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エピローグ
東の荒れ野の彼方ヘ
しおりを挟む「もう無理よっ、どうせ間に合わないわよ、ナイっ!」
抵抗するシシィの声など無視して、ナイは東の荒れ野が見渡せる小高い丘の上まで一息に走った。魔除けの鈴を忘れたことに気付いた時は、村の境界ギリギリだった。
魔物に狙われたらひとたまりも無いが、運良く遭遇することはなかった。
息を弾ませ、向こう見ずな二人は立ち止まる。
「――――」
ナイは背伸びをして、東の船着場へと続く荒れ野の向こうを見詰める――。
星々が力を失い白み始めた空の下を、村を離れゆく三つの小さな影が見えた。
正確には二人と一匹。一匹は後ろ髪引かれるように何度も何度も振り返る。二人のうち背の高い影が低い方の肩を叩き、何ごとか語り掛けているようにも見えた。
――私が目覚めていたら、勇者さまは『一緒に行こう』と仰っただろうか。
ナイはかぶりを振った。ナイのことを考え抜いた勇者は、恐らく冒険に誘うことは無かっただろう。ナイはただの田舎の道具屋兼薬草師で、魔王を封印する勇者一行にとっては足手まといどころかお荷物にしかならない。いまも薬の副作用で全身を襲う猛烈な筋肉痛に歯を食い縛り、気を失わないでいるのもやっとのありさまだ。
勇者、剣士、酒場の看板娘、武具屋(あるいは似せ物師)、そして道具屋兼薬草師の自分。それぞれには本分いうものが、本来尽くすべきつとめがある。
また勇者がこの村に立ち寄った時に薬を売ることが出来るように。道を聞かれても案内できるように。そして勇者だけではない、村人も自分の薬を必要としているのだ。大事な家業を、自分の代で途切れさせるわけにはいかなかった。
この先、枕を濡らし眠れぬ夜を幾晩も過ごすかもしれないが、それが仮初めにも女神の御手となった自分の役目だと、ナイは気持ちを押し込めた。その選択が正しいのか自信がなかったけれど、霊体で北の祠を勇者達と旅している間に決めたのだ。
隣りに並んでいたシシィが、精も根も尽き果てたというように座り込む。
ナイが『お別れは出来たの?』と問うと、
「いいのよ、あんな馬鹿」
そう言い捨てたシシィのエメラルド色の瞳から、枯れ果てたかと思われていた涙が再び溢れ出す。隣にしゃがみ込んだナイは、意地っ張りな幼友達の肩を励ますように力強く抱いた。勇者一行が地平線の彼方の点となっても、しばらくのあいだ二人は、丘の上で黙って風に吹かれていた。そして太陽がゆっくりと昇っていく。
「知ってた、ナイ?」
シシィがぽつりと言った。
「アイツ、本当はどこかの王子さまだって言うのよ。天啓に従って、勇者を求めて王城を飛び出したんですって。いまどき、田舎娘だってそんなおとぎ話なんか信じないってーのよ。まったく、人のこと馬鹿にして」
「…………」
実際のところ、酒場の剣士の状態には隠された部分が多過ぎた。
王子だという、ゆきずりの相手に出自を明かしたらしい剣士マシューの善処は、とりあえずナイが受け取っておくことにした。
当の幼友達には、恋人の誠意が全く伝わっていないようなので。
――願わくば、勇者さまご一行が無事ご本懐を遂げられますように――。
ナイは世界を創ったという女神に祈った。
そして旅の間も『勇者さま』の心が安らかであるように、ナイはテンセイシャのいた異界の名も知らぬ神々にさえも、祈らずにはいられなかった。
ちなみに武具屋のロブは、自分の力作が魔獣と化して村で暴れたことよりも、ナイが寝込んでしまった方が堪えているらしい。
あれ以来、壊れた家屋の修理等の奉仕活動以外は店を締め切りにして籠もっているとシシィから聞かされた。そうでなくても似せ物作りで休業中だった武具屋に村人も困っているそうなので、ナイは目が覚めたその日のうちに隣家へと赴いた。
ナイがすっかり元気であることを告げると――まったく元気ではなかったが――やつれたロブに抱きつかれ男泣きされたので、ナイは痛む節々を押し殺して宥める羽目になった。ちなみに、全治するまで実に一ヶ月を要することになる。
「……た、ただの筋肉痛よ。ロブおじさんを残して、死ねるわけがないでしょ?」
そう言いながらもナイは、勇者一行が渡し舟で川を渡り、見知らぬ東の大地に降り立つ姿を想像する。開け放った鎧戸の向こうの青空を見上げ、こっそりかの地に想いを馳せるのだった。
その後、ナイが使ったロブの鉄槌は、司祭たっての要望で村の教会に寄贈された。道具屋兼薬草師のナイは勇者を助けた癒しの鉄槌使いの聖女(非公式)として、その地方では夏祭りの寸劇と共に長く語り継がれることになる。
もっとも、ナイが鉄槌を握ることは一切無く、司祭からの聖女呼びも丁重にお断りした。教会本部としても、アンデッドキメラを倒したとはいえ、薬で強化された庶民の道具屋兼薬草師風情を聖女認定するわけにはいかない大人の事情があるようで、眼鏡の司祭は悔し泣きしたがそれはナイの知ったことではなかった。
ナイの村での生活は、それまでとなんら変わることはない。
大きなカゴを背負って麦わら帽子を被り、前当て付き前掛けの紐に魔除けの鈴を提げ、野外にひとり薬草採取に出向く。もう隠すことのない両手をますます暗緑色に染め、晴れやかな気持ちで薬草を煎じ続けるのだ。
……と締めたいところだが、少しばかり誰にも言えない問題が発生していた。
あの一件以来、ナイの薬草採取にシシィが付いてくることが多くなったのだが、酒場の娘に過ぎないシシィが何故か一撃でイノシシモドキを倒せるようになったとか。同じ薬草を使った他の薬草師が煎じた薬よりも、ナイの煎じ薬の方がごく少量で飛び抜けた効果を発揮するようになったとか。一介の村娘の習熟度では済まないほどの経験値を一晩で受け取っていたことに気付くのは、またしばらくあとのことである。
いずれにせよ、いつの日か少年のようにはにかんだ笑みを浮かべた勇者が、再びコトリ村を訪れることを願って――ナイはまた今日も、薬草を煎じるのだった。
――了――
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