ルーユアンの口調に打たれるものがあったのも確かだ。まるでお兄様自身がご自分に言い聞かせているみたいだわ、とも思いながら。


 とある晴れた日の早朝、バイフーラ王国第四王女リリアルーラは、兄王太子ルーユアンと共に住み慣れた王宮を出立した。行程を考えれば随分早い出立だったが、砂漠の手前にあるイーガンシア帝国に滞在する予定になっていたのだ。姉――皇妃ローリンに会うのは、四年ぶりだ。勿論ローリンの子供に会うのは初めてだし、なんと二人目の懐妊もわかったと言う。
 イーガンシア帝国での再会は喜びに満ち、また、思っていた以上に楽しいものだった。シャファーフォン王国での式典に先だって、公式の場に慣れることもできた気がして、リリアルーラは自分の内にかすかな手応えを感じていた。 
 イーガンシア帝国の城を出て三日後、シャファーフォン王国への国境へ辿り着いたときも、リリアルーラの胸にあったのは不安よりも期待が大きかった。

 そして、リリアルーラは誘拐された。
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