傾く方へ

seitennosei

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その後の二人。

在り続けたい。

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「うおっ…。最悪だ。白い服着てんのに飛んだ…。」
稔くんの胸元。
白いシャツに点々と小さく黄色い染みが付いていた。
稔くんは近くにあったティッシュを取り、その部分をトントンと優しく叩く。
「あー、帰ったら染み抜きだー。洗濯機って今日から使えるかな?」
「使えるよ。あ、でも洗剤は買わないと…。」
「ドラッグストア寄って帰るか。じゃあ食いながら他にも何が必要か考えとこうな。」
こんな会話をしていると、うずうずとワクワクが混ざった感じがする。
染みと格闘しながら「歯ブラシも買わないとな…。捨てちゃったからな…。」と呟く稔くんを眺めていると、本当に同棲生活が始まるのだと徐々に実感していく。
荷解きを早々に諦めた私達は、今近所のお蕎麦屋さんに来ている。
引越しの日は蕎麦だ!と言い切った稔くん。
他のお客さんが食べている匂いに釣られてカレーうどんを注文していた。
そして結果、白いシャツに染みを作る始末。
「白着てる時に限ってカレー食いたくなる現象に名前付けたいわ。」
ブツブツ文句を言いながら水を含ませたティッシュでトントンし続けている。
「これ落ちなかったら染めちゃおうかなー。最近古着を修理するだけじゃなくてリメイクするように会社から言われててさ。染めも今ちょっと勉強してんだ…。」
「へー!楽しそうだね。古着の買い付けって今は社長さんが行ってるの?」
「うん。凛子は今産休からの育休だからなー。まあ、凛子が買い付け行かなくなったせいなんだけどな。修理やリメイク必要なったの。社長下手なんだよ買い付け。デザイン重視で状態もろくに見ないし、下手な癖にやりたがんの。」
「あはは。面白い会社だね。」
「何とかなってんのが奇跡だよ…。ああー、もう無理だ。後は帰ってから。」
丸めたティッシュをテーブルの端っこに置くと、稔くんはカレーうどんの残りを食べ始めた。
私は会話の流れで出てきた凛さんが気になって箸が止まっている。
久しぶりに聞いたな。
凛さんの名前。
再会してすぐと、赤ちゃんが生まれた頃に軽く事情は聞いたけれど、稔くんも積極的に話してこないので現状は知らない。
私は凛さんが純粋に今どうしているのかに興味があって、そしてどうせなら元気でいて欲しいと素直に思っている。
「凛さん…。元気?」
「ん?むぃんこ?」
うどんを咥えたまま稔くんが応えた。
そのままちゅるんとカレーうどんを完全に吸い込むとモゴモゴしながら続けて言う。
「凛子結婚したよ。」
「え?結婚?」
ビックリした。
未婚の母になるって聞いていたから。
妊娠出産の間に旦那さんが見付かるなんて、流石凛さんと事情も知らないのに思ってしまった。
あの人、なんか放っておけないんだよね。
だから一人で苦労しようとしても、絶対誰かしらの助けが入る気はしていたけれど。
「うん。子供の父親ではないし、今はまだ籍は入れてなくて事実婚らしいけど。何か子供の時から凛子の事知ってる人で、事情とか凛子の気持ちとか全部分かった上で家族になろうって言ってくれた人なんだって。」
「…そうなんだ。」
喉がキュッと閉じてお蕎麦がそれ以上食べられなくなってしまった。
だけど私は心の底から安堵していた。
凛さんにもそういう場所が出来たんだ。
不意に最後に会った凛さんの姿が蘇る。
ベッド以外何も無い無機質な部屋で、顔に涙の跡を貼り付けながら寝息をたてていた凛さん。
一人にするのが怖くて。
外が明るくなるまで頭を撫で続けた。
だから後に稔くんと再会した時。
どれだけ凛さんが今は元気だと聞かされても。
稔くんが私に会いに来る為のお膳立ても凛さんがしてくれたって教えられても。
どうしても弱っている凛さんから稔くんを奪ってしまった気がしてしまい、胸の中に薄らと罪悪感が存在していた。
そばに居て支える力もない。
全部許せる程優しくもない癖に。
私はずっと凛さんが心配だった。
だから凛さんはもう1人じゃないと知って、それが本当に嬉しい。
「凛さんももう大丈夫なんだね…。今度御祝い贈ろうね。」
「うん。そうだな…。」
嬉しくて胸をポカポカさせながら、冷めてしまったお蕎麦にまた手をつける。
ずぞずぞと啜っていると何となく視線を感じ顔を上げた。
頬杖を着き、優しい顔で微笑む稔くんと目が合う。
「ん?」
「ユリはホント優しいな。」
「なに、急に…。」
「俺だけじゃなくて凛子の事も許して幸せを喜んであげちゃうんだもんな。」
「うーん…。自分では優しいとは思わないけど…。」
実際私は優しくはない。
むしろ結構薄情な方だと思う。
壱哉とか、その前の元カレとか、一時期親しくても今疎遠な人とか、正直現在どうなっていても興味がない。
私が凛さんの幸せを喜んだのは、やっぱり凛さんが好きだからなんだろう。
酷く振り回されて傷付けられて。
嫌いになりたいと思った事もあったけれど結局嫌いになり切れなかった。
今でも思い出したら腹が立つ事もあるのに、他人の口から凛さんの悪口を聞いたら許せなかった。
「私凛さんには感謝してるんだ。」
「何で?」
「凛さんが私を見付けて気に入ってくれなかったら、稔くんと出会う事はなかったし。凛さんが背中を押してくれなかったら稔くんと再会する事もなかったし。」
「…うん。」
「私達にとっても凛さんにとっても全部必要な事だったんだよ、きっと。稔くんのお兄さんは『失敗』って言ったけど、私は凛さんと稔くんの時間が失敗だとは思わないし、例え失敗だったとしても今に繋がる必要な事だと思うし…。って話逸れてきちゃったんだけど…。」
「…うん。」
「一時的だとしても必要な時間を共有した人だから、許す許さないじゃなくて、凛さんには幸せでいて欲しい。」
綺麗事でなく心からそう思えている。
それは今自分が幸せで心にゆとりがあるっていうのも大きいけれど。
稔くんは愛おしそうに目を細め私に手を伸ばしてきた。
そっと頬に触れる手。
「でもやっぱユリは優しいよ。俺もユリに優しくしたい。」
思いがけない言葉に顔が熱くなる。
非常に照れくさい。
「好きだって思う女は今までもいたけど、優しくされてそれを返したいって思ったのはユリだけだ。」
稔くんは私の頬をふにふにと摘んでまた愛おしそうに微笑む。
「嫌われたくなくて優しくした事は今までもあったけど、貰った優しさを返したくてこれからもずっと一緒に居たいって思ったのはユリだけだよ。」
「…うん。」
お腹の底から幸福感がせり上がってきて胸が沸いている。
どうにも耐えられなくなって想いを吐き出す。
「稔くん…」
好きだよ。と続けようとした時。
「お茶…どうぞ。」
ニヤニヤと愉快そうに笑いながら、お店のおばちゃんがテーブルにお茶を2つ置いた。
稔くんはバッと私から手を離し、小さな声で「どうも。」と呟く。
私はいつかの休憩室を思い出して笑ってしまった。
つられて稔くんも笑う。
こういう何でもない事で凄く楽しくなる感じ。
ああ、本当に幸せだなって思った。

帰り道。
手を繋いで2人の家に向かう。
歩幅を合わせて並んで歩く。
野良猫とかお店の看板とか、見付けたものを指さして共有して笑い合って。
そういうのをこれからも2人で積み上げていきたい。
出会って一年程、付き合って半年なのに今日まで知らない稔くんがいた。
まだまだ知らない稔くんがいるんだと思う。
時間が経って変わってしまう事も沢山あるんだと思う。
それでも私はずっと稔くんの安全圏でいたい。
外でどれだけ無理をして頑張っても、家に帰ったらホッとするみたいな。
稔くんが素直に自分を出せて安らぐ場所で私は在り続けたい。
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