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第四章
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イレーナはオーランに連れられてある寝室に連れてこられた。
そこには一人、年老いた老婆がいてベッドに横たわっている。
見たところ随分と衰弱しているようだった。
「イレーナ、頼む」
「はい」
イレーナは緊張の面持ちで頷いた。オーランとユーグはそっとイレーナから離れて見守る。
あの夜から一週間以上たっているけれど、イレーナの模様は一度も浮かんでいない。
模様が消えてから初めてイレーナは姫巫女の力を使うことになる。
オーランにあらかじめこのお婆さんは老衰で、死の間際だと伝えられた。
だからたとえ治癒の力が効かなくても気にすることはない、と。
オーランなりに気遣ってくれたのだろう。
若くて重篤の人を治癒の力で治せなかった場合、傷つくからと。
オーランの優しさを身に染みて、それでもこの治癒の力で少しでもお婆さんの寿命が伸びればと思った。
けれど。
どんなに祈ってもいつもならすぐに光るのに、イレーナの身体は変化がないままだった。
何度も何度も、意識を集中させて試みるけれど結果は変わらない。
まだ続けようとするイレーナの肩を後ろからポンとオーランが叩いた。
「もういい。もう十分だ」
「ー……ごめん、なさい」
頭の中では理解していたつもりだけれど、実際に目の当たりにするとやはり想像以上に衝撃があった。
涙を見せるイレーナをオーランが優しく抱き寄せて肩を貸してくれる。
イレーナを気遣いつつユーグが控えめにオーランに問いかけた。
「陛下。このことは議会で報告致しますかー? それとも」
「報告せざるを得んだろう。万が一何かあった時に事後報告になるよりは混乱は避けられる」
ユーグは肩を落としてそうですね、と頷いた。
「イレーナ。お前は部屋で休め。いいか? このことは絶対に気に病むな」
「はい」
気に病むなと言われても心は沈んでしまう。
「あの、私ここにいてもいい?」
イレーナの申し出にオーランは驚いて、どう判断すればいいのか考え込む。
「一人で部屋にいるより、このお婆さんのそばについていたいの。お婆さんも一人では寂しいだろうから」
「ー彼女は先日、夫に先立たれてそれもあって倒れたのだろう。気の済むまでそばに居てやるといい」
オーランの許しを得てイレーナはそばにあった椅子に腰掛けた。
「いいんですか?」
「構わん。外に兵をつけてくれ」
二人のやり取りを背中で聞き流しつつ、眠っているお婆さんを見つめた。
一人になりたくないと思ったのは本当だけれど、それ以外に何処かこの女性が懐かしく感じた。
(何処かで会ったことあるのかしら?)
この国に来て知り合った人は数少ないから忘れることはない。
なんだか気になってそばを離れることができなかった。
「治してあげれなくてごめんなさいー」
イレーナがおばあさんに語りかけると声が返ってきた。
「気に病まないでください、姫巫女様」
「っつ。お婆さん?」
イレーナはびっくりして思わず声を上げた。老婆は皺だらけの瞳をうっすらと開けて微笑んでいる。
「私は生い先短い身。陛下に言われてあなたの手助けになれば、と申し出たのです」
弱々しい声だけれど言葉ははっきりとしていた。
「姫巫女様。私は姫巫女様の御国の出身なんですよ」
「えっ」
イレーナはまたも驚いてすっとんきょうな声を出してしまった。固まっているイレーナにお婆さんは優しく話す。
「と言っても、私は五十年前に夫のいるこの国に嫁いできましたから、あなたがいた頃のことは、存じ上げませんがー」
それでも姫巫女の伝承は古くから伝わっていて研究もされていた。
「数年前国に帰った時、神殿であなたを見かけました。女神のように美しくて、眩しかったわ」
「そんなー」
褒められてイレーナは恥ずかしくなって俯く。
「神父とも親しくて聞いたことがあります。姫巫女の力は、恋をすると消えて無くなってしまう。姫巫女が外に出れば、恋を知ってしまう、だから神殿に閉じ込めているとー」
それはあんまりだとお婆さんは神父に詰め寄ったらしい。恋も知らずに神殿で一生を過ごすなんて悲しすぎると。
「私なりに、調べました。恋をすれば、模様は消えるという伝承は確かにありました。
けれど、いずれまた模様は浮かび上がるーとも」
「ほ、本当ですか!?」
イレーナは前のめりになって聞き返すけれど、お婆さんはどことなく暗い表情をしていて不安を覚える。
「定かなことではありません。可能性がある、というだけでずっと消えたままかもしれないとも」
申し訳ありません、と謝られてイレーナは慌てて頭を振った。
「い、いえ。気にしないでください」
「ですが姫巫女様。恋をなさったのですね。私は、孫のことのように嬉しく思います」
老婆ににっこりと優しく言われて、イレーナは心の緊張が解け思いを口にした。
「ごめんなさい。お婆さんの故郷を奪われてしまってー。そして、私は国を奪った男を愛して、しまってー。ごめんなさい」
お婆さんにも家族が、愛している人がいたのに私のせいでーと肩を震わせて泣くイレーナに、お婆さんはゆっくりと起き上がりぽん、と優しく肩に手を置いた。
「あなたは何も悪くないわ。陛下はとっても良い方よ。私が、姫巫女様のご出身の国のものだと知って、こうして時間を作って下さったの。姫巫女様の力になってくれと、頼まれました」
「オーランが?」
驚いて目を見開くイレーナに、老婆は優しく頷いてそっと手を握ってくる。
「姫巫女様。どうか自分の気持ちを大事になさって、ください。故郷のことをずっと、思っていれば、それだけで、亡くなったものは報われます」
「っ、お婆さんー」
イレーナは家族というものを知らない。生まれてすぐに神殿に預けられたから。
お婆さんの手は皺だらけだったけれど、暖かかった。
初めて会った人なのに、イレーナはすっと心が落ち着いていくのを感じた。
「幸せになってくださいね、姫巫女様」
温かい言葉にイレーナの気持ちは和らいでいった。
そこには一人、年老いた老婆がいてベッドに横たわっている。
見たところ随分と衰弱しているようだった。
「イレーナ、頼む」
「はい」
イレーナは緊張の面持ちで頷いた。オーランとユーグはそっとイレーナから離れて見守る。
あの夜から一週間以上たっているけれど、イレーナの模様は一度も浮かんでいない。
模様が消えてから初めてイレーナは姫巫女の力を使うことになる。
オーランにあらかじめこのお婆さんは老衰で、死の間際だと伝えられた。
だからたとえ治癒の力が効かなくても気にすることはない、と。
オーランなりに気遣ってくれたのだろう。
若くて重篤の人を治癒の力で治せなかった場合、傷つくからと。
オーランの優しさを身に染みて、それでもこの治癒の力で少しでもお婆さんの寿命が伸びればと思った。
けれど。
どんなに祈ってもいつもならすぐに光るのに、イレーナの身体は変化がないままだった。
何度も何度も、意識を集中させて試みるけれど結果は変わらない。
まだ続けようとするイレーナの肩を後ろからポンとオーランが叩いた。
「もういい。もう十分だ」
「ー……ごめん、なさい」
頭の中では理解していたつもりだけれど、実際に目の当たりにするとやはり想像以上に衝撃があった。
涙を見せるイレーナをオーランが優しく抱き寄せて肩を貸してくれる。
イレーナを気遣いつつユーグが控えめにオーランに問いかけた。
「陛下。このことは議会で報告致しますかー? それとも」
「報告せざるを得んだろう。万が一何かあった時に事後報告になるよりは混乱は避けられる」
ユーグは肩を落としてそうですね、と頷いた。
「イレーナ。お前は部屋で休め。いいか? このことは絶対に気に病むな」
「はい」
気に病むなと言われても心は沈んでしまう。
「あの、私ここにいてもいい?」
イレーナの申し出にオーランは驚いて、どう判断すればいいのか考え込む。
「一人で部屋にいるより、このお婆さんのそばについていたいの。お婆さんも一人では寂しいだろうから」
「ー彼女は先日、夫に先立たれてそれもあって倒れたのだろう。気の済むまでそばに居てやるといい」
オーランの許しを得てイレーナはそばにあった椅子に腰掛けた。
「いいんですか?」
「構わん。外に兵をつけてくれ」
二人のやり取りを背中で聞き流しつつ、眠っているお婆さんを見つめた。
一人になりたくないと思ったのは本当だけれど、それ以外に何処かこの女性が懐かしく感じた。
(何処かで会ったことあるのかしら?)
この国に来て知り合った人は数少ないから忘れることはない。
なんだか気になってそばを離れることができなかった。
「治してあげれなくてごめんなさいー」
イレーナがおばあさんに語りかけると声が返ってきた。
「気に病まないでください、姫巫女様」
「っつ。お婆さん?」
イレーナはびっくりして思わず声を上げた。老婆は皺だらけの瞳をうっすらと開けて微笑んでいる。
「私は生い先短い身。陛下に言われてあなたの手助けになれば、と申し出たのです」
弱々しい声だけれど言葉ははっきりとしていた。
「姫巫女様。私は姫巫女様の御国の出身なんですよ」
「えっ」
イレーナはまたも驚いてすっとんきょうな声を出してしまった。固まっているイレーナにお婆さんは優しく話す。
「と言っても、私は五十年前に夫のいるこの国に嫁いできましたから、あなたがいた頃のことは、存じ上げませんがー」
それでも姫巫女の伝承は古くから伝わっていて研究もされていた。
「数年前国に帰った時、神殿であなたを見かけました。女神のように美しくて、眩しかったわ」
「そんなー」
褒められてイレーナは恥ずかしくなって俯く。
「神父とも親しくて聞いたことがあります。姫巫女の力は、恋をすると消えて無くなってしまう。姫巫女が外に出れば、恋を知ってしまう、だから神殿に閉じ込めているとー」
それはあんまりだとお婆さんは神父に詰め寄ったらしい。恋も知らずに神殿で一生を過ごすなんて悲しすぎると。
「私なりに、調べました。恋をすれば、模様は消えるという伝承は確かにありました。
けれど、いずれまた模様は浮かび上がるーとも」
「ほ、本当ですか!?」
イレーナは前のめりになって聞き返すけれど、お婆さんはどことなく暗い表情をしていて不安を覚える。
「定かなことではありません。可能性がある、というだけでずっと消えたままかもしれないとも」
申し訳ありません、と謝られてイレーナは慌てて頭を振った。
「い、いえ。気にしないでください」
「ですが姫巫女様。恋をなさったのですね。私は、孫のことのように嬉しく思います」
老婆ににっこりと優しく言われて、イレーナは心の緊張が解け思いを口にした。
「ごめんなさい。お婆さんの故郷を奪われてしまってー。そして、私は国を奪った男を愛して、しまってー。ごめんなさい」
お婆さんにも家族が、愛している人がいたのに私のせいでーと肩を震わせて泣くイレーナに、お婆さんはゆっくりと起き上がりぽん、と優しく肩に手を置いた。
「あなたは何も悪くないわ。陛下はとっても良い方よ。私が、姫巫女様のご出身の国のものだと知って、こうして時間を作って下さったの。姫巫女様の力になってくれと、頼まれました」
「オーランが?」
驚いて目を見開くイレーナに、老婆は優しく頷いてそっと手を握ってくる。
「姫巫女様。どうか自分の気持ちを大事になさって、ください。故郷のことをずっと、思っていれば、それだけで、亡くなったものは報われます」
「っ、お婆さんー」
イレーナは家族というものを知らない。生まれてすぐに神殿に預けられたから。
お婆さんの手は皺だらけだったけれど、暖かかった。
初めて会った人なのに、イレーナはすっと心が落ち着いていくのを感じた。
「幸せになってくださいね、姫巫女様」
温かい言葉にイレーナの気持ちは和らいでいった。
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