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タルパと夜に泣く。
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その日は朝からシトシトと雨が降っていた。
水の膜を張ったように静かな店舗で。
ぼんやりと扉の外を眺め、そろそろ開けっ放しにするのは厳しい季節かななんて考えていると不意に人影が視界の中に現れる。
それは見慣れた、だけどもうここで見る事はないと諦めていたシルエットで。
思わず立ち上がり呟いた。
「清太郎さん…?」
聞こえているはずなのに私の問に応える事も訪ねて来た要件を口にする事もなく。
清太郎はただただ黙って立っている。
雨に濡れしっとりとした髪。
よれたTシャツに汚れたサンダル。
ボロボロの佇まいに生気のない顔色。
それなのに眼光だけは鋭くて。
何だかとても怒っているように見えた。
「あの…、こんにちは。清太郎さん、どうし…」
言い終わる前。
清太郎が黙ったまま急にツカツカとこちらに向かって来た。
そして立ち尽くし反応出来ないでいる私の前で立ち止まる。
「清太郎さん?」
呼び掛けに応えないまま。
唐突に私の右手を掴み上げ引っ張ってきた。
「っ…、いたっ、痛いです。」
そう言っても力を緩めてくれず、尚も引き上げられ流石に恐怖心が芽生え始めた頃。
不意にTシャツの袖が捲られ二の腕の内側を撫でられた。
「っ、清太郎さん?」
何も言ってくれない。
だけど触れている二の腕の辺りを睨み付け、眉間に深くシワを刻んでいて。
奥歯も噛み締めているようで、頬の辺りの筋肉が微かにグッと隆起しているのが見えた。
もしかして何かを確認して怒ってる?
すっと解放された腕。
今度は襟ぐりを引っ張られ鎖骨の下を撫でられた。
強ばる身体。
もう声も出せないようになり震えながら見上げていると酷く冷たい表情で言い放たれる。
「鍵を出せ。」
その一瞬で理解出来た。
ああ、私がアナだって気付かれたのだ。
恐らく身体の何かしらの特徴で本人確認をする目星を付けていたのだろう。
やっぱりこういう時は突然なんだな。とか、やっぱり私は神様に嫌われているんだな。とか。
色々浮かんできたけれど、もうずっと覚悟できていたからか案外冷静でいられた。
「アンタがアナなんだろ?」
微かに頷いて見せると「鍵を出せ。」とまた急かされる。
私はポケットから鍵を取り出し、差し出された清太郎の手にそれを乗せて頭を下げた。
「ごめんなさい。」
「…。」
沈黙が怖くて頭を下げたままもう一度口にする。
「ごめんなさ…」
「目的は?」
遮るように問われ、今度は私が黙り込む。
目的?
目的だなんて考えた事もなかった。
ひたすら私がアナで居たかっただけだ。
ただ、それを口にしても余計に怒させてしまうように思えて声が出ない。
「目的は何だよ?」
震えた声。
そろそろと顔を上げ目を合わせると清太郎は言葉ではとても言い表せない表情をしていた。
怒りも悲しみも、恨みも諦めも全て内包させた冷たい顔。
だけど一番、空気を通じてビリビリと肌を刺したのは軽蔑で。
今ここに隕石が落ちてきて人類が滅亡する方がましに思えるくらい、私にとっては最悪の結末を迎えようとしていた。
「はーっ…。」
大きな溜め息。
「ごめんなさい…。」
事態が好転しないと分かっていても謝意を口にせずにはいられない。
そんな私の態度に苛立ち始める清太郎。
「ごめんじゃなくてさー。何なんだよ、ホント…。」
「…。」
「馬鹿にしてたのか?俺の事…。」
「してない!してないです!」
分かっている。
もう何を言っても信じてもらえないだろう。
到底許されない事をした。
それでも、ふざけていたわけでも馬鹿にしていたわけでもないって。
それだけでも伝えなければならない。
清太郎をこれ以上取り返しがつかない程に傷付けてしまう前に。
「いや、してんだろ!!どう考えても!!」
「馬鹿になんてしてない!許してもらえなくてもいいから…、もう嫌いになっていいから、最後にこれだけは言わせて下さい!」
馬鹿にしていたんじゃないって早く説明しないと。
笑ってたんでも、ふざけて騙してたんでもないって。
これ以上私のせいで傷付かないで欲しい。
楽しかった時間を全部嘘だったと思わないで下さい。
私は本物のアナになりたかった。
言いたい事が沢山あって。
けれどどれもしっくりこなくて。
「アナになり切れなくてごめんなさい。」
「…は?」
「私でごめんなさい…アナじゃなくて…ごめんなさっ…。」
かーっと頭が熱くなる。
ギュッと喉がつっかえて痛くなった。
絶対泣いてはいけない立場の癖に、少しも取り繕えないくらいに泣いてしまいそうで。
開け放ったままの店舗を飛び出して家に走った。
「おい!」
後ろから清太郎の声がしたけれど、振り返らずに走る。
清太郎は被害者なのに。
きっと無人になってしまう店舗の事とか、飛び出した私の事とか色々考えて暫く困るだろうな。
今更だけれどもうこれ以上迷惑を掛けたくないのに自分でも同仕様もなくて。
アナとしての幸せな時間を失った事実に気を取られながらも、頭の片隅にぼんやりと今後の清太郎とのご近所付き合いが引っかかって更に憂鬱になった。
まあ、後にそれは杞憂に終わったのだけれど…。
何故なら、清太郎はそれ以来姿を消してしまったからだ。
水の膜を張ったように静かな店舗で。
ぼんやりと扉の外を眺め、そろそろ開けっ放しにするのは厳しい季節かななんて考えていると不意に人影が視界の中に現れる。
それは見慣れた、だけどもうここで見る事はないと諦めていたシルエットで。
思わず立ち上がり呟いた。
「清太郎さん…?」
聞こえているはずなのに私の問に応える事も訪ねて来た要件を口にする事もなく。
清太郎はただただ黙って立っている。
雨に濡れしっとりとした髪。
よれたTシャツに汚れたサンダル。
ボロボロの佇まいに生気のない顔色。
それなのに眼光だけは鋭くて。
何だかとても怒っているように見えた。
「あの…、こんにちは。清太郎さん、どうし…」
言い終わる前。
清太郎が黙ったまま急にツカツカとこちらに向かって来た。
そして立ち尽くし反応出来ないでいる私の前で立ち止まる。
「清太郎さん?」
呼び掛けに応えないまま。
唐突に私の右手を掴み上げ引っ張ってきた。
「っ…、いたっ、痛いです。」
そう言っても力を緩めてくれず、尚も引き上げられ流石に恐怖心が芽生え始めた頃。
不意にTシャツの袖が捲られ二の腕の内側を撫でられた。
「っ、清太郎さん?」
何も言ってくれない。
だけど触れている二の腕の辺りを睨み付け、眉間に深くシワを刻んでいて。
奥歯も噛み締めているようで、頬の辺りの筋肉が微かにグッと隆起しているのが見えた。
もしかして何かを確認して怒ってる?
すっと解放された腕。
今度は襟ぐりを引っ張られ鎖骨の下を撫でられた。
強ばる身体。
もう声も出せないようになり震えながら見上げていると酷く冷たい表情で言い放たれる。
「鍵を出せ。」
その一瞬で理解出来た。
ああ、私がアナだって気付かれたのだ。
恐らく身体の何かしらの特徴で本人確認をする目星を付けていたのだろう。
やっぱりこういう時は突然なんだな。とか、やっぱり私は神様に嫌われているんだな。とか。
色々浮かんできたけれど、もうずっと覚悟できていたからか案外冷静でいられた。
「アンタがアナなんだろ?」
微かに頷いて見せると「鍵を出せ。」とまた急かされる。
私はポケットから鍵を取り出し、差し出された清太郎の手にそれを乗せて頭を下げた。
「ごめんなさい。」
「…。」
沈黙が怖くて頭を下げたままもう一度口にする。
「ごめんなさ…」
「目的は?」
遮るように問われ、今度は私が黙り込む。
目的?
目的だなんて考えた事もなかった。
ひたすら私がアナで居たかっただけだ。
ただ、それを口にしても余計に怒させてしまうように思えて声が出ない。
「目的は何だよ?」
震えた声。
そろそろと顔を上げ目を合わせると清太郎は言葉ではとても言い表せない表情をしていた。
怒りも悲しみも、恨みも諦めも全て内包させた冷たい顔。
だけど一番、空気を通じてビリビリと肌を刺したのは軽蔑で。
今ここに隕石が落ちてきて人類が滅亡する方がましに思えるくらい、私にとっては最悪の結末を迎えようとしていた。
「はーっ…。」
大きな溜め息。
「ごめんなさい…。」
事態が好転しないと分かっていても謝意を口にせずにはいられない。
そんな私の態度に苛立ち始める清太郎。
「ごめんじゃなくてさー。何なんだよ、ホント…。」
「…。」
「馬鹿にしてたのか?俺の事…。」
「してない!してないです!」
分かっている。
もう何を言っても信じてもらえないだろう。
到底許されない事をした。
それでも、ふざけていたわけでも馬鹿にしていたわけでもないって。
それだけでも伝えなければならない。
清太郎をこれ以上取り返しがつかない程に傷付けてしまう前に。
「いや、してんだろ!!どう考えても!!」
「馬鹿になんてしてない!許してもらえなくてもいいから…、もう嫌いになっていいから、最後にこれだけは言わせて下さい!」
馬鹿にしていたんじゃないって早く説明しないと。
笑ってたんでも、ふざけて騙してたんでもないって。
これ以上私のせいで傷付かないで欲しい。
楽しかった時間を全部嘘だったと思わないで下さい。
私は本物のアナになりたかった。
言いたい事が沢山あって。
けれどどれもしっくりこなくて。
「アナになり切れなくてごめんなさい。」
「…は?」
「私でごめんなさい…アナじゃなくて…ごめんなさっ…。」
かーっと頭が熱くなる。
ギュッと喉がつっかえて痛くなった。
絶対泣いてはいけない立場の癖に、少しも取り繕えないくらいに泣いてしまいそうで。
開け放ったままの店舗を飛び出して家に走った。
「おい!」
後ろから清太郎の声がしたけれど、振り返らずに走る。
清太郎は被害者なのに。
きっと無人になってしまう店舗の事とか、飛び出した私の事とか色々考えて暫く困るだろうな。
今更だけれどもうこれ以上迷惑を掛けたくないのに自分でも同仕様もなくて。
アナとしての幸せな時間を失った事実に気を取られながらも、頭の片隅にぼんやりと今後の清太郎とのご近所付き合いが引っかかって更に憂鬱になった。
まあ、後にそれは杞憂に終わったのだけれど…。
何故なら、清太郎はそれ以来姿を消してしまったからだ。
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