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6章
ハレム
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イルマの背中を見ながら、リリアルーラは粛々と歩いている。
さすがに夜会用のそれではないが、持ってきたドレスの中でも一番気に入っているものを着て、一昨日初めての謁見の際にも身につけたピアスとヘッドドレスをイルマに頼んで用意してもらった。
朝、目覚めた時既にサジャミールは隣にいなかった。あれほどぎゅうぎゅうと抱き締められ、苦しいとも思っていたのに、それから解き放たれた時には目覚めなかったことが不思議だ。だが、それだけリリアルーラが安心してサジャミールに身を委ねていた証のようにも思え、もう何も迷う必要はないと、更に気持ちを強く持てるような気がした。
昼食を青の間で共に、とサジャミールから誘われている。リリアルーラはそこで、サジャミールからの求婚を受け入れるつもりだ。
今日はまだルーユアンにも会えていない。彼は夜会の準備で忙しいのだ。兄に何も告げていないのは不安だが、運命を迎えに行こうと言ってくれたのもルーユアンだと思えば、反対はされないだろう。
イルマがふと足を止め、リリアルーラを振り返った。彼女にも、特に何も話していない。だが、今までドレスなどの指定をしてこなかったリリアルーラが突然あれこれ言い出したことを考えれば、何かしら気づいているのかもしれない。
「先ほども申し上げましたが、今日のリリアルーラさまはとてもお美しいです。陛下もお喜びになることでしょう。次の角を曲がれば青の間です」
「ありがとう、イルマ」
リリアルーラは心からの笑みを返し、背を伸ばした。動揺や恐怖からではなく高鳴る胸を、誇らしく思いながら。
だが、角を曲がった途端イルマが再び足を止めた。青の間の扉の前に、兵士だけではなく、女性の姿が見える。
「あら……、少々お待ちください、リリアルーラ様」
イルマが足早に扉へと向かう。待っていろと言われたが、リリアルーラもゆっくりと足を進めた。
女性がイルマに気づき、こちらへと駈けてきた。イルマたちのような侍女とは違って、派手な色彩の、身体の線が出るようなドレスを身につけている。
彼女は何ごとかシャファーフォン語でイルマに言い募った。早口すぎて、リリアルーラには理解できない。サジャミールと何度か聞こえたから、彼の話ではあるのだろう。
(サジャミール様のお身内かしら? ああでも、ご姉妹がいるとは聞かなかったわ)
サジャミールには三人の兄がいたと、ルーユアンから聞いた。だが、父母と同じく既にこの世に亡いと。だから、姉妹ではなくて親戚かもしれない。
彼女は髪や瞳の色こそ砂漠の民らしく真っ黒だが、人目を引く美貌はサジャミールと変わらない。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる身体も、肉感的な魅力に溢れている。正直見かけで女性として比べられたら、リリアルーラには歯が立たない。サジャミールの親戚であれば、それも納得できる。
突然、彼女がリリアルーラを見て目を剥いた。何ごとかを強い口調で言い放つ。びくりとリリアルーラが固まると、イルマが二人の間に割って入った。
「イルマ、この方は……」
「シャファ族の娘、キリアです。リリアルーラ様が気に掛ける必要はございません」
軽く振り返ったイルマが、ぴしりと答えた。再びキリアの方に向き直り、同じくぴしりと強い口調で何ごとかを話している。
イルマはキリアを気に掛けなくて良いと言ったが、ただの娘のようには思えない。耳から下がったピアスにも、首にかけられたネックレスにも、重たそうな宝石が煌めいているのだ。ただの娘が身につけるような代物ではない。
強い口調で話し続けていたイルマとキリアが口を噤んだ。リリアルーラは恐る恐る、イルマに声をかける。
「でも、何か私に仰ってる……彼女はなんて?」
「……どうしてリリアルーラ様がシャファ族の宝を身につけているのかと騒いでおります。陛下が贈られたと説明しているのですが、聞き入れません。仕方ありません、そう言う娘ですから」
「ええっ!?」
もしかして、ヘッドドレスとピアスだろうか。そう言えば、ルーユアンにこれについて問い質すのを忘れていた。いや、そうではなくて。
「シャファ族の、宝……? どういうこと、イルマ」
「それはあなたのような、さばくのそとのおんなが、みにつけるものでは、ない。さばくのたからは、さばくのおんなのもの!」
キリアが唐突に叫んだ。公用語はあまり得意ではないようで、たどたどしい上に敬語も使えていない。だが、彼女が言いたいことは充分伝わった。
「ごめんなさい、私、知らなかったの」
慌てて耳に手をやろうとしたリリアルーラを、イルマが止めた。
「リリアルーラ様、それはサジャミール国王陛下からの贈り物です。リリアルーラ様のためにサジャミール様が特別にご用意なさいました。この娘の言うことはお気になさらず」
「でも……」
「リリアルーラ様、サジャミール様の御心よりも、取るに足りない娘の言葉を選ぶのですか?」
「取るに足りないって、彼女、身分が高そうだけど……」
「サジャミール様の温情が大きいだけで、キリア自身に力があるわけではありません」
サジャミールの温情、と言う言葉が少し引っかかった。どういう意味か問おうとして、響いた声に口を閉じる。
『何を騒いでる』
サジャミールはシャファーフォン語を口にしたが、それくらいの意味ならリリアルーラにも理解できた。だが、次に声を発したキリアの言葉は、どうにも早口すぎて聞き取れない。
『サジャミール! どうしてこの人がシャファの宝を持ってるの? これはあなたの花嫁に送られるための宝石でしょう? まさか、この人が?』
『キリア、何故お前がここにいる。ここはお前のいるべき場所ではない。戻れ』
サジャミールの返しも、名前と「戻れ」くらいしかわからなかった。訪問が決まってから慌ててシャファーフォン語を学びはしたが、所詮付け焼き刃に過ぎない。
『だって、サジャミール、私は夜会に連れて行ってもらえないって聞いたから、びっくりして! 何のために私がハレムにいると思ってるの?』
『俺が望んだわけでもないのに勝手にいるのはお前だ、キリア。そもそも……まあいい。とにかく戻れ。今すぐ戻らないなら王宮を出て行ってもらう』
リリアルーラの耳に、「ハレム」という言葉が刻まれた。その単語の意味は知っている。
――後宮。
サジャミールは、キリアの存在を無視することに決めたようだ。スッと足を踏み出し、愕然と固まったリリアルーラの手を取る。
「リリアルーラ姫、驚かせてしまったようですね。いつまで経ってもやってこないから迎えに行こうと思って正解でした。さあ、こちらへ」
「サジャミール様……」
今この瞬間も、キリアの視線は痛いほど突き刺さってくる。だが、彼女はそのまま踵を返し、駆け出していった。
「あの、キリア様は……」
「あれのことは気にしないでください」
棘のある口調で言い放たれ、リリアルーラはそれ以上何も言えなくなる。手を引かれるまま、青の間へ足を踏み出した。
さすがに夜会用のそれではないが、持ってきたドレスの中でも一番気に入っているものを着て、一昨日初めての謁見の際にも身につけたピアスとヘッドドレスをイルマに頼んで用意してもらった。
朝、目覚めた時既にサジャミールは隣にいなかった。あれほどぎゅうぎゅうと抱き締められ、苦しいとも思っていたのに、それから解き放たれた時には目覚めなかったことが不思議だ。だが、それだけリリアルーラが安心してサジャミールに身を委ねていた証のようにも思え、もう何も迷う必要はないと、更に気持ちを強く持てるような気がした。
昼食を青の間で共に、とサジャミールから誘われている。リリアルーラはそこで、サジャミールからの求婚を受け入れるつもりだ。
今日はまだルーユアンにも会えていない。彼は夜会の準備で忙しいのだ。兄に何も告げていないのは不安だが、運命を迎えに行こうと言ってくれたのもルーユアンだと思えば、反対はされないだろう。
イルマがふと足を止め、リリアルーラを振り返った。彼女にも、特に何も話していない。だが、今までドレスなどの指定をしてこなかったリリアルーラが突然あれこれ言い出したことを考えれば、何かしら気づいているのかもしれない。
「先ほども申し上げましたが、今日のリリアルーラさまはとてもお美しいです。陛下もお喜びになることでしょう。次の角を曲がれば青の間です」
「ありがとう、イルマ」
リリアルーラは心からの笑みを返し、背を伸ばした。動揺や恐怖からではなく高鳴る胸を、誇らしく思いながら。
だが、角を曲がった途端イルマが再び足を止めた。青の間の扉の前に、兵士だけではなく、女性の姿が見える。
「あら……、少々お待ちください、リリアルーラ様」
イルマが足早に扉へと向かう。待っていろと言われたが、リリアルーラもゆっくりと足を進めた。
女性がイルマに気づき、こちらへと駈けてきた。イルマたちのような侍女とは違って、派手な色彩の、身体の線が出るようなドレスを身につけている。
彼女は何ごとかシャファーフォン語でイルマに言い募った。早口すぎて、リリアルーラには理解できない。サジャミールと何度か聞こえたから、彼の話ではあるのだろう。
(サジャミール様のお身内かしら? ああでも、ご姉妹がいるとは聞かなかったわ)
サジャミールには三人の兄がいたと、ルーユアンから聞いた。だが、父母と同じく既にこの世に亡いと。だから、姉妹ではなくて親戚かもしれない。
彼女は髪や瞳の色こそ砂漠の民らしく真っ黒だが、人目を引く美貌はサジャミールと変わらない。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる身体も、肉感的な魅力に溢れている。正直見かけで女性として比べられたら、リリアルーラには歯が立たない。サジャミールの親戚であれば、それも納得できる。
突然、彼女がリリアルーラを見て目を剥いた。何ごとかを強い口調で言い放つ。びくりとリリアルーラが固まると、イルマが二人の間に割って入った。
「イルマ、この方は……」
「シャファ族の娘、キリアです。リリアルーラ様が気に掛ける必要はございません」
軽く振り返ったイルマが、ぴしりと答えた。再びキリアの方に向き直り、同じくぴしりと強い口調で何ごとかを話している。
イルマはキリアを気に掛けなくて良いと言ったが、ただの娘のようには思えない。耳から下がったピアスにも、首にかけられたネックレスにも、重たそうな宝石が煌めいているのだ。ただの娘が身につけるような代物ではない。
強い口調で話し続けていたイルマとキリアが口を噤んだ。リリアルーラは恐る恐る、イルマに声をかける。
「でも、何か私に仰ってる……彼女はなんて?」
「……どうしてリリアルーラ様がシャファ族の宝を身につけているのかと騒いでおります。陛下が贈られたと説明しているのですが、聞き入れません。仕方ありません、そう言う娘ですから」
「ええっ!?」
もしかして、ヘッドドレスとピアスだろうか。そう言えば、ルーユアンにこれについて問い質すのを忘れていた。いや、そうではなくて。
「シャファ族の、宝……? どういうこと、イルマ」
「それはあなたのような、さばくのそとのおんなが、みにつけるものでは、ない。さばくのたからは、さばくのおんなのもの!」
キリアが唐突に叫んだ。公用語はあまり得意ではないようで、たどたどしい上に敬語も使えていない。だが、彼女が言いたいことは充分伝わった。
「ごめんなさい、私、知らなかったの」
慌てて耳に手をやろうとしたリリアルーラを、イルマが止めた。
「リリアルーラ様、それはサジャミール国王陛下からの贈り物です。リリアルーラ様のためにサジャミール様が特別にご用意なさいました。この娘の言うことはお気になさらず」
「でも……」
「リリアルーラ様、サジャミール様の御心よりも、取るに足りない娘の言葉を選ぶのですか?」
「取るに足りないって、彼女、身分が高そうだけど……」
「サジャミール様の温情が大きいだけで、キリア自身に力があるわけではありません」
サジャミールの温情、と言う言葉が少し引っかかった。どういう意味か問おうとして、響いた声に口を閉じる。
『何を騒いでる』
サジャミールはシャファーフォン語を口にしたが、それくらいの意味ならリリアルーラにも理解できた。だが、次に声を発したキリアの言葉は、どうにも早口すぎて聞き取れない。
『サジャミール! どうしてこの人がシャファの宝を持ってるの? これはあなたの花嫁に送られるための宝石でしょう? まさか、この人が?』
『キリア、何故お前がここにいる。ここはお前のいるべき場所ではない。戻れ』
サジャミールの返しも、名前と「戻れ」くらいしかわからなかった。訪問が決まってから慌ててシャファーフォン語を学びはしたが、所詮付け焼き刃に過ぎない。
『だって、サジャミール、私は夜会に連れて行ってもらえないって聞いたから、びっくりして! 何のために私がハレムにいると思ってるの?』
『俺が望んだわけでもないのに勝手にいるのはお前だ、キリア。そもそも……まあいい。とにかく戻れ。今すぐ戻らないなら王宮を出て行ってもらう』
リリアルーラの耳に、「ハレム」という言葉が刻まれた。その単語の意味は知っている。
――後宮。
サジャミールは、キリアの存在を無視することに決めたようだ。スッと足を踏み出し、愕然と固まったリリアルーラの手を取る。
「リリアルーラ姫、驚かせてしまったようですね。いつまで経ってもやってこないから迎えに行こうと思って正解でした。さあ、こちらへ」
「サジャミール様……」
今この瞬間も、キリアの視線は痛いほど突き刺さってくる。だが、彼女はそのまま踵を返し、駆け出していった。
「あの、キリア様は……」
「あれのことは気にしないでください」
棘のある口調で言い放たれ、リリアルーラはそれ以上何も言えなくなる。手を引かれるまま、青の間へ足を踏み出した。
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