休憩室の真ん中

seitennosei

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22時過ぎの更衣室内。
ダラダラと着替えながら汐ちゃんのことを考える。
あれ以来、退勤時間が被っていないため、送ることが出来ていない。
例え被っていたとしても拒否られることはほぼ確定しているが、帰る方向は一緒なのだからやり様はいくらでもあると思っていたのに。
時間が被らなきゃどう仕様もない。
せめて俺の方が早く上がる日なら待ち伏せの仕様もあるが。
今日はもう、汐ちゃんはとっくに帰ってしまっている。
「大丈夫かな…。」
こうしている今も、元カレが接触してきてはいないかと、気が気じゃない。

俺の気持ちは腐っていない。
海と一花に応援してもらい、園田に宣言し、ユナちゃんに背中を押してもらった。
汐ちゃんが困っていたら、その時どんな立場にいようとも駆けつけて守ると決めた。
だから自分の気持ちとしての迷いは一切なくなった。
ただ具体的な行動をどうして行くのかが全く決まらない。
差し伸べた手を突っぱねてくる相手に対し、俺がストーカーになってしまわない様な距離感で、強引に手助けをする方法なんて果たしてあるのだろうか。
答えが出ないまま着替え終えた。


裏口の扉を開く。
ヒュッと風が吹き込んできた。
いつの間にか11月になっていた。
流石に夜は冷える。
ロンTの上に適当に羽織ってきた薄手のトレンチでは、ちょっと肌寒い。
ああ、こんな時汐ちゃんと一緒だったら、寒さに託けて手を繋いでポッケに突っ込んだり、肩を抱き寄せたり、色々するんだけどなぁ。
静かな駐車場に佇んでハッとする。
汐ちゃんにとって一番危険人物なのは俺説が急浮上してきた。
これ以上の妄想は辞めておこう。

駐車場を抜けて路地に出ようと歩き出した時。
「…やっ。」
「…いから…。」
微かに人の声が耳に届いた。
俺の神経が過敏になっているせいだろうか?
男女の争っている様な声に思え、戦慄する。
気を張って声の主を探すと、隣接する建物とゴミ置き場の間に、人の気配がある。
あんな所、普段は誰も近付かないのに。
物陰に身を潜めながら、目を凝らす。
大柄な男が小柄な女性の手を引いている様なシルエットが見えた。
女性の方は抵抗している様に腰を引いて足を突っぱっている。
風の音と表通りの喧騒に邪魔されながら、か細い声が細切れに聞こえてきた。
「…っはな、離して…。」
「いい加減にしろ、汐!」
あ、ダメだ。
殺してやろう。
衝動的にそう思った。
どうやって殺そうか。
足を踏み出して考える。
普通に殴っても俺の力じゃ殺せない。
返り討ちにあって負けるのは目に見えている。
負けるだけなら良い。
俺が動けない間に汐ちゃんが連れ去られるのが一番怖い。
不得意な暴力より、もっと良い方法があるはず。
歩みを進めながら更に考える。
一花の元カレを思い出せ。
嫌味で高圧的で。
簡単に人の心を折る天才。
海を思い出せ。
相手の選択肢を潰していき、最終的に後退の一択にするやり方。
園田を思い出せ。
真っ直ぐな素直さで人の心を動かす。
考えが纏まらないままに、相手の間合いまで到着してしまった。
俺は覚悟を決めた。

「汐?」
俺の呼び掛けに2人が同時にこちらを見た。
汐ちゃんは怯えきった顔で震えている。
男は小さな目を見開いて固まっているが、その手は汐ちゃんの手首を掴んで離さない。
また衝動的に殺してやろうかと思ったが、辛うじて機能している理性が「汐ちゃんのみ無傷で、相手の心を殺す方法」を、猛スピードで模索している。
俺は汐ちゃんに近寄り頭を優しく撫でると、「こんな所にいたのかよ。ダメだろ?寒くないように中で待ってろって言ったろ?」と、甘い声で叱る。
そして混乱して目を泳がせながら、尚も震えている汐ちゃんを抱き寄せ、開いたトレンチコートの中に包み込む。
その時、意図せず男の手が離れた。
「こんなに冷えて…。」
コートで口元を男から隠し、汐ちゃんの耳に口を付けて囁く。
「コイツが元カレ?」
コクコクと小さく頷いた。
「もう大丈夫だから。」
汐ちゃんはコートの中で俺の腰に震える手を回し、ギュッと抱きついてきた。
愛おし過ぎて、胸が痛む。
しかもまた鳩尾の辺りにおっぱいの感触が…。
イカン、イカン。
今はそれどころじゃない。
男とのやり取りに集中しなくては。
「あんた、誰だよ?」
無視されていることに痺れを切らしたのか、男がジャガイモみたいな顔を怒りで歪ませている。
「ああ、ご挨拶が遅れてすみません。汐とお付き合いしている高橋です。」
汐ちゃんを抱きしめたまま、ペコッと頭だけで会釈をする。
「付き合っ…。…は?」
「汐の幼馴染みさんですよね?俺、汐と付き合ってるだけじゃなくて、海とも仲良くさせて貰っているので、幼馴染みさんのお話は良く聞いていましたよ。だからご挨拶できて良かったですよ。」
やんわりと、お前のことは知っているぞ。と警告を込め笑顔で牽制する。
「汐。どういうことだよ?ちゃんと顔見せて説明しろよ。」
男は矛先を汐ちゃんに変えた。
俺の胸元を睨みながら凄む。
依然、胸の中の汐ちゃんは震えている。
「どうしました?俺と汐が付き合っていることがそんなに納得いかないんですか?ただの幼馴染みなのに?」
煽る様に首を傾げる。
矛先を俺に戻したい。
怒って殴りかかってくるならそれでも良い。
大通りに出れば人通りがある。
暴行されても目撃者が出来るだろう。
何なら店の入口近くまで行けば防犯カメラに記録されるだろうし、店舗の中に逃げ込めば夜勤のスタッフが多数いる。
証拠集めまくって警察に突き出してやる。
「どうしてそんなに汐に執着するんですか?」
俺の問い掛けには答えず、男は俯き拳を握って震え出した。
覚悟しているとはいえ、ちょっと怖い。
いよいよ来るか。
どうやって汐ちゃんの安全を確保しながら攻撃を受けるかのシミュレーションを脳内でしていると、顔を伏せたまま男が叫んだ。
「汐は俺の作品だ!」
瞬間、時が止まった。
作品?
予想外の発言に、なんて返そうか迷う。
「やだ…。…ホント、キモい…。」
俺にしか聞こえない声量で汐ちゃんが呟いた。
無理もないだろう。
図らずも身の危険の恐怖はなくなった。
だけど精神的恐怖は増した。
同じ女の子を想う者同士として、これを言うのはタブーなのかもしれないが、真っ先に浮かんだ感想は「純粋に気持ちが悪い」だった。
それきり、全員が黙り込み、静寂が訪れた。
風に乗ってゴミ置き場から漂ってくる生ゴミの不快な臭いが急に気に触り出す。
「とりあえず、場所変えるか。」
俺の提案に男は頷いた。
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