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5.前夜祭の長い夜Ⅱ

女神の御手たる道具屋兼薬草師

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 石化する、猛毒を食らう、あるいは混乱して敵味方構わず暴れてシシィに蹴り飛ばされ昏倒してから運ばれていく村人達を、ナイは歯噛みする思いで見詰めていた。

 もっとも、シシィのお陰(?)で正気を取り戻した司祭が祈りを捧げて負傷者を癒し始めているので、死人が出ることはない、と思いたい。薬と違って女神の慈愛に満ちた癒しの力は無尽蔵だからだ。とはいえ、司祭の信仰心が薄いのだろうか、ひとりひとりの処置に時間が掛かっており、どうにも効率が宜しくなかった。

 大猫を追うことを諦め、再び自棄を起こしたように暴れ始めたアンデッドキメラの元から勇者達が戻ってくるのを期に、ナイは再び鉄槌を拾い上げた。

 までもなく、勇者達は皆、何らかの状態異常攻撃を受けているのがわかる。取り急ぎ、各種状態異常に合わせて丸薬を配ったが、よほど酷い状態でない限り、今後は勇者達に対してさえ丸薬を出し惜しみすることになる。戦闘の開始当初から懸念していたことだが、ナイは口惜しさに奥歯をぎりりと噛み締めた。

 丸薬を持たない道具屋兼薬草師に出来ることは何なのかと、ナイは呪われたような暗緑色の手のひらをみながら自身に問うた。筋力強化薬頼りの鉄槌も、いつまでも振るっていられるわけではない。何か、自分に出来ることはないだろうか――。

「…………はっ!」

 北の荒れ野で勇者の命を救った奇跡のことを、ナイは思い出した。
 両手が一瞬光り輝き、勇者の体力を回復させたのだ。それと同じ奇跡が、この場で意図的に起こせないだろうか。
 ふと、アンデッドキメラとの戦闘に入る直前の、司祭の嘆きを思い出す。

 ――こんなことっ、私の……女神の託宣にないぞっ! どうなっているんだ!?

 そうだ、このアンデッドキメラの騒ぎは女神の筋書きに入っていないのだ。
 だとしたら、事態を筋書き通りに戻すために、筋書き外の力、つまり女神の力を乞うても許されるのではないだろうか。
 ナイはいつ果てるともない戦いに挑む勇者達の後ろで、一身に祈りを捧げた。

 ――女神さま。とるに足らぬ我が身ですが、女神さまの御手としてこの身をお使い下さい。女神さまの筋書きに無いアンデッドキメラを倒すために、北の荒れ野で勇者さまをお助け頂いたように、この暗緑色の手に女神さまのお力をお貸し下さい……!

 ナイの必死なは、創世の女神の御心を確かに捉えたようだ。
 
 この瞬間、間違いなくどこかで何かがされた。



「……あっ……」

 一瞬、視界が真っ白に染まった。北の荒れ野どころではない、まるで大地に降り注ぐ創世の女神の慈愛の力がすべて集約されるかのように、器たる自分の小さな身体に満ちていくのを、ナイは確かに感じていた。
 
「……ナイ……ちゃん?」

 基本、ナイからほぼ視線を外さないロブが口をあんぐり開け、手斧を取り落とすのを見た。ナイの身体から、勇者達だけでなく傷付いた村人や見物人、果てはアンデットキメラ自身も一瞬硬直するほどの聖なる白い光が溢れ出していたのだ。

「――――」

 ナイは女神の御手として誇らしい心持ちでいながら、人に限らず道端の名も無き野草の一本一本、魔物や北の地に眠るという魔王でさえも愛おしく思う慈愛の気持ちが、身の内に満ちているのを知った。
 勇者ライルの繕いたくなる擦り切れた短パンも、大猫の大き過ぎるお手々も、後見人の血走ったギョロ目も、幼友達の殺人的に尖った靴のヒールも、酒場の剣士の無駄に白く輝く歯でさえも、何もかもが、可愛くて可愛くてたまらないのだ。

 そしてそれは聖なる癒しの力でありながら、同時にこのままでは自分の身体が内側から弾けてしまうような危機も感じていた。ただびとの身で持つには、あまりにも大き過ぎる力だったのだ。とてもではないが身体がもたない。急がなければ。

 ナイが視線を落とすと、暗緑色に染まっているはずの両手と鉄槌も、真っ白に光り輝いている。すべてが終わっても、手だけはこのままだったらいいのに。

「……ええっと」

 ナイは神聖な光に怯えたように硬直しているアンデッドキメラの傍までトテトテと木靴で走っていき、ものは試しとばかりに手にした鉄槌で長い首のひとつを叩いてみた。聖なる光が、星屑のように辺りに弾ける。

「グゲェエエエッ!」

 大猫が毛玉を吐く音に似ていた。

 それが何の魔物の首なのかは、頭が高い場所にあり過ぎて見えなかった。
 しかし、たった一発だけで花が萎れるように力を失い、ニワトリによく似た魔物の頭が首ごと落ちてきて、どうと横倒しになり元の剥製の姿に戻ってしまった。勇者を始め村民一同が、目を眇めて眩しげにナイを見詰めている。を使うまでもない、コカトリスだった。お前か。お前が毒液をばら撒いていたのか。

「ちっ、ちょっと待てよ。あのしぶといアンデッドキメラが、小突いただけで?」
「……ああ、そうか。むしろアンデッドキメラだからこそか!」

 マシューは困惑している。勇者は何ごとかに気付いたのか、自分も殴ってくれとナイに走り寄って懇願した。ナイは言われるままに恐る恐る――なにせ元が鉄槌なので――勇者の頭をコツンと叩いてみる。辺りに聖なる白い光が飛び散った。

「――嘘だろっ?」

 マシューが頭を抱えて絶句した。ありとあらゆる状態異常を引き起こし、しかも猛毒まで受けて瀕死の状態だったはずの勇者の健康状態が、瞬く間に回復してしまったのだ。体力も満タンに戻っているのを、ナイはで確認した。
 しかもそれだけではない。物理的な攻撃力と防御力、魔法的な攻撃力と防御力、敏捷性に幸運度に信仰心と、あまり関係のない部分の値までも一気に跳ね上がったではないか。ぶっちゃけ、強化バフの全部盛り無駄遣い状態である。

 を持たずとも傍目にもその効果が実感出来るようで、マシューも殴ってくれとせがんできた。続けてマシューと、呆然としているロブを次々に殴った。

「ナイさんは今、女神さまの御手となっているんだね。毒の沼で僕を助けてくれた時のように……。君の中に溢れる癒しの力が、僕にも感じ取れるよ……」

 勇者は起きていながら神託でも受けているかのように、恍惚とナイを見詰める。

「えっ、そっ、そうなんですね?」

 女神の御手になっていることより、ナイは北の荒れ野で助けたことを勇者自身が気付いていたことの方が、嬉しくもあり恥ずかしくもあった。

 とにかく、ナイ自身が女神の御手となって地上に降り注ぐ慈愛の力のほとんどすべてをその身に集め、一時的にせよ使となったのである。

 
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