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Ⅳ:十二月第四週:君は僕のもの
お母さんには言えない*
しおりを挟む走って走って、澄雨は車椅子専用スロープに辿り着いた。肩で息する澄雨の髪は、小雨でじっとり濡れている。何も考えずに家を出てきた。コートを着たままでいて良かったと思いつつ目を眇めると、スロープに人影がある。
「……赤猫さん」
ソファーで寝苦しくて目覚めた時、眠りこけた弟が胸の上に乗っていて、付けっ放しのテレビから最寄駅で飛込み自殺があったというニュースが流れていた。歩道で気を失った自分を、誰かが家まで運んでくれたのだ。
「助けてくれて、ありがとう」
赤猫はスロープの金網に背を預け腕を組んだままで、何も言わなかった。なぜか、少しも雨に濡れているようには見えない。
「誰かが電車に飛び込んだんでしょ。どうして、事故が起こるって分かったの?」
鳴り止まない警報は、ホーム内で何らかの問題が発生して電車が入り切ることが出来ずに、近くの踏切の辺りまで車両が残っていることを意味する。父親の事故のニュースの時もそうだったのを、澄雨はまだ覚えていた。
赤猫はまだ電車が来ていない段階で、澄雨に去れと言ったのだ。誰かが飛び込む前にその労しい死を察知していたことになる。
赤猫は造作もないとばかりに肩を竦め、
「シノニオイが濃くなるから、それで大体の時期と場所は掴める。シノニオイに誘われて、心の弱った人間共が寄ってくるんだ。僕達にはそういう場所が分かるんだよ」
だから、ホームが一望出来る車椅子専用スロープでずっと見張っていたのだ。
夢の扉を掻い潜り、心の奥底から黒い泡を撒き散らしながら、赤猫との出会いの記憶が甦る。
三年前、恐らくは父親が駅のホームで飛び込んだ瞬間も、すぐ傍で見ていたに違いない。
――お父さんの魂を持って帰るために。
澄雨は奥歯を噛み締めた。もちろん赤猫が父親に悪意を持っていたわけではなく、火車とはそういう存在だと分かってはいる。それでも澄雨は、言葉にならない憤りを必死で押さえ込んだ。
「赤猫さんは……あの時の火車なのね」
「ようやく思い出してくれたのかい、物忘れ姫。再会の抱擁は期待して良いのかな?」
「そっ、そんなのするわけないでしょっ!」
「大人の君はつれないねぇ」
赤猫の嘆きなど一切無視して、
「教えて。なんでみんなには赤猫さんが見えないの? どうして私は赤猫さんのことを忘れてしまったの? ほんの三年前のことなのに」
「僕はこの世の存在ではないから、人の記憶に残り辛いんだ。見えないというより目に映っても気にならない仕様になっているのさ。でも特定の人間には分かる」
例えば君の弟とか――そう赤猫が呟く。
「みっ、みーたんが? どうして?」
「幼い彼は穢れなき瞳で僕を見付けてしまう。もっとも、人と関わりを持つまでのわずかな期間ではあるけれど。こういう子供は意外に多いよ」
だから幹也が赤猫を見付けて澄雨が気付くが、通行人や美緒には分からないのか。
「僕から離れれば、自然と僕のことを忘れてしまう。切ない立場だと思わないかい?」
澄雨は、はっと息を飲んだ。
「……ちょっと待って。みーたんを連れていない私が、赤猫さんに話し掛けてるって」
「そうだね、よくひとりで僕を見付けられたものだと、正直驚いているよ」
それは少なからず、君が異界に片足を突っ込んでいるからだと、赤猫は意地の悪い笑みを浮かべた。君からもシノニオイがする、と。
「どっ、どういうこと? 出会った時には、ニオイがしないって言ってたのに」
「僕はシノニオイの濃い場所にいる。僕と触れ合うたびに、君は少しずつこちら側に引き寄せられているんだよ。幹也君は子供なりに僕を追い払おうと、いろいろ頑張っていたけどね」
そうそう、お父さんは君の危機を知らせるために、家族へメッセージを送っていたんだよ。でも誰とも波長が合わなくて――そう言って赤猫は笑いを噛み殺す。
父親のメッセージとは母親が見ていた血の池地獄の夢であり、澄雨が挿絵で見た火車の幻のことなのだろうか。美緒のタロットに現れていたという死神は、赤猫の存在そのものを指していたのかもしれない。
幹也や美緒、父親までもが自分の危機を知らせるため、あるいは危機を退けるために何らかのアクションを起こしていたのだ。
――でも、私は全然気付かなかった。
澄雨はまつげに溜まる雨粒を拭う振りをして、口惜しさの涙を腕でぐいと拭った。
「で、僕が何をしに来たか思い出したかい? 自殺者の魂を狩ったのはついでさ」
一緒に行こうと、澄雨へ手を差し伸べる。人より温度の高い温かな胸へと、硫黄の香りが誘うよう。澄雨はつかの間、目を閉じた。
「……確かにあの時、私は赤猫さんの誘いに応じた。そして赤猫さんが迎えに来てくれるまで頑張ろうって思って、実際に頑張ってきた」
すべてを断ち切るように首を振る。
「でも、赤猫さんと一緒には行けないよ」
「何故?」
赤猫の手は、そのまま空しく宙に浮く。
「だって、私が急にいなくなったら家庭崩壊しちゃうもん。私はもう、母親業の代行っていう家庭の役割に組み込まれているから」
「君は役割と心中するつもりかい?」
「違う、必要とされてるってことだよ」
「現世にどんな未練があるっていうの。君が頑張ればお父さんは甦るかい? 君が良くやってるからもう莫大な損害賠償は払わないでいいなんて、どこかのお金持ちが言ってくれると思うかい?」
「そんな、都合の良い奇跡は信じてない」
澄雨はこぶしを握り締めて叫んだ。
「でも、お父さんが死んでヤケになって居場所を見失ってたあの時とは違うのっ!」
大げさな身振りで天を仰いだ赤猫は、盛大なため息を付く。
「つまり、けなげな娘を演じていたはずが、本当にけなげな娘になってしまった?」
澄雨は答えなかった。おさんどん女子高生という、いまの姿がすべてなのだ。
「君のその慎ましやかな胸の奥に、ネガティブな感情がひとかけらも残ってないと言い切れるかい?」
「それは……」
心の底から時々浮き上がる黒い泡。閉じ込めても閉じ込めても、浮き上がって表層にわだかまる。澄雨の顔に苦悶の色が表れた。澄雨の変化を見ていた赤猫は、
「ふむ。ひとつ賭けをしよう、澄雨」
「かっ、賭けって?」
「あそこのスーパーの入っている駅前ビルで、クリスマスの晩に事故が起きる。大勢の人が死ぬけれど、僕と一緒に来る気があるなら君もおいで」
――苦しまずに死ねるだろうからと、赤猫は続けた。まだ炯炯とネオンサインが輝くビルに、澄雨は思わず目を向ける。地下のスーパーは夜の一時まで営業だった。
「そっ、そんなの信じられない!」
澄雨の困惑などどこ吹く風とばかりに、赤猫は辺りをフンフン嗅いで見せ、
「君には分からないのかい。シノニオイがあちこちから集まって、鼻を突くような強烈な臭いになっている。これだけ臭えば、鼻の利かない我が同胞達も集まり始めるだろうね。そうだ、いまの君ならもう少しだけ、シノニオイを足してやれば――」
「えっ? ちっ、ちょっ? や」
いきなり間合いに入られたと思いきや、背を金網に押し付けられて口を塞がれる。
三年前の額へのキスとは違い、澄雨の何もかも、魂までも奪い去るような口付けだった。口から吹き込まれる”良くないもの”に、溺れるように気が遠くなる澄雨に、
「意識を保って、ちゃんと”視て”ごらん」
みる? 目と鼻の先の、笑いながら人の生死を翻弄するこの男の顔を?
と、次の瞬間、脳髄に焼けた鉄槌を差し込まれるような激しい痛みを伴う幻影を、澄雨は確かに視た。
――小雪のちらつく夜空に黒煙を上げているのは、スーパーの入った駅前ビルだ。ロータリーにはたくさんの消防車が並び、点滅する回転灯は辺りの色彩を黒と赤に切り替える。駅から出てきた人達が大勢群がり、消防士に肩を借りた買物客が続々と助け出されるのを見守っている。片っ端から救急車で搬送されてはいるが怪我人が多過ぎて間に合わず、駅前広場に敷かれたビニールシートのあちこちには並べられたり座り込んだりした人達は血塗れで――。
激しい頭痛に顔を歪める澄雨の耳に、甘い毒のような優しい声音が注ぎ込まれる。
「これが、僕の視ているビジョン。やがて起こる出来事……ああ、邪魔が入った」
君のお父さんも中々やるねと口惜しそうな声を最後に、澄雨の意識がつかの間途切れる。
* * *
「――ちょっと澄雨? 澄雨ってば!」
肩を揺すられ正気付いた澄雨の目の前にいたのは、あの失礼な泥棒猫ではなかった。見覚えのあるハーフコート。自分によく似た顔へ念入りに施されているのは、未開の部族の戦闘準備のような濃い目の化粧――。
「お、お帰り、お母さん」
「お帰りじゃないでしょ、澄雨。なんでこんな時間に、こんな場所でぼーっとして」
母親の腕時計を覗けば二十時、まだ母親が帰宅する時間ではなかった。赤猫の姿はすでになく、スロープには母娘の影しかない。
「どっか悪いんじゃないの? 大丈夫?」
「だっ、大丈夫だよ。ちょっと眠気が」
母親はナルコレプシーとかあるから、病院に行った方がいいわよと言ってから、
「なんか今日は朝からおかしかったのよ。ケータイは壊れるし、ヒールの踵は取れるし、挙句に取引先の人が高熱出してぶっ倒れて打ち合わせがおじゃん。あー電車止まってたんだって? 私が帰ってくる時は普通に動いてたけど」
「そっ、そうなんだ」
なぜか母親の顔は見られなかった。頭だけでなく身体中が熱くて、腫れ上がって爛れているような気がした。喋り続ける母親の隣を、澄雨はただ頷きながら歩いた。
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上記作品の番外編(ミニスカサンタのみ)が入った青春SS短編集です。場所と時期が同じだけで、雰囲気も登場人物まったく異なりますが、もしよかったらのぞいてみてください。ほっこり系です。【青春SS短編集】甘いハナシ【逆ざまぁ?】/オヤジの背中【じんわり】/冬の日のたんぽぽ【切ない】/ミニスカサンタ【ほっこり】【中高生主人公】
動乱によって故国を追われ、飛竜に乗り異界の双竜町へ逃げて来た幼い姫君と王子、そして出会った幼馴染の少年。姫君の心の成長と共にそれぞれの淡い思いが交差する現代ファンタジー(逆異世界転移)です。異界に逃れて十数年、戦が終わったから戻ってこいとか今さら許嫁(王子)に言われても、もうお姫様じゃなくてただの女子高生なんですけど!?第18回恋愛小説大賞にエントリーしています。宜しかったらのぞいてみて下さい。
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