休憩室の真ん中

seitennosei

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16時のキッチン。
夜のピークに向け食材の補充をしていると深刻な顔をした一花が近付いてきた。
「高橋。ちょっとお願いがあるんだけど…。」
少し困ったような表情に救済欲を掻き立てられる。
「どうした?」
一花は周囲に誰もいないことを確認すると、俺の耳に顔を寄せ、囁くように話し始めた。
「何にも聞かずに今日汐ちゃんを寮まで送って欲しいの。」
「…送るのは全然良いけど…。理由は全く聞いちゃいけねぇの?」
俺は嫌な予感がしていた。
甘え下手な汐ちゃんの代わりに一花がお願いしてくる程、その時間汐ちゃんを一人にしない方がいい、理由が何かあるってことだろ。
少し考え込む素振りの後で、再度周囲を伺ってから、一花は更に小声で話す。
「汐ちゃんは一人で解決しようとしてて、私にも海くんにも詳しく話さないんだけど…。なんか誰かに付きまとわれてるっぽいんだよね…。」
やっぱな。
嫌な予感って的中するんだよ。
途端に、見たこともない大柄な男が、小さな汐ちゃんに襲いかかる映像が脳裏に過ぎる。
そんな話聞いたらシフト入っていない日だって送り迎えしたくなるだろ。
「海くんか私が送るって言っても遠慮するからさ。方向が同じ高橋が上手く誘って欲しいんだ。『汐ちゃんの為に送る』んじゃなくて、『高橋が一緒に帰りたくて誘ってる』って感じでさ…。」
「おお、わかった。」
相変わらず一花は気配りの人だな。
本当は自分が守ってやりたいとか思ってんだろうな。
そんで、海に怒られて、汐ちゃんに遠慮されて、仕方なく俺にお願いしてきたって流れだろう。
「最近の高橋なら大丈夫と思うけど…、くれぐれも踏み込んで理由を無理やり汐ちゃんから聞き出そうとしたりはしないでね?」
「…おお、気を付けるわ。」
釘を刺してもらって良かったかもしれない。
心配するが故に詳しいことを知りたい気持ちが先行し、根掘り葉掘り聞いてしまいそうだ。
肝に銘じておかないとな。
「はー。それにしてもさ、本当にさ、あんな魅力的な感じで目の前ウロウロしておいて、イケるかと思って距離詰めると唐突に拒絶する感じ…。兄妹でそっくり。」
一花は遠くを見詰めて何か思い出し苛立っている。
そして急にこちらを見ると、強く忠告してきた。
「高橋も、距離の詰め方間違えると遠回りになるから気を付けなよ。」
「…。」
発言の意図を考え込み、黙っている俺を残し、一花は自分の持ち場に帰って行った。
一花も、俺が汐ちゃんを好きなんだと思ってそうな発言をしていた。
しかも「遠回り」って言い回しに、俺と汐ちゃんの関係は一花から見て、ゴール出来る前提なんだと汲み取れる。
俺の心が決まる前にどんどんと周囲の判定が変わっていく。
棚の隙間からカウンターで接客中の汐ちゃんを盗み見る。
小さな背中だ。
今現在どんな問題を抱えているのか知らないが、一人で解決しようとしてるみたいだと言ってたな。
一花の言う通り、俺が守るって意気込みで近付いたら拒絶されるんだろう。
汐ちゃんといると楽しい。
俺がいたいから隣にいる。
そういう距離感で近寄って行って、その結果が汐ちゃんを守ることに繋がるなら、気持ちが固まってないとか言ってウダウダしている場合ではないのかもしれない。

22時。
30分程先に上がった俺は、着替えを済ませ休憩室で汐ちゃんを待っていた。
どうやって誘えば自然だろうか。
普通に「一緒に帰ろうぜ。」って言ってOKしてくれるか?
冷たく「何でですか?」って返されそう。
そしたら心折れちゃうよ。
前に送った時みたく「心配だから送らせて。」って言えば案外OKしてくれる気もするけど…。
あの時は本当に自然に言えたのに、ミッションになった瞬間、どうやって振舞えば良いのかがわからなくなってしまった。
一人脳内で何パターンかシミュレーションしていると、22時上がりの汐ちゃんと一花が入ってきた。
俺は酷く緊張し、引き攣った顔でぎこちなく笑った。
「お、お疲れ。」
「?…お疲れ様です。」
不自然な俺の態度に不信感を抱いた様子で、汐ちゃんは挨拶を返してくれた。
隣で一花が呆れた顔で目を細めている。
俺って以前はもっと色々スマートに出来たはずなんだけどな…。

「へたくそ!」
汐ちゃんが着替えている間、一花が小声でドヤしてきた。
「仕方ねぇだろ。プレッシャーでどうしたら良いのかわかんなくなっちまったんだからさ。」
俺も小声で言い訳をする。
「この際、多少強引で良いから、絶対に汐ちゃんを一人にさせないでよ。お願いね。」
そう言うと一花は汐ちゃんと入れ替わりで更衣室へ入っていった。
距離の詰め方間違えるなって言ったり、多少強引でもって言ったり、結局どっちなんだよ。
俺を通り過ぎ、奥のロッカーで身支度をしている汐ちゃんに声をかける。
「汐ちゃん。」
「…はい。」
まるでデートに誘う時のように空気が張り詰める。
大丈夫だ。
シミュレーション通りにやれば。
俺は無理やり笑顔を作る。
「一緒に…帰ろうぜ?」
「何でですか?」
予想通り過ぎて逆に笑える。
間髪入れずこの返しである。
心折れるぞ。
「いや、なんか、話したいし…?遅いから送りたいし…?」
無理やり気持ちを立て直すも、目が泳ぎもしどろもどろになる。
不自然過ぎるだろ、俺。
「高橋さん?」
汐ちゃんが探るような目で見てくる。
「もしかして、兄か一花さんに何か聞きました?」
カンッ。
「ぅんんっ。」
更衣室から制汗スプレーが落ちる音と、一花の態とらしい咳払いが聞こえてきた。
お前も下手くそじゃねぇか。
どうしてくれんだよ、この感じ。
更衣室の方をチラッと見て汐ちゃんが笑う。
「もう、一花さんも高橋さんも大袈裟ですよ。大丈夫ですから。お気遣いなく。」
ダメだ。
このままじゃ拒否られる。
素直に甘えて貰えるほど関係を築けていない。
だけど絶対に一人で帰したくない。
詳しい情報がない分、余計に怖い想像をしてしまう。
俺は立ち上がるとロッカー前に立つ汐ちゃんの前まで歩いていった。
少し驚いた顔で見上げてくる目を見詰める。
「いや、兎に角俺と一緒に帰ってくれ。」
汐ちゃんは途端に泣きそうに顔を一瞬だけ歪める。
そしてパッと逸らした。
「何でですか。嫌ですよ。」
意地になって強がっているんだ。
本当は怖いんだろうな。
「俺が汐ちゃんと帰りてぇの。だからお願い。」
駄々を捏ねるように食い下がる。
シミュレーションしている時は、こんな格好悪いパターンは想定していなかったが、今はなりふり構っていられない。
「意味わかんないですよ。放っておいて下さい。高橋さんに一緒に帰るメリットないじゃないですか。」
「あるよ!」
食い気味で宣言する。
「俺だって可愛い子と一緒に帰りたい!」
「ぶふっ。」
更衣室で一花が吹き出している。
聞き耳たててんじゃねぇ。
一気に恥ずかしくなる。
「な、なに意味わかんないこと言ってるんですか。」
汐ちゃんまで恥ずかしそうに慌てだした。
こうなりゃ勢いで押し切る。
「汐ちゃんももう知ってんじゃん。俺がかなりのヘタレだって。俺、この前別れたばっかだし、多分この先女の子と一緒に歩くなんて暫くねぇからさ。方向一緒なんだし、一緒に帰ってくれよ。な?お願い。俺に女の子成分摂らさしてくれ。」
ガバッと頭を下げる。
何を必死にやっているんだ。
滑稽もいい所だと思うが、汐ちゃんを一人で帰す恐怖に比べれば、これくらいどうということはない。
「もう、何なんですか、それ。痴漢や変質者より高橋さんの方が余っ程危ないヤツじゃないですか。」
下げた頭の上から呆れ果てた声が降ってくる。
「もう、わかったから頭上げてください。…そんで、家まで送って下さいよ。」
やれやれといった感じで汐ちゃんの許可が下りた。
デートの誘いをOKして貰えたかのように胸が弾む。
「よっし!じゃあ帰ろうぜ!」
「はー。わかりました。準備するから待ってて下さい。」
汐ちゃんはロッカーに向き直ると身支度を再開した。
俺はテーブルに投げ出したままだった自分のボディーバッグを肩にかけ、それが済むのを待つ。
いつの間にか着替え終えた一花が隣に立っていた。
「高橋、グッジョブ!」
二カッと笑い、親指を立て賞賛の言葉をくれる。
「んじゃ、汐ちゃんの身の安全は任せた。そんでもって、アンタの恋の方も健闘を祈っておくよ。」
完全に決め付けてやがる。
だけど否定する気になれなくて黙っておいた。
俺が誰を好きかなんてよりも、汐ちゃんに頼って貰える様に信頼関係を築くことを今は優先したい。
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