上 下
2 / 19
Ⅰ:十二月第一週:おさんどん女子高生澄雨の何気ない日常

小生意気な調理実習

しおりを挟む
 
 
 ――それから三年後。年も押し迫った十二月の第一週目。

 午前中の白い日差しが差し込む、某地方都市の公立高校家庭科室でのこと。
 三角巾にエプロン姿の生徒らが、腕捲りしたブレザーやスカートの裾を翻して食器棚の前で揉み合っているのを、背もたれのない丸椅子に座った澄雨は煮干の頭を取りながらぼんやり眺めていた。

「三班、平皿六枚を確保っ……じゃなくて、えーっ、七枚必要だったんかっ?」
「ちょっ! コレっ、洗い残しじゃない? いやーん、カビ生えちゃってる!」

 まるでスーパーのタイムセールのような騒ぎだが、家庭科室の食器類には状態の悪いものも多く、比較的まともな食器で手作り料理を食べたいと思うのが人情だろう。
 ちなみに今日のメニューは鯖の味噌煮とご飯、ワカメと豆腐の味噌汁の三品である。

 食器棚で前哨戦が行われているその裏で、各班では調理担当者が鯖の切り身をこわごわ箸で摘まんで移動させ、あるいは大半をシンクにこぼしながら米を研いでいた。澄雨は密かに眉を顰めたが、それでも食器奪取組よりはマシな調理が出来る面子なのである。
 同じ班の笠原美緒かさはらみおが三角巾の下に隠した自慢のウェーブヘアを震わせつつ、

「澄雨ちーん、お魚が気持ち悪いよぅ」

 そう情けない声で呼ぶけれど、自分の出番はまだ先だ。
 澄雨はさり気なく、一段高くなっている教壇へ視線を飛ばした。

「はい、そこっ! お喋りしないで、手早くやりなさい! ほらっ、そっちも!」

 鶏ガラみたいに痩せ細った勤続三十五年の家庭科教師谷川が、眼光鋭く叫んでいる。あっちの班、こっちの班と首を突っ込んでは何を指導するわけでもなく、手際が悪いそれでも女かと時代錯誤も甚だしく女生徒のみを怒鳴り付けるのが常だった。
 だが、三、四時限ぶち抜きの授業の後半が始まって半分以上経過し、谷川はそわそわ廊下を気にし始める。
 待つこと数分、谷川はなぜか澄雨を鋭く一瞥してから家庭科室を出て行く。

「……行った?」
「行ったわ。本当、トイレが近いねぇ」

 引き戸の隙間から様子を伺っていた美緒は肩を竦めてみせた。谷川も年のせいか年々我慢が利かなくなったようで、授業中に一度は必ずお手洗いのために退室するのである。谷川の姿が見えなくなるやいなや、

「よっしゃ!」

 気合一発、薄らぼんやりしていた澄雨の両目が、かーっと見開かれ、

「まだ調理終わってないところはっ? 谷川が戻って来ないうちにやっちゃうよっ!」
「ぎゃー、お米が流れて無くなるー」
「こっち来てー、煮魚の皮が剥がれたっ」

 立ち上がった拍子に、はらりと外れた三角巾の下はショートボブだ。すっきりと背も伸びて、中学の頃とは打って変わったボーイッシュな印象を与える。ぼんやり見せていたのは谷川の目を欺くための仮の姿――とはいえ、半ばバレバレではあったが。

「澄雨ちんってばー、タスケテー」
「美緒ってば、まだあく抜きやってなかったの? 魚なんか手で掴みなさいよっ」

 三角巾を結び直した澄雨は、むんずと切り身を掴み達者な手捌きで塩を打つ。しばらくして熱湯をかければあく抜き終了、煮込み開始だ。
 澄雨は救難信号の出た各班を回り、ダダ漏れ素人には米を研ぐのにザルを使うよう指導し、鯖の皮が落し蓋にくっ付いた班では残った煮汁を煮詰めて上手に掛け、剥げた部分を覆い隠してしまった。

「どうせ皮なんて剥いで食べるんだから、ちょっと破けたぐらい問題ないわよ」
「澄雨ちんってば、いつもながら素敵ぃ」

 ちゃっかりついて来ていた美緒に、形のよい眉をへにょりと下げながら澄雨は肩を竦めて見せる。

「そんなことないよ、お母さんの代わりに家事をやってれば誰だってこうなるって」

 高校に入って以来この調子で、谷川が席を外すたびに調理の苦手な班を手伝い指導してしまわずにはいられないのだ。当然ながら調理結果に優劣が付かなくなるので、澄雨はすっかり谷川に目を付けられていた。ちなみに裁縫の授業も同様である。

「――来た来た、帰ってきたーっ!」

 廊下まで見張りに出ていた男子生徒が、乱暴に引き戸を開けて駆け込んで来る――。
 すっきり爽やかな顔の谷川が戻ってきた時、すべては決着がついていた。

「なっ」

 粒の立ったご飯は茶碗で艶々と輝き、鯖は煮崩れなど一切なく平皿に鎮座していた。味噌汁の豆腐もきっちりサイコロ状に切られ、水洗いせずに突っ込まれた塩漬けワカメなどあるはずない。どの班のどの料理も完璧に――あるいは巧妙に粗が隠されていた。
 燦然と盛り付けられた料理の数々を検閲してから、首に筋を浮かせた谷川は丸椅子にぼんやり座っている澄雨の前にやってくる。
 澄雨を見下ろす谷川は震える声で、

「……木ノ下さん、貴女って人は」
「はい? 何か御用ですか?」  

 刺すような視線を真っ向から受け、澄雨は小首を傾げてにっこり笑った。
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

御伽噺のその先へ

雪華
キャラ文芸
ほんの気まぐれと偶然だった。しかし、あるいは運命だったのかもしれない。 高校1年生の紗良のクラスには、他人に全く興味を示さない男子生徒がいた。 彼は美少年と呼ぶに相応しい容姿なのだが、言い寄る女子を片っ端から冷たく突き放し、「観賞用王子」と陰で囁かれている。 その王子が紗良に告げた。 「ねえ、俺と付き合ってよ」 言葉とは裏腹に彼の表情は険しい。 王子には、誰にも言えない秘密があった。

三日月の守護犬

月ノ宮小梅
キャラ文芸
「狛犬なのに…神社も護れないの?」 目覚めるとそこには何もなかった ひとりぼっちの小さな狛犬のおはなし

AIアイドル活動日誌

ジャン・幸田
キャラ文芸
 AIアイドル「めかぎゃるず」はレトロフューチャーなデザインの女の子型ロボットで構成されたアイドルグループである。だからメンバーは全てカスタマーされた機械人形である!  そういう設定であったが、実際は「中の人」が存在した。その「中の人」にされたある少女の体験談である。

フリー声劇台本〜モーリスハウスシリーズ〜

摩訶子
キャラ文芸
声劇アプリ「ボイコネ」で公開していた台本の中から、寄宿学校のとある学生寮『モーリスハウス』を舞台にした作品群をこちらにまとめます。 どなたでも自由にご使用OKですが、初めに「シナリオのご使用について」を必ずお読みくださいm(*_ _)m

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

【更新停止中】おキツネさまのしっぽ【冬再開予定】

リコピン
キャラ文芸
※更新停止中 高校三年の冬の夜。一花(いちか)が家への帰り道で目撃してしまったのは、刀を手にした男の姿。 男から助け出した女の子『シロ』との生活を、戸惑いながらも楽しんでいた一花の前に、シロを襲った男『桐生(きりゅう)』が再び姿を現す。 シロに貰った『オクリモノ』が、一花に新たな出会いをもたらす、ひと冬の物語。 ※全三章予定です

流行らない居酒屋の話

流水斎
キャラ文芸
 シャッター商店街に居酒屋を構えた男が居る。 止せば良いのに『叔父さんの遺産を見に行く』だなんて、伝奇小説めいたセリフと共に郊外の店舗へ。 せっかくの機会だと独立したのは良いのだが、気がつけば、生憎と閑古鳥が鳴くことに成った。 これはそんな店主と、友人のコンサルが四苦八苦する話。

人形の中の人の憂鬱

ジャン・幸田
キャラ文芸
 等身大人形が動く時、中の人がいるはずだ! でも、いないとされる。いうだけ野暮であるから。そんな中の人に関するオムニバス物語である。 【アルバイト】昭和時代末期、それほど知られていなかった美少女着ぐるみヒロインショーをめぐる物語。 【少女人形店員】父親の思い付きで着ぐるみ美少女マスクを着けて営業させられる少女の運命は?

処理中です...