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五章

イルマ

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 金を帯びた銀色の天井――天蓋に覚えがあった。
 リリアルーラは身を起こし、自らが横たわっていた王の床にため息をついた。赤い布地が目にも眩しい。
 サジャミールは、いない。
 ドレスもきちんと身につけているし、様々な体液に塗れていた身体もべたついていないが、これは、サジャミールが整えてくれたのだろうか。少し身体が軋む。朝目覚めた時よりもだるい気がするが、原因については考えたくもなかった。
「リリアルーラ様、お目覚めですか」
「……イルマ」
 紗幕の向こうからそっと顔を出したイルマは、いつもよりも優しげにリリアルーラを見つめた。
「いつから、いたの?」
「リリアルーラ様がお休みになられてしばらくしてからかと思います。お目覚めになられるまで側にいるようにと、陛下に呼ばれました」
「じゃあ、その、私は、ずっとここで、眠ってたの?」
「はい、今は夕暮れにはまだ早いくらいの時間でしょうか。陛下は執務に戻られました」
 イルマの口ぶりでは、彼女がリリアルーラの世話を焼いてくれたのではないようだ。国王に身支度をさせ、眠りこけていた自身に落ち込みかけたが、眠ったわけではなく失神したのだと思い直す。
 だが、気は晴れない。
「リリアルーラ様、食欲はいかがでしょう? お昼を取っておられませんから、もし何か……」
「ありがとう、イルマ。今は大丈夫」
「では、せめてお飲み物を」
「お水をお願いしていい?」
 イルマの心配りが細やかなのはこの数日接しただけで理解できていたが、今の彼女からは、どこかアーニャを彷彿とさせる労りを感じる。
「お身体は、平気ですか?」 
 イルマがどこまで把握しているかは定かでないが、どうも事実以上のことを想像されている気がする。どのように弁解すべきか思案しながら、手渡された水を飲み干した。
「平気よ。ありがとう、イルマ」
 イルマに杯を戻し、大きく息を吸い込むと、ふわりとサジャミールの香りが立ちのぼった。彼の匂いがドレスに染み付くほど、身体を寄せていたことを思い知る。イルマに誤解されて当然だ。
 そう言えば、リリアルーラはこの部屋にサジャミールに抱いて連れてこられた。イルマ以外の者も、邪推している可能性が高い。
「……はしたない王女と、皆も思っているのかしら」
 イルマは虚を衝かれたように背を伸ばした。大きく首を振る。
「そのように仰らないでくださいませ。……リリアルーラ様がここにいらっしゃることを知るのも、私と青の間の番だけです」
「だけど、サジャミール様は私を抱き上げて、ここへ……」
「陽射しに当てられ体調を崩されたから、陛下がお部屋にお連れしたと皆には話してあります。砂漠の気候は、強いですから」
 ふっと気が抜けたものの、イルマと部屋番は知っているのだと目を落とした。
「でも、イルマは思ってるでしょう?」
 普段のリリアルーラなら、そんなことを口にしなかっただろう。だが、この二日間に起こった怒濤のような出来事が、彼女の心を疲弊させていた。特に今は、身体も重い。
「いいえ」
 きっぱりと返され、リリアルーラは戸惑いに顔を上げた。イルマの黒い瞳が、ひどく優しくこちらを見つめている。
「リリアルーラ様、随分お疲れのようですね。陛下……サジャミール様は、無理を強いておりますか?」
「そんなことはないと、思うけど……どうなのかしら。よくわからない。何もかも、わからないの。こんなこと、初めてで、どうしていいのか……」
 まるでアーニャと話している時のように、リリアルーラは心の内を明かしていた。
「失礼ながら、恋とはそうしたものかと。自分ではない相手を想うのですから、わからないことばかりで当然ですわ」
「そう、なの? でも、……サジャミール様が何を考えておられるのかもさっぱりよ。仰ることもよくわからないし」
 長い長いため息を吐き、リリアルーラはイルマを見つめた。ひどく穏やかな気持ちだ。恐怖も緊張もなく、リリアルーラを苛むものが存在しないかのような安寧に包まれている。今、彼女が話しているのは、数日前に知ったばかりのイルマだというのに。
「私からも、話をしておきましょう。あの方にしては珍しく、余裕をなくされているだけとは思いますが。ここ数日は特に無理をしておられます。ですが、それだけリリアルーラ様に夢中なのでしょう」
 リリアルーラの頬にさっと朱が走った。だが、先ほどまでとは違う戸惑いも感じている。サジャミールについてのイルマの言葉は、いささか距離が近すぎる気がした。
「あの……昔からって。イルマは、サジャミール様とは、長いの?」
「私はサジャミール様の母君にお仕えしておりました。ですから、それこそ乳飲み子の時から、お側におります」
「そう、そうなの……」
 それだけ長く側にいたのなら、イルマの態度が近すぎて当然だ。そうして彼女は、サジャミールの愛するリリアルーラにも、何かしらの好意を抱いてくれているのだろう。だからこそ、こうもリリアルーラに安心をもたらしてくれるのだ。
 ……それならきっと、彼女は誰よりサジャミールを知っているはずだ。
「ねえ、イルマ。サジャミール様って、どんな方なの? 教えて」
「昨日もお話ししましたが、心根のお優しい方です。色々と言う者もおりますが、それは致し方ないことでしょう。あの方は心の内を明かすこともほとんどありませんし、王となるため多大な犠牲も払ってきました。ですが、本当に心の優しい……良い子です」
「優しい……」
「特に女性には優しい、と言いますか、敬意を払ってくださいます。砂漠では珍しい方ですね。女性の地位向上に対しても、非常に尽力しておられます。能力さえあれば、男も女もない、と」
 社会が男性優位なのは、シャファーフォンに限ったことではない。幸いバイフーラは女性の権利も認めているが、国によっては女性に対し、ひどい扱いをするところもあると聞く。
 しかし、どこかピンと来ない。確かにサジャミールは……優しい。敬意を払って……くれたような気もする。いや、どうだろう? 気がつけば拒めない羽目に陥っているのは、リリアルーラが悪いのか? ぐるぐると止めどなく思考が回る。無論、答えなど片鱗も見えない。
「リリアルーラ様、落ち着いたら部屋に戻り、湯浴みをいたしましょう。随分汗をかいたと聞いております」
「なっ!」
「ここへ来るまでに腕の中でひどく抵抗して、まるで子供のようだったと笑っておられました。ですが、頭も抱えておられました。どうにも求愛を受け入れてくださらず、しまいには興奮のあまり卒倒されたと」
 くすくすイルマが笑う。リリアルーラが危ぶんだようなことを彼女が考えていないと理解したが、それにしたって! とリリアルーラこそが頭を抱えたくなる。サジャミールは二人の間の性的な関係について明かしてはいないらしいが、もう少し言いようはなかったのだろうか。王の想いをないがしろにする、とんでもない悪女と思われていそうだ。しかし、イルマは優しく諭すように続けた。
「陛下が強引なのは確かですから、御心が理解できないのも当然でしょう。ですが、あの方は大変高潔でもあられます。本気でなければ、求愛などはなさいません。どうか、信じてあげてくださいませ」
 リリアルーラは途方に暮れた。信じたいのはリリアルーラも同じ……いや、既に信じてはいるとは思う。だが、どうしてもサジャミールがわからなくて、自分の中に確かな答えを見つけられないのだ。あんなことまでされて、結果的には許しているのに。
 リリアルーラは無言で首肯した。鼻先に、サジャミールの香りがふわっと漂う。
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