タルパと夜に泣く。

seitennosei

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タルパと夜に泣く。

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『町田先生。
ご無沙汰しております。
突然のお手紙失礼します。
お元気でしょうか?
僕は元気です。
初めて大人の人にお手紙を書きます。
だから失礼があったら申し訳ございません。

僕は今日初めて町田先生の作品を読みました。
そして感動してどうしても伝えたくてお手紙を書くことにしました。
読んだのは「今日も昨日の明日」という作品です。
主人公の男の人は普通の人で、大冒険もしないし命懸けで何かを成し遂げる事もないお話でした。
学校で流行っている本はみんな大冒険をしたり戦ったり魔法で問題を解決したりするので、何でもない人が主人公なことに最初は驚きました。
普通の毎日がずっと続いていくだけのお話で特別な事は何も書いていない。
それなのに不思議なことに僕は最後泣いてしまいました。
主人公は中学生の時に奥さんと出会って、学校から帰る時に毎日「また明日」と挨拶していたことをとても大事にしていて、結婚した後も「おやすみなさい」ではなく「また明日」と言ってから眠るというのが好きです。
そしてささやかだけど素敵な毎日をずっと送ってきて、歳をとって死んでしまう時、病院のベッドの上で目を閉じる瞬間に奥さんに向かって「また明日」と言う所は本当に一番好きです。
好きだからそこだけ何回も読んで、この最後の「また明日」は主人公はどういう気持ちで言ったのだろうって一時間くらい考えました。
そして最初は「さよなら」や「ありがとう」だと奥さんが泣いてしまうかなって考えて、優しさでいつもの挨拶にしたのかなって思いました。
だけど本当にこの人になった気持ちでじっくり考えて違う見方も出てきました。
この人は何となくもう自分が死んでしまうって分かっているけれど、それとは別の所でまた明日も今までみたいに生きていくつもりだったのかなって思います。
生まれてから今日までみたいなただ生きる幸せを明日もって。
この場合は奥さんのために優しさで言ったのではなく本当にただの挨拶になってしまうのですが、それでも僕はこっちの方が好きなんです。
奥さんの立場から見てもこの方が嬉しいとも思います。
自分と一緒に暮らした日々をまた明日もって言われて、まるでとても美味しい物をもっと食べたいって思った時のおかわりみたいに言われて、それはとても嬉しい事だと僕は思います。
僕も死ぬ時に誰かに「また明日」って言って死にたいと思いました。
そのくらい町田先生の作品が好きになりました。
素敵な作品を書いて下さってありがとうございました。
ご迷惑でなければまたお手紙書きたいです。
町田先生、お元気で作品書くの頑張って下さい。
また他の作品も読みます。
それでは失礼します。

追伸、手毬さんはお元気ですか?』


一通目は随分と可愛らしい内容だった。
中学生の男の子らしく少し乱暴な文字。
所々大人の真似事みたいに畏まった言い回しをしつつも、年相応に整ってない文章。
それでも内容は丁寧で、本当に祖父の作品が好きなのだと伝わってくる。
きっと郁恵さんか源造さんに勧められて祖父の作品に初めて触れたのだろう。
中学生の清太郎がそれに感銘を受け、感想を送るために手紙を書いたのが二人の文通の初めだったと分かった。
ただ最後の一文。
唐突に自分の名が出てきたので狼狽えてしまった。
清太郎はこの時から既に私を気にしてくれていたという事になる。
思考を自身の子供時代に巡らすけれど。
やはり清太郎との思い出が浮かんでこない。
けれど、何か開けてはいけない箱が心の中にあって、それを無理やりに開いたらハッキリとしそうなぼやけた何かが一つ浮かび上がってはいる。
私は高校時代に越してくる以前から、小中学生時代は毎年母と長期休暇の度にここに帰省して来ていた。
そしてかなり早い段階から、既に母と父が離婚寸前だったため家庭内は酷く荒れていてた。
そんな中、今以上に良い子を演じていた当時の私は大人に怒られるような失態を犯してしまった時にそれを全力で隠す癖があった。
それでも隠す罪悪感は子供の時分には重たくて。
段々と自分に都合の悪い事を自身の記憶の中からも消し去るようになったのだ。
人間の思い込みとは本当に恐ろしいと思う。
私がその自覚を持ったのは大人になってからで。
気付いた切っ掛けは祖父をはじめ周囲の大人達が懐かしいエピソードとして子供時代の私の失敗談を面白可笑しく話した時、自分自身にその記憶が全くなかったり、あったとしても朧気だったりが続いたからだった。
恐らく、清太郎との間にも何かしらがあり、それは私にとって非常に都合の悪いやらかしだったのだろう。
だからきっと記憶に無理やり蓋をしたのだと憶測できる。
私は自分の保身の為に消した何かしらの記憶ごと清太郎との思い出も忘れてしまったのかもしれない。

祖父の作品を読むという目的などどうでも良くなっていた。
一通目の手紙を折り跡の通り綺麗に畳み封筒へ戻す。
そして二通目を手にすると私は取り出せない記憶のヒントを探すみたいにそれを開いた。
不思議なもので、一通目を開く時程の罪悪感はもうなかった。
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