休憩室の真ん中

seitennosei

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可笑しい。
これは何かの罠だろうか。
22時過ぎの休憩室。
一時間前に上がった筈の汐ちゃんが真ん中辺りの席に座っている。
そして休憩室に入ってきた俺に向かって「待ってましたよ。」と笑顔で言った。
健太の騒動から3日。
それ以来、こんな感じで急に距離が縮んだ。
「ああ、汐ちゃん。おつかれー。」
「うしお『ちゃん』?」
「あ、えっと…汐。」
しかも俺に呼び捨てを強請ってくる。
そして気恥しさでタジタジになっている俺のぎこちない呼び掛けに、汐が満面の笑みで「はい。」と応えるのまでがセットになった。

素直に甘えられると嬉しい反面、酷く怖い。
調子に乗っても大丈夫なのだろうか。
俺は前に拒絶された時のことを盛大に引きずっている。
何しろ理由が未だにわかっていない。
自覚がない以上 、同じ轍を踏む可能性がかなり高い。
俺から距離を詰めたらまた逃げられるかもしれない。
そう思うと、こんなに美味しい状況なのにいまいち踏み込めない。
「高橋さん。今日も一緒に帰って良いですか?」
着替えもせずに悶々と考え込んでいる俺を上目遣いで見上げてくる。
あー、もう、めちゃくちゃ可愛い。
こんなん我慢出来るのか?
いつかきちんと気持ちを伝えるつもりではいる。
だけどそのタイミングがわからない。
大体、汐がどういうつもりで、この距離感の接し方をしているのかが量れていない。
健太の件で信用してくれたことは明白だが、それが男としてなのか、兄の様な感覚なのかは今の時点では判断できていない。
これが兄を慕う様な感覚だった時、勘違いして調子に乗った俺に迫られたら、汐はどれだけ嫌悪するのだろうか。
それを想像するだけで恐怖だ。
結果、どうしてもコチラからは行動出来ず、汐から伸ばされた手を控えめに取るのが精一杯だ。
俺っていつからこんなヘタレになったんだ?
違うか。
今までは失うのが怖い程大切なものがなかっただけで、きっと昔からずっと俺はヘタレなんだ。
「しょうがねぇな。ロリっ子に夜道は危険だからな。お兄さんが送ってあげよう。」
ほら、またひよって兄貴面だ。

その後も、そうやって俺はことある事に兄貴面しては汐を子供扱いして、下心なんて微塵もない様な素振りで接し続けた。
可愛い笑顔を見る度に抱きしめたい衝動に駆られ、良い匂いを嗅ぐ度にキスしたい欲求で胸を一杯にしながらも、素知らぬ顔で紳士の振りを続けた。
健太との騒動以降、汐に振られる夢は見なくなった。
だけどエッチな夢も見ていない。
つまり夢で汐に会えなくなった。
でも現実の汐の距離が近付いてきた。
急な状況の変化に戸惑いと、触れられる距離に受け入れられた嬉しさと、関係がはっきりしないもどかしさとで、いい加減頭が可笑しくなりそうだ。


11月も半ばの金曜日。
バイトも予定もなく部屋でボーッとしていると仲宗根さんからメールが来た。
『何人かで飯食い行くけど来る?』
明日は夕方からのシフト。
学校もない。
何人かって誰だろう?
確か今日、汐は20時までのシフトだから、仲宗根さんが店で参加者を募ったのなら、遅れて汐も参加する可能性がある。
休みだから諦めていたけど、もしかしたら会えるかもしれない。
答えは決まった。
『行きます!』
そう返して出掛ける支度を始めた。

最近、夜はめっきり寒い。
アウターは暖かいピーコートにしよう。
それをクローゼットから引っ張り出してくる。
クリーニング出してないけど…まぁ良いか。
数ヶ月ぶりに袖を通すと、ほんのりと防虫剤の匂いがした。
そういや、これ、去年の今頃に付き合いたての美玲とデートする為に買ったやつだ。
あの頃は何度目のデートで、何処まで手を出そうかとか、そんなことばかり考えてデート先を決めてたな。
俺、変わってねぇな。
美玲を想っていた気持ちと、今汐を想っている気持ちは全然違うものだけど、結局好きな子に触れたいって欲求は、そんなに変わらないんだな。
今振り返れば、美玲のこともそれなりにちゃんと好きだったんだと思い出す。
別れて以来、学校の文化祭の準備や当日のミスコンで騒がれていたのを見掛けた程度で、直接関わってはいない。
ミスコンでは準優勝だったみたいだ。
頑張っていたのを隣で見ていた分、惜しくも優勝には手が届かなかったが、結果は残せて良かったと心から祝福できる。
関係が終わってからほんの1ヶ月程なのに、美玲との出来事が既に懐かしい。
ちょっと感傷に浸りながら、財布とスマホをそれぞれコートの左右のポケットに突っ込んだ。
その時、右のポケットの中で何か指に触れた気がしたが、面倒で何なのかは確認しなかった。
どうせレシートか何かだ。
後で捨てれば良い。
玄関を施錠し、鍵も右ポケットに突っ込む。
そして仲宗根さんに指定されたカフェへ向かった。

カフェに着いた俺は困ったことになっていた。
可笑しいと思ったんだ。
皆で食事って言えばいつもは居酒屋なのに、指定がカフェって。
店内に入ると、通された席にいたのは果歩ちゃん一人だった。
「えっと…果歩ちゃんだけ?」
「はい。」
嵌められた。
率直にそう思った。
「ごめんなさい。でも、どうしても高橋さんに二人きりで聞いて欲しい話があるんです。」
マジか。
そこまでしっかり切り出され、それを突っぱねて帰る訳にもいかず、渋々果歩ちゃんの前に座る。
俺の態度でウェルカムな感じじゃないことは伝わっているだろうが、果歩ちゃんは怯むことなく続ける。
「もう気付いてると思いますけど…。」
ああ、来る。
「私、高橋さんのこと初めて会った日からずっと好きでした。」
そうだよな。
そういう話だよな。
何となくわかっていた。
でも、ごめんね、果歩ちゃん。
俺はこの店に来てからずっと、今の状況が汐の耳に入らないと良いなって思いに気を取られている。
いつか汐に言った言葉。
「付き合った子以外と二人で会ったりは基本しない。」ってやつ。
申し訳ないけど、俺は果歩ちゃんと二人きりになりたくなかったよ。
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