きもの

増田朋美

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第二章「役立たずと呼ばれて」

役立たずと呼ばれて

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第二章 役立たずと呼ばれて
今日も、雨でした。
そんなわけですから、人通りも当然ありません。最近の雨は、ちょうどいいというものはまずなく、一度降ればあらゆるものを破壊していく大災害にしてしまうのです。まあ、それ自体は別に問題があるわけではないけれど、人は、過去にあった穏やかな時を覚えているので、このような破壊的な雨が降れば、昔はよかったよかったと、盛んに口にするのでした。昔など関係なく、いまはこうなのだから、それならこうしようという切り替えがなかなかできないのが人間という生物であるようです。そう考えると、野生の動物のほうが優れているのかも?
今日も、菊村呉服店は、営業していましたが、こんな雨ですから、客など当然来るはずもありません。今日は早く店を閉めようかなあと店主の秀龍が考えていましたところ、突然がちゃんという音がして、店のドアが開きました。
「こんにちは、いらっしゃいませ。」
とりあえず、形式的な挨拶をしました。
客は、また三十代くらいの若い女性でした。最近の客は、若い人が増えているようです。もちろん、高齢の客も多いけど、若い人が着物に興味を持ってきているようでした。
「突然の訪問でごめんなさい。こんな雨の中、びっくりしましたよね。本当は、晴れていたほうが、いいのかもしれないけど、こういうときの方がお偉い方も来ていないかなと思って、それで来訪しました。」
客はそう言いました。その内容が不思議でした。
「お偉い方も来ていないって?」
「ええ。あ、やっぱり私、変ですか?だって、とても恥ずかしいというか、きっと、こんなことを聞いたら、そんなことも知らないのかってお偉い方が、聞いたらお怒りになると思ったので、それなら、あんまり人の来ない、こういう雨の日に、こっちに来たほうがいいと思ったんです。確かに近所のショッピングモールでも、呉服屋さんはあるんですけど、そうなると今度はこれを買え買えと言って、肝心の質問する暇がなくなってしまうので、、、。それに、そういうところで質問したら、より怒られてしまうのではないかと思います。」
彼女は早口にそういうのですが、何か悲しそうな、複雑な表情をしていました。
「ああ、かまいませんよ。うちはどうせ、大したものはありませんから。せいぜい、リメイクの材料にする人くらいしかいないでしょうしね。買いに来てくれても、サイズが小さすぎて、また戻す人のほうがほとんどですから。全く、日本人も、急速に巨大化したものですな。だって、しつけ付きの、まだまだ着られそうなものだって、裄丈が合わなくて、戻されることのほうが多いですからね。」
秀龍は、正直に答えました。この商売、本当にそうなのです。どこかの偉い落語家が自身のプライベートブランドで発売したラーメンを、「返品だらけのラーメン」と揶揄していましたが、それがまさしく現実になったようでした。中には、二度も三度も買われては戻されるケースもあるのです。
「そうなんですか。じゃあ、私のお話、聞いてくれますか?なんか、店長さんであれば、聞いてくれそうな気がするから。」
「いいですよ。たぶん、今日は、これ以上人が来ることもないと思いますから。」
秀龍は、とりあえず、売り台の前にあるテーブルに、彼女を座らせ、お茶を淹れてやり、湯呑を彼女の前に置きました。
「ありがとうございます。じゃあ、本当に、こんなこと言っていいものかわからないのですが。」
「はい。」
「黒い着物を、おめでたいときに使ってもいいのでしょうか。先日、箏の演奏を聞きに行ったときに、見かけたんです。黒い着物で、金の帯をつけて、見に来ていた人がいたんです。私、黒って、お葬式の時にしか、着用しないと思っていたから、すごくびっくりしてしまって。ああ、勿論江戸妻は知っていますよ。下半身に柄のある、黒い着物ですよね。それは、既婚者の最高位の着物であることも知っています。それで、見に来ていた人もいたのですが、そこは納得できました。でも、そうじゃないんです。下半身にも何もない、本当に黒いものだったのです。」
そう彼女は語りました。彼女ほどの歳で江戸妻という言葉をしっているという事だけでも、珍しいことだなと、秀龍は思いました。
「黒紋付のことですね。」
「ええ。私も、祖母が亡くなったときに、葬式で着用しました。それしか見たことがなかったから、正直びっくりしたんです。」
「葬儀に着物で出るのも今は珍しいですね。そういう時代ですよ。」
「そうですよね!だから私、本当にわからなかったんですよ。それで驚いてしまって。それを、フェイスブックに書き込んだんですけど、そうしたら、、、。」
そう言って、彼女はすすり泣きを始めました。何かよほどひどいことを言われたのでしょうか。
「そうしたら?」
「そうしたら、こんなことも知らないほうが、驚愕の極みだと言われてしまって。着物のグループという物があって、そこに投稿してみたんですけど、そういう答えが返ってきて。そして、変な質問をする人がいると、管理人さんに通報されてしまって、グループを強制退会になってしまって。もしかしたら、あんまり質問ばかりしていたので、嫌な人と見ていた人がいて、これをきっかけに強制退会させたかったのではないかなって、私、すごく不安定になってしまって。結局、こういう事になってしまったので、答えも得られないし、何よりも、グループを追い出されるほどの、悪事をしでかした人間とみなされてしまうほうが、私、怖かったですよ。」
「なるほど、、、。」
秀龍も、今の質問にはがっかりせざるを得ませんでした。売る側にとっては、そのような偏見こそ、足手まといになるのです。なぜか?簡単なことでした。そのような、おかしな知識人のせいで、着物が余計にわからないから、やっぱり無理だと言って手放す人が出るからです。そして、何よりも嫌なことは、そういう弊害があることに、知識人は、気が付かないことなのでした。
「ああ、ごめんなさい。やっぱり、そんなことも知らないのかって、お叱りになるでしょうか。」
「いや、そんなことありません。逆にそういう知識のある方の変なプライドは、こっちも商売の邪魔になって困るのです。日本の社会では、親切に答えを出してやるということはなかなかしませんから。それよりも、皆必死で、自分の事を守るのに精いっぱいで。若いんですもの、疑問質問が出るのは当たり前じゃないですか。自分で答えを探しなさいと返ってきたと思うけど、それって、言っている本人がかっこいいと思っているだけで、単に逃げているだけですよ。確かに、ご自身で調べてみることも必要なのかもしれないけれど、それはきっと、他人とかかわりたくないという、歳よりのわがままじゃないかなとも思いますけどね。」
秀龍は思っていることを正直に答えました。
「特に、教育者は、自分でやれと頻繁に口にしますけど、それって、かえって若い人の恨みを買うだけだと思いますよ。そして、彼らの間違えていることは、そのセリフが言えることを、かっこいいと思い込んでいること。」
彼女のすすり泣きが少し止まりました。
「じゃあ、教えていただけないでしょうか。私が感じた疑問。」
「いいですよ。結論から言ってしまえば、そういう着方も十分あり得ます。ただですね、あまり一般的ではありません。黒紋付を、卒業式などに使う親御さんも少なからずいますが、誤解されることもあるかもしれないですね。ちなみに、宝塚音楽学校では卒業式に黒紋付を着用するようですよ。あとは、天理教の関係者とか、仏教関係の結婚式なんかに使うこともあるみたいですね。あるいは、先ほどおっしゃった邦楽の関係でもたまにあるかな。それに、喪服として使う着物も、黒ばかりじゃないんですよ。色喪服と言って、紺とか、グレーとか、紫を着用する宗派もあります。着物って、こういう時には必ずこれという決まりを必ず遵守しなければならないものと勘違いされることが多いんですけど、意外にそうでもないようで、選択肢は、いくつかあるみたいですよ。」
「そ、そうなんですか!やっぱり、私、そういうこと知らなかったから、ダメな人間なんですか?」
秀龍が、答えを出してやると、彼女はそう返してきました。彼女が、そういう教育しか受けらなかったことに、ちょっと悲しい気持ちになりました。
「いやあ、そんなことはないと思いますけどね。」
「でも、こうしてなにも知らないなんて、とコメントがきて、グループも追放されてしまったわけですから、私は、やっぱり、ダメだったんじゃないですかね。」
「まあ、一度植え付けられた観念を変えるのは難しいですよね。きっと、そういうセリフしか言われてこなかったんでしょうね。平気で、ダメという人は、ろくな人間を作れはしませんよ。やっぱり、大人と言われるのであれば、若い人への責任も取らなきゃいけませんね。ただ、劣等感を作るだけでは、何も良いことを産みませんね。」
無意識のうちに、彼女は劣等感が刷り込まれてしまったのでしょう。しかし、世の中はそれだけではいけないのです。
「私、素直に聞いてみたくて質問しただけだったのに。まさか追放までされてしまうとは。やっぱり、着物の世界って、怖いところですね。それだけじゃない、すべての世界で、私くらいの歳という物は、なんだか罪深いというか、あらゆることが許されないような、そんな気がするんですよ。例えば、あんたは若いんだから我慢しなさいとか言って、体の調子が悪いとか、愚痴を言うことが、許されないじゃないですか。年をとれば、みんな尊敬するから、大いに言って結構になりますが、私たちには絶対に認められない。今言った、質問することだってそうです。なんで、それだけで役立たずと呼ばれたりしなければならないんでしょうか。」
「まあ、日本は、亀甲文様があるように、年配者を尊重しますからね。ああ、亀甲というのはね、長寿の象徴のような柄ですが、、、。」
「ああ、それは私知っています。少し柄について、勉強したことありますから。だけど、年を取っているからという理由で、悪いことだって免除されちゃうんですよ!そして、若い人が奴隷のように従わなければならないじゃないですか!私、海外から来た同級生と話したことがありますが、ヨーロッパでは個人主義になりますから、年齢も関係なく、疑問は言えばいいし、いけないことだと思ったら、いけないとはっきり口にしていいそうです。でも、私の家庭でもそうだけど、そういうことはここではまるで認められておりません。なんで、若いからと言って、こうも邪見に扱われるのでしょう。若いというのはそんなに悪いことなんですか?」
「そうですね。皆さん、そう思うときがあって、今があるというのを忘れているんですかね。本当は、そういうときの記憶というのは、非常に大きな事件なんですけどね。」
秀龍は、軽く頭をかじりました。
「でもね、お客さん、いくら嫌でも、やっぱり、生きていかなきゃなりませんよね。」
彼女は、その言葉を言われて、落胆の表情を見せました。
「そうしたら、、、どうしたらいいのです?別れを選んだ人もいますよね。それしか選択肢がないのでしょうか。」
「それではですね、こうしたらいかがでしょう。」
彼女ははっとしました。
「まあ、日本では、確かにそういう序列があって、若い人は重石が大きいというのは、確かに時代遅れかもしれませんよ。でも、歳をとったら、絶対にみにつけられないものというも物も、着物の世界にはあります。失礼ですが、お客さんは、まだ三十代でしょう。それでは、若い人にしか着れないものがまだ十分着れる年代です。どうでしょう、ここにある若い人向きを購入して、大威張りで着用してはいかがですか?それは、おばあさんになったら絶対に着れません。変なことを聞きますが、結婚していますか?」
「い、いえ、まだです。彼氏も誰もいません。結婚はまだまだ、、、。で、でも私、今日、そんなにお金を持っていないので、、、。」
「ああ、うちは、三千円出せば、もう御の字です。ちょっとご覧になってください。」
秀龍は、立ち上がって、売り台から、何枚か着物を出してやりました。
「えっ、これが三千円で買えるのですか!」
彼女は、それこそ驚愕の極みという顔をしました。そこにあるものは、確かに訪問着にあたるものではありましたが、派手な原色に、巨大な桐紋などを金糸刺繍で入れたものだったのです。一つ一つ値札をとって調べてみましたが、どれも、千円とか、二千円とか、小遣い程度で買える価格でした。
「どうですか。これであれば、絶対に年を取れば着用できないですよ。これを着用できるのは、今だけです。たぶん四十を超せば無理になるんじゃないかな。洋服でもわかるじゃないですか。こんな派手な洋服を身に着ける年寄りはいませんよ。」
確かにその通りだ、と言わざるを得ないほどの派手さでした。
「着物って、こんなに派手なものがあるんですか。信じられませんでした。私は、着物と言いますと、下の方と肩のほうに柄がある訪問着しか、着たことがありません。お店屋さんにも、こんな派手なのが売っていたことは、見たことないですし。」
「まあ、確かにそうですね。これは、かなり古い時代のものですよ。着物が、人間の日常着だった時代は、若い人も年寄りがきているようなものを着ていたら、本当におかしいでしょう。それが、着物という物が、金持ちの老婦人のものというように定義されて、若い人が手を出さなくなって、こういう物の生産は中止になったんでしょうね。でも、着物そのものだけは残りますから、使い道がなくて、こういうかわいそうな値段しかつけられないんです。」
そうなってしまうのが、かわいらしい着物の末路なのでした。
「そうですね。なんか、着てあげないともったいない、、、。」
「そうですよ。それで、リメイクの材料にしかならないのでは、かわいそうすぎます。ですから、売る側の僕たちも、材料目的ではなく、着用してほしいなと思うんですけど、高望みである場合が多くて、、、。悲しいですよ。」
「本当だわ、、、。なんか、この着物たちも、若い人向きであることが、罪深く感じているみたいね。だって、私は、若いから役立たずと罵られてきたけれど、この着物たちは、こういう派手な柄であるせいで、本来着てもらえるという目的を得られないんだもの、、、。」
彼女は、感慨深い発言をしました。確かにそうなのかもしれません。その中には、しつけのついた、一度も着ることなしに、手放されたものが、たくさん交じっていたからです。
「せっかく、苦労して仕立てたのに、こうして一度も着られないで、リメイクの材料になってしまうなんて、仕立てた人も、悲しいでしょうね。」
それはそうでしょう。
「きっと、もしタイムマシンがあって、仕立てた人が、この時代にやってきたら、非常に嘆き悲しむと思いますよ。こんな使われ方になってしまったのかと、、、。」
「ええ、タイムマシンがあったらね。一つしか、買えないのが心苦しいくらい。本当にかわいいのに。」
「ああ、かわいいと思ってくれましたか。」
秀龍はほっとしました。同時にそう思ってしまった自分も、恥ずかしく思いました。
「でも、店長さんには感謝しています。」
不意に彼女がそういいました。
「売りたい気持ちもあるんだと思うけど、こうして、私に、若くてよかったと思わせてくれて、うれしかったです!これは嘘じゃありません。」
「そうですか。別に僕も、どうしてもこれを売りたいとか、よし、こいつは買ってくれるとかそう思ったわけではありませんよ。青汁の宣伝なんかで、そういう宣伝法が多いけど、僕は単に、あなたが、相当悩んでいたみたいだったので、提案をしただけです。ひっかけようとか、そんな気持ちはこれっぽっちもないですから。気にしないでください。」
「ええ。わかってます。私も、解決法が見つかってよかったです。だから、変に気を病む必要はありません。じゃあ、この中で、一番華やかで、かわいらしいと思われる、こちらを買って行こうと思います!」
彼女は、そういって、赤い地色に、大きな白いボタンの花を入れた訪問着を取り出しました。
なぜか、古い年代のものにしては大きなサイズであり、対丈にしなくても、着用できそうでした。秀龍は、帯もご入用ですか?と聞こうと思いましたが、あえてしませんでした。
「帯は、どんなのを付けたらいいのでしょう?」
彼女が、不意に聞いてきました。
「袋帯がいいでしょうね。名古屋帯だと、華やかなものは少なくなりますので。」
「あの、色とか柄とか決めなきゃいけないんですか?」
「そうですねえ、、、。」
秀龍は、少し考えて、こういいました。
「確かに、何々の着物には何々を、というルールは存在します。例えば、訪問着は、半幅ではなくて、袋帯というのはルールとして成り立っていますよね。でも、それ以上は、どうしなければいけないかというルールは原則的には設けられていませんよ。まあ、しいて言えばの話ですが、着物が非常に派手でありますので、地味な物を合わせるのは、ちょっと寂しい印象になってしまうかもしれませんね。それさえ気を付ければ、きっとよいのではないかと思います。」
もし、一般的な呉服屋さんであれば、ここで何か帯を持ってきて客に見せ、買ってみろと強制するようにいうのが通例かもしれません。しかし、秀龍は、そういう事はしたくありませんでした。彼女が、せっかく自分に自信を持ち始めたのですから、操作したくなかったのです。もちろん、商売ですから、帯も売れば、金儲けはできるでしょう。それはよく知っていましたが、彼は、それをしたくなるのをぐっと押さえました。
「じゃあ、私の家にあるので、試してみてもいいかしら?」
「お宅に袋帯があるのですか?」
「はい。あります。私の祖母が、残してくれたものが。確か金銀のはいったものもあるはずです。なんか、あまりにも綺麗なので、捨てちゃうのがもったいなくて、取っておいたのです。母は、派手すぎて使えないと言っていて、一度もつけようとはしなかったんですけど、この着物であれば、釣り合うのではないでしょうか。きっとまだ、物置にしまってあるんじゃないかなあ。」
なるほど。帯も着物も、本来はそうするべきなのでした。着物や帯という物は、洋服と違い、ワンシーズンで処分してしまうという気にはさせなくさせる、美しさがある物なのです。
ですから、この店に買取を依頼してくる客は、ある意味ではそういう美しさを知らないという事も示しているのでした。でも、彼女は、そういう事もちゃんと知っていました。それでは、あえて、押し売りのようなことはしてはいけないなと、秀龍は思いました。
「わかりました。ではそうしてください。まあ、帯を見ていないので、なんとも言えないのですが、きっと、今持っている劣等感も、少しは改善されるのではないでしょうか。繰り返しますが、若いということは、確かに苦しい事柄が多い時期ではありますが、こういう派手な物が着れる時期でもあるのだということを、忘れないでください。」
「ええ、わかりました!私、今日の買い物で目から鱗が落ちました。そして、なんか、考え方も変わったし、苦しかったのが、少し軽減されたような気もしました。」
「もう少し欲を出して言えば、、、。」
と、秀龍は、いたずらっぽく笑いました。
「もし、可能であればですが、そのお着物を着たお姿を、写真に撮って郵送かメールで送っていただけないでしょうか。ああ、別に宣伝媒体にもしませんし、個人情報を悪用するつもりも、毛頭ありませんから。ただ、ここまで、思い入れの強かったお客さんは初めてで、僕も、今日はやりがいを感じましてね。結果としてどうなったか、やっぱり気になりますよ。」
「そうですよね!わかりました。私も、今日は店長さんに、本当に助けてもらいましたもの。感謝のつもりで、お写真をお送りさせていただきます。」
彼女は、にっこりと微笑みました。その顔は、本当に若い人らしい、世間体や体裁を気にしないで、感情だけで笑っている、美しい笑顔でした。
「そうやって、笑えることも若い人の特権なんですよ!気が付かないでしょうけど。なんだか、僕も懐かしいです。そうして、単にうれしくて笑っていられるって、歳をとったら、本当にできなくなりますからね。」
「でも、その代りに、知恵は増えます。」
今度は彼女が、いたずらっぽく笑う番でした。
「そうですね。ほんとうは、そうやってどっちもいいことなんですけどね。若い人は若い人の、歳よりは歳よりの良さがあるんだ。それがなぜ、片一方だけが、悪いと呼ばれるようになってしまったのでしょうか。」
秀龍がため息をつくと、
「きっと、着物もそれを感じていて、だから、それに反抗するために、柄を派手にしたんじゃないかしら。だって、今思い返してみると、若い人は、立場的に不利ってのは、日本だけではありませんもの。外国の本でも映画でも同じことが描いてありますよ。若い人が反乱を起こす小説も読んだことありますし。だから、そういう若い人に、自身を持たせたくて、というか、特権を与えたくて、派手になってくれたんじゃないかな。日本は特にそういう傾向が強いから、これくらい派手な着物ができてくれたのではないかしら。」
彼女はそう返してきました。彼女の感性の深さに、秀龍は、改めて感動してしまいました。
「そうですね。それで、このように派手になったのだと思えば、納得いくかもしれないです。」
「はい。今日は、なんか、新しい自分に出会えたいい日でした。このお店に来て本当に良かった。じゃあ、これ、いくらになりますか?」
そう言って、彼女は、持っていたカバンから、財布を取り出しました。秀龍も、これ以上高額な値段をつけてしまうのは、申し訳ないと思いました。
「ええ、定価は三千円ですが、今日は千円で結構ですよ。」
「そうなんですか!本当にありがとうございます!私、気持ちが弱くなったら、このお着物に助けてもらうことにします!」
と、彼女は、千円を秀龍に渡しました。秀龍は合掌してからいただき、領収書を書きました。
「はい、領収書です。あ、そうだ、お着物はたためますか?」
「ええ、見よう見真似ですけど、、、。」
「わかりました。じゃあ、こちらで畳んでみてください。」
と秀龍が言うと、彼女は、着物を丁寧にたたみました。見よう見まねとは決して言えないほど正確でした。秀龍は、たとう紙を出してあげられないのが残念に思いました。
「生憎うちには、たとう紙があまりないので、紙袋に入れて持って帰ってくれますか?」
秀龍が、紙袋を一枚渡すと、
「はい、わかりました。」
と、彼女は、着物を折りたたんで、その袋に入れました。
「じゃあ、店長さん。本当にありがとうございました!私、今日のことは一生忘れませんから!」
「忘れてもいいんですよ。」
「いいえ、そんなことしませんよ!この着物があればそういう事じゃないですか。きっと、強くて優しい人になって見せますから。店長さんのように!」
「え、僕?」
思わず、秀龍は自分を指さしましたが、彼女の笑顔は変わりませんでした。
「はい。そうですよ、店長さん。じゃあ、これで失礼しますけど、もしまた何か足りないものが出たら、すぐにまた買いに来ます。わからないことが出たら、質問するかもしれないですけど、また教えてください!」
「ええ、わかりました。今日は僕も正直に言うと、成長もありましたよ。人間、生きていれば必ず成長という物がある。それを忘れたら、人間は一貫の終わり。その証拠として誰にも相手にされなくなるんです。今回、それをよく痛感させてもらったと思います。」
秀龍も、自分の感想を正直に伝えました。
「本当のことがやっぱり、一番いいですね。」
それこそ、まさしく成長するには、必要なことなのでした。
「はい!私もそのことを肝に銘じて、これからも生きていきますね!」
彼女は、紙袋とカバンをもって、最敬礼し、店を出ていきました。あの、嵐のような雨はいつの間にか止んで、美しい赤い夕焼けが、顔を出していました。

数日後、また雨の降っている日、郵便局員が、一通の封書をもって、店にやってきました。秀龍が、封を切って読んでみますと、差出人は、この間の訪問着を買って行った女性で、中には、写真が一枚と、短い手紙が入っていました。
「先日は、ありがとうございました。お約束通り、写真をお送りします。少し派手な組み合わせかもしれないですけど、よろしかったらご覧になってください。そして、また、足りない部品などがあったら、お店にお伺いしますので、よろしくお願いします。その節は本当にどうもありがとう。」
かなりうまい字でしたので、きっと教養のある女性だとわかりました。同時に、感性のよい女性で、それを発揮する場のなかった人物だと推定することもできました。
秀龍は、写真をフォトフレームに入れて、売り台にそっと置きました。その中では、赤色の訪問着に、金色の袋帯を文庫に結んだ若い女性がほほ笑んでいました。




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