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 屋敷に戻ったエリーナは真っ先にカールの部屋へと駆け寄った。

 ノックもそこそこに扉を開けると、ベッドの上でくつろいでいるカールの姿があった。

「あ……」

 頭に包帯が巻かれた痛々しい姿に、エリーナは口元を抑える。

「カール様っ! よかった、無事で……」

 感極まって、カールに思わず抱きつく。ここに来るまで、もしかしたらベッドから起き上がることもできないのではないかと不安だった。

 ライに命の別状はないと聞いていたけれど、姿を見るまで安心などできなかったのだ。

 ポロポロと涙を零すエリーナの耳に、信じられない言葉が返ってくる。

「君は……誰だ?」

「え……」

 エリーナは目を丸くしてカールを見つめ返す。

「だ、誰って……」

「ああ。新しい侍女か?」

 冗談を言っているような雰囲気ではない。本気でエリーナのことを忘れている。

(まさか、記憶喪失……?)

 エリーナは包帯の巻かれた頭を見つめた。打ち所が悪くて記憶を失くしたのだろうか。

「マリエット。彼女の世話をしてやってくれないか」

「―……」

 すぐ側で控えていたマリエットに、カールが指示をする。

 マリエットは困惑の表情を浮かべながらも、主の指示に答えた。

「え、ええ。かしこまりました」

「……マリエットのことは、覚えているの?」

 震える声でカールに聞くと、カールは不思議そうな顔つきでエリーナを見つめてくる。

「覚えているに決まっているだろう? 君はおかしなことを言うんだな」

 ふっとカールは笑い、軽く肩を竦めて口にする。

「少し、疲れた。ひと眠りするから一人にしてくれないかい?」

 エリーナを見ずにマリエットに伝える。マリエットは畏まりましたと頭を下げて、側に控えていた二人の侍女にも外に出るよう指示する。

「奥様も……」

 呆然と立ち尽くしていたエリーナは、マリエットに連れられてカールの部屋を後にした。

 扉まで来て名残惜し気に後ろを振り返る。

 カールは気にもせず、ベッドに横になって目を閉じていた。

 どうしてこんなことに―。

 心が張り裂けそうになり、倒れそうになるのを扉の前で控えていたライに支えられた。

 膝ががくがくと震えて、立っていられない。

 力の入らないエリーナの体を支えながら、ライが言った。

「君も少し休んだ方がいいね。話はその後に……」

「大丈夫、です」

 エリーナは頭を振ってライを見据える。

「教えてください。カール様が今、どんな状態なのかを……」

 聞かなくても予想はできていた。

 カールはエリーナのことを忘れている。

「分かった」

 沈痛な表情でライが頷き、広間に場所を移して事のいきさつを聞くことになった。


「医師の話によると記憶喪失らしいんだが、すべてを忘れたわけじゃない。自分のことも屋敷のこともすべて把握している」

 その続きを聞かなくてもエリーナには分かっていた。

「私のことだけを、忘れている……」

 独り言のように呟くと、ライは静かに頷いた。

「どうして君のことだけを忘れたのかはっきりとは分からないけれど、何かショックな出来事があって忘れたんじゃないかって……」

 エリーナがヴァレリー公爵にされたこと。

 あの男にいい様に体をまさぐられただけでなく、夫の目の前であの男に触れられて淫らに啼く痴態を晒した。

 カールはエリーナのことを許してくれたけれど、心の中では怒っていたのかもしれない。

 カールは優しいから、怒りの矛先を向けれずにずっと溜め込んでいて。

「っ……」

 嗚咽をもらして泣くエリーナに、ライは気遣うように言った。

「君のことが好きすぎて、制御できなくなっていたんだろうな」

「どうすれば、記憶が戻るんですか?」

 このまま二度とエリーナのことを思い出さないかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうだ。

「無理に思い出させようとするのはよくない。君には辛いことかもしれないけれど、根気よく接することだって医師は言っていたよ」

 ライはエリーナに一つ提案をした。

「君が侍女としてカールの側について給仕するのはどうかな? ちょうどカールも君のことを新しい侍女だと思っているようだし」

「侍女として……」

 妻として側にいられないのなら、侍女として側にいることが一番の得策なのかもしれない。

 複雑な思いが交差するが、エリーナは侍女としてカールの側にいることに決めた。

 

 

 

 



 

  

 

 

 
 
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