傾く方へ

seitennosei

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傾く方へ。

離れたくない。

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隙間なく壁を埋める箱。
倉庫ほど埃っぽくはないけれど、バックルームもそれなりに空気が悪い。
時折軽く咳き込みながら、商品管理の為に棚を整理していると誰かが入ってくる音がした。
「おつかれー、池田さん。」
「丸山マネージャー。お疲れ様です。」
長身でボーイッシュなファッションなのにおっとりとした雰囲気の女性。
都下エリア担当の丸山マネージャーは、へらっと力の抜けた笑顔で立っている。
「ねぇねぇ。池田さん、ちょっと話し良い?」
「え?…私ですか?」
「うん。まごうことなき池田さん。」
トーンを変えないままに独特の言い回しをされ、咄嗟に言葉が出てこない。
そんな事はお構い無しに丸山マネージャーは咳払いをして改まった空気を作った。
「池田さん。社員にならない?」
「え?」
まさかそんな重大発表が来るとは思わず、私は完全にフリーズしてしまった。
そんな空気を読んでか読まずか、丸山マネージャーは畳み掛ける様に続ける。
「社員って言うか副店長なんだけどね、やって欲しいのは。」
「副店長?」
「うん。横浜の新店舗の…。」
「横浜?新店舗?」
「あ、大丈夫大丈夫。店長と副店長以外は全員オープニングスタッフ予定だから、キャリアとか年齢とか気にせず威張って良いから。」
「いやいやいや…。」
そういう事じゃない!と言いたい。
こんな都下店舗のアルバイトから、横浜のしかも満を持して出店される新店舗の副店長を抜擢するだなんて。
私は個人売り上げが特別高い訳ではない。
寧ろ低い方でビリの月だってあるくらいだ。
勤続年数だって2年そこそこでそんなに長い訳でもない。
私より適任がいくらでもいそうなのに。
「どうして私なんですか?」
「んー。池田さんはどうしてだと思う?」
「…正直…。分かりません。全く。」
「ふむ。じゃあ逆に、どうして自分が選ばれる訳ないって思ってた?」
そう問われて初めて考える。
自分が仕事で胸を張れない部分。
「まず売上が取れていません。私は…向上心もありませんし、人を引っ張る力も無いです。」
「にゃるほど、にゃるほど。池田さん本人は自分をそう評価しているのね?」
「はい…。」
それまで正面に立っていた丸山マネージャーは近くにあった脚立に腰掛けると、私には未開封のダンボール箱を指さし座る様促した。
従って腰を下ろすのを見届けると、彼女は優しい声で問いかけてくる。
「ねぇ。買い物に行く時って何でお店を選ぶ?デザイン?値段?ブランド?」
「えーっと…。私はですけど…。正直値段ありきで。その次がデザインと機能性ですかね…。」
「ふむふむ。じゃあ、店員さんが決め手になる事って?」
「いやー、あー…、私はですけど…。正直殆ど無いです。迷っている時の後押し位にはなると思いますけど…。」
自分の仕事内容を否定している様なものだ。
会社の人間である丸山マネージャーには言い難い気持ちが湧き少し俯く。
いたたまれなくなり「何か、すみません…。」と頭を下げると、丸山マネージャーは私の肩に手を置き笑顔を見せてくれた。
「実はね、私もそう思うんだ。カリスマ店員なんて言葉が太古の昔に流行ったけど、私は飽く迄も商品で顧客を満足させるべきって思うから、店員ありきでお客様を呼び込むのは最優先される方法じゃないと考えてる。だから価格や品質で勝負するべきだし、そこは開発やデザイナーに頑張って貰いたい。」
「はい…。他力本願な気はないですけど…。私もそう思っています。」
「そうなの!この考えって他力本願に聞こえるけど違うんだよ!役割分担の話であって、売上を取る事から逃げている訳じゃないんだよね?」
丸山マネージャーは目を輝かせて大きな声を出す。
「店員の人柄やビジュアルで商品を売らない代わりに、デザイナーや開発部、工場の人が一生懸命作った商品を、知識とニーズの聴き取りでお客様が本当に必要としている形でご案内する事が必要になってくる。」
「はい。」
「で…。」
劇団員の様に大きく身振り手振りを交え語っていた丸山マネージャーが、ここで急に真面目な顔をして私を見てきた。
「池田さんはそれが出来ている。」
「…そ、そうでしょうか…?」
そんな大層な事が出来ているのか自信がない。
それに普段一緒に店頭に立っていない丸山マネージャーが何処まで私を理解してくれているのかも正直疑問だ。
「コレ…。池田さんでしょ?」
そう言って丸山マネージャーが指をさしている先を見る。
沢山の郵送伝票。
丸山マネージャーが言う通り、私が隙を見てよく送る本社や店舗の宛先を書き溜めて置いた物だ。
「はい。」
「棚の整理もでしょ?」
「…はい。」
今度は棚を指さしている。
「この棚のこの並びはどうして?他の棚はメーカー毎に分けられているのに、ここだけメーカーもサイズもデザインもばらばらだけど。」
「それは…。」
先程の伝票を今度は私が指さす。
「店舗間発注に備えてです。新作が入ると都心の店舗へこのシリーズは大体この位移動させてますのでおおよその当たりを付けて準備しておいています。」
「それって他店のデータも見てるって事だよね?」
「あー、まぁ、余裕があればですけど…。他店データ見ないと当たり付けられないですし…。」
「ふん。」
神妙な顔で頷くと丸山マネージャーは脚立から腰を上げた。
そして釣られて立ち上がった私の正面に立つ。
「池田さんは店舗間発注をどう思う?売れ筋を取られて腹立たない?」
「あー、まあ、そうですね…。頭ごなしに『売上とれ』って言われたら『じゃあ暗黙の了解取っ払ってこっちも店舗間発注できる様にしてくれよ』とは思いますけど…。他店でその商品を待っているお客様が居るなら早く送ってあげなきゃって気持ちで移動の発送しています。会社の売上としてはこっちで売るのも他店で売るのも変わらないでしょうし。」
「素晴らしい!そうなのそうなの。池田さんって視野が広いの。そんでもって考え方が合理的なの。会社視点で物が見られる人材をアルバイトにしとくの勿体ないって私はずっと思ってたよ。」
「いえいえ!そんな良いもんじゃないです!社員のお話は嬉しいですけど、新店舗の副店長だなんて…。」
「その謙虚さも良いところ。謙遜し過ぎは勿体無いけど、良く客観視出来てる証拠。」
率直に嬉しい。
社員になれる事も、評価されていた事も。
だけど…。
木内さんの顔が浮かんだ。
横浜は遠い。
今の家から通えなくはないけれど、きっと引っ越す事になる。
曖昧な今の関係。
住まいが遠くなり職場でも顔を合わさなくなれば木内さんが私に会いに来る事はまず無くなるだろう。
もともとこの先なんて分からない関係で、仕事での異動以前にいつ終わっても可笑しくない。
それでも今すぐ踏ん切りをつける事が出来なかった。
「返事は一ヶ月待つからゆっくり考えて。」
丸山マネージャーは優しく微笑んでいる。
そして「最大一ヶ月待つって事だから心が決まったら何時でも連絡して。」と言い私の肩をそっと叩いた。
それに対して「分かりました。」と応えたけれど殆ど心は決まっている。
今はまだ木内さんと離れたくない。
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