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 馬車に揺られてから一日近くたつ。


 途中で休憩したりしたけれど、もうそろそろエリーナの実家が近いはずだ。
 

「エリーナ夫人? 大丈夫ですか?」


「ええ。あとどれくらいで着くのかしら?」


「まだもうしばらくかかります。お疲れでしたら眠っていただいてかまいませんよ」


 馬車の窓から見える風景に視線を向ける。屋敷を出たのが夜更けだった。また日が落ちて外の景色は暗闇に包まれている。


 長時間の移動に慣れていないのと、言い様のない緊張感に襲われてエリーナの瞼は重い。


「きっと屋敷に着いてからも休める時間はないと思います。今のうちに休んでおいた方がいいですよ」


 確かにメリサの言う通り、屋敷に着いたら休まるときはないだろう。


「着いたら起こしますのでゆっくり休んでください」


「ありがとう、メリサ。少しだけ……」


 エリーナはすぐに深い眠りに落ちた。思えばここのところろくに眠っていなかった。


「おかあ、さま……、カール、さま……」


 ぽつりと呟いた寝言に、メリサは隣でくすりとほくそ笑む。


「安心してください。あなたの愛しい旦那様もぐっすりと眠っているわ」


 次にエリーナが目覚めたのは、見知らぬベッドの上だった。


(こ、こは……?)


 見慣れない天井と部屋。


 ここが自分の実家ではないことは確かだ。


「……メリサ……?」


 不安げな声で名前を呼ぶけれど、返事はない。


 代わりに聞こえてきたのは、意外な人物の声だった。


「お目覚めかな? エリーナ夫人」


「……あなた、は……」


 にっこりと優雅に微笑を浮かべる男性に、エリーナははっとする。


「ヴァレリー公爵様……?」


「嬉しいね。一度会っただけなのに俺のこと覚えてくれていたんだ」


 どうして彼がここにいるのだろうか。呆然とするエリーナに彼は意味のわからないことを口にする。


「早く君に会いたくて仕方なかったよ。一人の女性に会うためにここまで回りくどいことをしたのははじめてだ」


 エリーナは母に会うために実家に帰る途中だったのに、なぜヴァレリー公爵のところにいるのだろう。


 そう。こんなところでのんびり休んでいる場合ではない。


「お、お母様が大変なんですっ、こ、こんなことしてる場合ではっ……」


「お母様? ああ……」


 腕を組みながらのんびりとした動作でヴァレリー公爵は言った。


「メリサの話、信じたんだ? 安心していいよ、その話嘘だから」


「う、そ……?」


 驚愕しながらヴァレリー公爵に聞き返すと、殊更明るい声と満面の笑みを浮かべて肯定した。


「そ、嘘。よかったね」


 エリーナは力が抜けてベッドに座り込む。


 小刻みに震えて座るエリーナの隣にヴァレリー公爵も座った。


「ごめんね。どうしても君を手に入れたかったんだ。欲しいものはどんなことをしてでも手に入れるのが俺の主義でさ。相手が人妻だろうと、ね」


 思わせ振りにほくそ笑むヴァレリー公爵を、エリーナは信じられない面持ちで見つめ返す。


 エリーナはこのときはじめて、メリサに騙されたのだと気づいた。


 


 
 


 

 


 

  


              
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