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タルパと夜に泣く。
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ちゃぶ台の上で1本のロウソクが灯っている。
廊下にいる時に漏れてくる光が心許無かったのはこういう事かと納得した。
無言で点いていない照明を見上げる。
「電気は通ってるんだけどさ。電球が切れてるみたいなんだよ。」
照れたような男の説明に私はやってしまったと思った。
今までは暖かい昼に掃除するか、夜に訪ねても目的の部屋以外には行かなかったから…。
全ての照明まで管理が行き届いていなかったのだ。
男にバレないようこっそりと心の中で反省する。
「明日は電気屋行かなきゃだよな…。」
男はポソッと呟いて畳に腰掛けた。
そしてグッと私の手を引き寄せ隣に座らせる。
「なぁ、また顔見せて。」
冷たい手で私の顔を強引に固定した。
そしてロウソクの光の前で再度じっくりと観察する。
私も負けじと男を見詰め返す。
ユラユラと不安定な光が横から当たり、顔に落ちる影までチラチラと揺れた。
伸びきった前髪から覗く瞳は潤み、半分オレンジ色に染まった私の顔が映り込んでいる。
「ははっ。お前、本当に町田手毬みたいだな。」
「!?」
唐突に登場した自分の名前。
この人、私を知っている?
発言の意味が理解できずに相変わらず私は言葉を発する事すら出来ない。
町田手毬「みたい」って言っていた。
やはりこの男は私を別の何かと勘違いしているのだ。
頭の中を混乱させているこちらの都合などお構い無しに、男は顔を固定している手で頬や耳を優しく擦ってくる。
見つめるその目は愛おしんでいるようにも見えた。
「いや…、本物の町田手毬より可愛いくできたな。」
そして、本人とは露知らずとても失礼な事まで言い出す。
何なんだこの男は…。
しかし益々もって正体を明かし難くなってしまったではないか。
戸惑っている私の反応などお構い無しに男は陰口になっていない陰口を吐き出し続ける。
「町田手毬の見た目は好きなんだけど、それ以外はムカつくんだよな。子供の時からそうだ。あの女は誰にでも媚びて何でも上手くやる。ニコニコ嘘っぽい顔で笑って、皆に好かれやがって。マジで小賢しい…。俺はずっと、見た目が町田手毬みたいで、嘘くさくない女が欲しかった。」
本当に何なんだこいつ。
カチンときた。
あまりにも酷い言い草。
私の何がわかると言うのか。
衝動的に引っ叩いてやろうかとも思ったが同時に恐怖も感じる。
私を何処まで知っているのだろう。
こちらは何も知らないのに…。
一方的に把握されている不安。
とりあえず、町田手毬に似た何かである私に危害を加える気は無さそうだし、現時点では正体を明かさない方が良いのだろう。
暫くは大人しく動向を見守る事にした。
それにしても私の精神は持つだろうか。
目の前に本人が居るとも知らないまま男は楽しそうに町田手毬の悪口を言い続けている。
「あのクソビッチと違って、お前には俺だけしかいないんだからな?」
自分の陰口に立ち会う居心地の悪さ。
面と向かった罵倒の方が気持ちの良いレベル。
一体、私がこの男に何をしたというのか。
クソビッチと言われる覚えなんぞ、少なくともこの男に関しては微塵もない。
反論したい衝動を必死に抑えていると、男が急に不安そうな顔で問い掛けてきた。
「お前、喋れるか?」
「!?」
どう答えるのが正解なのかわからない。
予期していなかった質問に思考が停止する。
そもそも男が何を求めていて、目の前の私を何者だと思っているのかも知らないのに…。
ただ、私に喋れるのか訊ねてきた点から分析するに、男としても私が何処まで何が出来るのかを把握出来ていないのではないだろうか。
そうなれば、逆にこちら側の都合が少しでも良くなるよう、探りながら持っていく事が出来るかもしれない。
私は悩んだ末に頷いて答えた。
「…うん。」
「そうか。」
喋れる設定にしておいた方が万が一声を出してしまった時にも誤魔化し易いだろう。
男は満面の笑みで満足そうにしている。
「じゃあさ。清太郎って言ってみろ。」
清太郎。
やはりこの男がこれからの家主である源造さんのお孫さんなんだ。
確か長男の名前が清太郎だったと記憶している。
とにかく、もっと色々と情報が出揃うまでは言いなりになっておこう。
私は言われるままに返す。
「…清太郎?」
途端にクシャッと歪む男の顔。
見る見る内に情けない表情をしてまた涙を流し始める。
そして震える腕で私を抱き寄せた。
またこの感覚。
胸がギュッと苦しくなる。
この男に縋られると何とかしてやりたいという感情に支配される。
振り絞る様な声が耳に届く。
「もう一回…。」
「清太郎。」
「もっと…。」
「清太郎。」
求められるままに何度も名を呼んでやった。
骨が軋む程に強く抱き締められる。
苦しい筈なのに全く嫌ではない。
応えるように私も両腕を男の背中に回す。
自分よりも大きな存在に甘えられ、何だかこちらが癒される様な不思議な感覚になった。
「はーっ…。すげぇな、タルパって…。…これが俺の思い込みなんだろ?信じらんねぇよ。」
タルパ?
聞き慣れない言葉。
思い込みとも言っていた。
こんなにはっきりと目の前にいてこれだけ確実に触れ合っている私の事を、この男は自分の妄想か何かだと思っていそうな口振りをしている。
これだけはっきりとした幻覚を人はすんなり受け入れるものなのだろうか。
俄には信じ難いが男は至って真剣だ。
抱き合っていて良かった。
向かい合って顔を見ていたら表情で戸惑いがバレてしまうところだ。
「…お前の名前。もう考えてあるんだ。」
鼻を啜りながら男が語り出す。
私は神妙な顔をしてそれを聞いた。
「町田手毬の家には紫陽花が沢山咲いてるんだ。多分手毬って名前は手毬花から付けたんだろうなって思った。だからお前も紫陽花からとってアナベルにするよ。」
アナベル。
祖父が生前気に入って植えた品種だった。
ウチとこの家の境に植えてある白い紫陽花。
それにしても何の特徴もない純日本人顔の30越えた女にアナベルって…。
似合わなすぎて吹き出してしまいそうになるのをグッと堪えた。
男は私を腕の中から解放するとまた両手で頬を包む。
強制的に合わされる目。
「今日からお前はアナだからな。」
突っ込みたい事は山ほどある。
理解が及ばない事だらけで不安だ。
「…。」
それなのに、気付くと私は無言で頷いていた。
こうして私は清太郎のアナベルになった。
廊下にいる時に漏れてくる光が心許無かったのはこういう事かと納得した。
無言で点いていない照明を見上げる。
「電気は通ってるんだけどさ。電球が切れてるみたいなんだよ。」
照れたような男の説明に私はやってしまったと思った。
今までは暖かい昼に掃除するか、夜に訪ねても目的の部屋以外には行かなかったから…。
全ての照明まで管理が行き届いていなかったのだ。
男にバレないようこっそりと心の中で反省する。
「明日は電気屋行かなきゃだよな…。」
男はポソッと呟いて畳に腰掛けた。
そしてグッと私の手を引き寄せ隣に座らせる。
「なぁ、また顔見せて。」
冷たい手で私の顔を強引に固定した。
そしてロウソクの光の前で再度じっくりと観察する。
私も負けじと男を見詰め返す。
ユラユラと不安定な光が横から当たり、顔に落ちる影までチラチラと揺れた。
伸びきった前髪から覗く瞳は潤み、半分オレンジ色に染まった私の顔が映り込んでいる。
「ははっ。お前、本当に町田手毬みたいだな。」
「!?」
唐突に登場した自分の名前。
この人、私を知っている?
発言の意味が理解できずに相変わらず私は言葉を発する事すら出来ない。
町田手毬「みたい」って言っていた。
やはりこの男は私を別の何かと勘違いしているのだ。
頭の中を混乱させているこちらの都合などお構い無しに、男は顔を固定している手で頬や耳を優しく擦ってくる。
見つめるその目は愛おしんでいるようにも見えた。
「いや…、本物の町田手毬より可愛いくできたな。」
そして、本人とは露知らずとても失礼な事まで言い出す。
何なんだこの男は…。
しかし益々もって正体を明かし難くなってしまったではないか。
戸惑っている私の反応などお構い無しに男は陰口になっていない陰口を吐き出し続ける。
「町田手毬の見た目は好きなんだけど、それ以外はムカつくんだよな。子供の時からそうだ。あの女は誰にでも媚びて何でも上手くやる。ニコニコ嘘っぽい顔で笑って、皆に好かれやがって。マジで小賢しい…。俺はずっと、見た目が町田手毬みたいで、嘘くさくない女が欲しかった。」
本当に何なんだこいつ。
カチンときた。
あまりにも酷い言い草。
私の何がわかると言うのか。
衝動的に引っ叩いてやろうかとも思ったが同時に恐怖も感じる。
私を何処まで知っているのだろう。
こちらは何も知らないのに…。
一方的に把握されている不安。
とりあえず、町田手毬に似た何かである私に危害を加える気は無さそうだし、現時点では正体を明かさない方が良いのだろう。
暫くは大人しく動向を見守る事にした。
それにしても私の精神は持つだろうか。
目の前に本人が居るとも知らないまま男は楽しそうに町田手毬の悪口を言い続けている。
「あのクソビッチと違って、お前には俺だけしかいないんだからな?」
自分の陰口に立ち会う居心地の悪さ。
面と向かった罵倒の方が気持ちの良いレベル。
一体、私がこの男に何をしたというのか。
クソビッチと言われる覚えなんぞ、少なくともこの男に関しては微塵もない。
反論したい衝動を必死に抑えていると、男が急に不安そうな顔で問い掛けてきた。
「お前、喋れるか?」
「!?」
どう答えるのが正解なのかわからない。
予期していなかった質問に思考が停止する。
そもそも男が何を求めていて、目の前の私を何者だと思っているのかも知らないのに…。
ただ、私に喋れるのか訊ねてきた点から分析するに、男としても私が何処まで何が出来るのかを把握出来ていないのではないだろうか。
そうなれば、逆にこちら側の都合が少しでも良くなるよう、探りながら持っていく事が出来るかもしれない。
私は悩んだ末に頷いて答えた。
「…うん。」
「そうか。」
喋れる設定にしておいた方が万が一声を出してしまった時にも誤魔化し易いだろう。
男は満面の笑みで満足そうにしている。
「じゃあさ。清太郎って言ってみろ。」
清太郎。
やはりこの男がこれからの家主である源造さんのお孫さんなんだ。
確か長男の名前が清太郎だったと記憶している。
とにかく、もっと色々と情報が出揃うまでは言いなりになっておこう。
私は言われるままに返す。
「…清太郎?」
途端にクシャッと歪む男の顔。
見る見る内に情けない表情をしてまた涙を流し始める。
そして震える腕で私を抱き寄せた。
またこの感覚。
胸がギュッと苦しくなる。
この男に縋られると何とかしてやりたいという感情に支配される。
振り絞る様な声が耳に届く。
「もう一回…。」
「清太郎。」
「もっと…。」
「清太郎。」
求められるままに何度も名を呼んでやった。
骨が軋む程に強く抱き締められる。
苦しい筈なのに全く嫌ではない。
応えるように私も両腕を男の背中に回す。
自分よりも大きな存在に甘えられ、何だかこちらが癒される様な不思議な感覚になった。
「はーっ…。すげぇな、タルパって…。…これが俺の思い込みなんだろ?信じらんねぇよ。」
タルパ?
聞き慣れない言葉。
思い込みとも言っていた。
こんなにはっきりと目の前にいてこれだけ確実に触れ合っている私の事を、この男は自分の妄想か何かだと思っていそうな口振りをしている。
これだけはっきりとした幻覚を人はすんなり受け入れるものなのだろうか。
俄には信じ難いが男は至って真剣だ。
抱き合っていて良かった。
向かい合って顔を見ていたら表情で戸惑いがバレてしまうところだ。
「…お前の名前。もう考えてあるんだ。」
鼻を啜りながら男が語り出す。
私は神妙な顔をしてそれを聞いた。
「町田手毬の家には紫陽花が沢山咲いてるんだ。多分手毬って名前は手毬花から付けたんだろうなって思った。だからお前も紫陽花からとってアナベルにするよ。」
アナベル。
祖父が生前気に入って植えた品種だった。
ウチとこの家の境に植えてある白い紫陽花。
それにしても何の特徴もない純日本人顔の30越えた女にアナベルって…。
似合わなすぎて吹き出してしまいそうになるのをグッと堪えた。
男は私を腕の中から解放するとまた両手で頬を包む。
強制的に合わされる目。
「今日からお前はアナだからな。」
突っ込みたい事は山ほどある。
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