上 下
16 / 29
3.私の勇者さま、と言いたいのに。

ナイ、スライムも食わない目に合う

しおりを挟む
 
 
     *

 その夜のことだった。シシィの父親に頼まれた薬――主に酔い覚まし――を届けるため、ナイはランタン片手に通りを横切って酒場兼宿屋へと向かっていた。
 ――勇者さまはちゃんと北の祠の情報を手に入れられたかしら。そんなことを考えながら、酒場の玄関先にある階段を上がって扉を開けようとした時だった。

「――このぉ、ロクデナシがっ! お足が無かったら、一昨日おいでっ!」
「だから、俺がちょっと外に出て魔物を倒してくれば、ここの勘定ぐらいすぐに払えるんだって……おっと!」

 扉を開けたナイの前に突如として現われたのは、幅広の大きな背中だった。ナイは避け切れずに鼻っ柱をぶつけ、思わずその場に蹲る。一瞬、目に星が飛んだ。

「それまで酒代はつけといてくれって……おっ、ナイちゃん大丈夫か?」
「だ、大丈夫で……」

 そう言おうとしたナイの足元に、ぽたぽたと赤黒い染みが広がる。

「大変だっ、ナイちゃんが流血したっ!」

 口いっぱいに鉄の味が広がって、ナイは鼻血を噴いたことに気付いた。こんなことは、幼い時にいじめっ子の投げた石が鼻に当たって以来である。

「…………」

 酔客やシシィの父親の気の毒そうな視線を受けながら、ナイは不覚にも剣士マシューに横抱きにされ、厨房の奥にある長椅子に頭を上げて寝かされる羽目になった。
 鼻に当てた手拭きがみるみる赤く染まる。

「なんつー乱暴な女だ。年頃の女の子の鼻が曲がっちまったらどうするんだ?」
「鼻血なんてそのうち止まるわよ。大体アンタが酒代を払わないから――」

 そう言いながらも、シシィは真新しい手拭きをナイの鼻にあてがう。
 シシィとの長い口論の末にようやく店の外に叩き出されたマシューと、ちょうど鉢合わせてしまったらしい。
 店内の酔客達のうんざりしたような気配が伝わってきて、ナイは何だか申し訳ないような気持ちになった。せめて負傷者らしくと目を閉じる。

 二週間ほど前、酒場で初めて姿を見たマシューは酒に酔っていて、シシィに馬乗りされ殴られていたことを思い出す。それ以来、酒場ではシシィと『酒場の剣士』の掛け合いが名物となっていた。もっとも、誰も見たいものではないようだ。
 ――たしか、スライムも食わない、だったっけ? 意味が違ったかな。

 ちなみにスライムと言えば、草原の掃除屋と異名を取る屍肉を漁ることで有名なジェル状の魔物だ。ナイも薬草採取でちょいちょい見掛けるが、基本的には動作が遅く、生きている人間には興味が薄い。ただ、魔除けの鈴も無しに怪我を負って動けなくなってしまったとしたら――正直、危ない。

「――――!」

 肉を叩くような、小気味良い音が響く。様子を窺っていると、どうやらシシィのお尻を撫でようとしたマシューが、先に平手を食らったようだ。酒場の娘として物心付く前から酔客の相手をしているシシィである。世間知らずな自分とは違い、多少のことには動じないはずだが、マシューに対してはいつになく容赦がなかった。

 マシューに北の祠の辺りで助けて貰ったことや、その剣裁きの凄まじさなどをシシィに語って聞かせたのだが、さも興味がないように聞き流された。むしろ、そんな危険な場所まで二人と一匹で行ったことを叱られてしまった。

 そして、殴られても上機嫌で酒を飲み続けるマシューは、自分達を魔物から助けてくれた人物と同じとはとても思えない体たらくだ。ついこの間、魔物を山ほど倒したばかりだというのに、まさかその稼ぎを全て飲んでしまったのだろうか。

 鎧を外した楽な格好ではあったが、マシューの身に付けているシャツは簡素ながらも貴族が着るような上質な絹で仕立てられている。その上、カウンターの椅子に腰を下ろして組み替える細身のトラウザーズの足が、また長くて様になっているといったら。収支の釣り合いや所作が庶民からかけ離れ、ナイには得体がしれなかった。



 ナイがそんなことをつらつら考えながら休んでいると、二階の客室から古い階段をぎしぎしいわせて誰かが降りてくるのに気付いた。どこの村も同じで、酒場の二階は宿屋になっていることが多く、勇者やマシューだけでなく行商人や冒険者達が逗留しているのだ。個室だけでなく、懐の寂しい者達が雑魚寝する大部屋などもある。

 下の騒ぎに酒でも飲みたくなった客かと、興味本位に目を開けると、

「!」

 なんと、それは駆け出し勇者ライルだった。しかも鎧を脱いだ半袖半ズボンの姿で、ますますもって村の少年のように見える。ナイは血まみれの手拭を鼻に当てたまま起き上がったが、眩暈を覚えてまた長椅子に倒れ込んだ。
 ――なぜこんな時間に? 勇者さまは日の暮れと共に休まれるはずなのに。

 一瞬垣間見えた勇者の思い詰めたような表情が気になったナイは、シシィの父親の怪訝そうな視線をよそに厨房の床を這い、カウンターの端から顔を覗かせた。
 ちなみに勇者の個人情報は、酒場兼宿屋の娘であるシシィから仕入れた。決して勇者をつけ回しているわけではないと、ナイは誰にともなく声を大にして言いたい。

「あの……」

 勇者の緊張に震える声に、酔客の喧騒が一瞬静まる。
 十六歳で成人とはいえ、どう見ても子供にしかみえない少年が勇者としての過酷な運命を背負っていることは、村の誰もが知っていた。

「なんか用かい。勇者さま」

 マシューの前で立ち止った勇者の足元では、夜のように黒く艶やかな毛並みの大猫が横になり、寸暇を惜しんで身繕いし始める。
 勇者は意を決したように顔を上げ、

「あの、僕と一緒に、北の祠に行って貰えませんか?」

 ナイは思わず声を出しそうになった。すでに勇者は北の祠の情報を得ていたのだ。
 ――天啓によって定められた、勇者さまの相棒。
 そのことを考えると、ナイの胸はキリキリと痛んだ。大猫が守りナイが育てた勇者をマシューが鍛えてくれたなら、剣の腕前は飛躍的に向上するだろう。もしかしたら、魔王を再封印することも夢ではないかもしれない。

 しかしそれは同時に、勇者がこの村を去ることを意味する。
 相反する気持ちに板ばさみにされ、ナイは困惑した。だが、そんなナイの気持ちなどお構いなしに、マシューは麦酒を一息で飲み干してから、

「断る。女神の天啓だか宣託だか知らないが、顔洗って出直してくるんだな」

 と吐き捨てるように言った。勇者の顔が驚愕に歪む。まるで泣き出す寸前の子供のような表情だった。マシューも恐らく、女神の天啓を得ているはずではあったが。

「大体だな、女の子と猫ちゃんに頼りっぱなしのお子さまに、世界が救えると思うか? それでいいなら『酒場の剣士』にだって魔王を倒せるってもんだ」

 魔王と聞いて、勇者の顔色が変わる。
 未熟であることは、勇者自身が一番わかっているはずだ。
 勇者の気持ちに寄り添うあまり、ナイの心にはマシューへの殺意すら湧いてきていた。薬を買いに来たら、ものすごく苦いのを一個だけ渡してしまおうかしら。いや、ダメダメ。医に携わる者の端くれとして、そんなことしちゃ。
 勇者は俯いて下唇を噛み、きびすを返して足早に酒場を出ていった。



 酒場はすぐに喧騒を取り戻した。ナイは可憐な榛色の瞳を精一杯に見開いてマシューを威嚇したが、頭の中では昼間、シシィに言われた言葉がぐるぐる回っていた。

 ――挫折したら、田舎に帰っちゃうかもよ。

「追い掛けなさいな、ナイ」

 それと同じ声が、カウンターの後ろで蹲るナイを現実に引き戻す。くびれた腰に手を当て、引っ詰めた長い銀髪の下のエメラルドの瞳が力強く輝いていた。

「何ごとも、後悔しないようにしなさい」
「……なんつーか、俺、ナイちゃんに嫌われてんじゃね?」

 ――ナイちゃんの清らかな瞳で睨まれると、地味に凹むんだよなぁ。そう言って頭を掻くマシューを、シシィが手にした木の盆の角で殴りつけた。地味に痛そうだ。

「うんっ、ちょっと勇者さまの様子を見てくるね!」

 ナイは立ち上がり、シシィに力強く頷き返す。なぜか酔客達の暖かく励ますような眼差しを感じつつも、勇者のあとを追って店の外に出た。
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

惜別の赤涙

有箱
ファンタジー
シュガは、人にはない能力を持っていた。それは人の命を使い負傷者を回復させる能力。 戦争真っ只中の国で、能力を使用し医者として人を治しながら、戦を終わらせたいと願っていた。 2012年の作品です(^^)

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【完結】虐げられオメガ聖女なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました(異世界恋愛オメガバース)

美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!

俺のスキル『性行為』がセクハラ扱いで追放されたけど、実は最強の魔王対策でした

宮富タマジ
ファンタジー
アレンのスキルはたった一つ、『性行為』。職業は『愛の剣士』で、勇者パーティの中で唯一の男性だった。 聖都ラヴィリス王国から新たな魔王討伐任務を受けたパーティは、女勇者イリスを中心に数々の魔物を倒してきたが、突如アレンのスキル名が原因で不穏な空気が漂い始める。 「アレン、あなたのスキル『性行為』について、少し話したいことがあるの」 イリスが深刻な顔で切り出した。イリスはラベンダー色の髪を少し掻き上げ、他の女性メンバーに視線を向ける。彼女たちは皆、少なからず戸惑った表情を浮かべていた。 「……どうしたんだ、イリス?」 アレンのスキル『性行為』は、女性の愛の力を取り込み、戦闘中の力として変えることができるものだった。 だがその名の通り、スキル発動には女性の『愛』、それもかなりの性的な刺激が必要で、アレンのスキルをフルに発揮するためには、女性たちとの特別な愛の共有が必要だった。 そんなアレンが周りから違和感を抱かれることは、本人も薄々感じてはいた。 「あなたのスキル、なんだか、少し不快感を覚えるようになってきたのよ」 女勇者イリスが口にした言葉に、アレンの眉がぴくりと動く。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

処理中です...