傾く方へ

seitennosei

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傾く方へ。

不覚。

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休憩室の奥にあるガラス張りの喫煙室。
それを背にする席を選ぶ。
ガラスの向こうは見たくない。
きっと壱哉と凛さんが楽しく煙をくゆらせているんだ。
だけど完全に喫煙室から死角になっている席にも着きたくない。
どうせこっちを見てやしないと分かっていても、壱哉の視界には入っていたい。
惨めで惨めで悔しいけれど、そうやっていじけた姿を晒す事でしか抗議出来ないのだから仕方がない。
コンビニで買ってきた味のしないサンドイッチをチビチビと齧る。
悲しくてやるせなくて視界が涙で滲んだ。
俯いて無心で食む。
すると、カタッとテーブルが微かに振動した。
視界の端には昨日捨てた筈のヘアーミストが置かれている。
もしかして壱哉?
仄かな期待を胸に顔を上げる。
が、立っていたのは知らない男だった。
なんだ…。
ガックリと肩を落としながらも何となくその人物を観察する。
ヒョロっとした中性的な体型。
サラサラ黒髪のマッシュヘアーで、そこから覗く耳には夥しい数のシルバーピアスがぶら下がっていて。
「前世は蛇だ。」と決め付けたくなるくらい、全てのパーツがシュッと切れ長く冷たい印象を与える顔だ。
男性とは思えない程細い首には黒革のチョーカーが巻かれ、そのジェンダーレスな雰囲気に拍車をかけている。
ピタピタの黒スキニーを纏った細長く真っ直ぐな脚。
全てが受け付けない。
苦手なタイプ。
それにこの人、絶対メンヘラだ。
すっとテーブルに伸びている生っ白い腕。
リストカットの跡とかないよね?
手首に巻いているゴツイ革ベルトの時計のその下を思わず想像してしまった。
水分はコーラかエナジードリンクでしか摂っていなさそうだし、突然キレてギターで人を殴るかも。等と勝手な妄想が捗る。
ここまで無遠慮にジロジロと観察していて気付く。
相手も私を見ていると。
頭の先からつま先まで隈無く視線を感じた。
目が合った瞬間確信する。
私達、今同じ気持ちだ。
この人も私を「ないわー」と思っているに違いない。
何の確証もないけれどそう確信できた。
蔑む様な目線にちょっと腹は立つが、自分も同じなので文句は言えない。
お互い無言を貫いた状態でメンヘラ男は向かいの席に着いた。
そして一呼吸置いてから、戸惑う私を前に彼はゆっくりと口を開く。
「君にはもっと頑張ってもらわないと困る。」
「は?」
意味が分からない。
その失礼な態度に不快感を隠さずに私も口を開く。
「貴方誰ですか?」
メンヘラ男は質問には答えず、先程テーブルに置いたヘアーミストを私の前に押しやり「岡田壱哉君をしっかり捕まえておいてもらわないと困る。」と、私の目を見て言い切った。
本当にこの人何なんだ。
大きなお世話だ。
言われなくても私だってそうしたい。
「俺は木内稔です。木村凛子の彼氏。」
「え?凛さんの?」
「そう。君は岡田壱哉君の彼女でしょ?池田ユリさん。」
「…はい…。」
向こうは私を知っている。
相手と自分の持っている情報量の違いに一瞬怯むも、今のところ敵意は感じないので一旦話を聞く事にする。
「大丈夫。君と俺は同じ気持ちだと思うよ。」
木内と名乗った男は愛おしそうに細めた目をして、私を通り越しその奥を見た。
視線を辿って振り返る。
ガラスの向こう。
壱哉と凛さんが楽しそうに肩を寄せ合い、1つのスマホを覗き込んでいた。
時々笑い合って目線を絡ませていて、その気になればキスが出来てしまいそうな程に顔が近い。
ガラスを挟んでほんの十数メートルの距離。
タバコの煙に包まれる二人は、別の世界で生きているとても遠い存在みたいに見えた。
ぼんやり眺めながら絶望していると、「ほら。君がもっと頑張ってくれないと…。」と、すぐ後ろから聞こえ身体が跳ねる。
耳に息のかかった感触。
前に向き直るとテーブルに乗り出した木内さんの顔がすぐ横にあった。
その瞬間。
初めて嗅ぐ男の人の匂いがして心臓が鳴る。
良い匂い…。
ハッと我に帰った。
誤魔化す様に敢えて迷惑そうに呟いておく。
「近っ…。」
「別にこれくらい…。あの二人の距離に比べれば…、ね。」
動じる様子もなく、こちらに一瞥くれた後真っ直ぐに二人を見ている横顔。
飄々とした態度で分かり難いけれど、この木内さんと言う人も私と同じで今胸を痛めているのだろうか。
思いがけず同士を得て薄れた孤独感。
どこまでの抑止力になるのかは不明でも、凛さんに恋人がいたという仄かな安心感。
それら全てを凌駕するまでの、仲睦まじい壱哉と凛さんへの焦燥感。
色々な感情で自分が今何を思うべきなのか分からなくなってしまった。
だけど一番解せないのは、サッパリとした蛇顔を少しも歪めないままに腹の中では傷付いているであろう、この木内さんという人の横顔。
それを不覚にも綺麗だと思ってしまった事だった。
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