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Ⅱ:十二月第二週:おさんどん女子高生澄雨の何気なく無い日常
クリスマスソングと黒い泡のような
しおりを挟むジングルベルのBGMが流れる中、小柄な幹也をカートの座席に乗せた澄雨は、混雑する駅前ビルの地下にあるスーパーの食料品売り場で、夕飯の材料を求める主婦達に紛れ買い回っていた。
すでに十二月第二週となり、期末テスト真っ只中である。
テスト期間中の学校は午前中で終わりだが、幹也を通常通り保育園に預けて付け焼刃的テスト勉強をしているため、時刻はいつも通りの午後四時前後だった。
スーパーの特設会場には白と青のLEDオーナメントが輝く大きなツリーが設えられ、周囲の平台には真っ赤なブーツに入ったお菓子や金銀に包装されたシャンパンの瓶が並んでいた。
けれど澄雨はスーパーの思惑など一切関係ないとばかりに、特売のシチューの素を求めカートを走らせる。野菜売り場ではジャガイモと人参、安売りのチンゲンサイをシチューのかさ増し用としてカゴへ放り込んだ。
鍋一杯作れば親子三人一週間は糊口を凌げるし、牛から豚に変えれば保育園児にも噛み切れる優しいメニューの出来上がりだ。
働く母親の代わりに、中学の頃から木ノ下家の衣食住全般を担ってきた澄雨である。買い回り振りも手馴れたものだが、いまはコートのボタンを外してブレザーを見せ付け、学生なのをことさらアピールしていた。
前に私服で買い物に来た時、店員から『奥さんっ、加工肉が三割引ですよっ!』と声を掛けられたことがあったのだ。一撃浴びた澄雨の乙女心は、今も密かにじくじくと血を滲ませ続けているのである。
目ぼしい商品を買い終えると、カートに座らせた幹也が身体を揺らして挙動不審になっていた。仕方なくカートから降ろすとお菓子売り場まで一目散、手にして戻ってきたのは大箱の『お菓子付き』玩具が一点だった。
「ちょっ、みーたんソレ一個三百円もするじゃん。たいしたお菓子も付いてないし、五体集めて合体させないとロボットにならないし、そもそも作るのが面倒臭いから却下」
一日千円の食費では無理な買い物だ。元の売り場へ返してくるように言ってレジに並ぶと、お尻からぎゅーっとしがみ付かれる。
「みーたんってば、やめてよぅ」
「あら、澄雨ちゃんじゃない。幹也君も大きくなったわねぇ、もうすぐ小学校?」
同じマンションの住人だ。澄雨はお尻に幹也を齧り付かせたまま笑顔で会釈した。
「まだ保育園なんで、小学校はちょっと先ですねー。みーたんもご挨拶しなさいっ」
こういう時こそ電車の車掌に手を振るように愛想でも振り撒けばいいものを、幹也は澄雨の背後に隠れたまま出てこない。
幹也は同年代の幼児に比べて言葉が遅い……というより、まったく喋らなかった。こちらの言うことは伝わっているのだが、親代わりの澄雨としてはいささか気が揉めなくもない。適当な会話を二、三交わしてから、
「お買い物だけじゃなくて料理も作るんでしょ? ウチの子にも見習わせたいわ」
別れ際にそう言われ、澄雨は思わずいつものスマイルも忘れ天井を仰いでしまった。偉い偉いと、いつまで言われ続ければいいのだろう。会計を終えて押すカートがとんでもなく重く感じる。強引にカートに座らせたふくれっ面の幹也が、まるで子泣き爺になったみたいだ。買い物をし過ぎただろうか。
軽快なクリスマスソングが途絶え、ツリーのオーナメントの輝きが色褪せて見える。かと思えば、行き交う買物客達がみな幸せに見えてしょうがない。作荷台で機械的に袋詰めしつつ、澄雨は軽い眩暈をどうにかやり過ごした。
――あるいは……。
カートを押しエレベーターに向かう澄雨の心に、黒い泡がぷかりと浮かぶ。
――あるいは、あの時のお父さんの目にも、世の中はこんな風に見えたのだろうか、と。
「うっ、あっ」
言葉が出そうで出ないもどかしい幹也の呻き声が、澄雨を現実に呼び戻した。
すでにエレベーターホールに着いていて、クリスマスソングが幅をきかせている。
ボタンを押させろとばかりにカートから身を乗り出す幹也に、澄雨は慌ててカートの向きを変えボタンに近付けてやった。
上の通常ボタン、下の車椅子用ボタン。
エレベーターも二基あるのだが、上下のボタンを押しておかないと待ち惚けすることも多いので、マナー的に問題かもしれないが幹也の望むまま両方押させる。
降りてきたエレベーターに乗り込みながら、睡眠不足のせいで心が弱っているに違いないと澄雨は思った。そしておさんどん女子高生である自分にあるはずのない黒い感情の泡を心の奥底にしっかりと封じ込める。けれど、収まり切らない細かな泡が、何かを訴えるように澄雨の心の上層にわだかまっていた。
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