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エピローグ

北の祠にて

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「――お前らァ、一度、ワシの棲家の目前まで到達しといて何もせずに帰るとはァ、一体どういう了見だァァァァァア!」

 とりわけ巨大なカエル型の人語を話す魔物――この辺り一帯を支配する魔物の親玉――を前にして、勇者ライルと剣士マシューは顔を見合わせていた。

「んなこと言われたってなぁ、勇者よォ?」
「……僕達にも、色々と事情があるんです。気分を悪くされたら申し訳な――」

 そう言って律儀に頭を下げた勇者を、魔物は長い舌で絡め取って天井やら床やらにバシバシと叩き付けてから放り出す。マシューと大猫は回避が成功した。

「……痛たた。酷いなぁ、不意打ちなんて」

 頭を擦りながらむくりと起き上がった勇者の健康状態をで確認すると、体力はほとんど減ってはいない。ナイは安堵した。
 一方、いつものお下げ髪ではなく梳き髪に寝巻き姿のナイは、勇者も逞しくなったものだとしみじみ感じ入った。完全に幽体離脱の霊体である。

「どうせ倒しちまう奴に謝ったって、しょうがねぇだろ。早いとこやっちまおうぜ」

 そう言い捨てるマシューに、魔物の親玉は緑と紫だった身体の色を真っ赤に変えて怒り狂った。それまで以上に苛烈な攻撃技を仕掛けてきたが、勇者達はほとんど痛手を受けることはない。女神の筋書き外のアンデッドキメラを倒したことで、習熟度レベルが上がり過ぎてしまったのだ。ナイは苦笑いしながら一同の戦闘を見守る。

 ――取り越し苦労だったみたいね……お家に戻ろうかしら。実は、ナイの本体はアンデッドキメラを倒したあと、意識不明で伏せっているのだ。今もナイの身体は自宅の寝台の上にあり、やつれたシシィがつきっきりで看病を続けている。急遽、女神の御手となったことや各種薬の過剰摂取オーバードーズにより、ナイの心身の負担は限界を超えた。

 けれど、昏睡している間もナイの魂はずっと勇者達と行動を共にし、北の祠の魔物退治にまでついてきてしまったのだった。

 そして、続行不可能かと思われた夏祭りも、偽せ物師ロブがやっつけで仕上げた――間違っても魔獣化しないように簡素な――魔王の似せ物を使って、滞りなく行われた。材料だけは、存分に残っていたので。

 例年と違ったことは、旅回りの一座のお抱え脚本家が寸劇の内容を一部書き変え、勇者を助けて癒しの鉄槌を振るう聖女の役が追加になったことだ。もっとも、役者が揃わなかったのか、実際は少女とは呼べない妙齢の女性が演じていた。

 ナイは勇者の隣りにこっそり座り――もちろん霊体で――くすぐったいような気持ちで、一緒に寸劇を見た。以降、この地方で癒しの鉄槌使いの聖女の芝居が流行ることになるのだが、それはまた別の話である。

「…………」

 霊体であるだけに、ナイは沁みひとつない真っ白な手で勇者に触れる。すると、何故か傷付いた勇者の体力は回復し、さまざまな状態異常は治ってしまう。

 何故こんなことが出来るのか不思議だったが、ナイはあまり深く考えないことにした。女神の慈愛に満ちた癒しの力が、まだわずかながら残っているせいだろう。

 しかし大猫だけにはナイの姿が見えるようだ。
 始終、喉をゴロゴロ鳴らして宙を見上げているものだから、その様子がマシューの気に障るらしい。マシューは気持ち悪いからやめてくれと言いながら、挙動不審になっている。さすがの熟練の剣士も、目に見えないものは苦手なようだ。

「無念……こんなヒヨッコ共に、この俺が……げふっ」

 巨大なカエル型の魔物は勇者の一撃を食らい、ひと通りべらべら喋る前に絶命してしまった。情報を得る前に倒してよかったのだろうか。マシューは魔物が倒れた拍子に足元まで転がってきた封印の宝珠を拾い上げ、勇者に手渡しながら眉を潜めた。

「うわっ、食らった。こんな時に、癒しの鉄槌使いのナイちゃんがいればなぁ」

 よくよくば、マシューは猛毒に侵されている。
 魔物の親玉の、最後の悪あがきだったのだろう。薬袋替わりにされたのが何となく癪に障ったナイは、マシューの状態異常をあえて治さなかった。マシューは毒消しの丸薬を探して身体を弄っている。勇者は持参した毒消しを素早く差し出した。

「おぅ、気が利くな。そう言えば、お前、どうすんだよ?」
「何がですか?」
「何がって……ナイちゃんのことに決まってんだろ」

 一瞬、泣き笑いのような表情を浮かべてから、勇者は嘆息した。

「……僕の名前、とうとう最後まで呼んで貰えなかった」
「お前は、ナイちゃんにとって『勇者さま』だからな。てか、俺なんか最後までずっと酒場の剣士さまだったぞ。これって酷くないか?」
「一緒にしないでください」
「えー」

 本来なら、魂が身体に駆け戻ってしまうような赤面ものの話題だが、不思議とナイは他人事のように冷静でいられた。魂だけの、夢のような感覚だからかもしれない。
 そして勇者の足元では、相変わらず大猫が身繕いに精を出している。

「僕のこと、最後まで子供だと思ってた」
「現に、子供だろ。あれだ、手の掛る弟みたいなもんだな」
「ナイさんと、ひとつしか違わないのに。けっ、結婚だって、もうできるのに」
「そりゃ年齢の話だけだろ。責任も取れないのに、軽はずみなことをすんなよ。武具屋のオヤジに殺されんぞ」

 ――まぁ、身体ひとつで道具屋に転がり込むってのも有りだが。髪結いの亭主ならぬ、道具屋兼薬草師の亭主になるな。
 そう言いながら、男はニヤニヤと笑った。

「……マシューさんは、どうするんですか?」

 気軽に会話を交わす勇者とマシューの間には、見えない絆が芽生えつつあるようだ。ちなみに女神の筋書きでは、北の祠の戦闘で勇者が絶体絶命の危機に陥っている時に、マシューが助けに入ることになっていたそうだ。アンデッドキメラに見せ場を奪われたと、マシューは複雑な表情をしながら、冒険の合間に勇者へ語ったのだ。

「放っとけ。俺達は大人だし、お互い、納得づくなんだからな」
「そういう時だけ、大人って言うのずるいですよ。マシューさん」
「大人はずりぃんだよ」
「……僕は」

 それきり、勇者は何も言わなかった。ただ、黙ったまま迷宮の外に向かってきびすを返す。転がっていた大猫が慌ててあとを追い駆け、マシューも不味そうな顔で毒消しを無理矢理飲み下してから、地上に向かって歩き出した。

 勇者一行の長い旅は、まだ始まったばかりだった。

 
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