11 / 19
Ⅲ:十二月第三週:シノニオイ
君よりも、知ってる*
しおりを挟む台所の鍋の中には煮崩れた肉ジャガが残っているばかりで、クリスマスまであと四日と迫った十二月も第三週。重く厚い雲で覆われた空は夕暮れを早め、まるで自分の心を反映しているみたいと澄雨はごちる。
例によって、車椅子専用スロープに姿を現したところを、幹也のお手ふりでもって迎え入れられた赤猫は、
「最近イライラしているね、澄雨。テストも終って、気分爽快だと思うんだけど?」
誰のせいだと思ってんのと、澄雨はこめかみに青筋が浮きそうになるのを堪える。
「眠りが浅くて、睡眠不足なんですっ!」
そう無難に答えておいたが、澄雨はまったく別の事柄に気を取られていた。
さっきから歩道や車道の様子を注意して見ていたが、やはり自分達を気に止める通行人はいない。まるでこのスロープごと、世界から切り離されてしまったように。
赤猫の素性も父の葬儀に来たことしか分からず、よく考えたら赤猫という苗字自体が胡散臭い。澄雨の疑惑はいやが上にも増すが、自分達以外の誰かに赤猫の姿が見えているのかどうか、家でも学校でも気になって仕方がないなんて言えるわけがない。
――私ってば、どうしちゃったんだろ。
幹也の隣で金網に凭れて電車を待ちながら、澄雨は溜め息をついた。この男がスロープに姿を現してから、生活リズムを乱されまくりだ。悶々と悩んでいるなんて自分らしくない、思い切って全部ぶちまけてしまおうか。
どうして友達に姿が見えないんですか。
何のために、ここにいるんですか。
アナタはいったい誰なんですか――。
しかし、澄雨のぶっちゃけは不発に終わる。赤猫の方が先に、口を開いたからだ。
「お父さんの、夢かい?」
突然言われ、思わず夢想も吹っ飛ぶ。その問いは睡眠不足……の続きだと気付く。
だが赤猫が知るはずもない、美緒にだって話したことのない親子の会話だ。きっとかまをかけているに違いない、相変わらず嫌な奴だ。
「ちっ、違います。三年も前のことだし」
でも、声に動揺が滲んでしまった。母親の夢に現れたという、血の池地獄で浮き沈みしている父親。妖怪大図鑑の挿絵で、燃え尽きることのない暗い地獄の業火を纏った牛車に乗せられた父親の幻――。どちらも、何かを叫んでいる。
葬式も済んだお墓も建てた、三回忌もすでに終わっているのだ。この期に及んで、まだ供養が足りないとでもいうのだろうか。
それまで腕を組んで様子を伺っていた赤猫が、澄雨に向かって両腕を広げる。
「顔色が真っ青だよ。こちらにおいで」
「だからっ、アナタは知人の娘の女子高生を捕まえて、どうしようっていうんですかっ! もう行きますっ! 夕飯の買い物がっ」
澄雨が喚き終わる前に、温かな何かにすっぽり包まれていた。まるでインフルエンザの幹也を背負って病院に駆け込んだ時みたいにホカホカだ。一瞬ぼおっとしてしまい、記憶を混濁させる澄雨の鼻先に香るのは温泉に似た匂いで――。
「やっ、やめて下さ……!」
澄雨は赤猫の腕の中でもがいた。自分は何をやっているのか。公衆の面前、しかもホームからも歩道を歩く通行人からも丸見え――見えるのならば――である。
おまけに弟の目の前でもあり、教育上大変宜しくない。
案の定、幹也は難しい顔で見上げている。
「何事も思い詰めるのは良くないよ、澄雨。言ってごらん、楽になるかもしれない」
だが、温かな腕から無理矢理自身を引き剥がした澄雨は、息を荒げて金網に背を押し付ける。背中でぎしりと金網がたわんだ。
「優しい言葉なんて掛けないで下さいっ! 赤猫さんは私をからかってばかりだし、私は赤猫さんの顔だって覚えていないのにっ!」
「一目惚れじゃ、駄目かい?」
「私のことよく知りもしないくせにっ!」
「知ってるよ。君よりもよく、分かってる」
「え?」
赤猫の端正な顔をまじまじと見ると、口元は笑みを絶やさないのに涼しげな目元が少しも笑っていなかった。駅のホームの灯りを反射し、縦長に光って見える虹彩。そして空気の匂いを嗅ぐように、若干顔を仰向かせている。前にも見た仕草だ。
澄雨の凝視に気付いた赤猫は、なぜか居心地悪そうに顔を背け、
「――君ら姉弟の居場所を奪って悪かった。そろそろ、ここを離れられると思う」
「どっ、どういうことですかっ?」
「欲しい物が、手に入りそうだからね」
いつになく鋭い眼差しでホームを見据えている。そこにはまばらな乗客達が電車を待っているばかりだが、一体なにが気になるというのか。
その時どん、と大容量の空気が動いた。
踏切の警報はまだ鳴らないが、澄雨はその道――お手ふり道を極めんとする幼児の保護者――の専門家なので電車が線路の上を近付いてくる兆候はすぐに分かった。警報音をやり過ごそうと、心の中で儀式の準備を始めた澄雨に、
「幹也君を連れて、ここを立ち去ってくれないか。ちょうど仕事になりそうだから」
「……はあっ!? さっきまで口説いていたくせに、仕事だからどこかに行けとかここを離れろとか、いくらなんでも勝手なんじゃないっ?」
思わず敬語も忘れて怒鳴る澄雨に、赤猫はいつになくニヤリと片頬を上げて見せ、
「君らは見ない方がいい――行くんだ」
そう言い捨て、赤猫は二メートルほどの高さの金網に手を掛けたと思いきや、澄雨達の見ている前でひらりと飛び越した。
助走もなければ、金網をよじ登った素振りもない。
赤猫の予想を上回る行動を目の前で見た澄雨も、これまたどういうわけか足が勝手に動きだしていて、抵抗する幹也の手を引きホームに沿った歩道を下っていることに気付いた。自分の身体が、自分のものではないみたいだ。
意識だけが妙に鮮明で、駅の手前にある踏切の警報音が流れてくるのを捉える。
すぐに、ギギーッともギューッともつかない擦れ合った金属が悲鳴を上げる高音と、何度もしつこく鳴らされる警笛が金網と壁を隔てたホームから響き渡った。
「なんで、警報音が止まらな……」
間延びした警報が、やり過ごすのに失敗した澄雨の身の内に入り込んで暴れ回る。急速に視界が失われ、身体が前に傾いでいることに気付く。巻き添えにするわけにはいかないと、澄雨は自ら幹也の手を離した。
意識を失う寸前、澄雨は自分の脇腹に差し込まれた何かが強く支えるのを感じる。
今回は特別だからね、と耳元で囁く声。
かすかに漂うのは温泉の香り。
だが、澄雨の脳裏を過ぎったのはなぜか、炎を噴き出す牛車に乗った父親の横顔だった。
0
上記作品の番外編(ミニスカサンタのみ)が入った青春SS短編集です。場所と時期が同じだけで、雰囲気も登場人物まったく異なりますが、もしよかったらのぞいてみてください。ほっこり系です。【青春SS短編集】甘いハナシ【逆ざまぁ?】/オヤジの背中【じんわり】/冬の日のたんぽぽ【切ない】/ミニスカサンタ【ほっこり】【中高生主人公】
★第8回ホラー・ミステリー小説大賞(2025/3/1~3/31)にエントリーしておりますので、よかったらのぞいてみて下さい。草深い庭で迷い猫を探していたら、半年前に絶縁した同級生の白ロリ美少女に襲われる怖くないホラー?(サイコホラー)です。(短編/R15)絶縁したはずの白ロリ美少女の元同級生に襲われたんだけど、いま草深い庭で迷い猫を探している最中なんですが!?(旧題【何かが、庭で。】)
第18回恋愛小説大賞(2005/2/1~2/28)終了しました。ご愛顧ありがとうございました。(-人-)動乱によって故国を追われ、飛竜に乗り異界の双竜町へ逃げて来た幼い姫君と王子、そして出会った幼馴染の少年。姫君の心の成長と共にそれぞれの淡い思いが交差する現代ファンタジー(逆異世界転移)です。異界に逃れて十数年、戦が終わったから戻ってこいとか今さら許嫁(王子)に言われても、もうお姫様じゃなくてただの女子高生なんですけど!?
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夢の中でもう一人のオレに丸投げされたがそこは宇宙生物の撃退に刀が重宝されている平行世界だった
竹井ゴールド
キャラ文芸
オレこと柊(ひいらぎ)誠(まこと)は夢の中でもう一人のオレに泣き付かれて、余りの泣き言にうんざりして同意するとーー
平行世界のオレと入れ替わってしまった。
平行世界は宇宙より外敵宇宙生物、通称、コスモアネモニー(宇宙イソギンチャク)が跋扈する世界で、その対策として日本刀が重宝されており、剣道の実力、今(いま)総司のオレにとってはかなり楽しい世界だった。

猫の私が過ごした、十四回の四季に
百門一新
キャラ文芸
「私」は、捨てられた小さな黒猫だった。愛想もない野良猫だった私は、ある日、一人の人間の男と出会った。彼は雨が降る中で、小さく震えていた私を迎えに来て――共に暮らそうと家に連れて帰った。
それから私は、その家族の一員としてと、彼と、彼の妻と、そして「小さな娘」と過ごし始めた。何気ない日々を繰り返す中で愛おしさが生まれ、愛情を知り……けれど私は猫で、「最期の時」は、十四回の四季にやってくる。
※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。

あげは紅は ◯◯らしい
藤井ことなり
キャラ文芸
[紅あげは]は 私立聖真津洲留高校の2年生。
共働きの両親と年の離れた弟妹の面倒をみるために、家事に勤しむ毎日を送っていた。
平凡な毎日であったが最近学校ではちょっと変な事が流行っていた。
女の子同士がパンツを見せ合って勝負する
[パンチラファイト]
なぜか校内では女子達があちこちでスカートをめくりあっていた。
あげは はそれに全く興味が無く、参加してなかった為に、[はいてないのではないか]という噂が流れはじめる。
そのおかげで男子からスカートめくりのターゲットになってしまい、さらには思わぬアクシデントが起きたために、予想外の事件となってしまった。
面倒事に関わりたくないが、関わってしまったら、とっとと片付けたい性格のあげはは[パンチラファイト]を止めさせるために行動に出るのであった。
第4回キャラ文芸大賞参加作品

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
覚醒呪伝-カクセイジュデン-
星来香文子
キャラ文芸
あの夏の日、空から落ちてきたのは人間の顔だった————
見えてはいけないソレは、人間の姿を装った、怪異。ものの怪。妖怪。
祖母の死により、その右目にかけられた呪いが覚醒した時、少年は“呪受者”と呼ばれ、妖怪たちから追われる事となる。
呪いを解くには、千年前、先祖に呪いをかけた“呪掛者”を完全に滅するしか、方法はないらしい————
千里香の護身符〜わたしの夫は土地神様〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
キャラ文芸
ある日、多田羅町から土地神が消えた。
天候不良、自然災害の度重なる発生により作物に影響が出始めた。人口の流出も止まらない。
日照不足は死活問題である。
賢木朱実《さかきあけみ》は神社を営む賢木柊二《さかきしゅうじ》の一人娘だ。幼い頃に母を病死で亡くした。母の遺志を継ぐように、町のためにと巫女として神社で働きながらこの土地の繁栄を願ってきた。
ときどき隣町の神社に舞を奉納するほど、朱実の舞は評判が良かった。
ある日、隣町の神事で舞を奉納したその帰り道。日暮れも迫ったその時刻に、ストーカーに襲われた。
命の危険を感じた朱実は思わず神様に助けを求める。
まさか本当に神様が現れて、その危機から救ってくれるなんて。そしてそのまま神様の住処でおもてなしを受けるなんて思いもしなかった。
長らく不在にしていた土地神が、多田羅町にやってきた。それが朱実を助けた泰然《たいぜん》と名乗る神であり、朱実に求婚をした超本人。
父と母のとの間に起きた事件。
神がいなくなった理由。
「誰か本当のことを教えて!」
神社の存続と五穀豊穣を願う物語。
☆表紙は、なかむ楽様に依頼して描いていただきました。
※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。
卑屈令嬢と甘い蜜月
永久保セツナ
キャラ文芸
【全31話(幕間3話あり)・完結まで毎日20:10更新】
葦原コノハ(旧姓:高天原コノハ)は、二言目には「ごめんなさい」が口癖の卑屈令嬢。
妹の悪意で顔に火傷を負い、家族からも「醜い」と冷遇されて生きてきた。
18歳になった誕生日、父親から結婚を強制される。
いわゆる政略結婚であり、しかもその相手は呪われた目――『魔眼』を持っている縁切りの神様だという。
会ってみるとその男、葦原ミコトは白髪で狐面をつけており、異様な雰囲気を持った人物だった。
実家から厄介払いされ、葦原家に嫁入りしたコノハ。
しかしその日から、夫にめちゃくちゃ自己肯定感を上げられる蜜月が始まるのであった――!
「私みたいな女と結婚する羽目になってごめんなさい……」
「私にとって貴女は何者にも代えがたい宝物です。結婚できて幸せです」
「はわ……」
卑屈令嬢が夫との幸せを掴むまでの和風シンデレラストーリー。
表紙絵:かわせかわを 様(@kawawowow)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる