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タルパと夜に泣く。
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生前の源造さんに託された鍵。
それを握りしめ私は最期に見た笑顔を思い出していた。
「孫が引き継ぐまで、この家を守って欲しい。」
それ以来この数ヶ月の間、数日おきに家の様子を見て管理してきたけれど、来月にはとうとう新しい家主が訪れる事が決まった。
何事もなく無事に引き渡せる事にホッとする気持ち。
それと同時にこの鍵を使って家にお邪魔するのもあとほんの数回なのだろうとふと思い、源造さんが亡くなった時程じゃないにしろ胸に隙間風が吹き込んでくる様な寂しさを覚えた。
ふーっと長く息を吐いて手を開き丸い断面のレトロな鍵を持ち替える。
それを鍵穴に差し込みクルッと捻り引き抜くと、古めかしい磨りガラスと木枠で出来た重たい引き戸をそっと開けた。
ガラガラと大袈裟な音が静かな夜の空間に吸い込まれていく。
その瞬間。
中から何とも言えない懐かしい空気が押し寄せ私を優しく包み込んだ。
仄かに暖かいのに寂しげな孤独の匂い。
無人の家には無い筈の生活する気配。
源造さんが生きていた時と同じだ。
そんな事あるわけがないのに。
真っ暗な廊下。
目を凝らすと奥の居間からはほんのり光が漏れているのが見えた。
もしかして源造さん?
いや、有り得ない。
脳裏に浮かんだ希望を振り払う様に自分で否定する。
でも、そうじゃなければ…泥棒?
こちらの方がかなり現実的だ。
今度は一気に絶望が私を襲う。
この家を守ると源造さんに誓ったのに。
泥棒と身一つで対峙する事なんかよりも、源造さんとの約束を果たせない可能性の方に私は恐怖していた。
何にしても確かめなくてはならない。
扉を開けたままサンダルを脱ぎそろりと廊下に足を踏み入れる。
ひんやりとした床。
火照り持て余した体温が足の裏から吸収されていく。
そのまま足を進め息を殺し奥の居間を目指す。
軋む床にこれ以上煩くしないでと祈りながら擦る様にして進んだ。
途中、左側にある台所のシンクに水が滴った音に驚き制御出来ずに身体が跳ねる。
「ひっ…。」
息を飲んで身が縮こまった。
反動で足元の床がギッと一際大きく鳴る。
不味い。
どうか気付かれないで。
胸の前で両手をグッと握り締めた。
居間から畳を擦る音と共に人の動く気配がする。
もう進む事も引き返す事もままならない。
立ち尽くすしかない。
音が廊下の方へ近付いて来た。
暗闇に慣れた目に映るのは中途半端に開いている居間の襖。
その縁に何者かの手が掛かる。
「誰かいるのか?」
落ち着いた男の声。
それは思いの外緊張感の薄い声色で。
泥棒ではなさそうだけれど…。
当たり前な事に源造さんの声でもない。
それでは声の主は一体…。
一番考えられるのは新しい家主だ。
何らかの理由で入居が早まったのかもしれない。
そうなると逆に私の方が不法侵入者にならないだろうか。
そう気付いた途端、今度は自分のやらかしてしまった事に対して私は怯える。
早く謝って説明しなくては。
怪しい者ではないです。
源造さんに許可を貰っている隣人です。って。
「おい、誰かいるのか?」
「っ…。」
やるべき事は分かってはいても咄嗟の事に言葉が出てこない。
口をパクパクさせた状態で喉が完全に詰まった。
襖の影から唐突に男が顔を出す。
その目が私の姿を捕え、そこでお互い固まった。
もう逃げられない。
早く弁解をしなくては。
そのまま怒鳴られる覚悟で身構えていた私に。
予想に反し男は笑い出した。
「え…。はは。」
恐怖する私。
構わず男は呟く。
「これ、…ホントか?」
信じられないモノでも見ている様な口振りだ。
戸惑いつつ今も弱く笑っている。
ただ、招かれざる侵入者に対する反応とは明らかに違う。
目をギラつかせわくわくと興奮している様にも見えた。
「今までいくらやっても出来なかったのに…。やっぱり具体的なモデルがいると違うのか…。」
ブツブツと思ったままを零している。
私は声を出せずにそれを見詰めるしかない。
「ヤベェなコレ。匂いまで感じるじゃん。俺、頭おかしくなってんのか?」
目の前まで男が来た。
私の周囲を回りながら至近距離で全身を観察し始める。
発言はどれも意味はわからないが、憶測するにはどうも私を何か別のモノと勘違いしているようだ。
鼻同士がくっ付いてしまうかと思う距離まで顔が近付く。
フワッと香るアルコール臭。
不安げな表情。
「触っても…消えるなよ。」
そう祈りを口にし、胸の前で固く握り締めていた私の手に恐る恐る触れてきた。
ひんやりと冷えきった大きな手に包み込まれる。
「…はー、あったけぇ…。」
男は身構える私の手を優しく剥がし自分の頬を包ませた。
どうしよう。
予想外の出来事に抵抗もできない。
どう切り抜けよう。
そう思案していると。
「ずっ…、ぐっず…」
鼻を啜る音。
え?
泣いてるの?
分かった途端、胸がギュッと痛む。
この人、私に触れて泣いてるの?
頬までこんなに冷えて…。
どうしたら良いのかは分からないけれど何とかして暖めてあげたい。
暗闇の中手探りで男の涙を親指で拭い取り、そのまま手のひらで耳まで暖めてやる。
男は私の手の上に重ねていた自身の手を伸ばし私の頬に触れてきた。
互いの頬を包んだまま居間から仄かに漏れる光を頼りに暫く見詰め合う。
「…笑ってる?」
そう問われ自分が微笑んでいた事に気付かされた。
何故だろう。
この男が愛おしい。
よく知りもしないのにそう思った。
「明るい所でちゃんと見たい。」
私も同じ気持ちだった。
男が手を引く。
そうして私は導かれるままに居間に移動した。
それを握りしめ私は最期に見た笑顔を思い出していた。
「孫が引き継ぐまで、この家を守って欲しい。」
それ以来この数ヶ月の間、数日おきに家の様子を見て管理してきたけれど、来月にはとうとう新しい家主が訪れる事が決まった。
何事もなく無事に引き渡せる事にホッとする気持ち。
それと同時にこの鍵を使って家にお邪魔するのもあとほんの数回なのだろうとふと思い、源造さんが亡くなった時程じゃないにしろ胸に隙間風が吹き込んでくる様な寂しさを覚えた。
ふーっと長く息を吐いて手を開き丸い断面のレトロな鍵を持ち替える。
それを鍵穴に差し込みクルッと捻り引き抜くと、古めかしい磨りガラスと木枠で出来た重たい引き戸をそっと開けた。
ガラガラと大袈裟な音が静かな夜の空間に吸い込まれていく。
その瞬間。
中から何とも言えない懐かしい空気が押し寄せ私を優しく包み込んだ。
仄かに暖かいのに寂しげな孤独の匂い。
無人の家には無い筈の生活する気配。
源造さんが生きていた時と同じだ。
そんな事あるわけがないのに。
真っ暗な廊下。
目を凝らすと奥の居間からはほんのり光が漏れているのが見えた。
もしかして源造さん?
いや、有り得ない。
脳裏に浮かんだ希望を振り払う様に自分で否定する。
でも、そうじゃなければ…泥棒?
こちらの方がかなり現実的だ。
今度は一気に絶望が私を襲う。
この家を守ると源造さんに誓ったのに。
泥棒と身一つで対峙する事なんかよりも、源造さんとの約束を果たせない可能性の方に私は恐怖していた。
何にしても確かめなくてはならない。
扉を開けたままサンダルを脱ぎそろりと廊下に足を踏み入れる。
ひんやりとした床。
火照り持て余した体温が足の裏から吸収されていく。
そのまま足を進め息を殺し奥の居間を目指す。
軋む床にこれ以上煩くしないでと祈りながら擦る様にして進んだ。
途中、左側にある台所のシンクに水が滴った音に驚き制御出来ずに身体が跳ねる。
「ひっ…。」
息を飲んで身が縮こまった。
反動で足元の床がギッと一際大きく鳴る。
不味い。
どうか気付かれないで。
胸の前で両手をグッと握り締めた。
居間から畳を擦る音と共に人の動く気配がする。
もう進む事も引き返す事もままならない。
立ち尽くすしかない。
音が廊下の方へ近付いて来た。
暗闇に慣れた目に映るのは中途半端に開いている居間の襖。
その縁に何者かの手が掛かる。
「誰かいるのか?」
落ち着いた男の声。
それは思いの外緊張感の薄い声色で。
泥棒ではなさそうだけれど…。
当たり前な事に源造さんの声でもない。
それでは声の主は一体…。
一番考えられるのは新しい家主だ。
何らかの理由で入居が早まったのかもしれない。
そうなると逆に私の方が不法侵入者にならないだろうか。
そう気付いた途端、今度は自分のやらかしてしまった事に対して私は怯える。
早く謝って説明しなくては。
怪しい者ではないです。
源造さんに許可を貰っている隣人です。って。
「おい、誰かいるのか?」
「っ…。」
やるべき事は分かってはいても咄嗟の事に言葉が出てこない。
口をパクパクさせた状態で喉が完全に詰まった。
襖の影から唐突に男が顔を出す。
その目が私の姿を捕え、そこでお互い固まった。
もう逃げられない。
早く弁解をしなくては。
そのまま怒鳴られる覚悟で身構えていた私に。
予想に反し男は笑い出した。
「え…。はは。」
恐怖する私。
構わず男は呟く。
「これ、…ホントか?」
信じられないモノでも見ている様な口振りだ。
戸惑いつつ今も弱く笑っている。
ただ、招かれざる侵入者に対する反応とは明らかに違う。
目をギラつかせわくわくと興奮している様にも見えた。
「今までいくらやっても出来なかったのに…。やっぱり具体的なモデルがいると違うのか…。」
ブツブツと思ったままを零している。
私は声を出せずにそれを見詰めるしかない。
「ヤベェなコレ。匂いまで感じるじゃん。俺、頭おかしくなってんのか?」
目の前まで男が来た。
私の周囲を回りながら至近距離で全身を観察し始める。
発言はどれも意味はわからないが、憶測するにはどうも私を何か別のモノと勘違いしているようだ。
鼻同士がくっ付いてしまうかと思う距離まで顔が近付く。
フワッと香るアルコール臭。
不安げな表情。
「触っても…消えるなよ。」
そう祈りを口にし、胸の前で固く握り締めていた私の手に恐る恐る触れてきた。
ひんやりと冷えきった大きな手に包み込まれる。
「…はー、あったけぇ…。」
男は身構える私の手を優しく剥がし自分の頬を包ませた。
どうしよう。
予想外の出来事に抵抗もできない。
どう切り抜けよう。
そう思案していると。
「ずっ…、ぐっず…」
鼻を啜る音。
え?
泣いてるの?
分かった途端、胸がギュッと痛む。
この人、私に触れて泣いてるの?
頬までこんなに冷えて…。
どうしたら良いのかは分からないけれど何とかして暖めてあげたい。
暗闇の中手探りで男の涙を親指で拭い取り、そのまま手のひらで耳まで暖めてやる。
男は私の手の上に重ねていた自身の手を伸ばし私の頬に触れてきた。
互いの頬を包んだまま居間から仄かに漏れる光を頼りに暫く見詰め合う。
「…笑ってる?」
そう問われ自分が微笑んでいた事に気付かされた。
何故だろう。
この男が愛おしい。
よく知りもしないのにそう思った。
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